RS125 (MP) -since 1995-

MP型

実質的に二代目となるRS125のMP型。

少しややこしい事に、見た目が新しくなったMPだけど二年後の1997年モデルからエンジンが新しいもの(ロータックス123からカセット式ミッションの122)へと変わりました。

スペック的には変わりがないんだけどあまりにもピーキー過ぎる特性が少しだけ緩和されています。いや少しですけどね。

さて少し余談をすると、この頃アプリリアはWGP(世界レース)の125と250で他を寄せ付けない圧倒的な速さを誇っていました。そんなアプリリアのWGP黄金時代で欠かせない人物と言えばレースを知らない人でも知ってるバレンティーノ・ロッシ選手。

ロッシ125

彼が初めて優勝したのは1995年でこのRS125レーサーによるもの。翌1996年には年間チャンピオンにまでなっています。

このあとWGP250そして500(現MotoGP)にステップアップしていったんだけど優勝を記念してロッシカラーのモデルが出たりしました。そんな歴史があるせいかアプリリアは「ロッシはアプリリアで育った」と自負してます。

坂田選手

ちなみにロッシだけでなく日本人ライダーでも坂田和人選手がいました。

彼もなんとWGP125においてRS125で二度の世界チャンピオンに。125でこの人の右に出る日本人は居ないんではなかろうか。

エンジン:水冷2サイクルクランクケースリードバルブ単気筒
排気量:125cc
最高出力:
34ps/11000rpm
最大トルク:
2.5kg-m/9000rpm
車両重量:115kg(乾)

AF-1

1987年
AF-1 125
(AF1)

R125EXTREMA

1991年
RS125
(Gs)

RS125MP型

1995年
RS125
(Mp)

RS125SF型

1999年
RS125
(SF)

RS125Py型

2006年
RS125
(Py/RD/RM)

RS4 125

2011年
RS4 125

RS125 (GS) -since 1991-

GS型

初代RS125のGS型。

といってもAF-1からフレーム、ROTAXエンジン、スイングアームといった基本的な構造は受け継いだモデル。ただスペックを見れば分かるけど125なのに34馬力というとんでもないパワーを持ってる。これは2stワークスレーサーに迫るほどのパワー。

市販車としては最高馬力になるんじゃないかな?

市販といえるのか微妙だけどね。だってこれは本当に公道の事なんて全く考えられてないホモロゲーションモデルみたいなものだから。

エクストリーマカタログ

その申し分ないポテンシャル故にRS125のこの基本設計は2st最終となるRM型まで変わる事なく使われました。

ただそんなRS125の中で最もピーキーなモデルはどれかと言われれば間違いなくこのGS型。カート用のエンジンがベースなだけの事はあります。

エンジン:水冷2サイクルクランクケースリードバルブ単気筒
排気量:125cc
最高出力:
34ps/11000rpm
最大トルク:
2.5kg-m/9000rpm
車両重量:115kg(乾)

AF-1

1987年
AF-1 125
(AF1)

R125EXTREMA

1991年
RS125
(Gs)

RS125MP型

1995年
RS125
(Mp)

RS125SF型

1999年
RS125
(SF)

RS125Py型

2006年
RS125
(Py/RD/RM)

RS4 125

2011年
RS4 125

AF-1 125 (AF-1) -since 1986-

AF-1 125

「PROJECT 108」

日本でアプリリアといえばRSV4よりも有名だろうRS125(RS4)の始まりとなるバイクがこのAF-1 125。

ROTAX社製のエンジンを積んだ123ccのスーパースポーツ。

イタリアで125ccというのは日本でいう原付一種と同じ扱いなこともありカジバやデルビなどと共に争いを繰り広げていました。更に言うなれば国際レース(WGP125)まであったのでレース大好きイタリア人にとっては日本でいう1000や600と同レベルのカテゴリ。

カジバやデルビなどと切磋琢磨してたんですがそんな中でオフ車メインだったアプリリアがオンロードにも販路を開こうとして作ったロードレーサーがAF-1。そしてそのAF-1のレプリカモデルがAF-1 125というわけ。少しややこしいですが。

