KATANA1135R -since 2001-

カタナ1135R

ヨシムラによるコンプリートカタナことKATANA1135R。

1000台限定だったファイナルエディションをベースに95馬力から150馬力になり車重も250kgから197kgともはや別バイク状態。

台数は僅か5台で車体価格は358万円。更にお金さえ用意すれば買えるわけではなく購入するにはまずヨシムラからの質問やカタナに対する考えを書いた書類審査を勝ち抜く必要がありました。

ヨシムラジャパン

ちなみにアフターも面倒を見る代わりに転売不可という条件付きだったんですがそれでも応募者は30人ほど居たんだそう。

ただし現在は別オーナー(ショップ含む)の手に渡っており今でもワンオーナーで所有されているのは一台だけだったかと・・・自信ないですが。

カタナ1135R

話を戻すと1135Rは多方で取り上げられ伝説化しているので有名かと思いますが、実はこのモデル本当は造る予定ではなかった事をご存知でしょうか。

ソコらへんの話を経緯と共に書いていきます。

昔を知らない人の為に補足するとヨシムラはKATANA1135Rを出すに至るまでずっとカタナとの関係が続いていました。

AMAヨシムラKATANA

始まりはカタナが出た1982年のAMA(アメリカ市販車レース)で、同年には鈴鹿8耐などもカタナレーサーを用意し奮闘。

翌年からレギュレーション(ルール)が750ccに変更される事が決まっていたにも関わらずヨシムラはカタナに全力投球でしたわけです。

その後はスズキに沿ってGSX-R750に移行していったんですが、一方で1994年にビッグネイキッドブームの影響で

『NK1(750cc以上のネイキッド限定)』

というレースが鈴鹿で開催される事が決まるとヨシムラはこれに迷わず参戦・・・ベースはもちろんカタナ。

カタナレーサー

どう考えても分が悪い旧世代のカタナで互角に戦っていたんですが、その勇姿を目の当たりにしたカタナオーナー達から

「NK1と同じチューニングをしてくれ」

という依頼が飛び込んでくる様に。

理由はもちろんオーナーの誰もが諦めかけていた『世代の性能格差』を解消出来ると思ったから。そういう人たちにとってNK-1カタナは本当に希望の光だったんです。

GSX1100Sヨシムラカスタム

ここからヨシムラはレースで培った技術をストリートに応用する形でカタナとの関係が継続。

そんな中で2000年に飛び込んできたのがファイナルエディション発売の報。

FE

当然ながらヨシムラの耳にも入ったんですが当時ヨシムラは前年に発表した隼のコンプリートマシンX1で手一杯でカタナまで手が回らない状況だった。

しかしずっと付き合い続けていたカタナの最後なのに何も出来ないのは駄目だと当時の営業課長だった上野さんや開発課長だった村田さんは考えた。

FE

「いま買わないともう二度と手に入らない・・・」

そう考えた末なんと会社の承諾なしに無断でファイナルエディションを5台調達し、X1の生産が落ち着くまで工場の隅に隠しておくという手段に。

そしてX1が落ちついた頃になって引っ張り出した所、まんまとカタナに携わり続けてきたカタナ愛溢れるメンバーがホイホイと釣られる様に自然と集まりだし

「これまでの全てを投じたカタナを造りたいね」

という話になり自主的に開発がスタート。

これが1135Rが開発される事になった経緯。

発売がファイナルエディションの翌年だった事や、僅か5台だけだった事はこれが理由。

そして転売不可や書類審査という高い敷居が設けられたのは

1135Rエンジン

「自分たちと同じくらいカタナ愛を持ってる人に乗ってもらいたい」

という思いがあったから。

では出来上がった1135Rがどういうバイクだったのかというと開発コンセプトは

「公道を楽しめて長く愛されるKATANA」

・・・そう、意外に思うかもしれませんが1135Rはカリカリのレーサーではありません。

一般ユーザーが公道で楽しめる事を最重要視したモデルで、チューニングにありがちな耐久性の軽視などをしていない。

ここが1135Rの凄いこと。

性能が最重要視されるレースで培ったノウハウだけでなく、レースの反響で培ったストリートでの感性のノウハウまでカタナの全てを網羅していたヨシムラからこそ造れた

『世代を越える性能と感性を持ったカタナ』

である事が凄いんです。

ヨシムラ1135R

1982年のデビューからずっと付き合い続けたカタナ愛溢れるヨシムラカタナの集大成と呼ぶにふさわしいモデルでした。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 197.8kg(乾)
燃料消費率
燃料容量
エンジン 空冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 1135cc
最高出力 150ps以上
最高トルク
変速機
タイヤサイズ 前120/70ZR17(58W)
後190/50ZR17(73W)
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 3,580,000円(税別)

