HY戦争終戦とその余波 -第四章-

ソフトバイクシリーズ

無謀な拡充路線を取っていた両社は景気低迷により大量の在庫を抱える事となり大打撃。

特にホンダ以下の規模でホンダ以上にトバしていたヤマハの被害は深刻で、200億円もの赤字を出し会社が傾きました。

そして景気回復の兆しも見えず倒産危機を迎えるまでに陥った結果、ホンダ社長へヤマハ社長が直々に敗北を宣言し記者会見。

発起人である二代目ヤマハ発動機社長である小池久雄さんを始めとした役員の退任や降格、そして新人事はホンダの意向を尊重ということで手打ちとなりました。

終戦したあとも両社の痛手は中々癒えずレーサーレプリカブームが起こる数年後まで回復しませんでした・・・このHY戦争で一番可哀想なのは喧嘩を売ったヤマハでも買ったホンダでもありません。

鈴木修会長

同じくファミリーバイクを売っていたスズキです。

「市場を破壊するだけだ」

鈴木会長(当時社長)は両社を説得するも聞き入れられず、強制的に巻き込まれる形となり通算で100億の赤字というヤマハに次ぐ多大な損害を出しました。

トップ争い出来るレベルで優勝も経験していたWGP(現MotoGP)の一時撤退もHY戦争の影響による経営悪化が原因。それどころか二輪撤退まで検討されたそうです。

結局は車で稼いだお金を注ぎ込むことで生きながらえました。もしもガンマが生まれなかったら本当に撤退してた可能性が高いです。

カワサキ

そしてもう一社、ファミリーバイクを持っておらず傍観気味だったカワサキ・・・実はこちらも他人事ではなく被害を受けています。

カワサキの稼ぎ頭だったアメリカ市場が「景気低迷」「投げ売りによる飽和」「無理な買い替えサイクルによる中古車の潤沢化」と最悪な環境になってしまい一時撤退する羽目に。

HY戦争は「シェア争い・企業間競争の悪例」として今も参考にされています。

例えばタイヤ業界においてシェアNo.1であるブリヂストンはこれに習いシェアNo.1ながら「脱シェア宣言」をしました。

「能力増強一辺倒の経営から持続可能な経営」

へのシフト。

バイク以上に熾烈な争いを繰り広げる自動車業界もHY戦争を見習って行き過ぎたことはしないようにメーカー間で睨み合っていると聞きます。

最後に

HY戦争というと

「ホンダにコテンパンにされたヤマハ」

「ヤマハは馬鹿をやった」

と言われる事が大半です。

確かにそうですが手段を選んでいなかったのはホンダも同じ。結果的に勝ったのがホンダで、負けたのがヤマハというだけ。

現に当時ヤマハの社長だった小池久雄さんは表舞台から姿を消しましたが、ホンダの社長だった河島喜好さんも下から相当な恨みを買ったという旨の話が退任会見で出ています。

ホンダ・ヤマハ本社

「HY戦争に勝者は居ない」

というのが正しい認識かと思います。

そしてこうなってしまったのはプラスに考えれば、ホンダもヤマハもそれだけ

「オートバイメーカーとしてのプライド」

を強く持っていたからとも言えるわけですから。

【関連】

メーカーの二つ名はマーケティング戦略の片鱗|バイク豆知識

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ロードパル

第一章
HY戦争の発端

ファミリーバイク

第二章
HY戦争勃発

泥沼化

第三章
戦争の泥沼化

HY戦争終焉

終章
終戦と余波

HY戦争泥沼化 -第三章-

HY戦争泥沼化

ホンダの反撃で年間販売台数一位を取れなかったヤマハでしたが、諦めるどころが更に攻勢に出たことで

「仕切合戦、リベート合戦、ダンピング合戦」

が更に加速しました。

バイク屋にホンダの営業マンが来て

「店を手伝います」

と言ってヤマハのバイクを奥に追いやりホンダのバイクを前に出す。

すると今度はヤマハの営業マンが来て

「店を手伝います」

と言ってホンダのバイクを奥に追いやりヤマハのバイクを前に出す。

~以下繰り返し~

当時のバイクショップ

ピーク時の営業マンは両社1500人以上だったそうです。

価格の方も定価の半値以下は当たり前、オマケでもう一台、複数台纏めて十万円など。もはやママチャリ並。

そしてそんな競争はやがて中型や大型を巻き込み、終いには海外まで飛び火。

バイクは工業製品の中ではトップの利益率(利益率約20%。ちなみに車は約5%)ですが、毎週のように新車種ラッシュで三台も四台も出して投げ売りや営業のローラー作戦をしていたので当然利益なんて出ない。