AF-1カタログ

これが大反響で、これ以降125スーパースポーツの熱が一気に加熱する事になりました。

これは欧州での出来事ですが、日本メーカーも躍起になって参入してました。この波に乗り遅れまいとNSR125やTZR125などで打って出たわけですね。

ちなみにAF-1は毎年のようにモデルチェンジしていて、晩年はアルミフレーム片持ちスイングアームという非常に美しい造形となりました。

AF-1FUTURA

そのルックスから

「これは125ccのRC30(VFR750R)だ」

という評判を得るにまで至ったみたい。

エンジン:水冷2サイクルクランクケースリードバルブ単気筒
排気量:123cc
最高出力:
25ps/10000rpm
最大トルク:
1.8kg-m/8000rpm
車両重量:120kg(乾)

AF-1

1987年
AF-1 125
(AF1)

R125EXTREMA

1991年
RS125
(Gs)

RS125MP型

1995年
RS125
(Mp)

RS125SF型

1999年
RS125
(SF)

RS125Py型

2006年
RS125
(Py/RD/RM)

RS4 125

2011年
RS4 125

TORNADO3 零50 -since 2004-

トルネード3

Tornado3だけどトルネード四代目にあたるトルネード3 零-50。

これはヨシムラ創立50周年を記念して発売されたコンプリートマシン。

トルネード3諸元

2003年式GSX-R1000をベースに50年の集大成として持ちうる技術のすべてを注ぎ込んだキットフル装備モデルです。

下回り

限定5台800万円という歴代最高額と最小台数。まず見ることは無いと思います。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量
燃料消費率
燃料容量
エンジン 水冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量
最高出力 後軸170ps以上
最高トルク
変速機
タイヤサイズ 前120/70ZR17
後190/50ZR17
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 8,000,000円(税別)
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

M450R -since 2003-

M450R

ヨシムラがモタードを手掛けるとこうなる的なM450R。ヨーロッパでのモタードレースブームに合わせて発売されました。

元となってるのはDR-400Sです。もう心が折れたので画像を貼ります。

M450Rスペック

SPEC1 119.8万円
SPEC2 149.8万円
SPEC3 198.8万円
の3グレート展開。でも受注生産13台とかなり少ない。

ヨシムラM450R

ヨシムラとしては珍しくレースではなく公道を主体においたスーパーモタードなせいか一番知名度がなく、レーザーラモンRGという芸人さんが乗ってたM250Sと間違われがちだけど、アッチはヨシムラカラーとヨシムラマフラーを付けたコラボモデル(しかもD-TRACKER)なのでM450Rとは全く違うバイクです。

間違うと何されても文句言えないので気をつけましょう。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 198kg(乾)
燃料消費率
燃料容量
エンジン 水冷4サイクルDOHC単気筒
総排気量 449cc
最高出力 50ps以上
最高トルク 4.5kg-m以上
変速機
タイヤサイズ 前120/60-17
後150/60-17
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ 前15|後40
チェーン
車体価格 1,198,000円(税別)
[1498,000円(税別)]
{1,988,000円(税別)}
※[]内はSPEC-2
※{}内はSPEC-3
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

KATANA1135R -since 2001-

カタナ1135R

ヨシムラによるコンプリートカタナことKATANA1135R。

1000台限定だったファイナルエディションをベースに95馬力から150馬力になり車重も250kgから197kgともはや別バイク状態。

台数は僅か5台で車体価格は358万円。更にお金さえ用意すれば買えるわけではなく購入するにはまずヨシムラからの質問やカタナに対する考えを書いた書類審査を勝ち抜く必要がありました。