カスタム箇所

φ74ヨシムラピストンKIT
ST-1カムシャフト
スペシャルチタン手曲サイクロン
ヨシムラミクニTMR-MJNφ40A/SキャブレターKIT
スロットルホルダー&グリップラバー
カーボンヒートガード
デジタルシングルメーターKIT
スペシャルオイルクーラーKIT
Mgエンジンカバー
Mgシリンダーヘッドカバー
オイルキャッチタンク
強化クラッチスプリング
スペシャルジェネレーターカバー
ヘッドポーティング
面研
シリンダーボーリング
ヨシムラスペシャル加工フレーム(強化&ヒップUPタイプ)
カーボンフェンダー
スペシャルアルミ軽量タンクKIT
3次元削出トップブリッジ(シリアルNo、刻印)
削り出しオリジナルステップKIT
FFVSフロントフォーク&リアショック
スピードフローブレーキホース(フロント・リヤ)
カスタムシートJOYスペシャル
小型ウインカー
フロントキャリパー
ディスクブレーキ
リアキャリパー(軽量NISSIN)
サイドスタンド
小型軽量バッテリー
スペシャルスイングアーム
MAGTAN軽量ホイール
ファイナルRK520&チェーン
AFAMスプロケット
STACKレーシングメーターKIT
各部ボルト類変更
Magicalスペシャルカーボンミラー
ナンバープレートホルダー
ハイグリップタイヤ
フレーム補強
フレーム加工&塗装
FFVSサスペンションスペシャルセッティング(足廻り全体)
フロントフォークボトムケース(サンドブラスト・塗装)
各部軽量化
メーターステー製作取付
バッテリーBOX小型加工
スペシャルワイヤーハーネス加工取付
スピードセンサーステー製作取付
電装プレート製作・電装パーツ移設
サイドスタンド加工
シリアルNo、刻印

系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

TORNADO S-1 -since 2001-

トルネードS1

トルネードの三代目にあたるS-1。

JSB参戦を機に2002年式GSX-R1000をベースにキットパーツが組み込まれています。

ST-1カムシャフト
削出SUSコッター
強化バルブスプリング
ヘッド面研/専用ガスケット
オリジナルオイルパンSET
EMS(3ポジションマップ切替スイッチ(FUEL+IGN)、オートシフター、シフトタイミングライト

トライオーバルチタンサイクロン(2年間転倒修理補償付!)

オリジナルカウル一式

オリジナルアルミタンク
レーシングフィラーキャップ

OHLINSサスペンション&ステアリングダンパー
削出しオリジナルステアリングステム
オリジナルリヤサスペンションリンクセット
オリジナルスイングアーム

フロントディスクインナーハブ
SUSフローティングピン
オリジナルブレーキパッド
オリジナル加工フロントキャリパー
ラジアルポンプブレーキマスター
Speed Flowブレーキホース

HIDヘッドライト

公道対応レーシングステップ

BBSアルミ削り出しホイール

AFAMスプロケット

シリアルナンバープレート
オーナーブック
スナップオン製専用工具
専用バイクカバー

限定50台でお値段は378万円。

やっぱり高いけどヨシムラのノウハウが詰まったレース車両が手に入ると考えれば安いか。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 170kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 18.0L
エンジン 水冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 988cc
最高出力 170ps/12000rpm
最高トルク 11.0kg-m/10000rpm
変速機
タイヤサイズ 前120/70ZR17(58W)
後190/50ZR17(73W)
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 3,780,000円(税別)
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

隼 X1 -since 2000-

ハヤブサX1

全日本選手権Xフォーミュラクラスのシリーズクラスチャンピオンを記念して発売された隼X-1

Xフォーミュラクラスというのはリッターオーバー要するにメガスポによるプライベーター限定のレースです。今はもうありません。

アルミタンクを含むオリジナル外装、
Φ81ハイコンプピストン
ヨシムラ製ST-1カム
バルブ研磨&すり合わせ
EMS(三段階モード切替)
トライオーバルチタンサイクロンマフラー
バックステップ
チューニングサスペンション
灯火系統の変更などなど

HAYABUSA X1

限定100台で256万円と初代トルネードよりはお求めやすい(?)価格になってるせいか一ヶ月かからずに完売したそうです。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 198kg(乾)
燃料消費率
燃料容量
エンジン 水冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量
最高出力 193ps/10000rpm
最高トルク 14.5kg-m/8000rpm
変速機
タイヤサイズ
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 2,560,000円(税別)
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

TORNADO1200BONNEVILLE -since 1987-

ヨシムラ1200ボンネビル

吉村秀雄の話で終わる予定だったのですが、コンプリートマシンのリクエストがあったので一緒に掲載しておきます。

YOSHIMURAが一番最初に出した公道用コンプリート車両がトルネード1200ボンネビル。
ヨシムラのTT-F1で培ったチューニングのノウハウが詰まったキットパーツをフル装備したスペシャルマシン。