両社のHY戦争の産物バイクは数え切れないほどあります。

例えば有名なのがこれ。

モトコンポ(AB12)
-since1981-

モトコンポ

当時は車は一家に一台への過渡期でした。

そして先に言ったとおりホンダは当時四輪が好調だった。

「それなら車におまけでバイク(メーカーオプション)をつければ二輪台数も稼げて一石二鳥」

という戦略。ほぼサービスで付けてたとか何とか。

逮捕しちゃうぞモトコンポ

ちなみに人気が出たのは『逮捕しちゃうぞ』に登場した事がキッカケですが、それは既に生産終了となった後の話。

そして肝心のシェアはどうなっていたのかというと、正確な数字は分からないのですがホンダがトップを固く死守した様です。

そしてこんなダンピング・リベート合戦が長く続けられるワケもなく(と言っても3年以上続きましたが)、終戦の時が来ました。

キッカケはオートバイの主要市場だったアメリカの景気低迷です。

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HY戦争勃発 -第二章-

ソフトバイクシリーズ

結果として読みが当たったのは・・・・ヤマハでした。

ファミリーバイクは学生や大型ライダーのセカンドなどの新需要を掘り起こし、年を追うごとに販売台数もウナギ登り。

そして単月ながら史上で初めてヤマハがホンダを抜き、半期累計でもホンダ40%に対しヤマハ36%と迫る結果に。

この事実がHY戦争を生むキッカケとなりました。

それまでヤマハ発動機は(創業して間もない頃)本田宗一郎の技術助力を得た歴史もあったため、ホンダとは切磋琢磨し合う良き好敵手だったんですが、新たに就任した新社長(小池久雄さん)が好機と判断。

それまでの友好関係から180度反転し

小池社長

「打倒ホンダ、バイク業界盟主の座を取る」

を宣言したんです。

当時スズキやカワサキは勿論のこと、他の業界からも

「眠れる獅子の尻尾を掴む無謀な行為だ」

という声が多く聞かれました。

バイクが生まれてからずっとトップに君臨し続けた企業を倒そうと言うんだから当然の事。

当のホンダも会社の士気を上げる為のプロパガンダか何かだろうと最初は信じませんでしたが、直ぐにヤマハが本気だという事に気づきます。

ホンダと繋がりのある役員を全員追放し拡充&増産路線を始めたから。

ホンダ・シビック

当時ホンダは車でCVCCエンジンという偉大な発明をして四輪でも世界に名を轟かせ一躍時のメーカーとなっていました。

だから四輪へ偏重気味だった時期で既に四輪の売上は二輪を凌いでいたんですがホンダはヤマハの攻勢に対し

・大事な時期だった四輪を優先しバイク業界一位の座を譲るか

・四輪に大きく振っていた舵を二輪に向けるか

の二択を迫られました。

決め手となったのは当時の社長であり、本田宗一郎の一番弟子である河島喜好さんの一言

河島喜好

「ウチ(ホンダ)はあくまで二輪屋」

ホンダはバイクシェア一位を死守するべく車に振っていた予算や人材を二輪に集中させ反撃に出ました。

そして反撃の第一打がこれ。

タクト DX(AB07)
-since 1980-

タクト

ヤマハの販売台数に大きく貢献していたパッソルと正面衝突となるスクーター。

その後もリードなどスクーターを大量展開しパッソルの勢いを削ぎに来た。

その甲斐あって辛うじて年間販売台数一位の座を死守。

営業面でも俗にいうバイク屋をホンダ車のみの取扱にするなどの敵対買収にまで出ました。これはヤマハも同様で買収やマツダにクルマと一緒に売ってもらったり。

後に「戦争」「シェア争いの悪例」と言われるほど問題になったのはここら辺からです。

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HY戦争の発端 -第一章-

ホンダ対ヤマハ

HY戦争と聞いてもピンと来ない人は多いと思います。
もうカレコレ30年以上前の事ですし、両社が競争ではなくルール無しの殴り合いをしてたなんて信じられない人もいるでしょう。広報や雑誌などを見ても軽くタブー扱いですしね。