ヨシムラジャパン

ちなみにアフターも面倒を見る代わりに転売不可という条件付きだったんですがそれでも応募者は30人ほど居たんだそう。

ただし現在は別オーナー(ショップ含む)の手に渡っており今でもワンオーナーで所有されているのは一台だけだったかと・・・自信ないですが。

カタナ1135R

話を戻すと1135Rは多方で取り上げられ伝説化しているので有名かと思いますが、実はこのモデル本当は造る予定ではなかった事をご存知でしょうか。

ソコらへんの話を経緯と共に書いていきます。

昔を知らない人の為に補足するとヨシムラはKATANA1135Rを出すに至るまでずっとカタナとの関係が続いていました。

AMAヨシムラKATANA

始まりはカタナが出た1982年のAMA(アメリカ市販車レース)で、同年には鈴鹿8耐などもカタナレーサーを用意し奮闘。

翌年からレギュレーション(ルール)が750ccに変更される事が決まっていたにも関わらずヨシムラはカタナに全力投球でしたわけです。

その後はスズキに沿ってGSX-R750に移行していったんですが、一方で1994年にビッグネイキッドブームの影響で

『NK1(750cc以上のネイキッド限定)』

というレースが鈴鹿で開催される事が決まるとヨシムラはこれに迷わず参戦・・・ベースはもちろんカタナ。

カタナレーサー

どう考えても分が悪い旧世代のカタナで互角に戦っていたんですが、その勇姿を目の当たりにしたカタナオーナー達から

「NK1と同じチューニングをしてくれ」

という依頼が飛び込んでくる様に。

理由はもちろんオーナーの誰もが諦めかけていた『世代の性能格差』を解消出来ると思ったから。そういう人たちにとってNK-1カタナは本当に希望の光だったんです。

GSX1100Sヨシムラカスタム

ここからヨシムラはレースで培った技術をストリートに応用する形でカタナとの関係が継続。

そんな中で2000年に飛び込んできたのがファイナルエディション発売の報。

FE

当然ながらヨシムラの耳にも入ったんですが当時ヨシムラは前年に発表した隼のコンプリートマシンX1で手一杯でカタナまで手が回らない状況だった。

しかしずっと付き合い続けていたカタナの最後なのに何も出来ないのは駄目だと当時の営業課長だった上野さんや開発課長だった村田さんは考えた。

FE

「いま買わないともう二度と手に入らない・・・」

そう考えた末なんと会社の承諾なしに無断でファイナルエディションを5台調達し、X1の生産が落ち着くまで工場の隅に隠しておくという手段に。

そしてX1が落ちついた頃になって引っ張り出した所、まんまとカタナに携わり続けてきたカタナ愛溢れるメンバーがホイホイと釣られる様に自然と集まりだし

「これまでの全てを投じたカタナを造りたいね」

という話になり自主的に開発がスタート。

これが1135Rが開発される事になった経緯。

発売がファイナルエディションの翌年だった事や、僅か5台だけだった事はこれが理由。

そして転売不可や書類審査という高い敷居が設けられたのは

1135Rエンジン

「自分たちと同じくらいカタナ愛を持ってる人に乗ってもらいたい」

という思いがあったから。

では出来上がった1135Rがどういうバイクだったのかというと開発コンセプトは

「公道を楽しめて長く愛されるKATANA」

・・・そう、意外に思うかもしれませんが1135Rはカリカリのレーサーではありません。

一般ユーザーが公道で楽しめる事を最重要視したモデルで、チューニングにありがちな耐久性の軽視などをしていない。

ここが1135Rの凄いこと。

性能が最重要視されるレースで培ったノウハウだけでなく、レースの反響で培ったストリートでの感性のノウハウまでカタナの全てを網羅していたヨシムラからこそ造れた

『世代を越える性能と感性を持ったカタナ』

である事が凄いんです。

ヨシムラ1135R

1982年のデビューからずっと付き合い続けたカタナ愛溢れるヨシムラカタナの集大成と呼ぶにふさわしいモデルでした。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 197.8kg(乾)
燃料消費率
燃料容量
エンジン 空冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 1135cc
最高出力 150ps以上
最高トルク
変速機
タイヤサイズ 前120/70ZR17(58W)
後190/50ZR17(73W)
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 3,580,000円(税別)

