DAYTONA/1100SPORTシリーズ -since 1991-

DAYTONA RS

ルマンというスポーツモデルで頑張っていたモトグッツィだったけど日本メーカーやドゥカティによる高性能化の激しい波に抗いきれなくなっていた。そこで対抗すべく作られたのがこの1000DAYTONAシリーズ。

これはMOTO GUZZIの車両(R/Vレーサー)でアメリカのレースをプライベーターとして戦っていたジョンの協力によって生まれたレーサー車両。

結論から言うと

1990 1000Daytona

1992 1000Daytona-FI

1996-99 1000Daytona-RS

と続いたわけですが、あまり台数も出なかった(出さなかった?)数少ないOHCモトグッツィだったのですが、MOTO GUZZIとしては転換期のバイクでもあり進むべき道が決まった特筆すべきバイクでもあります。

その見た目からしても分かる通り今までのグッツィの流れから逸脱した作り。

エンジン

エンジンはそれまでのOHVから4バルブOHCに改められ、カウルデザインも流動的な物に。更にパラレバーに加えフレームもバックボーンタイプへと変更。横置きVツインエンジンくらいしかソレまでのモトグッツィらしさがない異質なモデル。

OHC

レースでも勝てる車両として開発されたわけなんだけど市場からは

「こんなのMOTO GUZZIじゃない」

という声が多く聞かれたそうです。

そんな声から作られたのがDaytona1000の実質的な後継となる1994年からの1100スポルトシリーズ。

1100スポルト

後のV11のご先祖様であり歴代スポルトシリーズでも非常に人気の高いモデル。

フレームや足回りは先の1000Daytonaをベースにしつつもエンジンを4バルブOHCから2バルブOHVへと変更。

なんだか先祖返りな気がするけど、これはOHCだった1000Daytonaがあまりにもヒュンヒュン回ることへの違和感を覚える人が多かったから。

モトグッツィはもともとカリフォルニアの流れからアメリカで非常に人気のあるメーカーだったんだけどそれでもOHCは駄目だったんだね。アメリカ人のOHVへのこだわりっぷりは本当に凄いね。

だからこの1100スポルトは非常にドコドコといわせる味のあるエンジンになってる。

1100スポルトエンジン

結局この一件がMOTO GUZZIの方向性を決めたんじゃないかと思います。

その後のラインナップやDAYTONA1000の後釜になり得たMGS-1(デイトナ優勝レーサー)が市販化されなかった事からみても、MOTO GUZZIに求められることはドゥカティに勝つことではなく、味のある唯一無二なバイクを作ることだということが。

1200スポルト

ちなみにこの1100スポルトも非常に人気が高かったため、2007年にV1200スポルトとして復活し、2011年まで販売されました。

系譜図
モトグッチ

1921年

MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~

V7 series

ル・マン

1976年~

Le Mans series

デイトナ1000

1992年~

DAYTONA1000

V11

2001年~

V11 series

V7レーサー

2015年~

V7-2/V9 series

LE MANSシリーズ -since 1976-

モトグッツィ

750S3をベースに開発された小さなビキニカウルが特徴的な850ルマンシリーズ。

名前の由来は読んで字のごとくルマンから。

これは当時ボルドール耐久で使っていたTelaio Rosso 850をベースにした公道モデルというわけです。

Telaio Rosso

ベースが耐久レースモデルなだけあってV7スポルトを大きく上回る72馬力を発揮する844ccのエンジン。今でいうレーサーレプリカみたいなものですね。

これがV7に勝るとも劣らない人気を呼び1978年にはマーク2にモデルチェンジ。

マーク2

耐久レース譲りのツーリング性能が高評価を受けました。そして勢いそのままに1981年には更にツアラーへと振ったマーク3へ。

マーク3

ルマンシリーズでも屈指の人気モデル。

更に更に1984年にはフロント16インチ化&1000cc化でツアラーから再びレーサーに近くなったマーク4。

マーク4

そして最後は16インチ化が不評で18インチに戻された1988年マーク5。

1000ルマンmk5

と、かなりの紆余曲折なモデルチェンジがありながらも長いこと愛され人気をよんだモデルで、後にバリエーションの一つして復活したりもしています。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

