スーパーバイク選手権:通称SBKまたはWSBK

MotoGP

SBKまたはワールドスーパーバイクでWSBと呼ばれるレースでMotoGPに次ぐ人気の世界レース。

MotoGPとの最大の違いは

『市販車によるレース』

ということ。

少なくともSSに乗ってる人や興味のある人は知っておいて損はないかと思います。

スーパーバイク選手権:通称SBK

WSBK

・4stであること
・500台~150台以上販売された車種であること(メーカーの生産規模に応じて)

そして

・二気筒は1200ccまで
・四気筒は1000ccまで

となってます。

CBR1000RR・YZF-R1・GSX-R1000・ZX-10Rなどの俗にいうリッターSSはこのレースの為に作られている車両でもあるんですよ。

ちなみに昔はレギュレーションが四気筒は750ccまででした。

かの有名なVFR750R(RC30)を筆頭にOW01やGSXR-750RRなんかもこのレースの為に生み出されたバイクです。

RC30

ただ2000年頃になると四気筒750ccより二気筒1000ccの方が有利な状況に。

その結果生み出されたのがVTR1000SP(RVT1000R)やTL1000RといったVツインSSですね。

VTR1000SP2

このようにSBKは市販スポーツバイクに大きく関係しているレースで結果が売上に直結してます。

もしSBKが無かったり不人気だったら生まれていない名車は数多くあります。それこそもし四気筒が2004年のレギュレーション改定で1000ccにならなかったら1000RRや10Rは間違いなく生まれてなかったでしょう。それくらい市販車と密接な関係なんです。

WSB YZF-R1

だからメーカーもワークス参戦で力を入れている・・・かと言えば実はそうでもなかったりします。

今ワークス参戦しているのは

・カワサキ

・アプリリア

・アグスタ

・ドゥカティ

・BMW(2019より)

くらいで、それ以外のメーカーの名前を掲げて戦っているのは向こうの現地法人とか。

SBK-10R

なぜMotoGPほど全メーカーが力を入れないのかというとセール面の問題があります。

ご存知まだ記憶に新しいユーロ危機で消費が落ち込みました。それにより比較的嗜好品に位置する二輪、その中でも取り分け嗜好的で高額なリッターSSは大打撃。レース結果に販売台数が追いつかなくなってしまったんです。

2010年に悲願の年間王者に輝いたアプリリアのRSV4も優勝したにも関わらず販売台数はそれほど伸びていない。実際日本でも走ってるのを目撃した事がある人は少ないと思います。

「スーパースポーツは知ってるけどSBKは知らない」

って人が大半なのが現実ですしね。

ワークス参戦というのはメーカーのメンツを賭けるわけなので、賭ける以上は勝つためにプライベーターとはケタ違いの予算なのが常です。

RSV4

そうまでしたにも関わらず市販車の販売台数に結びつかず、メーカーのメンツを賭けて得られたのはチャンピオンという称号だけ。称号や名声だけではメーカーは食っていけません。

しかもその一方で散々なレース結果だったにも関わらず販売台数が好調なドゥカティ1199パニガーレとBMWのS1000RR・・・なんとも皮肉な話。

こうなると数字に厳しい日本メーカーが力を入れないのも無理のない話。SSのモデルサイクルが年々延びてる要因の一つでもあります。

サイクス

そのため現在SBKに全力な日本メーカーはカワサキくらいで独壇場となっています。

これまもちろんカワサキが凄いってのももちろんあるんですけどね。八耐なんかでも圧倒的な速さを証明しましたし。

スーパースポーツ選手権:通称SSK

WSS

SSといえばもう一クラスありますね。そう600ccです。

名前はリッターSSが”スーパーバイク選手権”なのに対し600SSのレースは”スーパースポーツ選手権”です。非常にややこしいですね。

登場するバイクは勿論600SSですが、ミドルSSといえばトライアンフのデイトナ675やアグスタF3といった三気筒がいます。

だから

『三気筒675cc』

までという1000ccにはないレギュレーション(SBKは三気筒も1000まで)がある。ワークス参戦してるのはアグスタ一社だけ。

同じ600ccということでここで実績を作ると上のスーパーバイクに行ったり、MotoGPの方で紹介したMoto2クラスに行く人が多いです。

ちなみにZX-6Rが2013年に636Eへとモデルチェンジしたにも関わらず先代の600Rも併売するのはこのクラスがあるからなんです。

スーパーストック1000/600:通称STK

更にややこしい事にヨーロッパで併催されているのがこのスーパーストックと呼ばれるレース。

BMW S1000RR

その名の通り1000SSと600SSの競技でコチラは上で紹介したWSBやWSSに比べ改造範囲が物凄く狭く、ノーマルに近い状態で競う。

同じ車種でも高額なモデルがあったりするのもこれ(SBKやSSK含む)が影響しています。

「改造がダメなら最初から付けて売っちゃえばいい」

って事ですね。ただし青天井というわけではなく車体価格40000ユーロが上限。つまり2190万円もする事で話題となったRC213V-Sはダメ。

RC213V-S

ちなみにWSBのタイヤはピレリのワンメイクです。

タイヤメーカーがそれぞれ住み分かれてて面白いですね。

FIM(国際モーターサイクリズム連盟)主催 世界三大レース

モトGPオートバイレースの頂
「ロードレース世界選手権 MotoGP(WGP)」
SBK-WSB市販車レースの最高峰
「スーパーバイク世界選手権 SBK(WSB)」
FIM世界耐久選手権耐久性までも試される
「FIM世界耐久選手権 FIM-WEC」

有名なローカルレース

JSB1000世界の国別スーパーバイク選手権
「JSB、AMA、BSC….etc」
マン島TT最も危険で最も崇高なレース
「マン島TTレース」
草レース初心者からベテランまで
「草レース」
ジムカーナ転けた分だけ上手くなる
「ジムカーナ」
サーキットの魅力最後に
レース・サーキットの魅力

ロードレース世界選手権:通称MotoGP (旧名WGP)

MotoGP

これは知ってる人も多いかと思います。

昔は地上波でも放送されてましたし、世界スターであるバレンティーノ・ロッシ選手が有名ですね。

バイクレースにおいては最高峰の花形と言われているレースで世界中で大人気のバイクレースです。特に欧州では知らない人は居らずF1やサッカーをも凌ぐ人気とも言われています。日本からしたら考えられない話ですね。

WGP50周年記念モデル

2013年にヤマハが『WGP参戦50周年記念モデル』を出したのが記憶に新しいと思います。

「WGPってなんだ」

と思われるでしょうがWGPというのは世界レース(ワールドグランプリ)という総称の事。MotoGPになったのは2002年からなのでWGPと言っているわけですね。

エクスタースズキ

話を戻してMotoGPは車でいうところのF1に近く、レギュレーション(制約)の中でメーカーの持ちうる全ての技術を投入し開発したレース用のファクトリーマシン、要するに持てる全ての技術を使って造った最高性能のバイクで競います。

ただMotoGPにもクラスがあります。

【MotoGPクラス】

モトGPクラス

GPクラスはロッシ、マルケス、ロレンソ等が活躍されてるオートバイレースの最高峰クラス。

現在は1000ccまでというレギュレーションが敷かれています。(厳密に言えばもっと細かいレギュレーションがあります)

ホンダやヤマハ、更にはドゥカティなどが強くスズキもワークス参戦しています。

※ワークスチーム・セミワークスチーム・プライベーターチームって?