カスタム箇所

φ74ヨシムラピストンKIT
ST-1カムシャフト
スペシャルチタン手曲サイクロン
ヨシムラミクニTMR-MJNφ40A/SキャブレターKIT
スロットルホルダー&グリップラバー
カーボンヒートガード
デジタルシングルメーターKIT
スペシャルオイルクーラーKIT
Mgエンジンカバー
Mgシリンダーヘッドカバー
オイルキャッチタンク
強化クラッチスプリング
スペシャルジェネレーターカバー
ヘッドポーティング
面研
シリンダーボーリング
ヨシムラスペシャル加工フレーム(強化&ヒップUPタイプ)
カーボンフェンダー
スペシャルアルミ軽量タンクKIT
3次元削出トップブリッジ(シリアルNo、刻印)
削り出しオリジナルステップKIT
FFVSフロントフォーク&リアショック
スピードフローブレーキホース(フロント・リヤ)
カスタムシートJOYスペシャル
小型ウインカー
フロントキャリパー
ディスクブレーキ
リアキャリパー(軽量NISSIN)
サイドスタンド
小型軽量バッテリー
スペシャルスイングアーム
MAGTAN軽量ホイール
ファイナルRK520&チェーン
AFAMスプロケット
STACKレーシングメーターKIT
各部ボルト類変更
Magicalスペシャルカーボンミラー
ナンバープレートホルダー
ハイグリップタイヤ
フレーム補強
フレーム加工&塗装
FFVSサスペンションスペシャルセッティング(足廻り全体)
フロントフォークボトムケース(サンドブラスト・塗装)
各部軽量化
メーターステー製作取付
バッテリーBOX小型加工
スペシャルワイヤーハーネス加工取付
スピードセンサーステー製作取付
電装プレート製作・電装パーツ移設
サイドスタンド加工
シリアルNo、刻印

系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

TORNADO S-1 -since 2001-

トルネードS1

トルネードの三代目にあたるS-1。

JSB参戦を機に2002年式GSX-R1000をベースにキットパーツが組み込まれています。

ST-1カムシャフト
削出SUSコッター
強化バルブスプリング
ヘッド面研/専用ガスケット
オリジナルオイルパンSET
EMS(3ポジションマップ切替スイッチ(FUEL+IGN)、オートシフター、シフトタイミングライト

トライオーバルチタンサイクロン(2年間転倒修理補償付!)

オリジナルカウル一式

オリジナルアルミタンク
レーシングフィラーキャップ

OHLINSサスペンション&ステアリングダンパー
削出しオリジナルステアリングステム
オリジナルリヤサスペンションリンクセット
オリジナルスイングアーム

フロントディスクインナーハブ
SUSフローティングピン
オリジナルブレーキパッド
オリジナル加工フロントキャリパー
ラジアルポンプブレーキマスター
Speed Flowブレーキホース

HIDヘッドライト

公道対応レーシングステップ

BBSアルミ削り出しホイール

AFAMスプロケット

シリアルナンバープレート
オーナーブック
スナップオン製専用工具
専用バイクカバー

限定50台でお値段は378万円。

やっぱり高いけどヨシムラのノウハウが詰まったレース車両が手に入ると考えれば安いか。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 170kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 18.0L
エンジン 水冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 988cc
最高出力 170ps/12000rpm
最高トルク 11.0kg-m/10000rpm
変速機
タイヤサイズ 前120/70ZR17(58W)
後190/50ZR17(73W)
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 3,780,000円(税別)
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

隼 X1 -since 2000-

ハヤブサX1

全日本選手権Xフォーミュラクラスのシリーズクラスチャンピオンを記念して発売された隼X-1

Xフォーミュラクラスというのはリッターオーバー要するにメガスポによるプライベーター限定のレースです。今はもうありません。

アルミタンクを含むオリジナル外装、
Φ81ハイコンプピストン
ヨシムラ製ST-1カム
バルブ研磨&すり合わせ
EMS(三段階モード切替)
トライオーバルチタンサイクロンマフラー
バックステップ
チューニングサスペンション
灯火系統の変更などなど