1200ボンネビル

初期型GSX-R1100をベースにボアアップ、ミクニ製マグネシウムキャブ、ヨシムラ製カムシャフト、ポートをコンマ00レベルまで揃える研磨、ヨシムラチューニングのショーワサスにマルケジーニとニッシンキャリパー、そしてマフラーはもちろんヨシムラのチタンサイクロン。

馬力は160馬力で最高時速は291km/hで車重は僅か179kg。

お値段500万・・・RC30が148万だったのを考えると凄い。でも3台製造されたとか。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 179kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 18.0L
エンジン 油冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 1108cc
最高出力 160ps/10500rpm
最高トルク 13.0kg-m/7500rpm
変速機
タイヤサイズ
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

神の手を持つ男 POP吉村 -since 1923-

POP吉村

「YOSHIMURA」

バイクを知るものでこのカスタムメーカーの名を知らぬものは居ないでしょう。生産のホンダ、チューニングのヨシムラとか言われてたりしますよね。

YOSHIMURAの由来は文字通り創業者の吉村秀雄さんから取ってるわけですが、その吉村秀雄について色々と書いていこうと思います。

吉村は実は最初からバイクの道を望んでいたわけではなく子供の頃は航空操縦士を目指していました。しかし訓練中の事故により操縦士の道が絶たれる事に。それでも諦めきれなかった吉村は今度は航空技師を目指します。

すると19歳で航空技師合格という最年少記録を塗り替えてしまう。もうこの時点で既に天才の片鱗を見せていますね。

しかし残念ながら敗戦と同時に航空産業が禁止された事で、その道は完全に閉ざされる事となりました。更に多くの仲間の戦死も重なり吉村は既に結婚して子供も居たにも関わらず、働かずギャンブルばかりする典型的なダメ親父と化してしまいます。

そんなどうしようもない日々が続いていたある日、もともと航空機のエンジニアだった上に戦中はシンガポールでハーレーに乗っていた事から英語ペラペラという事で、それを聞きつけた在日米軍からのバイクの整備を依頼が舞い込みました。

その確かな腕はあっという間に在日米軍の間で広まり仕事がジャンジャン舞い込んできました。

吉村秀雄

更には米軍向けにBMWやBSAの代理店を始めるまでになり、在日米軍から親しみを込めてPOP(オヤジという意味)吉村と呼ばれるように。POP吉村と言われる由来はここからです。

そんな整備依頼をこなしていく中で転機が訪れたのは在日米軍からのある依頼・・・それは

「今度のドラッグレースに勝てるようにチューニングしてくれ」

というチューニングの依頼でした。

その仕事を引き受けると吉村は直ぐにエンジンを下ろしエンジンのカムやバルブを削るという当時としては非常に珍しい事をやり始めました。もちろん吉村は分かってやっていたわけですが、これを手の感覚だけで出来る人間ましてそれで性能を上げられるなんてPOP吉村くらいなものです。

そんな吉村の手が加えられたカムやバルブを積んだバイクは明らかに速く、瞬く間にその名は知れ渡り”神の手を持つ男”と呼ばれるまでに。

吉村自身も新しい道を見つけたと目を輝かせ、寝ても覚めても削って理想のカムを追い求めていたそうです。

次第に日本人の間でも草レースが行われるようになり、当然ながらその中でも吉村に手がけられたバイクはダントツの速さでした。

そんな吉村の実力を耳にし提携を求めてきた会社があります。

ホンダ

皆さんご存知ホンダです。吉村の腕を見込んで当時始めたばかりの四輪レース用チューニングの依頼を申し出てきました。

吉村は元々本田宗一郎に憧れを抱いていたのでコレを快く快諾し東京進出を果たします。

そこから更にCB750FOURのチューニングも手がけ、アメリカのデイトナレースで二輪としては世界初となる集合管マフラーを披露することに。

CB750

この件でヨシムラの名は日本だけでなくアメリカ中に知れ渡る事となり集合管ブームが巻き起こりました。世界のYOSHIMURAになった瞬間です。

が、しかしここで少し事件が起こります。吉村はホンダのチューニングを手掛けると同時にホンダの部品をチューニングして売るという事もやっていたのですが、その元となる部品の供給が止められてしまう。

これでは会社が回らないと吉村は意を決して本田宗一郎へ直談判に。それを聞いた本田宗一郎は「恥ずべきことだ」と担当を怒鳴り散らしたそうですが、それでも供給は戻りませんでした。

※コレには説が2つあります。

・ホンダ側が吉村の技術力の高さを恐れて供給を止めた説

・そもそも部品供給が間に合っておらずグループ外だった吉村は後回しにされた

どちらの説が正しいかは吉村のみぞ知る話ですが、どちらにせよホンダはレースを吉村に頼ることを止め、レース専用の部署(HRCの前身)を新たに設けるというが下され、吉村とホンダは決別する形となりました。