ワークス(ファクトリーチーム)とはメーカー直々に開発・運営・指揮をするチームの事。

HRC

ホンダは『HRC(ホンダ・レーシング・コーポレーション)』で知名度は高いですね。

対するヤマハは

ヤマハファクトリーレーシング

『ヤマハ・ファクトリー・レーシング』

などなど。

ただワークスといえどスポンサーが付きます。だから参戦する際のチーム名やカラーはメインスポンサーの意向が強く反映される。
MotoGPだとホンダ(HRC)はレプソル・ホンダ。これまた有名ですね。

RC213V

それに対するヤマハ(YFC)はモビスター・ヤマハ・MotoGPなど。

ちなみにモビスターという会社はスペインの携帯電話会社で地元スペインでレーサー育成などもするほどバイクレース界に貢献しています。

ヤマハはメインスポンサーに恵まれないのかコロコロ変わるしここ数年はメインスポンサーイメージカラーが余り濃くないですね。

フィアット・ヤマハ

ちょっと前までスポンサーだったフィアット・ヤマハならピンとくる人が多いかと。

さて話を戻して・・・そんなワークスに対してプライベーター(サテライトチーム)というのは個人(企業など)でスポンサーを見つけるなどでお金を調達し、ホンダやヤマハなどが用意したリース車両を使って走っているチームです。リース代は年間3億とも4億とも言われてます。

メーカーが作ってるので信頼性はありますがワークスの様なサポートが無く、最新パーツや最新技術も当然ながらワークスの周回遅れと言った状況。そのためワークスより「遅い」のが一般的です。

セミワークスチームとはワークスとプライベーター(サテライト)の中間的なチームの事です。

そんなこんなですがMotoGPにおいてはホンダ・ヤマハ両ワークスのガチンコっぷりは凄まじく、社運を掛けてると言ってもいいくらいの力の入れようで他が全くついて行けないレベルです。

ちなみにこのクラスは2001年まではWGP500ccクラスと呼ばれ2stが大活躍していました。

NSRなどがレーサーレプリカと言われたのはこのクラスの車両(NSR500)のレプリカだったから。

レーサーレプリカ

ココらへんが今のMotoGPとSSとの違いですね。

Moto2クラス

モト2クラス

Moto2クラスとはMotoGPが1000ccのプロトタイプマシンなのに対し、入札で決められた一社が用意する600ccエンジン(2018年まではCBR600RRのエンジン)を各々のフレームに積んで走るクラスです。

2st250ccクラスの後釜的なクラスで、このクラスで活躍することでMotoGPへの道が開けるという構図になっています。

みな同じエンジンの半ワンメイクなので腕がモノを言う熱いクラスですね。2019年からはトライアンフの3気筒765ccになります。

Moto3クラス

モト3クラス

MotoGPクラスで最も若いクラスのMoto3クラス。

レギュレーションは4st250ccとなっていてワンメイクとはなっていません。

Moto3用のエンジンやフレーム単体で作っているメーカーは何社かありますが、コンプリートマシンを作ってるのはKTMとホンダだけ。

そんなホンダが用意したMoto3用車両がこれ。

NSF250R

その名も「NSF250R」ちなみにエンジンは4st単気筒250cc。

なんだ大したこと無いじゃんと思われるかもしれませんが単気筒ながら48馬力を発揮し、さらに車重が僅か84kgしかなく最高時速は200kmを超えます。

先に行ったとおりコレはMoto3レースに出たい人や練習向けにホンダが用意した車両なので絶賛発売中。ライセンスがあれば誰でも買えます。値段は166万円。安いのか高いのかよく分かりませんね。

いや億単位のMotoGPクラスに比べれば安いし、手が届かない非現実的な金額でもない・・・のかな。

他にも昔は350ccクラスや125ccクラス、果ては50ccというクラスまで存在していました。

ちなみにMotoGPのタイヤはミシュランのワンメイク、Moto2とMoto3はダンロップのワンメイクとなっています。

ブリヂストン-バトラックス

世界最高峰のレースでホンダとヤマハという日本メーカー同士が優勝争いをするという日本の誇りの様な状況ですが、そんな状況でもお膝元の日本では人気がないっていうのは何とも皮肉な話ですね。

モーターショー展示とか結構頑張ってアピールしてるんですけどね・・・やっぱり日本人選手が活躍しないと難しいか。

中上選手(MotoGP)の活躍に期待しましょう。

FIM(国際モーターサイクリズム連盟)主催 世界三大レース

モトGPオートバイレースの頂
「ロードレース世界選手権 MotoGP(WGP)」
SBK-WSB市販車レースの最高峰
「スーパーバイク世界選手権 SBK(WSB)」
FIM世界耐久選手権耐久性までも試される
「FIM世界耐久選手権 FIM-WEC」

有名なローカルレース

JSB1000世界の国別スーパーバイク選手権
「JSB、AMA、BSC….etc」
マン島TT最も危険で最も崇高なレース
「マン島TTレース」
草レース初心者からベテランまで
「草レース」
ジムカーナ転けた分だけ上手くなる
「ジムカーナ」
サーキットの魅力最後に
レース・サーキットの魅力

MONSTER750シリーズ -since 1996-

モンスター750

勝手に纏めた空冷MONSTER三兄弟の最後にご紹介するのは次男坊の750シリーズです。

出たのは三兄弟の中で一番最後。

革命をもたらした長男M900、コスパの高さから人気が出てドゥカティを救った三男M600、そして遅れてやってきた次男M750は・・・・残念ながら人気が出ませんでした。

スペックでは兄に負け、コスパでは弟に負けるという少し仕方ない面もありますが、消費者からも中途半端だとして売れず。

2001年には他の兄弟に習ってFI化でM750I.E.となり、2003年には排気量のアップでM800となりました。

M800

なりましたが・・・・

コレじゃいかんという事で05年に兄弟とは別に特別なモデルチェンジが入りました。

05年にS2Rと名前を改め、片持ちスイングアームと片側2本出しマフラー、5本スポークホイールなどS4R(水冷MONSTER)に準ずる戦闘的なMONSTERに大変貌。

S2R

900の方でも話したけど、元々このデザインはそのS4Rという水冷ジャジャ馬MONSTERに合わせたデザインだったから、その見た目に空冷2バルブエンジンってのは非常にアベコベなんだけど、そもそもMONSTER自体が良い意味でアベコベな車体設計だった事を考えると正しい方向性だね。