HAYABUSA X1

限定100台で256万円と初代トルネードよりはお求めやすい(?)価格になってるせいか一ヶ月かからずに完売したそうです。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 198kg(乾)
燃料消費率
燃料容量
エンジン 水冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量
最高出力 193ps/10000rpm
最高トルク 14.5kg-m/8000rpm
変速機
タイヤサイズ
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 2,560,000円(税別)
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

TORNADO1200BONNEVILLE -since 1987-

ヨシムラ1200ボンネビル

吉村秀雄の話で終わる予定だったのですが、コンプリートマシンのリクエストがあったので一緒に掲載しておきます。

YOSHIMURAが一番最初に出した公道用コンプリート車両がトルネード1200ボンネビル。
ヨシムラのTT-F1で培ったチューニングのノウハウが詰まったキットパーツをフル装備したスペシャルマシン。

1200ボンネビル

初期型GSX-R1100をベースにボアアップ、ミクニ製マグネシウムキャブ、ヨシムラ製カムシャフト、ポートをコンマ00レベルまで揃える研磨、ヨシムラチューニングのショーワサスにマルケジーニとニッシンキャリパー、そしてマフラーはもちろんヨシムラのチタンサイクロン。

馬力は160馬力で最高時速は291km/hで車重は僅か179kg。

お値段500万・・・RC30が148万だったのを考えると凄い。でも3台製造されたとか。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 179kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 18.0L
エンジン 油冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 1108cc
最高出力 160ps/10500rpm
最高トルク 13.0kg-m/7500rpm
変速機
タイヤサイズ
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

神の手を持つ男 POP吉村 -since 1923-

POP吉村

「YOSHIMURA」

バイクを知るものでこのカスタムメーカーの名を知らぬものは居ないでしょう。生産のホンダ、チューニングのヨシムラとか言われてたりしますよね。

YOSHIMURAの由来は文字通り創業者の吉村秀雄さんから取ってるわけですが、その吉村秀雄について色々と書いていこうと思います。

吉村は実は最初からバイクの道を望んでいたわけではなく子供の頃は航空操縦士を目指していました。しかし訓練中の事故により操縦士の道が絶たれる事に。それでも諦めきれなかった吉村は今度は航空技師を目指します。

すると19歳で航空技師合格という最年少記録を塗り替えてしまう。もうこの時点で既に天才の片鱗を見せていますね。

しかし残念ながら敗戦と同時に航空産業が禁止された事で、その道は完全に閉ざされる事となりました。更に多くの仲間の戦死も重なり吉村は既に結婚して子供も居たにも関わらず、働かずギャンブルばかりする典型的なダメ親父と化してしまいます。

そんなどうしようもない日々が続いていたある日、もともと航空機のエンジニアだった上に戦中はシンガポールでハーレーに乗っていた事から英語ペラペラという事で、それを聞きつけた在日米軍からのバイクの整備を依頼が舞い込みました。

その確かな腕はあっという間に在日米軍の間で広まり仕事がジャンジャン舞い込んできました。

吉村秀雄

更には米軍向けにBMWやBSAの代理店を始めるまでになり、在日米軍から親しみを込めてPOP(オヤジという意味)吉村と呼ばれるように。POP吉村と言われる由来はここからです。

そんな整備依頼をこなしていく中で転機が訪れたのは在日米軍からのある依頼・・・それは

「今度のドラッグレースに勝てるようにチューニングしてくれ」

というチューニングの依頼でした。

その仕事を引き受けると吉村は直ぐにエンジンを下ろしエンジンのカムやバルブを削るという当時としては非常に珍しい事をやり始めました。もちろん吉村は分かってやっていたわけですが、これを手の感覚だけで出来る人間ましてそれで性能を上げられるなんてPOP吉村くらいなものです。