「HY戦争」という言葉は終わった後に付けられた俗称で要はシェア争いです。ただそれが常軌を逸していて戦争のようだった事からそう言われるようになりました。

時はさかのぼって1970年代半ばの事です。

当時「二輪はもう飽和状態」と誰もが言い、誰もがそう思っていました。

しかしそんな常識を大きく覆すバイクがホンダから登場します。

ロードパル(NC50)
-since 1976-

hondaロードパル

原付と言えばCUBかモペット(ペダル付き原付)しかなかった時代に登場した通称『ラッタッタ』です。

キック要らず(ゼンマイ式)な事と、スーパーカブ50が10万円の時代に販売価格6万円という大ヒット前提の大量生産による安さが大きく話題となりました。

飽和と言われる中で何故これほど強気に出れたのかというと、巧妙な販売戦略にあります。

ロードパルは本来のバイク屋ではなく自転車屋やデパートなどを中心に販売されたんです。

自転車屋で売ることによって既存のバイクユーザーではなく、自転車が主な移動手段でバイクとは無縁の主婦を始めとする女性や主婦をターゲットにしたのです。

ロードパルS

キック要らず(当時はキックが主流)にしたものコレが理由。

そしてこの読みが見事に的中し、ファミリーバイクという新規市場を開拓し爆発的なヒットに。

このバイクの登場で自転車屋からバイク兼自転車に変貌した店は多いです。

自転車屋なのかバイク屋なのか分からない店があったらほぼこのバイクがキッカケと言っても過言ではないです。

そんな大成功を収めたホンダに対し、ヤマハはというと・・・

パッソルS50(2E9)
-since 1977-

パッソル

中島飛行機(現スバル)が1944~68年まで発売したラビット以来となるスクーターをロードパルの翌年に発売。

ちなみにラビットが終わった理由はスーパーカブの台頭によるもの・・・因果を感じますね。

言ってしまえばファミリーバイクに向けた完全な追っかけ製品です。値段も当時69800円とロードパルを意識して安め。

しかしそこはヤマハ。

ただコピーしたファミリーバイクと言うわけではなく、スカートでも乗れるフラットなステップと外装全体をプラスチックで覆うことで、それまでのメカメカしいイメージを払拭しポップで取っ付き易いイメージにした事でロードパル以上の大ヒットとなりました。

スクーター

このパッソルのエンジンから後輪まで一体となった作りは現代スクーターの基本形となりました。

ここでホンダとヤマハにHY戦争の火種となる差異が生まれます。

ロードパルで成功を収めたホンダは後継車を出しつつも

「ファミリーバイクの需要はある程度満たされ今後は縮小する」

と考え規模の圧縮を図りました。

対するヤマハは

「まだまだファミリーバイクの需要がある」

と規模の拡張を図ることに。

結果として読みが当たったのは・・・・

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HY戦争終焉

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終戦と余波

DUKE250 -since 2015-

duke250

390が出て一年経った頃に急に出てきた次男坊の250。

250が出たって事はDUKE200はお払い箱になるのかな?って思ったらそうじゃなかった。

この250は390をベースに作られたDUKE。対して200は125をベースに作られたDUKE。

10kg軽い200、5馬力高い250と言えばわかりやすいかな・・・いやよく出来てる。

話のネタも無いのでちょっと足回りのお話。

このスモールデュークシリーズが世界で評価され人気が出ている一番の理由は足回りにあります。

WPとBybre

スモールデュークシリーズはWPというメーカーのサスペンションとBybreというブレーキメーカーの物を使用しているわけですが・・・恐らくほとんど皆さん知らないと思います。

まずWPですがBMWにも使われてたりするサスペンションメーカーでKTMのグループ会社になります。本当はホワイトパワーって名前らしいんですけど政治的な問題でWP(ダブリューピー)になったとか何とか・・・日本人には想像が付かない問題ですね。

そしてブレーキの方のByBre(バイブレ)