先鋭と旧態が入り混じった正にモンスターの様なS2Rは非常に人気が出ました。その為か翌年には長男までもがS2R化され、この次男は区別のため翌年からはS2R800と名前に排気量が付く事に。芸人の劇団ひとりさんも乗ってるみたいですね。

苦節十年目にしてやっと次男の時代が来た・・んだけどそんな人気とは裏腹にS2R800はドゥカティ全体が規制を機にしたプラットフォームの維新をする事になっていたため発売されていた期間は5年とMONSTERとしてはそんなに長くない。

そんなS2Rの後継として2010年に出たのが維新された新世代のM796

M796

基本的には弟分のM696と同じだけど次男はS2Rの後継アピールの為か片持ちスイングアームになっています。エンジンは+100ccされたロングストロークエンジンで万能型。796だけど排気量は803ccとちょっとややこしかったりする。

このM796は弟の696と並んで第二世代空冷MONSTERが途切れる最後まで発売されました。と言っても2013年までと短い上に最初で最後なわけだけどね。

空冷MONSTERが絶滅してから4年が経った2017年、M797として再び空冷MONSTERが復活。

M797

Monsteristi(モンスターリスティ ※MONSTERに魅せられた人の事)なら気付くと思いますが、トレリスフレームがアルミダイキャストとのハイブリッドフレームから従来のトレリスアピールバッチリなフレームと両持ちスイングアームに戻りました。

M797トレリスフレーム

エンジンはネオレトロブームに乗っかって40年ぶりに復活したスクランブラーの物。ユーロ4(環境規制)に対応した76馬力で装備重量186kg。といってもコレもともと先代の796に使われてたエンジンなんだけどね。だからコレも797と言ってるけど803ccです。

M797トレリスフレーム

スクランブラーは縮小版の400があるからこの797にそのエンジン積んで400がまた出るかもね。

なんか駆け足過ぎてモデル紹介になってない気がしますが最後に・・・

MONSTERがどれだけ凄いバイクかを表すとした場合いろんな言い方があります。

「916と並んで最も成功したバイク」
「DUCATIで最も売れたバイク」
「DUCATIを救ったバイク」
「欧州でネイキッドというカテゴリを蘇らせたバイク」

でもMONSTERの凄さを表すのに最も簡単明瞭な言葉があります。それは

M797エンジン

「トレリスフレームのネイキッド=MONSTER」

という二度と覆る事のない既成事実。

誰が見てもそう思う。好きとか嫌いとか定番といった次元じゃない。

エンジン:空冷4サイクルSOHC二気筒
排気量:748[803]cc
最高出力:
62[76]ps/7500[]rpm
最大トルク:
6.2[6.93]kg-m/6850[5750]rpm
車両重量:178[186]kg(乾) [装]
※スペックはM750 []内はM797

系譜図
M9001993年~
M900の系譜
M6001994年~
M600の系譜
モンスター750ie1996年~
M750の系譜

【関連車種】
CB650F/CBR650Fの系譜FZ6/XJ6/FZ8の系譜GSX-S750の系譜Ninja650/Z650の系譜Z900の系譜

M600シリーズ -since 1994-

モンスター600

900の系譜で

「MONSTERが大ヒットしてDUCATIを救った」

と言ったけど、その中でも一番貢献したのは実は900ではなくジュニアモンスターまたはベイビーモンスターの愛称で親しまれたこのM600だったりします。

ただでさえお買い得だった900の更なるお買い得版として一年後に登場した三男坊。足つきの良さも相まって老若男女問わず人気が出て非常に息の長いモデルとなりました。

モデルチェンジの流れは基本的に兄弟車とほぼ同じで、02年にはインジェクション採用と排気量も618ccアップで通称M620I.E.に。

モンスター620

馬力が77馬力にまでアップされ非常に人気が出たモデル。

そして一般的に第一世代最後といわれるEURO3(規制)対応の06年発売M695。

モンスター695

細部の不具合潰しに加えエンジンの排気量が695ccにまでアップされたんですが、先代よりも更にショートストローク化された事でスポーツ性が向上。

何故かこの三男坊だけはS2R化(片側2本出しマフラーなど)されなかったため台数はそれほど出なかった。なんでしなかったんだろうね。

696イラスト

ちなみにイタリアでは白バイとしても活躍していました。さすが母国。

少し話が反れますが先代の600/620そして今紹介した695をベースに作られたのが95年から発売されたMONSTER400です。

モンスター400

~96年までの前期型(キャブ)と00~08年の後期型(インジェクション)となってます。排気量を見てもらえれば分かる通り400SSと共に日本やフィリピンといったアジア向けに用意された普通二輪で乗れるMONSTER。

それまでもドゥカティは400F3や400SSといったバイクも出すには出してたけど本土イタリア以上にスパルタンなイメージが出来上がっていた国内においては

「こんなのドゥカティじゃない」

なんて言われてた。当然ながらこれはMONSTER400でも。でもこれMONSTERに限っていうと話が変わってきますよね。

900も母国イタリアをはじめとした欧州でも最初は

「こんなのドゥカティじゃない」

なんて言われたわけですから。

MONSTER400

残念ながら4メーカーのお膝元ということもありイタリアのように大ヒットとはならなかった。

でもMonster900誕生の経緯で話した通りMONSTER最大の武器であり最大の功績はドゥカティの敷居を下げた事。端的に表すなら”日常で楽しめるイタリア車”というのがMONSTER。

そう考えた時、400は確かに6xxのスケールダウンモデルで決して速いとは言えなかったけど、日本の道路事情を考えたら最も日本に合ったMONSTERはこの400だったのかもしれないね。

ハンドリングは他のモンスター同様にスポーティなわけだし。その代わりネイキッドにあるまじき切れ角の無さだけどね。

モンスター(特に古いタイプ)はハンドルの切れ角もそうだけど形状も凄く独特で初めて乗ったら絶対に

「何か違う・・・」

と思うハズ。

話を戻しましょう・・・戻しましょうと言っても三男坊としては最後のモデルになる08年に出たM696。

モンスター696

新世代のジュニアモンスターとして見た目が大きく代わりました。スリッパークラッチ(APTC)の採用やエンジンの腰上(ヘッドやシリンダー周り)の改良で80馬力にアップ。

新生モンスターの中でもM696は一番最初に出た事もあって色んな物議を醸しました。異型ヘッドライトなんかもそうだけど一番は象徴でもあったトレリスフレームが大きく変わったこと。

696イラスト

先代がシートまで綺麗に繋がっていたのに対しこの696(というかここからのMONSTER)は前半はトレリスフレームだけど後ろ半分はアルミダイキャストというハイブリッドに。要するにトレリスフレームアピールが少し弱くなりました。

新生モンスター

「DUCATIといえば綺麗なトレリスフレーム」

って考えのドゥカティスタは多いしMONSTERは長いことデザインを変えずに来てたわけだからそう思うのも無理ないけどね。まあしかしこれはスーパーバイクからのフィードバックで作られたハイブリッドフレームなので優れているのは疑いようもない事実ですし、市場でも受け入れられたみたいです。