HRC

部品の供給を受けられなくなった吉村は廃車や中古車から部品を取っては手を加え販売&組込というそれまでの功績が嘘のような泥臭い運営に。

そんな状況でも吉村は絶対に諦める事はなく

「大きい所に勝つ」

という目標を掲げレースを続けていました。

しかし現実はそれほど甘くはなく経営は悪化の一途。そんな中でアメリカのビジネスマンから

「アメリカでヨシムラの商品を協力して売らないか?」

という商談が持ち込まれます。上で説明したたデイトナレースでの集合管がキッカケです。

吉村は願ってもないチャンスだと集合管を輸出するように。そしてそれが好評だったのを受け、吉村はアメリカ進出を目指します。

進出というよりも日本の工場を売り払ってアメリカに新しい工場を立てるという移転ですね。ホンダとの決別が引き金になったようです。

もちろん家族は大反対。これに激怒した吉村は家族(長女と一番弟子の夫)を勘当し渡米。でもやっぱり海の向こうでもヨシムラの手がけたバイクはダントツの速さで、ヨシムラマシンの特徴だった集合管がアメリカで一大ブームとなります。

USヨシムラ

今となっては「アメリカ人が唯一読めるカタカナ」とまで言われるレベルです。ホンダのCB750FOUR2やカワサキのZ1000Aが集合管にモデルチェンジしたのは紛れも無くヨシムラの影響。

がしかし、またもや問題が発生。手を組んでいたアメリカのビジネスマンが欲に目がくらんだのか最初から狙っていたのか吉村を追い出し会社を乗っ取ってしまいます。

抗議も虚しく吉村は金もUSヨシムラも工場も失ってしまい無念の帰国。

心身ともにボロボロとなった吉村でしたが、そんな吉村に勘当された長女と一番弟子はいつ帰ってきても良いようにと新しく鈴鹿に工場を作っており迎え入れました。ちなみにこの会社がMORIWAKI(夫の名前から)です。

モリワキ

これで吉村も折れたのかと思いきや

「今度こそアメリカで成功する!何としても”偽ヨシムラ”を叩き潰してやる!」

と全く懲りずに日本でYOSHIMURAを再開し稼いだお金で再びアメリカ進出を目論み家族と大げんか。

結局「ヨシムラR&D」という社名で再び渡米し、積年の怨みをレースで晴らすかのごとくデイトナレースで前代未聞の三連覇を成し遂げ見事に偽物を叩き潰しました。(※今あるアメリカのヨシムラは本物のヨシムラです)

悲願が叶った吉村でしたが直ぐに次なる目標が出来ました。それは意気投合したスズキの横内悦夫さんとの口約束。

スズキ

「ホンダに勝とう!」

です。

1970年代半ばにスズキから初めて提供されたGS750を吉村は僅か三ヶ月のチューニングでいきなりAMAスーパーバイクを優勝しスズキの横内さんも驚いたそうです。

そんな中で二人が耳にしたのが

「第一回インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース(現 鈴鹿8耐)」

そして

「そのレースをホンダワークスのRCBが走る」

という事でした。

スズキとヨシムラはRCBと戦えるチャンスと、このレースに照準を定めることに。

AMA優勝の勢いそのままに・・・といきたい所ですが、相手がホンダワークス(ホンダ・エンデュランス・レーシング・チーム)のRCBとなると話は変わってきます。

RCB1000

当時RCBは2年連続ヨーロッパ耐久選手権優勝、更にその翌年(第一回鈴鹿8耐の前年)には全勝優勝を達成し無敵艦隊とまでいわれていたからです。

それに対しスズキは4stレース経験が皆無に等しい状態。そのことはスズキも身にしみて分かっていて

「750のままじゃダメだ」

とGS750を元に更なるパワーアップ、そして品質の向上を図ったGS1000の開発に明け暮れてました。

そしてスズキ(横内さん)が凄いのは、まだ開発中だったフラッグシップモデルになる予定の秘蔵車GS1000のプロトタイプを鈴鹿8耐でホンダに勝つためと社内の反対を押し切って吉村にくれてやったんです。このバイクを好きに使ってくれと。

GS1000

GS1000は当時まだ開発途中だったもののスズキの造り込みに

「過剰品質だ。レースに向いてる。」

と吉村ですら舌を巻いたのは有名な話。それだけスズキも吉村も鈴鹿8耐に賭けていたわけです。

世間は誰もがRCBが勝つと思っていました。

当時はまだ世界選手権クラスではなく、今の鈴鹿8耐よりもお祭り感のあるレースでホンダRCBの凱旋レースの様なものと捉えてる人が大半でした。それは参戦するチームもそう。