何か胡散臭い名前だなと思う事なかれ。実はこれブレンボなんです。

ブレンボがアジア向けに作った廉価ブランドで「By Brembo」から取ってByBre。せめて金色に塗ってくれと思いますが、まあ大人の事情ってやつです。

更にABSも有名なBOSCH製の物を使ってたりと足回りには良いもの使ってる。実に欧州らしく、こういうところが評価されているんでしょうね。

デューク

国内メーカーには無いハッチャケ感と足があって(値段がちょっと高い事を除けば)遊びバイクとしては文句なしのレベルなスモールデュークシリーズ。

遊び倒すなら持ってこいです・・・遊び倒すならですよ。多少のトラブルを気にしたら負けです。

最後になりますがスモールDUKEシリーズを買う時は

「絶対に正規代理店またはレッドバロンで買うこと」

これは絶対です。

目先の数万円をケチって先に泣きを見ないためにも必ず守りましょう。

エンジン:水冷4サイクルDOHC単気筒
排気量:248.8cc
最高出力:
31ps/9000rpm
最大トルク:
2.44kg-m/7250rpm
車両重量:139kg(乾)

系譜図
KTMとDUKEについて

KTMについておさらい

デューク125

2011年

DUKE125

デューク200

2012年

DUKE200

デューク390

2014年

DUKE390

デューク250

2015年

DUKE250

【関連車種】
GROMの系譜YZF-R125/MT-125の系譜ST250/グラトラの系譜Ninja250/Z250の系譜

DUKE390 -since 2014-

DUKE390

DUKE125の構造からDUKE200の影を見抜き、見事に当てて満足していたマニア達もこの390は予知できなかった事でしょう。

まあでも無理もない話です。125cc並の車体に誰が400のエンジンを積んで来ると予想できたでしょうか。

デューク390

そんなスモールDUKEシリーズの長男になるDUKE390ですが厳密に言うと排気量は375ccです。何で390なのかといえばKTMが90という数字が好きなだけっていう単純な理由。

そしてこの390は200や250のDUKEに比べてちょっと異質。っていうかかなり異質。

DUKEシリーズのボディは全て共通なんですが、超短いホイールベースもスマートで軽量な車体も小排気量のライトウェイトスポーツだから成せた事。

トラスフレーム

トラスフレームも、というかトラスフレームというのは他のフレームよりも”載せるエンジン有りき”に一から考えて作られるフレームなので流用性が非常に乏しい。それなのに有りきのはずのエンジンを変えちゃったら元も子もない話。

この390を出すにあたって共通である車体の方も見直しが入ったんですけど、それでも375ccのエンジンが収まりきれず、KTMがどうしたかといえば・・・

DUKE390エキゾースト

干渉する部分のエキパイを凹ませるという荒業に出ました。日本メーカーなら絶対にしないような荒業というか力技ですよね。

90って数字を使いたいためか分からないですけど本当は350ccくらいで想定したのを無理矢理+25cc拡大したみたい。

そうまでして積まれたエンジンは375ccで44馬力も発揮するパワフルな物なので足回りも合わせて硬くしてるですけど、もともと上で言った通りとても400クラスの車体じゃない事と軽すぎる事で非常に玄人仕様な出来になってる。

なんか初代ファイヤーブレードであるCBR900RR(SC28)やビューエルのXBシリーズを思い出しますね。軽くてショートホイールベースでパワフルだった事からエキスパート向けでした。

どういうことか分からない人に言うと簡単に吹っ飛ぶと言う事です。

エンジン:水冷4サイクルDOHC単気筒
排気量:375cc
最高出力:
44ps/8500rpm
最大トルク:
3.56kg-m/7250rpm
車両重量:139kg(乾)

系譜図
KTMとDUKEについて

KTMについておさらい

デューク125

2011年
DUKE125

デューク200

2012年
DUKE200

デューク390

2014年
DUKE390

デューク250

2015年
DUKE250

DUKE200 -since 2012-

DUKE200

「絶対出る!絶対出る!問題はいつ出るかだ!」

と言われてたDUKE125の兄貴分にあたるDUKE200ですが出たのは一年後の話でした。

ほぼ125と同じ造りで違うのはエンジンのボア・ストローク比だけ。

欧州では共通のボディで排気量だけ上げたバイクを出す場合は一般人が簡単にボアアップ出来ないようにストロークも変えないと売っちゃいけない法律があるんですね。知りませんでした。