V7シリーズ -since 1966-

モトグッツィ

MOTO GUZZIといえばコレといえる縦置きV2エンジンを最初に搭載したV7。

先に述べた通り経営危機による経営権の譲渡、経費削減の一環としてモデル整理などが行われていた状況で、エンジンの新造なんて論外だったモトグッツィ。

そんな中で何故このような新設計のビッグバイクを出せたのかというと、イタリアの防衛省から三輪車用エンジンの開発という競争入札、そして警察からも白バイの競争入札があったから。

ビッグバイクの市販モデルが無かったモトグッツィにとってはレースや農耕用トラックなどで培った技術力を発揮し大型車を作れる千載一遇のチャンス。

Mulo meccanico

Benelli、Gilera、Laverda、Ducatiといった同じイタリアのライバルたちとの選定争いになったわけですが、唯一のドライブシャフトモデルだった事や、耐久性&整備性、更にはコスト面でもライバルたちを大きく引き離すトップの評価を獲得し、見事選定されました。

嬉しい誤算だったのは、この高く評価されたエンジンの話がアメリカにも飛び火し、カリフォルニア州の白バイとしてもデビューすることになったこと。

V7カリフォルニアPOLICE

今でも売られているモトグッツィのクルーザー”カリフォルニア(1972年~)”はこのカリフォルニア州の白バイが原点です。

ハーレーから勝ち取ったと話題になったものの、実は最初はこんな形では有りませんでした。しかしカリフォルニア州の方から

「今までハーレーだったから混乱しないようにハーレーみたいにして」

と言われこの形になったんだとか。

そうしてでも獲得したいほどアメリカの市場というのは大きいものだったわけですね。その狙い通りアメリカが採用した事でますます大きな話題となり世界中の官公車としてV7エンジンはヒットしました。

そしてここでやっと出てくるのがV7。

1968V7

官公用に作ったエンジンやオートバイを元に自社製品(民生品)として作られたのがV7というわけです。

他にもルパン三世でお馴染みFIAT500もMOTO GUZZIのエンジンを載せる方向で話が進んでいたんですが頓挫したという話もあります。惜しかったですね。

さて話をV7に戻しますが、元々が官公車という事でそのタフさからイタリア本土のみならずアメリカでも高い評価を得て大ヒットしました。コレが無かったからMOTO GUZZIは間違いなく消え去っていたでしょうね。

V7SPECIAL

更に69年には753ccにまでボアアップしたSPECIALなども登場。

そんなV7シリーズの中でも一番成功したモデルと言われるのが1973年に登場したV7スポルトというモデル。

V7スポルト

スポルトという名前からも分かる通り748ccのエンジンを高剛性な新設計のトンティーフレームに積んだスポーツモデル。

トンティーフレームっていうのはダブルクレードルフレームみたいなものなんだけど、剛性を増すために可能な限り直線でエンジンを包み込むように作られてる。

トンティーフレーム

V7は見て分かる通りエンジンが少し異質で横に張り出してるからフレームも少し変わってるんですね。V型シリンダーの間をフレームが突き抜けるようになっているのが特徴です。

この後もチェーン駆動となった750S、そしてリアがディスクブレーキになったS3と続くことになり経営再建に成功。今ではピアジオグループ一員になるまでに成長することになりました。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

MOTO GUZZI -since 1921-

モトグッツィ

「MOTO GUZZI(モトグッツィ)」

たぶん「名前は聞いたことある・・・」って人が多いと思いますので、まず系譜というよりはモトグッツィの歴史を学んで行きましょう。

モトグッツィの由来

第一次世界大戦中、戦闘機のパイロットとして召集された元オートバイレーサーのジョヴァンニ・ラベッリ、同じくバイク好きだった富豪の御曹司ジョルジョ・パローディ、エンジン屋だったカルロ・グッツィの三人が軍内で知り合いバイク話で意気投合。