そんな吉村の手が加えられたカムやバルブを積んだバイクは明らかに速く、瞬く間にその名は知れ渡り”神の手を持つ男”と呼ばれるまでに。

吉村自身も新しい道を見つけたと目を輝かせ、寝ても覚めても削って理想のカムを追い求めていたそうです。

次第に日本人の間でも草レースが行われるようになり、当然ながらその中でも吉村に手がけられたバイクはダントツの速さでした。

そんな吉村の実力を耳にし提携を求めてきた会社があります。

ホンダ

皆さんご存知ホンダです。吉村の腕を見込んで当時始めたばかりの四輪レース用チューニングの依頼を申し出てきました。

吉村は元々本田宗一郎に憧れを抱いていたのでコレを快く快諾し東京進出を果たします。

そこから更にCB750FOURのチューニングも手がけ、アメリカのデイトナレースで二輪としては世界初となる集合管マフラーを披露することに。

CB750

この件でヨシムラの名は日本だけでなくアメリカ中に知れ渡る事となり集合管ブームが巻き起こりました。世界のYOSHIMURAになった瞬間です。

が、しかしここで少し事件が起こります。吉村はホンダのチューニングを手掛けると同時にホンダの部品をチューニングして売るという事もやっていたのですが、その元となる部品の供給が止められてしまう。

これでは会社が回らないと吉村は意を決して本田宗一郎へ直談判に。それを聞いた本田宗一郎は「恥ずべきことだ」と担当を怒鳴り散らしたそうですが、それでも供給は戻りませんでした。

※コレには説が2つあります。

・ホンダ側が吉村の技術力の高さを恐れて供給を止めた説

・そもそも部品供給が間に合っておらずグループ外だった吉村は後回しにされた

どちらの説が正しいかは吉村のみぞ知る話ですが、どちらにせよホンダはレースを吉村に頼ることを止め、レース専用の部署(HRCの前身)を新たに設けるというが下され、吉村とホンダは決別する形となりました。

HRC

部品の供給を受けられなくなった吉村は廃車や中古車から部品を取っては手を加え販売&組込というそれまでの功績が嘘のような泥臭い運営に。

そんな状況でも吉村は絶対に諦める事はなく

「大きい所に勝つ」

という目標を掲げレースを続けていました。

しかし現実はそれほど甘くはなく経営は悪化の一途。そんな中でアメリカのビジネスマンから

「アメリカでヨシムラの商品を協力して売らないか?」

という商談が持ち込まれます。上で説明したたデイトナレースでの集合管がキッカケです。

吉村は願ってもないチャンスだと集合管を輸出するように。そしてそれが好評だったのを受け、吉村はアメリカ進出を目指します。

進出というよりも日本の工場を売り払ってアメリカに新しい工場を立てるという移転ですね。ホンダとの決別が引き金になったようです。

もちろん家族は大反対。これに激怒した吉村は家族(長女と一番弟子の夫)を勘当し渡米。でもやっぱり海の向こうでもヨシムラの手がけたバイクはダントツの速さで、ヨシムラマシンの特徴だった集合管がアメリカで一大ブームとなります。

USヨシムラ

今となっては「アメリカ人が唯一読めるカタカナ」とまで言われるレベルです。ホンダのCB750FOUR2やカワサキのZ1000Aが集合管にモデルチェンジしたのは紛れも無くヨシムラの影響。

がしかし、またもや問題が発生。手を組んでいたアメリカのビジネスマンが欲に目がくらんだのか最初から狙っていたのか吉村を追い出し会社を乗っ取ってしまいます。

抗議も虚しく吉村は金もUSヨシムラも工場も失ってしまい無念の帰国。

心身ともにボロボロとなった吉村でしたが、そんな吉村に勘当された長女と一番弟子はいつ帰ってきても良いようにと新しく鈴鹿に工場を作っており迎え入れました。ちなみにこの会社がMORIWAKI(夫の名前から)です。

モリワキ

これで吉村も折れたのかと思いきや

「今度こそアメリカで成功する!何としても”偽ヨシムラ”を叩き潰してやる!」

と全く懲りずに日本でYOSHIMURAを再開し稼いだお金で再びアメリカ進出を目論み家族と大げんか。

結局「ヨシムラR&D」という社名で再び渡米し、積年の怨みをレースで晴らすかのごとくデイトナレースで前代未聞の三連覇を成し遂げ見事に偽物を叩き潰しました。(※今あるアメリカのヨシムラは本物のヨシムラです)