厳密にいうと三男坊にはもう一つ659というモデルがありました。日本には入ってきてないけどね。

モンスター659

これは659ccに落とされた696みたいなバイクで主にオーストラリアで2013年まで発売されていました。

なんで659なのかというとオーストラリアでは免許取得後の一年は660ccを超えるバイクに乗れないからです。だからわざわざ用意したというわけ。

オーストラリアは日欧米に比べそれほど大きな市場ではないんですが、それにも関わらず用意したのはやっぱりドゥカティにとって空冷MONSTERというのは売れ筋であり、広告塔であり、エントリーモデルとしてライダーに最も歩み寄ったバイクであるという事の証でしょう。

まして6xxシリーズはコストパフォーマンスや足付きの良い優れた末っ子だったからね。

エンジン:空冷4サイクルSOHC二気筒
排気量:583[696]cc
最高出力:
52[80]ps/9000rpm
最大トルク:
4.9[7.0]kg-m/7750rpm
車両重量:174[161]kg(乾)
※スペックはM600 []内はM696

系譜図
M9001993年~
M900の系譜
M6001994年~
M600の系譜
モンスター750ie1996年~
M750の系譜

M900シリーズ -since 1993-

M900

ドゥカティ初のネイキッドとなるモンスター900が誕生したのは1993年の事・・・なんですが少しモンスターが生まれるに至った経緯をお話ししたいと思います。

今でこそマルチパーパスのムルティストラーダ、マッスルクルーザーのディアベル、最近ではネオレトロのスクランブラーなど色んなバリエーションのバイクを出しているドゥカティですが、モンスター900を出すまでは基本的にフルカウルのスポーツバイクしか作っていませんでした。だから”ドゥカティ=スーパースポーツメーカー”みたいな感じだったわけです。

900SS_750F1

そんな中で登場したネイキッドとして出たモンスターはとてつもない批判に晒されました。

元々ドゥカティが好きだったドゥカティスタからは

「スポーツメーカーだったのに失望だ」

と蔑まれ、他からは

「奇をてらった変な形のネイキッド」

と散々な言われようで誰からも理解されず。造りから見ても851/888ベースのトレリスフレームに900SSのエンジンを積むというよく分からない構成。

ドゥカティが分からない人の為にアベコベさを日本車で例えるなら、GSX-R1000の高剛性フレームにGSX1000Sカタナの油冷エンジンを積んだネイキッドって感じ・・・例えが下手ですいません。

M900青

まあとにかくスポーツバイク専門だったドゥカティが性能も見た目もアベコベで意味不明なバイクを出したわけですが、当然ながら意味もなく出したわけではありません。

EUでも80年代に日本でバイクブームが起こったように日本メーカーの大型スポーツバイクが一世を風靡していました。GSX-RにVFにFZRにGPZに・・・しかしトンデモナイ速度が出る大型スポーツバイクということで事故の件数も増加。それにより保険会社はスポーツバイクの保険料をドンドン上げていきました。

この影響を最も受けたのはスポーツバイクしか作ってなかったドゥカティ。窮地に陥ったドゥカティは閃きました。

「スポーツバイクは保険料が高くて駄目ならスポーツバイクっぽくないスポーツバイクを作ればいい」

そうやって生まれたのがモンスター900です。

空冷エンジンで、ポジションも凄く起きてて、芋虫みたいに長いタンクとシートのネイキッド。そういった事から

「モンスターはネイキッドだし空冷エンジンだからスポーツバイクではない」

という評価を保険会社から受けた・・・正にドゥカティの思惑通りの展開。

空冷といえど元を辿ればスーパーバイクに使われていたエンジンを中低速よりに改良したもので街乗りから峠まで十二分なポテンシャル。そしてフレームも元々スーパーバイクに使われていた物がベースだからハンドリングはとってもクイックな今でいうストリートファイター。

M900黄

当時はスポーツバイクといえばカウルの付いたバイクが当たり前でネイキッドは絶滅していた時代。そんな中でネイキッドながらスポーツを味わえるという口コミが広まり”(費用面から)スポーツバイクに乗りたいけど乗れない”という層をガッチリ獲得することに成功。

ドゥカティにあるまじきお買い得車という事もあり瞬く間にイタリアにおいて日本車を抜き去るほどの販売台数、そして2007年モデルまでの時点で15万台を超える出荷台数を記録。街中を走れるドゥカティのスポーツバイクとしてモンスターは定着しました。

モンスターを出すにあたって最大の難関だったのは当時親会社だったCAGIVAを説得することだったようだけど、ドゥカティの売上の半数以上を占めるまでに至ったんだからCAGIVAも喜んだでしょうね。

ミゲール・A・ガールズィ

ちなみにMONSTERの生みの親である工業デザイナーはミゲール・A・ガールズィ(Miguel_Angel_Galluzzi)というアルゼンチン出身のお方。

MONSTERというとドゥカティのトレードマークでもある剥き出しのトレリスフレームが特徴的だけど、ミゲールさん曰く851のフレームを選んだのは自分の思い描くタンクを作るために一番邪魔にならないフレームだったからだそう。つまりMONSTERのトレードマークはフレームじゃなくてタンクなんだね。

M900ラフデザイン

鬼才として有名なタンブリーニさんもそうだけど、向こうはデザインも中身も1人でパッケージングするのが結構当たり前だったりするわけです。イタ車といえば芸術的な物が多いイメージがありますが、それにはこういった事から来てる面もあるでしょうね。

ミゲールさんはMONSTERの後も各メーカーを転々としていて、最近で言うとApriliaの三眼RSV4(2008)もこの方のデザイン。

03

他にはヤマハのコンセプトであるコレもミゲールさんのデザイン。

さっさと歴代モデルを紹介しろと怒られそうなのでいい加減900に話を戻すと、先ず最初に出たのは上で紹介している93年の初代MONSTERことM900です。欧州でネイキッド革命をもたらしたバイク・・・とその前に、知ってる人も多いと思うけどMONSTERには色々グレードがあります(ありました)。

SHOWA/OHLINSサスやビキニカウルといった装備のトップグレードはSまたは+、そしてメインのノーマルグレード、廉価版のDark。日本人ならこの3つだけ覚えておけば大丈夫。

そしてモチベーションの都合で今回グレード紹介や細かいモデルチェンジは割愛させてもらいます。ごめんなさい。

革命をもたらしたM900に初めて大きく手が入ったのは2000年でFIになりました。分けるためにM900I.E.とも言われています。

00年式M900

このモデルからタコメーターも装着。更に翌2001年にはフレームがST系へと変更された事で少しワイドになり安定性が向上。

そして次のモデルチェンジは2003年で排気量が992ccまで上がってM1000となりました。

m1000

これは兄弟車であったSSシリーズがモデルチェンジで1000になったから。馬力も大きく上がって94馬力となったわけですが、日本向けはほぼSモデル(SHOWAサスペンションの上位モデル)だったようです。