そしてそのバイク熱は留まる所を知らず

「戦争が終わったら三人でバイクを作ろう!」

というところまで行き着きました。そして戦争が終わった1920年、戦時中の約束通りバイク作りを始めるわけです。

モトグッチ創始者

左からラベッリ(レーサー)、グッツィ(エンジニア)、パローディ(御曹司)の順番。

意気投合していた三人でしたが、残念なことに終戦直後にラベッリがテスト飛行の事故で帰らぬ人に。

残された二人はMOTO GUZZIは三人の夢であり三人の物だという事を示すため、彼がいたイタリア空軍の象徴であるアクイラ(鷲)をロゴにすることに決めました。

イタリア空軍

しかし話はそれでは終わりません。

社名のモト グッツィの”グッツィ”部分はその名の通りエンジニアのカルロ・グッツィからなわけですが、実はグッツィ氏は御曹司の名前も入れてパローディ・グッツィにしようと言ったものの、パローディが

「私の名前よりエンジニアであるグッツィの名前を前面に押し出した方がいい」

と辞退した事で決まりました。三人の友情の深さが伺えるエピソードですね。

こうして1921年にMOTO GUZZIとして出発。イタリアオートバイメーカーとしてはBenelliと並んで現存するバイクメーカーとしては最古になります。

Normale

そんなMOTO GUZZIが一番最初に大々的に発売したバイクがこのNormaleというバイク。

4st横型空冷2バルブ498ccで最高速度は85km。宣伝を兼ねてこのバイクをベースにしたレーサーで国内の耐久レースに出場。致命的なトラブルもなく走りぬき高い耐久性を証明した事で人気を呼び1940年代にはイタリア最大のオートバイメーカーへと成長しました。

dondolino

更にモトグッツィの快進撃は続きます。

御曹司であるパローディの方針でモトグッツィは更にレースに力を注ぐようになるわけですが、天才エンジニアであるグッツィのおかげで瞬く間に頭角を現し、欧州中に名前が知れ販売台数は更に伸びていきました。

1950年代には50~500ccまでほぼフルラインナップメーカーといえるほどの規模まで拡大。

La Guzzi V8

ちなみにバイク業界にカウルという文化を初めて持ち込んだメーカーでもあります。上の写真はLa Guzzi V8というマン島TT向けのレーサーで文字通りV8 500cc 最高回転数12000rpmの化物。横風に弱い事から後に禁止とされました。

そんなレースに死力を尽くしていたモトグッツィでしたが、増える一方だったレース費用のせいで1950年後半になると経営危機を迎えます。

更にはカルロ・グッツィの死、そして追い打ちを掛けるように共同創設者で金銭面で援助してくれていた大富豪パローディ家が破産。

死力を尽くしすぎて首が回らなくなったモトグッツィは今でいう会社更生法に頼るしか道はなく経営が管財人に移行。結果レース事業からの完全撤退、大型バイクの廃止というそれまでの栄光が嘘のような凋落となりました。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

TORNADO3 零50 -since 2004-

トルネード3

Tornado3だけどトルネード四代目にあたるトルネード3 零-50。

これはヨシムラ創立50周年を記念して発売されたコンプリートマシン。

トルネード3諸元

2003年式GSX-R1000をベースに50年の集大成として持ちうる技術のすべてを注ぎ込んだキットフル装備モデルです。

下回り

限定5台800万円という歴代最高額と最小台数。まず見ることは無いと思います。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量
燃料消費率
燃料容量
エンジン 水冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量
最高出力 後軸170ps以上
最高トルク
変速機
タイヤサイズ 前120/70ZR17
後190/50ZR17
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 8,000,000円(税別)
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