上で言ったとおり全勝優勝するようなホンダのワークスマシンに勝ちたいなんて普通は思わない。でもスズキとヨシムラだけは本気だったわけです。

GS1000ヨシムラ

そしてご存知な方も多いとは思いますがRCBのトラブルも重なったとはいえ、終わってみたら優勝はYOSHIMURA。

「しがない町工場のパーツ屋が、天下のホンダのワークスマシンRCBに勝った」

これには誰もが度肝を抜かれ、誰もがYOSHIMURAの凄さを認めざるえない歴史的な出来事となりました。

吉村はこの一件以降も留まるところを知らず、GSX-R750によるF-1三年連続優勝、F-1、F-3ダブルタイトル獲得、世界初のレース用チタンマフラー、そして世界選手権クラスとなった1980年の鈴鹿でも優勝と、数々の功績を挙げていきました。

かの本田宗一郎も大きくなっていく会社の入社式において

本田宗一郎

「町工場でも大企業に負けないという信念を持っている吉村という男がいる。皆もその精神を持って欲しい。」

と言っています。

更に余談ですが・・・

吉村は本田宗一郎の息子である本田博俊(MUGEN創業者)が

「チューニングの技術を学びたい」

と、よりにもよってホンダと決別した後に申し出てきたんですが、快く受け入れ技術指南を行いました。つまりMORIWAKIは勿論のことMUGENもYOSHIMURA無しには語れないYOSHIMURAには足を向ける事が出来ないメーカーなんですよ。

そんな気さくで大らかな吉村は晩年になろうとも決して現状に満足すること無くレースに打ち込み、ガンを患い余命幾ばくとなろうともピットに立ち続けました。

POP吉村

「挑戦してやり遂げた時の喜びに勝るものは無い」

最期にそう言い残しています。

系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

Panigale V4 -since 2018-

パニガーレV4

遂にというか、とうとうV4となったパニガーレV4。

エンジンの名前は『デスモセディチ・ストラーダレ』

デスモセディチストラーダレ

デスモ=デスモドロミック

セディチ=16(4気筒×4バルブ)

ストラーダレ=公道向け

という意味。

面白い事に70°という変則的なクランクだから点火タイミングは0-90-290-380-720という360°に近いけどちょっと違う形。

70°位相V4

360°はタイヤを落ち着かせる270°の間隔が2つあるからトラクションが有利というのはVFR400/NC30かで話したと思うんですが、ドゥカティは更に大きな340°の間隔を設けることでトラクション性を高めたわけですね。

ホンダと同じカタチは取らないというプライドでしょうか。

もう一つ面白いのが逆回転クランクを採用したこと。

逆回転ギア

これは簡単な話、前方へ回るホイールとは逆方向にエンジン(クランク)を回すことで起きようとするジャイロ効果を打ち消すのが狙い。

MotoGPではメジャーな手法でアイドラギアという転換用のギアによる損失が生まれてしまうんだけど、それでも逆回転クランクは手放せないほどの効果があるんだとか。

パニガーレV4エンジン

可変ファンネルを装備しているとはいえそんな損失を組み込んでおきながら市販車トップとなる215馬力を発揮するんだから凄いんですが・・・ってH2に続いて楕円排気ポートになっていますね。

H2で担当された恵上さんいわくコチラのほうが排気効率が良いんだそう。そのかわりコスト云々。

車体の方はフレームがモノコックタイプからツインスパーの様なフロントフレームと呼ばれる物に。

パニガーレV4車体

本来ならばタンクのある位置にはバッテリーや電装系で、ガソリンタンクはシート下。これもMotoGP技術で慣性モーメントの低減というか要するにマスの集中化が狙い。

ちなみにエンジン重量も二気筒から四気筒になったのに僅か2.2kg増、車体全体で見ても5.5kgしか増えていないっていう恐ろしさ。

LではなくVなので散々言われていた前輪荷重問題もなく、またスイングアームも長く取ることが出来たので現代的なSSとなりました。

ケーシー・ストーナー

テストPVではケーシー・ストーナー・・・って、RC213V-Sもそうだったし凄いですねケーシー。

レースに対する情熱が戻ったら是非とも復帰してほしいものです。

最後に懲りずに偉いそうに言うと、このパニガーレV4ですが本当にドゥカティは考えたなと思います。

パニガーレV4ネイキッド

というのもドゥカティは2003年からMotoGPをV4のデスモセディチで戦っていました。

何故V4にしたのかといえばボアの最大直径がレギュレーション(現在は81mm以下)で定められていたから。

更に2008年にはその公道版であるデスモセディチRRを限定1500台/787万円ながら発売。

デスモセディチRR

そしてこのパニガーレの後継ですと言わんばかりのデザインをしたパニガーレV4の登場・・・何が言いたいのかというと、MotoGPに参戦した時点でV4は既定路線だったんだろうなって話。

かといって(1198辺りで言いましたが)何の脈略もなくいきなりV4なんかにしたら波風が立つ。

だからまずMotoGPでレギュレーションを理由にV4のキッカケを作り、更にデスモセディチRRで公道版V4の布石を置き、そして非常に評価が高いパニガーレ系デザインをV4に被せる。