そしてそして見た目が大きく変わった06年のS2R1000。

s2r1000

片持ちスイングアームに片側二本出しマフラーと戦闘的なルックスになりました。もともとこれはS4R(ハイスペックな水冷モンスター)向けだったデザインでしたが弟分の800に続く形となりました。

そしてそしてそして09年に16年目にして初のフルモデルチェンジ。エンジンのみならずフレームも新しくなったM1100になります。

s2r1000

排気量が更に上がって1078ccになり異型ヘッドライトや片持ちスイングアームやトラスフレームとアルミダイキャストのハイブリッドフレームとなった新世代モンスター。

そしてそし・・・せっかくフルモデルチェンジしたのに勿体無い気がするけど11年から13年まで発売されたM1100EVOが長男坊最後のモデルとなります。

s2r1000

空冷SOHC2バルブながら100馬力を発揮するEVOエンジンが積まれクラッチが湿式のスリッパークラッチとなり電スロ化され4段階のトラクションコントロールシステムも採用。

最後にして最高のスペックを引き下げた空冷モンスター。

てっきりドゥカティの空冷MONSTERはこの路線でいくのかと思いましたが、このモデルを最後に長男坊は一足先に生産終了。

s2r1000

やっぱり水冷MONSTERとの住み分けが難しかったのか。規制の問題が一番でしょうけど。

エンジン:空冷4サイクルSOHC単気筒
排気量:904[1078]cc
最高出力:
67[100]ps/7000[7500]rpm
最大トルク:
8.3[10.5]kg-m/6000rpm
車両重量:185[169]kg(乾)
※スペックはM900 []内はM1100EVO