M450R -since 2003-

M450R

ヨシムラがモタードを手掛けるとこうなる的なM450R。ヨーロッパでのモタードレースブームに合わせて発売されました。

元となってるのはDR-400Sです。もう心が折れたので画像を貼ります。

M450Rスペック

SPEC1 119.8万円
SPEC2 149.8万円
SPEC3 198.8万円
の3グレート展開。でも受注生産13台とかなり少ない。

ヨシムラM450R

ヨシムラとしては珍しくレースではなく公道を主体においたスーパーモタードなせいか一番知名度がなく、レーザーラモンRGという芸人さんが乗ってたM250Sと間違われがちだけど、アッチはヨシムラカラーとヨシムラマフラーを付けたコラボモデル(しかもD-TRACKER)なのでM450Rとは全く違うバイクです。

間違うと何されても文句言えないので気をつけましょう。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 198kg(乾)
燃料消費率
燃料容量
エンジン 水冷4サイクルDOHC単気筒
総排気量 449cc
最高出力 50ps以上
最高トルク 4.5kg-m以上
変速機
タイヤサイズ 前120/60-17
後150/60-17
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ 前15|後40
チェーン
車体価格 1,198,000円(税別)
[1498,000円(税別)]
{1,988,000円(税別)}
※[]内はSPEC-2
※{}内はSPEC-3
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

KATANA1135R -since 2001-

カタナ1135R

ヨシムラによるコンプリートカタナことKATANA1135R。

1000台限定だったファイナルエディションをベースに95馬力から150馬力になり車重も250kgから197kgともはや別バイク状態。

台数は僅か5台で車体価格は358万円。更にお金さえ用意すれば買えるわけではなく購入するにはまずヨシムラからの質問やカタナに対する考えを書いた書類審査を勝ち抜く必要がありました。