つまり”腰上(シリンダーやピストン)だけ変えてDUKE125をDUKE200に”っていうのが出来ないようになってます。

ずいぶんと厳しい規制ですね。向こうはそういう事をやる人が多いんでしょうか。まあ日本でも4miniのボアアップは結構メジャーですけど。

KTMデューク200

んでこの200ですが125と違って欧州免許を気にしなくていいのでグーンっと上がって26馬力も発生するエンジンとなってます。

それでもほとんどパーツは一緒なので車重は僅か+2kgだけ。

恐らくこのモデルがスモールDUKEシリーズの本命でしょうね。
スモールデュークシリーズとしては三男坊になるけど、軽さとパワーのバランスから言っても一番スモールデュークらしいデュークかと。

エンジン:水冷4サイクルDOHC単気筒
排気量:199.5cc
最高出力:
26ps/10000rpm
最大トルク:
2.0kg-m/8000rpm
車両重量:129kg(乾)

系譜図
KTMとDUKEについて

KTMについておさらい

デューク125

2011年
DUKE125

デューク200

2012年
DUKE200

デューク390

2014年
DUKE390

デューク250

2015年
DUKE250

DUKE125 -since 2011-

DUKE125

スモールDUKEの第一弾として発売されたのが末っ子となるDUKE125

車重が乾燥で127kgしかないという超軽量モタードで、エンジンはモトクロス用に作られた125ccの水冷単気筒の物をベースにしてるだけあってクラストップの15馬力を発揮。

末っ子といいつつ4st125では最速の部類。

本当は15馬力以上出せるんだろうけどEUの免許制度(15馬力まではA1)っていうのを考慮してるんだろうね。まあこれはDUKEに限らずYZF-R125なんかもそうだけど。

デューク125フレーム

フレームはクロモリ鋼管パイプフレーム、そして補強骨をあえてみせるシャレオツ(死後)なアルミ製スイングアーム。

足回りも倒立サスにラジアルマウントキャリパーで125としては必要十八分くらいある。

で、ですね。

実はこのDUKE125が出た時、KTM好きなマニア達の間で非常に話題になったことがあります。

「これ絶対もっと上の排気量のDUKEが控えてるわ!」

って。

というのも先述の通り明らかに125ccだけの為にしてはオーバースペックのような車体。
さらにエンジンスペースや強度の余裕やマウントなどの構造で見抜いたんでしょうね。さすがマニアとしか言いようがありません。まあすぐにアナウンスがあったんですが。

KTMデューク125

そんな125ですが・・・まあ初期型はトラブルの嵐でした。冷却水やフルードといった液体系のお漏らしやジェネレーターのトラブルなどなど。

海外メーカー&処女作&インド生産っていうトリプルコンボなので仕方ないっちゃ仕方ない。

でもABSが付いた現在のモデルからはそういったトラブルが解消したみたいですね。全く心配ないかと言われれば疑問も残りますが、まあ遊びバイクですし。

エンジン:水冷4サイクルDOHC単気筒
排気量:124.7cc
最高出力:
15ps/10500rpm
最大トルク:
1.22kg-m/8000rpm
車両重量:127kg(乾)

系譜図
KTMとDUKEについて

KTMについておさらい

デューク125

2011年
DUKE125

デューク200

2012年
DUKE200

デューク390

2014年
DUKE390

デューク250

2015年
DUKE250

KTMについておさらい

KTM

日本でKTMを知ってる人はどのくらいでしょう。

オーストリアのメーカー(オーストラリアじゃないよ)で主にオフロードで有名というかオフロード専門メーカー。

オフのレースやダカール・ラリー等で優秀な成績を収める名門なのでオフ好きの間では結構有名だったりするわけですが、近年インドのバイクメーカーバジャージ・オートが筆頭株主になった事でオンロードバイクも出すようになってきたわけです。

創業当初はオフロード専門メーカーというわけではなくMVアグスタからエンジンを買ってレースに出場したりもしてました。

KTMの社名の由来ですが

ハンスとエルンスト

K=創業時の出資者だった投資家のErnst “K”ronreif(エルンスト クローノライフ)

T=創業者であるHans ”T”runkenporz(ハンス トゥルンケンポルツ)

M=創業時の土地であるオーストリアのザルツブルク州”M”attighofen(マッティヒホーフェン)

となってます。

マッティングホーフェン本社

「クローノライフ・トゥルンケンポルツ・マッティヒホーフェン(KTM)」

凄く長いですね。

レッドブル

ちなみに”翼をさずける”で有名なレッドブルも同じオーストリア ザッツブルグ州の企業。

その為か両社は非常に仲が良かったりします。

更に上げるならハスクバーナって聞いたことありませんか?

