「Xの挑戦。」
400ccとしてはホンダ初のDOHC直列4気筒エンジンを搭載したCBX400F/NC07型。
当時を知らない人でもこのカラーリングには見覚えがある人が多いと思います。CBXカラーというやつですね。
まず最初に解きたい誤解があります・・・それは
『CBX400F=ガラの悪い輩のバイク』
というイメージを持たれている事です。
確かに今ではそういうイメージがありますが元々CBX400Fはフルスペックのスーパースポーツとして話題になりそして爆発的な人気となったバイクです。
・クラストップの48馬力
・DOHC16バルブヘッド
・プロリンク
・インボードディスク
・ジュラルミンセパパン
・アルミスイングアーム
・Xエキゾーストパイプ
などなど本当にこれ以上ホンダ技術が詰め込まれたバイクは無いと言っていいほどのフルスペックでした。
中でも面白いのがやはりエンジンで、CBX400Fは逆回転クランクになっています。
これは逆回転にする事が狙いだったわけではなくエンジンをコンパクトにするためギアではなくチェーン(でミッションを回す形)にしたから。
そしてそのプライマリーチェーンもこれまたピッチを少しでも縮める為にカムチェーンの横ではなく3番と4番の間に配置されてる。つまりこのCBX400FのエンジンはXマフラーだけでなく中身も左右非対称のバラバラなエンジンなんです。
そんなコンパクト化に注力しつつもトップパフォーマンスを発揮し、ジャイロを打ち消す逆回転クランクでコーナリングもスムーズという本当に凄いエンジンを積んだバイクでした。
ちなみにシート高も抑えるためにオイルパンも削ったのですが、容量が足りないという事からサブタンクをエンジン前方に増設。
どう見てもオイルクーラーにしか見えず実際に冷却効果もあるんですがホンダいわくあくまでもリザーブタンク・・・何故なら当時はオイルクーラーが認可されなかったからっていう。
そもそも四気筒を止めたホンダが何故ここに来て再び復活させたのかと言うと、ホンダがCB400FOURを止めて暫く経つとライバルメーカーが四気筒400を相次いで登場させ人気を博してきたからです。
これはCB400FOURが原因で生まれた普通自動二輪が大きく関係しています。
それまで何ccでも乗れた状態から中型二輪と限定解除という二種類に分けられ、そして限定解除は非常に厳しかったことから改定から数年でこの400クラスが実質トップクラスになったから。
だからホンダもここまで手の込んだCBX400Fというスーパースポーツを造ったという話。
翌年には日本で初めてフェアリング(カウル)を装備したインテグラも発売。
当時『鈴鹿四耐(4st400と2st250の耐久レース)』があったのですが、そのレースを睨んだモデルでもありました。その盛り上がりは凄まじく、レース観戦者も出場者も毎年の様に増加。このレースが起点となりレーサーレプリカブームを巻き起こす事になります。
さて・・・待望の直四CBとして登場し累計6万台以上売れたCBX400Fですが、これまたヨンフォアと同じ様にモデルライフはそんなに長くありませんでした。
発売期間は僅か3年ほどと人気の割には実は販売期間はそれほど長くない。
これはいま話したレースの激化に対応するためのスペックアップ、要するにモデルチェンジをする必要があったから。
しかし後継であるCBR400Fが出た後も再販を望む声が非常に多かったことから1年後の1984年に再び登場。
2トップ体制となりどちらも人気に。もうこの頃からブランド化していたわけですね。
「400マルチ、いまクライマックス」
正にこの言葉通りこのCBX400Fの登場により時代は前代未聞のバイクブームという最高潮を迎える事となります。
※CBX400CUSTOM(NC11)は系譜の外側
※CBR400F(NC17)はCBR400Rの系譜
で書いてしまったので割愛させてもらいます。
主要諸元
全長/幅/高 | 2060/720/1080mm |
シート高 | 775mm |
車軸距離 | 1380mm |
車体重量 | 189kg(装) |
燃料消費率 | 40.0km/L ※定地走行テスト値 |
燃料容量 | 17.0L |
エンジン | 空冷4サイクルDOHC4気筒 |
総排気量 | 399cc |
最高出力 | 48ps/11000rpm |
最高トルク | 3.4kg-m/9000rpm |
変速機 | 常時噛合式6速リターン |
タイヤサイズ | 前3.60H18-4PR 後4.10H18-4PR |
バッテリー | FB12A-A |
プラグ ※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価 |
DP8ZEA-9 |
推奨オイル | Honda純正ウルトラG1(10W-30) |
オイル容量 ※ゲージ確認を忘れずに |
全容量3.0L 交換時2.2L フィルター交換時2.5L |
スプロケ | 前15|後45 |
チェーン | サイズ520|リンク104 |
車体価格 | 470,000円(税別) |
いつも楽しく読ませもらっています。車種の分類やその分析についてのご慧眼は毎回うなるものあり、楽しんでおります。
小生1960年生まれで、1981-1983年まで4時間耐久にスタッフ又はライダーとしてエントリーしておりました。(主にカワサキ系で)
CBX400F(NC07)の記事について、少し引っ掛かる記事がありましたので、ご迷惑でしょうが、お話しします。
<このCBX400Fの登場で400クラス熱は更に高まり『鈴鹿四耐』と言われる鈴鹿8耐の400cc版レースが開催される事に。>
70年代77年までの鈴鹿の耐久は国内ライダー対象の6時間耐久でした。
現在の「八時間耐久」は1978年の「インターナショナル八時間ー」からですが、1980年から世界耐久選手権に昇格を狙うために、1978-1979年は「プロアマ混合=国際A級から初心者ノービスまで」「RCBからTZ350まで」というごちゃ混ぜレースでした。
1980年にはTT-F1規定と、国際A,Bライセンス者のみのエントリーとなったので、ノービスライダーへの救済として「四時間耐久」が1980年から始まりますが、81年までは4スト400ccとレーサー2スト250ccとの混走でもありました。
(GSX400Eが2年連続優勝してます)
CBX400Fの発売発表は1981年の11月ですので、CBX400Fが「1980年からの四時間耐久を生んだ」のではないです。
1982年の四耐はCBX400Fが大量エントリー(100チーム以上あった)ポールポジションも取り、敵なしでした。確かに早かった。しかし、トップでゴールしましたが走行違反で減周ペナルティで、勝利はZ400GP(カワサキの社内チーム)でした。
※タイヤ交換はできないルールだったので、多くのチームは助かったけど、ブレーキトラブルが起こったチームはほとんどが修理対応不足でリタイヤ。インボードブレーキは相当慣れていないと対応できなかった。
CBX400Fの四耐勝利は1983年のみです。(PPはVF400F)
四時間耐久だけでお話をすると、CBX400Fの天下はたった2年でしたね。すぐに水冷の時代が始まり、数年後2ストの天下が長く続きます。
※ノービス、スポーツプロダクションのマシン遍歴 というテーマなどはいかがでしょうか?
人気と速さが合わない時代。人気と速さが合致していた時代。それも面白かろうと思います。
長文にて失礼。これからも面白い記事を期待しております。
確かに誤認がありましたので修正させていただきます。
加えて当時の貴重な実情の情報ありがとうございます。非常に助かります。