パニガーレV4の顔

パニガーレV4をデザインされたジュリアン・クレメンさんが

「コンペでのテーマは『パニガーレに見えること』だった」

と仰っていたのを見ても、その戦略の強かさが伺えます。

そして市場での反応を見るにその戦略は見事に決まったようですね。

パニガーレV4

だって誰もV4になった事へ違和感を覚えず、誰もがこれをスーパーバイクの後継として受け入れているんですから。

そうなればもうコッチのもの。良く回るLツインを2つ積んだかのうような速く美しく気高いスーパーバイクでしかない。

エンジン:水冷4サイクルDOHC四気筒
排気量:1103cc
最高出力:214ps/13000rpm
最大トルク:12.6kg-m/10000rpm
車体重量:175[174]kg(乾)
※[]内は前後オーリンズのSモデル

種類一覧
ドゥカティ851シリーズ1988年
851 SERIES
ドゥカティ888シリーズ1991年
888 SERIES
ドゥカティ916シリーズ1993年
916 SERIES
ドゥカティ996シリーズ1999年
996 SERIES
ドゥカティ998シリーズ2002年
998 SERIES
ドゥカティ999シリーズ2003年
999 SERIES
ドゥカティ1098シリーズ2007年
1098 SERIES
ドゥカティ1198シリーズ2009年
1198 SERIES
1199パニガーレ2012年
1199Panigale
1299パニガーレ2015年
1299Panigale
パニガーレV42018年
Panigale V4

【関連車種】
CBR1000RRの系譜YZF-R1の系譜GSX-R1000の系譜ZX-10Rの系譜

1299series -since 2015-

1299パニガーレ

モデルチェンジで1299となったパニガーレ。

1299(1285cc)ってSBKのレギュレーションをオーバーしているのでは・・・と思いますが、SBK用のホモロゲモデルはPanigale R(1198cc)として切り離される形となりました。

先代が好評で気を良くしたのか、凄い軽いモデル1299スーパーレッジェーラも登場。

1299スーパーレッジェーラ

なんとスイングアームとホイールがカーボンに。

そのためお値段もグッと上がって900万円。

にしても市販モデルがレースモデルを追い越してしまうというスーパーバイク初の珍事なんですが、何をしたのかといえば相変わらずボアアップ。

先代から更に4mmボアを拡大し116mmとなりました・・・ドゥカティはボアの限界に挑戦しているんでしょうかね。

1299ピストン

もうアレですよ、CD/DVD並のサイズですよ。

ボアは一般的に100mmが現実的な限界と言われています。

この理由の一つはボアが大きくなるという事はバルブも大きくする必要があり重くなるから。

じゃあなんでドゥカティのスーパーバイクが100mm超えを平然とやってのけるのかというと、それはもちろんデスモドロミック機構によるもの。

パニガーレ1299

デスモドロミックだから多少バルブが重くなろうがカムプロファイルを尖らせようが、バルブサージングやジャンプといった問題が起こらない。

ただし、それでも避けられないのが火炎伝播の問題。

これは要するにプラグから燃え広がる膨張が(ボアが広すぎて)間に合わなくなる。どうなるかと言うと、熱損失になる。

ビッグVツインが熱い熱い言われるのはこれが大きな理由。回転数が高くなれば流速が増すので問題にはならないんですが・・・

1299顔

まあスーパーバイクなんだから

「求めるは高みのみ」

って事なんでしょうね。

また性懲りもなく小言を言わせてもらうと、パニガーレを見て思うのは

「SBKって本当にもうセールスに関係ないんだな」

って事です。

DUCATI2012

最初にも言いましたがドゥカティがSBKに血眼になっていたのはそれが生き残るための道だったから。

しかしリーマンショックで撤退し、その後どうかと言うとワークス参戦していた頃ほどの成績は残せていないのが実情。

まあそれは当たり前なんですが、じゃあSBKで大戦果を挙げているZX-10RやRSV4が成績に見合うほど人気で売れてるかといえば売れてない。

ドゥカティ

つまりドゥカティがSBKからMotoGPにスイッチした事や、そのMotoGPフィードバックでパニガーレを造り1299というレギュレーションを無視するモデルチェンジをした事。

これらから察するにもはやドゥカティにとってSBKは生き残るための手段では無くなったんだろうなと。

1299パニガーレファイナルエディション

まあ良く言えばパニガーレがそんな事を吹き飛ばすほどカッコいいデザインで不動の人気を獲得したからってのもあるんでしょうけどね。

相変わらずトリコローレがよく似合う。

エンジン:水冷4サイクルDOHC L型二気筒
排気量:1285cc
最高出力:209ps/10500rpm
最大トルク:14.5kg-m/9000rpm
車体重量:166kg(乾)
※スペックはEU仕様