系譜図
M9001993年~
M900の系譜
M6001994年~
M600の系譜
モンスター750ie1996年~
M750の系譜

ビモータの全シリーズ

※何処からから何処までを市販車と言っていいのか微妙なので、グレードなどは除外しナンバリングで分けさせてもらいました。

※価格はグレードや物価に左右されるので目安程度に考えておいてください

HB1 -since1973-

1975HB1

すべての始まりHB1。

CB750FOURのエンジンをスチールパイプフレームに積んだモデル。

生産台数10台

YB1 -since1974-

1975HB1

TZ250/350のエンジンを搭載したモデル。

クロモリ鋼管のダブルクレードルフレームの斬新さでbimotaの名を業界に知らしめる。

生産台数12台

SB1 -since1976-

SB1

TR500のエンジンを積んだレーサー。

イタリアスズキの要請で造られたイタリア選手権用のマシン。

生産台数50台

SB2 -since1976-

SB2

GSのエンジンを分割式フレームに搭載したbimota初のコンプリート公道マシン。

コンセプト段階では燃料タンクがエンジン下だったが、流石に却下されカウル一体型のアルミタンクに。

約200万円/生産台数170台

YB2 -since1977-

YB2

YB1の改良モデル。

生産台数15台

KB1 -since1978-

KB1

Z1000のエンジンをツインスパーの様なパイプフレームで囲ったモデル。

後期モデルはZ1000MKIIのエンジンを使用。

約210万円/生産台数827台

YB3 -since1978-

YB3

TZ250/350エンジンを積んだレーサーの最終型。

1980年、ジョン・エクロードによって350ccクラス世界チャンピオンに輝く。

生産台数15台

SB3 -since1980-

SB2

GS1000のエンジンをSB2と同じように分割式フレームに搭載したモデル。

長距離もこなせるように大型カウルが付いているのが特徴。

約250万円/生産台数402台

KB2 -since1981-

KB2

Z600/550/500/400のエンジンを搭載したモデル。

フルトラス同軸ピボットフレームのラストモデル。

約230万円/生産台数171台

HB2 -since1982-

KB2

CB900F/1100Fのエンジンを搭載したモデル。

量販体制を目的としたアルミ削り出しピボットフレーム共有化の始まり。

約250万円/生産台数193台

KB3 -since1983-

KB2

Z1000Jのエンジンを搭載したKBシリーズ最後のモデル。

リベットで一つにする合わせホイール以外はHB2とほぼ同じ。

約250万円/生産台数112台

SB4 -since1983-

SB4

GSX1100S KATANAのエンジンを搭載したモデル。

このモデルからハーフカウルモデルが設定。

約260万円/生産台数272台

HB3 -since1983-

HB3

CB1100Fのエンジンを搭載したモデル。

共有化のラストモデルであり、HBシリーズのラストモデル。

約280万円/生産台数101台

SB5 -since1985-

SB5

GSX1100Eのエンジンを搭載したモデル。

タンブリーニ在籍時代のラストモデル。

約200万円/生産台数153台

DB1 -since1985-

DB1

750F1のエンジンを搭載したモデル。

直線基調のトラスフレームとそれを隠すフルカバーカウルが特徴的なマルティーニbimotaの一作目。

約180万円/生産台数669台

YB4 -since1985-

YB4

FZ750のエンジンを積んだモデル。

TT-F1世界チャンピオンに輝いたYB4Rと同じフレームを持つレーサーレプリカ。

約300万円/生産台数318台

YB5 -since1986-

YB5

FZ1200のエンジンを積んだモデル。

YB4より後なものの、パイプフレームとアルミピボットなのを見ても分かるようタンブリーニ時代の部品を一掃するために造られた。

約200万円/生産台数208台

YB6 -since1987-

YB6

FZR1000のエンジンを積んだモデル。

フレームを含め、エンジン以外はYB4と共通。

約230万円/生産台数720台

YB7 -since1988-

YB7

FZR400のエンジンを積んだモデル。

日本のために用意した世界チャンピオンマシンの400cc版。

約220万円/生産台数321台

YB8 -since1989-

YB7

FZR1000のエンジンを積んだモデル。

FZR1000のモデルチェンジに合わせて造られたYB6の後継モデル。

約280万円/生産台数573台

YB9 -since1990-

YB9

FZR600のエンジンを積んだモデル。

YB7と同様のフレームを使ったスーパースポーツなもののbimotaとしては珍しい二人乗り仕様も登場。

約230万円/生産台数1021台

TESI 1D -since1990-

テージ1D

851のエンジンを積んだハブセンターステアリングのモデル。

発案者だったマルコーニがチーフエンジニアになった事で世に出ることに。

約460万円/生産台数417台

YB10 -since1991-

YB10

FZR1000後期のエンジンを積んだモデル。

基本性能は先代YB8と同じでカウルとポジションを見直し。

約260万円/生産台数260台

YB11 -since1991-

YB11

YZF1000Rサンダーエースのエンジンを積んだモデル。

YBシリーズはこのモデルをもって終了。

約280万円/生産台数650台

DB2 -since1993-

DB2

900SSのエンジンを積んだモデル。

db1に続きこのモデルでも日本のために400(400SS)が用意された。

約180万円/生産台数771台

SB6 -since1994-

SB6

GSX-R1100の水冷エンジンを積んだモデル。

真っ直ぐピボットまで伸びている斬新なフレームが評価され、1144台(※無印グレード)とbimota史上最大のヒットとなった。

約260万円/生産台数1744台

SB7 -since1994-

DB7

GSX-R750のSPエンジンを積んだモデル。

SB6の750版で、SBKへの出場を睨んで製作したものの結局参戦には至らず。

約280万円/生産台数200台

DB3 -since1995-

DB3

DB2と同じ900SSのエンジンを積んだモデル。

楕円パイプアルミフレームと独創的なデザインが話題に。

約190万円/生産台数454台

BB1 -since1995-

BB1

F650のエンジンを積んだモデル。

楕円パイプフレームとリンクレスサスペンションのホットシングル。

約160万円/生産台数524台

500-V due -since1997-

500Vドゥエ

エンジンまで設計した最初で最後のフルオリジナル車。

しかし完成度が低くbimotaを倒産させてしまう。

約220万円/生産台数340台

SB8 -since1998~2004-

SB8

TL1000Rのエンジンを積んだモデル。

アルミとカーボンのハイブリットフレームが特徴的で評価も高く、経営再開すると真っ先に復刻されたSBシリーズの最後。

約390万円/生産台数285台

DB4 -since1999-

DB4

DB2/3と同じ900SSのエンジンを積んだモデル。

実質的にDB3のフルカウルバージョン。

約180万円/生産台数394台

TESI 2D -since2005-

テージ2D

1000DSのエンジンを積んだハブセンターステアリングの二代目。

細部が違うものの、基本的にヴァイルスのOEM。

約500万円/生産台数25台

DB5 -since2005-

DB5

MONSTER100やMultistrada等に使われているDSエンジンを積んだモデル。

新たに指揮を取ることとなったロビアーノによるもので、機能美と空力のバランスが高く、数々のデザイン賞を受賞。

約290万円/生産台数225台

DB6 -since2006-

DB6

同じくDSエンジンを搭載したDB5のネイキッドバージョン。

約300万円/生産台数131台

TESI 3D -since2007-

テージ3D

上記と同じく1100DSのエンジンを積んだハブセンターステアリングの三代目。

bimotaオリジナルモデルでスイングアームがトラス構造になっているのが特徴。

約450万円/生産台数314台

DB7 -since2007-

DB7

1098のエンジン(テスタストレッタ・エボルツィオーネ)を積んだモデル。

削り出しアルミプレートでエンジンを補強しつつパイプレームで結びつけセミフレームレスに。

約350万円/生産台数346台

HB4 -since2010-

HB4

CBR600RRのエンジンを積んだモデル。

HB4と呼ばれているものの正確にはMoto2(600RRエンジンのワンメイクレース)のbimotaマシン。

生産台数10台

DB8 -since2010-

DB8

1198のエンジンを積んだモデル。

さしずめトラス式ユニットプロリンクスイングアームが特徴的(DB7含む)でドカとホンダのハイブリットの様なスーパーバイク。

約483万円/生産台数113台

DB9 -since2011-

DB9

同じく1198のエンジンを積んだモデル。

外装が壊れたDB7を技術ディレクターだったアクワディバが弄ってストファイにした事がキッカケで誕生。

約537万円/生産台数45台

DB10 -since2011-

DB10

ムルティストラーダ1100EVOのエンジン(デスモドゥエ・エボルツィオーネ)を積んだモデル。

bimotaとしては初となるモタードバイク。

約285万円/生産台数38台

BB2 -since2012-

BB2

S1000RRのエンジンを積んだモデル。

コンセプト止まりで発売されることは無かった。

生産台数1台

DB11 -since2012-

DB11

ディアベルのエンジン(Testastretta 11°)を積んだモデル。

別に設けられたVLXとグレードはなんとスーパーチャージャー付き。

約455万円/生産台数9台

DBX -since2012-

DBX

スムルティストラーダ1100EVOのエンジン(デスモドゥエ・エボルツィオーネ)を積んだモデル。

初のモタードだったDB10に続いて投入された初のオフロード車。

約483万円/生産台数16台

DB12 -since2012-

DB12

ディアベルのエンジン(Testastretta 11°)をDB9のシャーシに積んでツアラーに仕上げたモデル。

生産台数1台(今の所ショーモデルのみ)

BB3 -since2013-

BB3

S1000RRのエンジンを積んだモデル。

アルミ削り出しスイングアームを奢っているウルトラスーパーバイク。

約732万円/生産台数26台

INPETO -since2015-

IMPETO

ディアベルのエンジン(Testastretta 11°)を積んだモデル。

DB9のシャーシにスーパーチャージャーを突っ込んだネオレトロ。

価格/生産台数不明

TESI H2 -since2020-

H2エンジンを積んだTESIというKAWASAKIとの業務提携により実現した夢のようなコラボモデル。

8,668,000円(税込)

KB4 -since2020-

Ninja1000のエンジンを積んだモデル。

Z1000のエンジンで造られたKB1の現代版のようなデザインに加え、スイングアームはなんと丸ごとアルミ削り出し。

4,378,000円(税込)

文献:東本昌平RIDE 93 (Motor Magazine Mook)|L’era d’oro Bimota

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

フレーム屋に立ち返ったbimota -2000年代~現在-

ビモータ復活

もう駄目かと思われたbimotaでしたが、イタリアの資産家であるロベルト・コミーニという方が丸ごと買収する事で2003年に復活。

去ってしまったマルコーニの代わりに指揮を取ることになったのは500-Vのデザイナーだったロビアーノ。

そんなbimotaが最初に出したのは破産前にSBKを睨んで出していたSB8Rの復刻版。

SB8K

『SB8K Gobert/SANTAMONICA』

TL1000Rのエンジンをアルミツインチューブとカーボンピボットのハイブリットフレームに搭載したマシンで386万円。

オーリンズサスやOZホイールなどを履いた上位モデルSANTAMONICAに至っては449万円・・・TL1000Rの108万円がバーゲンプライスに思えますね。

そして2005年にはbimotaの代名詞でもあったTESIシリーズの二代目となる2Dも発売。

TESI2D

ただ実はこれヴァイルスというメーカーが造った984というバイクのOEM。

とは言うもののTESIの生みの親であるマルコーニの元で一緒に1Dを開発したアスカニオ・ロドリゴという人が、独立する形で造った会社のバイクなのでbimotaの血統と言えば血統なんです。

しかしやはりbimotaオリジナルが欲しかったのか2007年にbimotaオリジナルの3Dへ。

TESI3D

ロビアーノによるトラス構造デザインとなったスイングアームが特徴的。

ただし、このロビアーノ時代を代表するバイクは別にあります。それはTESIと同じドゥカティエンジンを最低限のカウルとプレートとパイプで結ぶように纏めたバイク。

DB5

『DB5 -Since2004-』

非常に高く評価され、ロビアーノは数々のデザイン賞を受賞。

セルジオロビアーノ

これからのbimotaデザインの方向性を決定付けるものと なりました。

その後もDB5のネイキッド版であるDB6、そしてドゥカティの名機として名高い1098のエンジンを使いながらも1098を負けないインパクトを持ったDB7。

DB8

更には後継となる1198エンジンのDB8(483万円)や、S1000RRのエンジンを使いスイングアームまで削り出しにしたSBK向けのBB3(635万円)、初のオフロードモデルであるDBX1100(408万円)などなどをリリース。