ヨシムラジャパン

ちなみにアフターも面倒を見る代わりに転売不可という条件付きだったんですがそれでも応募者は30人ほど居たんだそう。

ただし現在は別オーナー(ショップ含む)の手に渡っており今でもワンオーナーで所有されているのは一台だけだったかと・・・自信ないですが。

カタナ1135R

話を戻すと1135Rは多方で取り上げられ伝説化しているので有名かと思いますが、実はこのモデル本当は造る予定ではなかった事をご存知でしょうか。

ソコらへんの話を経緯と共に書いていきます。

昔を知らない人の為に補足するとヨシムラはKATANA1135Rを出すに至るまでずっとカタナとの関係が続いていました。

AMAヨシムラKATANA

始まりはカタナが出た1982年のAMA(アメリカ市販車レース)で、同年には鈴鹿8耐などもカタナレーサーを用意し奮闘。

翌年からレギュレーション(ルール)が750ccに変更される事が決まっていたにも関わらずヨシムラはカタナに全力投球でしたわけです。

その後はスズキに沿ってGSX-R750に移行していったんですが、一方で1994年にビッグネイキッドブームの影響で

『NK1(750cc以上のネイキッド限定)』

というレースが鈴鹿で開催される事が決まるとヨシムラはこれに迷わず参戦・・・ベースはもちろんカタナ。

カタナレーサー

どう考えても分が悪い旧世代のカタナで互角に戦っていたんですが、その勇姿を目の当たりにしたカタナオーナー達から

「NK1と同じチューニングをしてくれ」

という依頼が飛び込んでくる様に。

理由はもちろんオーナーの誰もが諦めかけていた『世代の性能格差』を解消出来ると思ったから。そういう人たちにとってNK-1カタナは本当に希望の光だったんです。

GSX1100Sヨシムラカスタム

ここからヨシムラはレースで培った技術をストリートに応用する形でカタナとの関係が継続。

そんな中で2000年に飛び込んできたのがファイナルエディション発売の報。

FE

当然ながらヨシムラの耳にも入ったんですが当時ヨシムラは前年に発表した隼のコンプリートマシンX1で手一杯でカタナまで手が回らない状況だった。

しかしずっと付き合い続けていたカタナの最後なのに何も出来ないのは駄目だと当時の営業課長だった上野さんや開発課長だった村田さんは考えた。

FE

「いま買わないともう二度と手に入らない・・・」

そう考えた末なんと会社の承諾なしに無断でファイナルエディションを5台調達し、X1の生産が落ち着くまで工場の隅に隠しておくという手段に。

そしてX1が落ちついた頃になって引っ張り出した所、まんまとカタナに携わり続けてきたカタナ愛溢れるメンバーがホイホイと釣られる様に自然と集まりだし

「これまでの全てを投じたカタナを造りたいね」

という話になり自主的に開発がスタート。

これが1135Rが開発される事になった経緯。

発売がファイナルエディションの翌年だった事や、僅か5台だけだった事はこれが理由。

そして転売不可や書類審査という高い敷居が設けられたのは

1135Rエンジン

「自分たちと同じくらいカタナ愛を持ってる人に乗ってもらいたい」

という思いがあったから。

では出来上がった1135Rがどういうバイクだったのかというと開発コンセプトは

「公道を楽しめて長く愛されるKATANA」

・・・そう、意外に思うかもしれませんが1135Rはカリカリのレーサーではありません。

一般ユーザーが公道で楽しめる事を最重要視したモデルで、チューニングにありがちな耐久性の軽視などをしていない。

ここが1135Rの凄いこと。

性能が最重要視されるレースで培ったノウハウだけでなく、レースの反響で培ったストリートでの感性のノウハウまでカタナの全てを網羅していたヨシムラからこそ造れた

『世代を越える性能と感性を持ったカタナ』

である事が凄いんです。

ヨシムラ1135R

1982年のデビューからずっと付き合い続けたカタナ愛溢れるヨシムラカタナの集大成と呼ぶにふさわしいモデルでした。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 197.8kg(乾)
燃料消費率
燃料容量
エンジン 空冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 1135cc
最高出力 150ps以上
最高トルク
変速機
タイヤサイズ 前120/70ZR17(58W)
後190/50ZR17(73W)
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 3,580,000円(税別)

カスタム箇所

φ74ヨシムラピストンKIT
ST-1カムシャフト
スペシャルチタン手曲サイクロン
ヨシムラミクニTMR-MJNφ40A/SキャブレターKIT
スロットルホルダー&グリップラバー
カーボンヒートガード
デジタルシングルメーターKIT
スペシャルオイルクーラーKIT
Mgエンジンカバー
Mgシリンダーヘッドカバー
オイルキャッチタンク
強化クラッチスプリング
スペシャルジェネレーターカバー
ヘッドポーティング
面研
シリンダーボーリング
ヨシムラスペシャル加工フレーム(強化&ヒップUPタイプ)
カーボンフェンダー
スペシャルアルミ軽量タンクKIT
3次元削出トップブリッジ(シリアルNo、刻印)
削り出しオリジナルステップKIT
FFVSフロントフォーク&リアショック
スピードフローブレーキホース(フロント・リヤ)
カスタムシートJOYスペシャル
小型ウインカー
フロントキャリパー
ディスクブレーキ
リアキャリパー(軽量NISSIN)
サイドスタンド
小型軽量バッテリー
スペシャルスイングアーム
MAGTAN軽量ホイール
ファイナルRK520&チェーン
AFAMスプロケット
STACKレーシングメーターKIT
各部ボルト類変更
Magicalスペシャルカーボンミラー
ナンバープレートホルダー
ハイグリップタイヤ
フレーム補強
フレーム加工&塗装
FFVSサスペンションスペシャルセッティング(足廻り全体)
フロントフォークボトムケース(サンドブラスト・塗装)
各部軽量化
メーターステー製作取付
バッテリーBOX小型加工
スペシャルワイヤーハーネス加工取付
スピードセンサーステー製作取付
電装プレート製作・電装パーツ移設
サイドスタンド加工
シリアルNo、刻印