悲願が叶った吉村でしたが直ぐに次なる目標が出来ました。それは意気投合したスズキの横内悦夫さんとの口約束。

スズキ

「ホンダに勝とう!」

です。

1970年代半ばにスズキから初めて提供されたGS750を吉村は僅か三ヶ月のチューニングでいきなりAMAスーパーバイクを優勝しスズキの横内さんも驚いたそうです。

そんな中で二人が耳にしたのが

「第一回インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース(現 鈴鹿8耐)」

そして

「そのレースをホンダワークスのRCBが走る」

という事でした。

スズキとヨシムラはRCBと戦えるチャンスと、このレースに照準を定めることに。

AMA優勝の勢いそのままに・・・といきたい所ですが、相手がホンダワークス(ホンダ・エンデュランス・レーシング・チーム)のRCBとなると話は変わってきます。

RCB1000

当時RCBは2年連続ヨーロッパ耐久選手権優勝、更にその翌年(第一回鈴鹿8耐の前年)には全勝優勝を達成し無敵艦隊とまでいわれていたからです。

それに対しスズキは4stレース経験が皆無に等しい状態。そのことはスズキも身にしみて分かっていて

「750のままじゃダメだ」

とGS750を元に更なるパワーアップ、そして品質の向上を図ったGS1000の開発に明け暮れてました。

そしてスズキ(横内さん)が凄いのは、まだ開発中だったフラッグシップモデルになる予定の秘蔵車GS1000のプロトタイプを鈴鹿8耐でホンダに勝つためと社内の反対を押し切って吉村にくれてやったんです。このバイクを好きに使ってくれと。

GS1000

GS1000は当時まだ開発途中だったもののスズキの造り込みに

「過剰品質だ。レースに向いてる。」

と吉村ですら舌を巻いたのは有名な話。それだけスズキも吉村も鈴鹿8耐に賭けていたわけです。

世間は誰もがRCBが勝つと思っていました。

当時はまだ世界選手権クラスではなく、今の鈴鹿8耐よりもお祭り感のあるレースでホンダRCBの凱旋レースの様なものと捉えてる人が大半でした。それは参戦するチームもそう。

上で言ったとおり全勝優勝するようなホンダのワークスマシンに勝ちたいなんて普通は思わない。でもスズキとヨシムラだけは本気だったわけです。

GS1000ヨシムラ

そしてご存知な方も多いとは思いますがRCBのトラブルも重なったとはいえ、終わってみたら優勝はYOSHIMURA。

「しがない町工場のパーツ屋が、天下のホンダのワークスマシンRCBに勝った」

これには誰もが度肝を抜かれ、誰もがYOSHIMURAの凄さを認めざるえない歴史的な出来事となりました。

吉村はこの一件以降も留まるところを知らず、GSX-R750によるF-1三年連続優勝、F-1、F-3ダブルタイトル獲得、世界初のレース用チタンマフラー、そして世界選手権クラスとなった1980年の鈴鹿でも優勝と、数々の功績を挙げていきました。

かの本田宗一郎も大きくなっていく会社の入社式において

本田宗一郎

「町工場でも大企業に負けないという信念を持っている吉村という男がいる。皆もその精神を持って欲しい。」

と言っています。

更に余談ですが・・・

吉村は本田宗一郎の息子である本田博俊(MUGEN創業者)が

「チューニングの技術を学びたい」

と、よりにもよってホンダと決別した後に申し出てきたんですが、快く受け入れ技術指南を行いました。つまりMORIWAKIは勿論のことMUGENもYOSHIMURA無しには語れないYOSHIMURAには足を向ける事が出来ないメーカーなんですよ。

そんな気さくで大らかな吉村は晩年になろうとも決して現状に満足すること無くレースに打ち込み、ガンを患い余命幾ばくとなろうともピットに立ち続けました。

POP吉村

「挑戦してやり遂げた時の喜びに勝るものは無い」

最期にそう言い残しています。

系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50