DBX1100

終わりに・・・

最近のbimotaがどういう状況なのかは情報が無さ過ぎてサッパリわかりません。

2017年に経営危機を迎えたという飛ばし記事をbimotaが否定した事を最後に音沙汰なし。

工業製品と言うより、削り出しを始めとしたハンドメイドの芸術品と言ったほうが正しいバイクを造り続けているbimotaですが・・・あまりに無縁すぎてみんな関心が無いんでしょうね。

※追記
2019年にKawasakiとの業務提携(再生支援)

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

意欲が招いた倒産 -1990年代-

ビモーター

dbシリーズやybシリーズなどマルティーニの手腕によりbimotaは支持層を広げ順調に事業を拡大していきました。

しかしそんなマルティーニも1989年にジレラへとヘッドハンティング。小さい会社の宿命ですね。

マルコーニ

その後を継ぎチーフエンジニアとなったのは、マルティーニの元で学生時代から指南を受けていたマルコーニという若干29歳の若手エンジニア。

そんな彼がチーフエンジニアになり造ったバイクがこれ。

TESI

「TESI(テージ) Since 1990」

何となく知っている人も多いでしょう。

ちなみにTESIとはイタリア語で”論文”という意味で、マルコーニが大学時代から研究し卒論にもなったのが名前の由来。

恐らくbimotaに関するリクエストの多くはこのTESIシリーズだろうと思うので少し説明します。

1D

TESIは前も後もスイングアーム式という一風変わった形をしているバイク。

前も後もスイングアームでどうやって曲がってるのか・・・と思いますよね。

これはハブセンターステアと呼ばれる構造で、ハンドルの左右入力をリンクを介して前後の動きに変換しハブに伝えているわけです。

TESI

よく分からんって人は肘を90度曲げて前にならえのポーズのまま背骨を中心に体を左右に回してみてください。

手が前後に動くと思います。その手の先にホイール(ハブ)が付いているんです。

1Dの場合は右側にあるので、身体(ハンドル)を右に回せば右腕が前に出るのでホイールも右側を押されて右を向く、反対に左に回せば引っ込むので右側が引かれて左を向くといった感じ。

ハブステア構造

そうやって舵角を付けているわけです。ちょっと乱暴な例えですけどね。

bimotaといえばこのTESIシリーズと思っている人が多いように、1983年のモーターショーでのTESI(CONCEPT)登場は世界に衝撃を与えました。

TESIプロトタイプ

あまりにも意欲的で斬新な佇まいから

「次世代のバイクだ」

と称賛されました・・・が、コレが悪い方に働いてしまったんです。

このTESIというのは学生だったマルコーニがマルティーニから指導を受けながら造った”実験的なモデル”であり、市販化はまだまだ先の話だった。

しかし世論は

「これこそ次世代のbimotaだ」

と信じて疑わず、結果として既存車種の買い控えが起こってしまったんです。

もうこうなった以上はTESIを一日でも早く造るしか無いわけで、約6年の月日を掛けて造られたのがドゥカティ851のエンジンを積んだTESI 1D(Ducati)というわけ。

TESI1D

待ちに待ったTESI 1Dだったんですが、実際どうなのかというと処女作なだけあり色々と問題がありました。

左右に動く部分が実質的にアクスルシャフトなので低速域ではどうしても少しフラつく。

更にはハブセンターステアリング特有の特性。

似た構造(ボールナット式)の『GTS1000|系譜の外側』でも話したので割愛しますが、ノーズダイブ(ブレーキングによる前のめり)が殆どありません。

TESI1D骨格

そのためサスが沈んで初めてブレーキが効くテレスコピックと違い、はじめから強力に効くメリットがあるわけですが、その反面バイクからのインフォメーションが非常に希薄なんです。

要するにバイクの反応が分かりにくい。構造上ハンドルの切れ角が稼げず、僅か17°とMotoGPマシン並の狭さだった事も不評を買いました。

少し話が脱線しますが、ハブセンターステアリング式の構想自体は1910年頃から構想。

しかし本格的に開発され始めたのはTESIではなく、1978年のMotoELFというホンダとELFがタッグを組んだフランスのチーム。

エルフX

世界レースに約10年間も挑戦し続けたんですが、結局それらの問題を解決し既存のテレスコピックを凌駕することは出来ず。

フロントはダメだったけどリアは使えるということで、プロアームが生まれた歴史があります。

細かい事を言うと、その一年前である1977年にイギリスのミードとトムキンソンという二人のビルダーもハブセンターステアリングの耐久レーサーを造っています。

ネッシー

Z1ベースで”ネッシー”という愛称でした。

カワサキってハブセンターステアリングに一番縁が無さそうなメーカーなのにね。

ちなみにスズキもNUDAというハリボテではなくちゃんと走るコンセプトバイクを1987年に出しています。

スズキNUDA

ただやはり乗れたもんじゃなかったというのが正直な所だった様です。

話をTESIに戻すと・・・bimotaはそんな無茶を実現させたわけなんですが、無茶は値段にも影響してしまいラインナップでもトップとなる448万円に。

テージディメンション

これらの事からTESI 1Dは4年近く売ったものの派生モデルを含めても300台未満で評判を含め人気とは言い難いもので、bimotaは傾いてしまいます。

ちなみにdb1同様に日本がお得意先だった事もあり、実はこのTESI 1Dも400モデルが造られた歴史があります。

TESI400

ドゥカティ400SSのエンジンを搭載したTESI 1D 400Jというモデルで、386万円でした。

福田モーター商会(代理店)を挟んでいたとはいえ”1cc/1万円”はさすがビモータですね。

創業者であるモーリも当時を振り返った際

「TESIは急ぎすぎてしまった」

と言っている様に、意欲が空回りした結果に終わってしまったわけです。

ただし・・・一方でマルコーニはbimota史上最大となるヒット作を生みました。

SB6

『SB6 since1994』

太く、逞しく、ピボットまで真っ直ぐ伸びているアルミツインチューブフレームのバイク。エンジンはGSX-R1100の水冷。

約250万円前後と絵決して安くなったんですが、その斬新な姿が話題となり、また出来も良かったので累計で1744台と大ヒット。

このバイクがあったからなんとか倒れずに済みました。

そんなbimotaだったんですが、創業者であるモーリがbimotaから離れる事になりました。

これで遂にタンブリーニもモーリも居ない会社となったわけですが

「もっと多くの人にbimotaを」

というモーリの考えを尊重する姿勢を維持し、更に拡大路線を進める事に。

例えばドゥカティのMONSTERを機に人気となったネイキッドブームに合わせてアルミ楕円トラスフレームのDB3 Mantra。

DB3マントラ

独特なデザインはフランス人のサシャ・ラキクという方によるもの。

他にもレースを睨んで開発されたGSX-R750SPエンジン搭載のSB7、F650の(ロータックス製)シングルエンジンを使ったSUPER MONOなど相次いでニューモデルを発売。