ハスクバーナ

もともとは芝刈り機やチェーンソーのメーカーでバイクのチェーンを作ってる内にいつの間にかエンジンからフレームまで作るようになっていったってユニークなスウェーデンのメーカー。

バイク部門はハスクバーナモーターサイクルといってもうチェーンソーのハスクバーナとは関係ないですが、アグスタやBMWといったメーカーにたらい回しになっていて今はKTMに拾われてます。

フサベル

ちなみにアグスタへと吸収される際にハスクバーナを辞めていったエンジニア達で立ち上げた会社であるフサベルも今はハスクバーナと同じくKTMに拾われてます。元サヤというか何というか。

ちなみにどのメーカーも基本的にオフ車メーカーです・・・どんだけオフ車好きなんだよって話ですが。

さて話を戻して

実はKTMは自転車(ロードバイク)も作ってますが一応分社化された別会社となってます。

よくよく考えてみるとバイク作ってる会社で自転車作ってるメーカーって無いですよね。ヤマハは電動自転車を出してますがモーターのみで車体はブリヂストンだし、スズキに至ってはパナソニックのOEMってだけ。意外だな。

話が戻ってませんでした・・・

KTMには一貫したコンセプトがあります。

それは「READY TO RACE」

Ready to Race

これはどういう意味かというと、別にレースに出ろと言ってるわけではありません。

オーナーがバイクに乗っている内にレースに興味を持ったら、いつでも出れるような純粋で冒険的で極限性能なバイクをKTMは作っている。

という意気込み的な意味。

まあそんなこと言われても?ですよね。

KTMバイクの特徴を簡単に説明するなら

「何を差し引いてでも軽さ(パワーウェイトレシオ)を最優先」

という事。

耐久性より軽さ!メンテナンス性より軽さ!扱い易さより軽さ!コストより軽さ!

とにかく軽さです。車重しか見てないんじゃないかってくらい軽さに拘りを持っています。

軽さへのコダワリは半端なものじゃなくウェアやパーツといったコラボモデルですら軽さ第一です。

そのためかKTMはエキスパート向けという非常にマニアックなイメージに。まあ販路の問題や車種もニッチな物が多かったのもありますが。

しかし上で言った通りバジャージ・オートの横槍かアジア市場への参入という利害が一致したのか分かりませんが、方針転換によりエントリーモデルと成り得るスモールDUKEシリーズを出したことでそのイメージも大分変わってきました。

このサイトへのリクエストでもDUKEシリーズを希望する方が思いのほか多くて驚きました。

今回はそんな新生KTMとも言えるスモールDUKEシリーズを紹介します。

系譜図
KTMとDUKEについて

KTMについておさらい

デューク125

2011年
DUKE125

デューク200

2012年
DUKE200

デューク390

2014年
DUKE390

デューク250

2015年
DUKE250

Daytona 675 ABS/R -since 2014-

デイトナ675ABS

675になって初とも言えるフルモデルチェンジを果たした2014型デイトナ675ABS(紛らわしいのでこの名で)

今回のモデルチェンジの最大の目的はコストカット・・・と言うと何だか夢のない話と思われるかもしれないけど車体価格の高騰でSS離れが起こってるのが現状。
これは日本に限った話じゃないんですね。EUの方も日本同様SS離れが酷いらしく、老舗トライアンフもデイトナ675というSSを持ってる以上は他人ごとではない。

あんまり注目されなかったけど、先代も日本国内において為替が幾ら変わろうとも物価が上がろうとも正規物はほとんど値段据え置き状態だった。
我々一般人からしたら何て良心的なメーカーなんだと思うけど、流石にそんなことをずっと続けてたらまた倒産しちゃうよね。

もちろんただ単にコストカットしただけじゃないのであしからず。

675R

・2016年から始まるABSの義務化に対応するために切り替え式のABSを搭載
・サブフレームをパイプフレームからメインフレームに合わせたアルミ製に
・チタンバルブ、デュアルインジェクターの採用
・スリッパークラッチ・クイックシフターの搭載
・軽量5本スポークホイール&ダウンショートマフラー

等など改良や新装備も多岐にわたる。
(でも一番の改良点は先代で頻発してたお漏らしなどの不具合潰しだったり)