種類一覧
ドゥカティ851シリーズ1988年
851 SERIES
ドゥカティ888シリーズ1991年
888 SERIES
ドゥカティ916シリーズ1993年
916 SERIES
ドゥカティ996シリーズ1999年
996 SERIES
ドゥカティ998シリーズ2002年
998 SERIES
ドゥカティ999シリーズ2003年
999 SERIES
ドゥカティ1098シリーズ2007年
1098 SERIES
ドゥカティ1198シリーズ2009年
1198 SERIES
1199パニガーレ2012年
1199Panigale
1299パニガーレ2015年
1299Panigale
パニガーレV42018年
Panigale V4

1199series -since 2012-

1199パニガーレ

再び大変貌となった1199パニガーレ。

パニガーレというのはドゥカティ本社の所在地の名前から。

916系のデザインとLツインこそ継承していますが、トレリスフレームでも乾式クラッチでもセンターアップマフラーでも無い・・・1198の系譜で言った懸念をものともせずやってきました。

そんな中でも最大の変更点はトラスフレームを辞めてモノコックフレームになった事。

1199パニガーレ フレーム

これは簡単な話フレーム兼エアクリーナーボックスで、そこのスロットルボディを内蔵というか組み込んでいる形。

916のカーボンエアクリーナーボックスを思い出させますね。

1199パニガーレディメンション

もう半分フレームレス状態。

こうした理由は軽量化はもちろん前輪荷重割合を少しでも増やすため。

スーパークアドロ

エンジンも新世代『スーパークアドロ』になりました。

エンジンの方も大変貌で、コグドベルトを遂に辞めてカムチェーンとカムギアのハイブリッドであるセミカムギアトレイン方式に。

1199エンジン

元々コグドベルトを採用し続けた理由はチェーンより精度高く軽いからなんだけど、恐らくプーリーの小型化などのコンパクト化において強度が限界だったからじゃないかと。

ユーザーとしてはメンテンスフリーになるわけなのでありがたい話ですけどね。

セミカムギアトレイン

そしてスーパークアドロといえばもう一つ忘れちゃいけないのがビッグボア。

ボアが更に拡大され112mmとなり二気筒最大馬力となる195馬力に。

流石にデコンプが付きましたが・・・112mmですよ。

ピストン

身近なもので言えばカップヌードルのBIGサイズ(108mm)がスッポリ収まる直径。

どんだけデカイんだって話。

この他にもクイックシフター、TCSやEBC(エンブレコントロール)、モード切り替えなどなど。

Sモデル以上になるとオーリンズの電子制御サスペンションを装備しています。

1199トリコローレ

これはSのちょい上になるSトリコローレというモデルでOPのデータロガーを標準装備。

正直ドゥカティはグレードがありすぎてシンドいので割愛しますが、一つだけ外せないであろうグレードというかモデルが2014年に出たこれ。

1199スーパーレッジェーラ

『1199Superleggera』

スーパーレッジェーラとは凄く軽いという意味で、その名の通りパニガーレRより14kgも軽い乾燥重量155kg。

フレームやホイールの材質をアルミからマグネシウムに変更し、カーボンボディやらチタンボルトやらを奢って、SBK用のピストンをそのまま等など・・・で、限定500台の650万円。

ちなみにこはホモロゲではなく単にスペシャルなバイク。

ところでパニガーレが日本に入ってくる時マフラーが話題になりましたよね。

日本の規制を通すために特別仕様として消音カバーに加えスペシャルマフラーが・・・

パニガーレ日本仕様

・・・これテルミーニョ製のマフラーなんですけどね。

カムチェーンを始めとしたエンジンノイズを拾わせない為に伸ばしたんでしょうが、マフラー1つでデザインってここまで崩れるものとは。

そんなスーパーバイクとしてのブランドポイントを大きく変えてきた外してきたパニガーレでしたが市場の反応はとても良く、ドゥカティは業績を大きく伸ばす事に。

ドゥカティ1199パニガーレ

パニガーレが何故売れたのかって言えばデザインの素晴らしさの一言に尽きるでしょう。

エンジン:水冷4サイクルDOHC L型二気筒
排気量:1199cc
最高出力:195ps/10750rpm
最大トルク:13.4kg-m/9000rpm
車体重量:164kg(乾)
※スペックはEU仕様

種類一覧
ドゥカティ851シリーズ1988年
851 SERIES
ドゥカティ888シリーズ1991年
888 SERIES
ドゥカティ916シリーズ1993年
916 SERIES
ドゥカティ996シリーズ1999年
996 SERIES
ドゥカティ998シリーズ2002年
998 SERIES
ドゥカティ999シリーズ2003年
999 SERIES
ドゥカティ1098シリーズ2007年
1098 SERIES
ドゥカティ1198シリーズ2009年
1198 SERIES
1199パニガーレ2012年
1199Panigale
1299パニガーレ2015年
1299Panigale
パニガーレV42018年
Panigale V4