スーパーモノ

どのモデルもおよそ500台前後ほど売れるヒットとなり順調に事業を拡大。

そんな中でbimotaは更にもう一歩踏み出します・・・それは

「エンジンも自分達で造れば業績がもっと良くなる」

というモーリがTESIとほぼ並行する形で約8年を掛けて進めていたプロジェクト。

それが1997年に形になります。

500Vドゥエ

『500-V Due since1997』

開発はもちろんマルコーニですが、デザイナーは新たにタンブリーニが仕切っていたCRC(カジバリサーチセンター)から引っ張ってきたセルジオ・ロビアーノさん。

ベイビー916ことMitoをデザインされた方です。

500-V dueはTESIに負けずとも劣らない意欲的なマシンでした。

何が意欲的かと言えばもちろんbimotaオリジナルのエンジン。

500Vドゥエのエンジン

2ストローク90°Vツインに当時としては非常に珍しいフューエルインジェクションシステムを採用。

これだけでも十分凄いんですが・・・なんとこれ直噴式。シリンダーに直接燃料を吹くあの直噴です。

500Vボディ

直噴にした狙いは主に二つありました。

一つは2stが絶滅危惧種となってしまった大きな原因である未燃焼ガス対策です。

排気ポートが閉口した後に燃料を吹けば未燃焼ガスの流出を防げるというもの。

未燃焼ガス

そしてもう一つは熱対策。

2stは一次圧縮(クランク)でガソリンが熱せられ気化してしまう。

それに対してピストンに向けて直接ガソリンを吹いて気化させれば燃焼室やピストンの温度を(気化熱で)下げられるというわけ。

最近話題の打ち水のアレです。

そうやって温度を下げる事が出来ればピストンとシリンダーのクリアランスを詰めることが出来るのでパワーの向上に繋がる。

ビモータ500V

この二つの考えからマルコーニは直噴2ストロークを選びました。

元々はTESIに積む予定だったんですが、流石に難しいと判断したのか途中でオーソドックスな車体に。

そしていざ発売されてみると・・・肝心のインジェクションがまともに動かずクレームの嵐。

下馬評を大きく下回る形となり、初年度生産だった185台全てリコールまたは返金する事態に。

500Vカタログ写真

数年でキャブレーター化などの改善が施されたエボルツィオーネとなりましたが時すでに遅し。

この一件によりbimotaは1998年に経営が悪化。人員整理でチーフエンジニアだったマルコーニもbimotaを去ることに。

その後ラベルタを立て直した実績もあるフランチェスコ・トニョンの管轄下で再開したものの、結局は上手く行かず2000年に倒産となりました。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

塗り変えたマルティーニ -1980年代後半-

ビモーター

メーカーの顔であり大黒柱だったタンブリーニが居なくなった事で社内の士気は下がり、また売上も右肩下がりで経営危機に。

そんな状況を打破するため1983年に抜擢されたのが、当時ドゥカティでエンジニアとして働いていたフェデリコ・マルティーニという人。

この人がまずしたことはタンブリーニ、つまりこれまでのbimotaを否定する事。

bimotaといえばトラスフレームに同軸ピボットというのがセオリーでした。しかしマルティーニはSB5やYB5などで既存の資産を一掃すると全てを廃止。

DB1フレーム

一切パイプを曲げないトライアングルが綺麗なトラスフレームにドゥカティ750F1のエンジンを積んだdb1を造り上げます。

DB1

ただでさえコンパクトだった750F1を更にコンパクトにした形で世界に衝撃を与えました。

ちなみにフレームを一切見せないフルカバードカウルの先駆けでもあります。

ビモータDB1

ドゥカティがエンジンだけ融通してくれた事もあり、それまで300万円超えが当たり前だった車体価格も200万円程に抑えられシリーズ累計で669台も売る大ヒットとなりbimotaを救うことになります。

ちなみに上客だったのは他ならぬ日本。だから日本のためだけに造った400版もあります。

しかしマルティーニが凄かったのはこれだけではない。

もう一つの衝撃がヤマハFZ750のエンジンを使って造ったYB4というバイク。

YB4

見て分かるようにそれまで培ってきたトラスフレームを辞め、アルミツインスパーフレームを採用したモデルを出したんです。

YB4シャーシ

「ジェネシスエンジンにアルミツインスパーフレームってそれもうFZRでは」

って話ですが、実はマルティーニになってから少し販売の仕方も変わりました。

YB4でTT-F1(市販車レース)にワークス参戦した後に販売するという方法。要するにレースで性能をアピール&宣伝してから発売しようという話。

もしもレースで負けてしまうと逆効果になってしまう正にデッドオアアライブな方法なんですが、これがものの見事に成功。

TT-F1 YB4

YB4は3勝を上げ見事にTT-F1優勝マシンとなりました。

そして同様のフレームを持つレーサーレプリカとしてYBシリーズを展開。

これらマルティーニの手腕によりbimotaの経営は一気に上を向き、事業も拡大していく事に。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

タンブリーニの離脱 -1980年代前半-

モーリ

bimotaはそのフレーム技術の高さから市販車だけでなくレースでも活躍していました。

PATON社のDOHC二気筒用のフレームや、アエルマッキHD500といった完成車メーカーのワークスマシンのフレームまで手掛け、世界GP250/350チャンピオン獲得に大きく貢献。

しかしそれはあくまでもレース界での話で、市販車を出したとはいえワークスマシンのフレーム屋という立場上まだまだ知る人ぞ知るメーカーでした。

そんな状況を大きく変える事となったのが、先のページで紹介してたレースマシンYB1のVer.3となる1980年のYB3。

YB3

bimotaが手掛けたこのマシンで戦っていたジョン・エケロルドというライダーが世界GPで遂にチャンピオンを取ったんです。

このとき初めて

『bimota』

というメーカーの名前が世界中に広まる事になりました。

そしてその効果は絶大で、GSX1100のエンジンを搭載したSB4、Z1000のエンジンを搭載したKB3、CB900F/1100Fのエンジンを搭載したHB2/3などを相次いで発売し、全部で1000台以上となる台数を捌きました・・・。

共通フレーム

捌きました・・・が、この事で二人三脚だったモーリとタンブリーニに意見の相違が生まれます。

実はこの三シリーズはフレームを始めとした各部が共有化されたモデル。

これはモーリが

「価格を抑えてもっと多くの人にビモータを」

と考えたからなんですが、タンブリーニは違った。

タンブリーニは

「それぞれに合ったオーダーメイドフレームを」

と考えていた。

更にエンジンも自分たちで造ろうと考えたモーリに対し、タンブリーニは日本メーカーと関係を築くべきだとしてここでも対立。

ビモーター

結局モーリの意見にタンブリーニは賛同することが出来ずbimotaを去り、CAGIVAに行くことになりました。

ちなみにタンブリーニはその後CAGIVAであの916を設計する事になります。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル