
「世界一の動力性能」
リッターオーバー車の方向性を決定付けたといえるZZR1100の前期C型。ちなみに北米ではZX-11という車名だった事からイレブンという愛称で呼ばれたりもしています。

先代ZX-10をベースにボアを2mm拡大しつつシリンダー傾斜角を2°増、更にピストンやコンロッドも新設計で高回転寄りにして1052cc/147馬力というクラストップの147馬力をマーク。
ストック状態で280km/hまで達する性能で時速300km/hが見えてきたと話題になりました。
※一部雑誌では300km/h超えをマーク
ZZR1100は頭一つ抜きん出ていた速さを持っていたわけですが、この理由の一つはこれ。

0-1000で20秒台を記録し当時世界最速と言われていたフェラーリのF40。
これをベンチマークにし、超える事がZZR1100の目標だった。そのために専用のカウンターまで用意。
最終的に完成したZZR1100は0-1000を18.9秒と19秒台どころか18秒台に。※KBM1999/7より

ここまでの速さを身につけられた秘訣は、タンクが盛り上がっているにも関わらずガソリン容量が先代から1L減ってる事から見ても分かるように大容量のエアクリーナーボックスなのが一つ。
そしてもう一つがそれに合わせて備え付けられた特徴的なラムエアダクト。

走行風をダイレクトにエアクリーナーに取り入れる事で空気を加圧するセルフターボの様な仕組みで、初出はZXR250なんですが世間が大々的に認知するようになったのはこのZZR1100から。それほどZZR1100のインパクトは強かった。
・・・ただし今でこそ名車として有名なZZR1100ですが、モーターショーでは同時発表されたゼファーに話題を全て持って行かれ影に隠れていました。

カワサキ自身も国内では750自主規制もあって売れないと考えていたのかアピールしなかった事もあるかと。
じゃあどうやって人気が広まったいったのかというと雑誌などのインプレッション。それまでとは一線を画する速さを持っていることがテストや最高速アタックで白日の下に晒される事になったんです。

この事で初めてとんでもない性能のバイクだということが多くの人に認知さるれとジワジワと人気が出始め、限定解除や逆輸入という当時としては非常に高いハードルがあったにも関わらず大人気モデルに。一時は弾不足で高騰すら招きました。
※国内登録台数(RIDERSCLUB98/12)
90年1,992台
91年2,626台
92年2,169台
93年623台

ZZR1100はカワサキがGPZ1000RX、ZX-10と止めずに拘り続けた姿勢が報われたモデルであると同時に
「リッターオーバーの方向性を決定づけた」
ともいえるパイオニアの様なモデルでした。
主要諸元
全長/幅/高 | 2165/720/1210mm |
シート高 | 780mm |
車軸距離 | 1480mm |
車体重量 | 228kg(乾) |
燃料消費率 | – |
燃料容量 | 21.0L |
エンジン | 水冷4サイクルDOHC4気筒 |
総排気量 | 1052cc |
最高出力 | 147ps/10500rpm |
最高トルク | 11.2kg-m/8500rpm |
変速機 | 常時噛合式6速リターン |
タイヤサイズ | 前120/70VR17(58V) 後170/60VR17(72V) |
バッテリー | YB14L-A2 |
プラグ | CR9E |
推奨オイル | カワサキ純正オイル または MA適合品SAE10W-40 |
オイル容量 | 全容量4.0L 交換時3.2L フィルター交換時3.5L |
スプロケ | 前17|後45 |
チェーン | サイズ530|リンク110 |
車体価格 | – |
10年前にC型に乗ってました。押して歩くには重くて意外に重心が高いため、一度立ちゴケをしてしまいましたが、そのせいか走り出すと意外にもヒラヒラと軽く切り返せて、しかもどっしりしていると言う不思議なオートバイでした。非常に乗りやすかったのを覚えています。最高速はほにゃらら60キロまでは出しましたがそれ以上は風との戦いに負けてやめました。まだまだ加速中でした。
当時、モーターサイクリストの最高速チャレンジの記事を読みました。
ドクターSUDAにてチューニングを施したマシンで、谷田部テストコース(多分)でのチャレンジだったと思うんですが間違っていたらゴメンナサイ。
あまりの高速でタイヤが持たず、目標には届かなかったと記憶しておりますが、確か300km/hは超えたんじゃないかな?
1990年は、300km/h近辺の超高速巡航に耐える事ができる市販車用二輪タイヤがまだ無かった・・・いや、ミシュランとかにあったか?どっちだ?