系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

TORNADO S-1 -since 2001-

トルネードS1

トルネードの三代目にあたるS-1。

JSB参戦を機に2002年式GSX-R1000をベースにキットパーツが組み込まれています。

ST-1カムシャフト
削出SUSコッター
強化バルブスプリング
ヘッド面研/専用ガスケット
オリジナルオイルパンSET
EMS(3ポジションマップ切替スイッチ(FUEL+IGN)、オートシフター、シフトタイミングライト

トライオーバルチタンサイクロン(2年間転倒修理補償付!)

オリジナルカウル一式

オリジナルアルミタンク
レーシングフィラーキャップ

OHLINSサスペンション&ステアリングダンパー
削出しオリジナルステアリングステム
オリジナルリヤサスペンションリンクセット
オリジナルスイングアーム

フロントディスクインナーハブ
SUSフローティングピン
オリジナルブレーキパッド
オリジナル加工フロントキャリパー
ラジアルポンプブレーキマスター
Speed Flowブレーキホース

HIDヘッドライト

公道対応レーシングステップ

BBSアルミ削り出しホイール

AFAMスプロケット

シリアルナンバープレート
オーナーブック
スナップオン製専用工具
専用バイクカバー

限定50台でお値段は378万円。

やっぱり高いけどヨシムラのノウハウが詰まったレース車両が手に入ると考えれば安いか。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 170kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 18.0L
エンジン 水冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 988cc
最高出力 170ps/12000rpm
最高トルク 11.0kg-m/10000rpm
変速機
タイヤサイズ 前120/70ZR17(58W)
後190/50ZR17(73W)
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 3,780,000円(税別)
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

隼 X1 -since 2000-

ハヤブサX1

全日本選手権Xフォーミュラクラスのシリーズクラスチャンピオンを記念して発売された隼X-1

Xフォーミュラクラスというのはリッターオーバー要するにメガスポによるプライベーター限定のレースです。今はもうありません。

アルミタンクを含むオリジナル外装、
Φ81ハイコンプピストン
ヨシムラ製ST-1カム
バルブ研磨&すり合わせ
EMS(三段階モード切替)
トライオーバルチタンサイクロンマフラー
バックステップ
チューニングサスペンション
灯火系統の変更などなど

HAYABUSA X1

限定100台で256万円と初代トルネードよりはお求めやすい(?)価格になってるせいか一ヶ月かからずに完売したそうです。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 198kg(乾)
燃料消費率
燃料容量
エンジン 水冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量
最高出力 193ps/10000rpm
最高トルク 14.5kg-m/8000rpm
変速機
タイヤサイズ
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 2,560,000円(税別)
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

TORNADO1200BONNEVILLE -since 1987-

ヨシムラ1200ボンネビル

吉村秀雄の話で終わる予定だったのですが、コンプリートマシンのリクエストがあったので一緒に掲載しておきます。

YOSHIMURAが一番最初に出した公道用コンプリート車両がトルネード1200ボンネビル。
ヨシムラのTT-F1で培ったチューニングのノウハウが詰まったキットパーツをフル装備したスペシャルマシン。

1200ボンネビル

初期型GSX-R1100をベースにボアアップ、ミクニ製マグネシウムキャブ、ヨシムラ製カムシャフト、ポートをコンマ00レベルまで揃える研磨、ヨシムラチューニングのショーワサスにマルケジーニとニッシンキャリパー、そしてマフラーはもちろんヨシムラのチタンサイクロン。

馬力は160馬力で最高時速は291km/hで車重は僅か179kg。

お値段500万・・・RC30が148万だったのを考えると凄い。でも3台製造されたとか。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 179kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 18.0L
エンジン 油冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 1108cc
最高出力 160ps/10500rpm
最高トルク 13.0kg-m/7500rpm
変速機
タイヤサイズ
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50