デイトナ675Rカウルレス

今回はRモデルも最初からあるみたい。今度はARROWSのマフラーも標準装備みたいですね。

スパイショット等の段階からセンターアップマフラーの不採用が判明して大きく話題になりましたね。これで残るは600RRとR1とF4だけか。

今回のモデルチェンジの最大の目的はコストカットなんだけど、もう一つある。

それはライバルの出現。

アグスタF3

アグスタF3 675(Since 2010)

「走る宝石」と自ら言いのけるメーカーのアグスタから出たミドルSS。奇しくもエンジンはdaytona675と同じ並列三気筒。つまり排気量も同じ675cc。

これまでデイトナと言えば「クラス唯一の三気筒」という優位性を持っていたけど、今回それが失われてしまった。
更に脅威なのはアグスタも価格を抑えるという経営方針の変更をした事。
F3は三気筒でアグスタ入門のミドルだからということで160万円を切る安さ。本当は三気筒のミドルだからって安く作れるワケじゃないんだけど、ブランド価値を下げずに価格を下げるためにアグスタはこう言ってる。
世界レースにおいて初参戦ながらトライアンフよりも好成績を残す大健闘。
更にF3 800というレギュレーション無視の800ccスーパースポーツ、トライアンフの言う「殻を破ったバイク」までも発売。

トライアンフとしては面白いわけはなく、反撃の為のモデルチェンジでもあります。

ミドルSSランキング

見た目がガラッと変わって違うバイクになったと思われるかもしれませんが、スーパーテスト(世界規模インプレ)を見るに相変わらずの高評価なので順当進化みたいですね。

そんな675ABSは本国やUSでは2013年から発売中。しかし日本には騒音規制に通らず入荷したくても出来ない状況でした。

日本もEUやアメリカ並とはいかないものの、それらに次ぐ大型バイク市場を持っている。
だからトライアンフもドゥカティと同じくジャパニーズのための特別仕様を用意し、2014年遂に待望の発売となったわけです。

デイトナ675国内仕様

待望の・・・待・・・え?
あー、ですよね。マフラーそうなっちゃいますよね~。う~ん。

音量測定をするのはエンドバッフルからなのでサイレンサーを同じく騒音を生むエンジンやチェーンからなるべく遠くに離すというのは至極当たり前です。
でも、でもですよ。ドゥカティも(アグスタも)そうだけど「もうちょっと考えてよ!」って言いたくなりますよね。

675ABS

まあ凝ればその分コスト上がるし、バカ売れするならともかくそれほど売れない日本に手間かけないか。

しかしここでHAYABUSAの系譜(国内仕様)で2014年からの規制について読んでくださった方は疑問に思う事でしょう。

「規制緩和されたからハヤブサはOKになったのに、デイトナ675は何で駄目なの?」

と。

実はこの2014年から緩和される規制は「国産車」に限った話なんです。じゃあ「輸入車」はというと三年後の2017年から。
ハヤブサは元々「逆輸入車」だったとは言え製造は日本国内です。つまりラインナップに加えるだけで国産車。

それに対しトライアンフはあの空襲や火事を起こしたイギリスの工場で作ってます。つまり輸入車。

2013daytona675エンジン

日本で作れば万事解決ですが、さすがにそれは無理があるってもんです。

つまり要するに新型デイトナ675が欲しいけどこの日本スペシャル仕様に満足できない人は三年待てという事です。

三年後には恐らく車検が通るUK仕様が入ってくるでしょう。
~2016年型を買ってマフラーをUK仕様の物に変えても車検は通りません。果報は寝て待てです。
こんなこと言うとトライアンフに怒られそうですね。

まあ実際、眠れない人は待たずに買っても何の問題も無いわけですが。

エンジン:水冷4サイクルDOHC3気筒
排気量:675cc
最高出力:
128[125]ps/12500rpm
最大トルク:
7.5[7.3]kg-m/11900rpm
車両重量:185kg(乾)
※[]内は国内仕様

系譜図
タイガーT100Rデイトナ

1967年
Tiger 100T/R Daytona

デイトナ1000

1990年
Daytona 750/1000

デイトナ900

1993年
Daytona 900/1200

デイトナT595

1997年
Daytona T595/955i

デイトナ600

2002年
Daytona 600

デイトナ650

2005年
Daytona 650

デイトナ675前期2006年
Daytona 675/SE(前期)
デイトナ675R後期

2009年
Daytona 675/SE/R(後期)

デイトナ675ABS

2014年
Daytona 675 ABS/R