「SUPER SPORTS」
年次改良を続けていたCB750FOURでしたが、発売から6年が経って初めてモデルチェンジとも言える変貌を遂げました。
何が変わったのかといえばリアのディスク化もそうですが、何より一本出しマフラーになった事。
これは主要市場であるアメリカで集合管ブームが巻き起こった事が大きな要因。
その発端はヨシムラなんですが、まあ詳しい経緯は
『集合管マフラーは生みの親のヨシムラにとっても謎パーツだった|バイク豆知識』
をどうぞ。
そんな集合管に合わせてタンクやテールカウルも細くなっているので元からスリムだったのが非常にスリムになった・・・んですが、残念なことにあまり好評とは言えなかった。
ホンダとしては出来るだけ軽く細くすることで性能を磨いたわけですが
「ナナハンの割には迫力に欠ける」
と捉えられてしまったわけです。
そこで2年後の1977年にはコムスターホイールを履かせてスポーツ性能に更に磨きを掛けたFOUR-IIとは別に、初代を彷彿とさせる四本出しマフラーとスポークホイールのKタイプを発売。
ドリーム
CB750FOUR-K
-since 1977-
「これでこそFOURよ」
と思う人がこの頃から既に多かったのかこっちは人気でした・・・が、実は同年にもう一台出ているんですよね。
EARA CB750A
-since 1977-
なんとクラッチレスのATバージョンになるエアラ。
ホンダマチック(またはスターマチック)といって、シフトは下からN-Lと来て一番上は今でいうDにあたる☆マーク。
クラッチのある部分に今もメジャーなトルクコンバーターを突っ込んでAT化しています。
何故かドリームとはつかず『EARA CB750A』で、もちろん人気は出ませんでした。
一般的にCB750FOURと呼ばれる世代はここまでになります。
フォアの始まりとして今も語られるCB750FOURですが、じゃあ皆さんCB750FOURの何処が凄いのかご存知でしょうか。
CB750FOURの凄い所は
『市販車初の直四だった事』
です・・・と言うと在り来たりに聞こえますが違います。
実はCB750FOURの四気筒というのは特段なにか凄い技術で造られたわけではありません。本当に二気筒の延長線上にある形だからコレと言って取り上げる部分は実は無いんです。
初代のテクニカルイラストレーションを用意されなかったのもそのためなんですが、でもこれもCB750FOURのコンセプトの一つ。
そのコンセプトを象徴するのが本田宗一郎がCB750FOURに対して行った指摘。
当初CB750FOURのオイルフィルター口は従来の場所ではなくエンジンの後方上部に付ける予定でした。
しかし横目でそれを見ていた宗一郎が
「そんな所に付けたら交換し難いし汚れるだろ下側につけろ」
と指摘したことでエキゾーストパイプの裏になった。
直四に乗ってる人ならご存知の様に、今では当たり前の位置にあるオイルフィルターの始まりは宗一郎の指摘によって改善されたこのCB750FOURが最初なんです。
絶対に自分で一度組まないと気が済まない本田宗一郎だからこそ気付けた指摘ですね。
そしてこれがCB750FOURのコンセプトであり凄い所。
前例や常識や配慮などが全く無かった時代にありながら、ただ目新しさや速さだけを追求したのではなく
『頑張れば買えて、乗れて、整備も出来る量販車初の直四バイク』
として登場したのがCB750FOURの凄い所なんです。
主要諸元
全長/幅/高 | 2215/860/1185mm |
シート高 | 不明 |
車軸距離 | 1475mm |
車体重量 | 244kg(装) |
燃料消費率 | 不明 |
燃料容量 | 17L |
エンジン | 空冷4サイクルSOHC2バルブ並列4気筒 |
総排気量 | 736cc |
最高出力 | 67ps/8500rpm |
最高トルク | 6.1kg-m/7500rpm |
変速機 | 常時噛合式5速リターン |
タイヤサイズ | 前3.25H19-4PR 後4.00H18-4PR |
バッテリー | FB14L-A2 |
プラグ ※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価 |
DPR8EA-9 |
推奨オイル | 不明 |
オイル容量 ※ゲージ確認を忘れずに |
不明 |
スプロケ | 前18|後43 |
チェーン | サイズ630|リンク90 |
車体価格 | 498,000円(税別) ※スペックはCB750FOUR-II- |
SUPER SPORTS、普通にカッコいいねえ。