1198series -since 2009-

1198

わずか二年で無印の1098も1198へクラスアップ。

目立つ変更点といえば何処よりも速くトラクションコントロールを搭載した事。

※Sモデルのみで末期には無印も装備

DTC

DTC(ドゥカティ・トラクション・コントロール)という装備で八段階調整。

世界で絶賛された1098を引き継ぐ無難な展開で相変わらず人気だったんですが、ここで少し転機が訪れます・・・それはSBKからの(ワークス)撤退です。

DUCATI2009

要因となったのはリーマン・ショックによる不況。

ドゥカティは2002年からMotoGPにも参戦していたんですが、不況による業績悪化から予算をイケイケだったMotoGPに絞る決断をしました。

DUCATI ケーシー・ストーナー

更に2012年にはアウディ傘下に。

アウディはVW傘下だから

【VW&ポルシェ】>【ランボルギーニ&アウディ】>【ドゥカティ】

という事になりますね。

ドゥカティを孫扱いするVW恐るべし。

1198S

さて・・・もうグレードの違いを書くのも面倒臭くなってきたのでソコらへんは各々で調べてもらうとして少し小話をします。

日産のGT-Rを造った水野さんという方がこんな話をされていました。

GT-R

「ブランドは武器だけど、時代の進化を止めてしまうという恐ろしさも持っている。」

これは水平対向RRにこだわる某メーカーに対しての発言だったんですが、これはドゥカティにも同じことが言えると思います。

・Lツイン

・デスモドロミック

・トラスフレーム

・片持ちスイングアーム

・乾式クラッチ

・ピボットレス

そして

・916を継承したデザイン

1198ディメンション

ドゥカティが工業製品として見たときにお世辞にも優れた物とは言えないにも関わらず、人気があって売れるのはこういった芸術性というかブランドがあるからでしょう。

例えばその一つであるLツイン。

単純にレースで勝つためだけを考えればLツインなんて捨てて直四なりV4なりにしたほうが遥かに良い話。

元々Lツインというのは一番熱くなるヘッドを効果的に冷やすため、つまり空冷時代に生まれたアイディア。

Lツイン

しかし時代は水冷、そうなるとL型のデメリット”前輪荷重不足”が顕著に目立つようになる。

V型の弱点は前輪荷重が不足しがちになってしまう事。これは前方に伸びるシリンダーのせいでクランクを前に寄せられないからです。

L字二気筒

ましてほぼ前方に伸びるL型になると尚の事エンジンを前に寄せられない。

どんどんビッグボアショートストロークになっていったのも、リア周りにカーボンやマグネシウムなどを奢っているのも前輪荷重割合を少しでも増やすため。

それでも一番重いエンジン(クランク)が寄せられないので限界がある。

1198SP

「ドゥカティはハンドリングが独特で難しい」

って聞いた事があると思います。これがその現れ。

良く言えばハンドリングが軽い、悪く言えばフロントがおぼつかず曲がり難い。

でもLツインを始めとしたそれらがブランドに直結しているから簡単には止められない。定石を外してしまうと999の二の舞どころか、それ以上になるのは目に見えているわけですから。

1198R

「ブランドが進化を止めてしまう」

というのはこういう事。

反対に日本車は多気筒が良いと分かれば多気筒化し、V型が良いと分かればV型にも簡単に変える身軽さを持ってる。

でもその代償としてドゥカティの様な付加価値は付かないし築かれない。

一概にどちらが良くてどちらが悪いと言えないですよね。ブランドって難しい。

1198

まあでも一つ言えるのはドゥカティのスーパーバイクは高級車の部類に入るから

「日本車と違って贅沢で自由に造れるからいいよな」

と思われがちだけど、速いだけでは許されない制約の多さに実は一番苦悩しているのではないかと。

エンジン:水冷4サイクルDOHC L型二気筒
排気量:1198cc
最高出力:
170ps/9750rpm
最大トルク:
13.4kg-m/8000rpm
車体重量:171kg(乾)
※スペックはEU仕様

種類一覧
ドゥカティ851シリーズ1988年
851 SERIES
ドゥカティ888シリーズ1991年
888 SERIES
ドゥカティ916シリーズ1993年
916 SERIES
ドゥカティ996シリーズ1999年
996 SERIES
ドゥカティ998シリーズ2002年
998 SERIES
ドゥカティ999シリーズ2003年
999 SERIES
ドゥカティ1098シリーズ2007年
1098 SERIES
ドゥカティ1198シリーズ2009年
1198 SERIES
1199パニガーレ2012年
1199Panigale
1299パニガーレ2015年
1299Panigale
パニガーレV42018年
Panigale V4

1098series -since 2007-

1098

999の不評もあり現代版916の様な姿となった1098シリーズ。

デザインを担当したのはジャンアンドレア・ファブロという方。

ドゥカティ内で

「916の流れを伝統(継承)化した方がいい」

という意見で一致する事になりこうなった背景があります。

1098モック

999とは対照的に1098は両持ちスイングアームで進んでいたよう。

このモデルでフレームも新たに作り直され、エンジンも999Rで培ったテスタストレッタの改良型テスタストレッタ・エボルツィオーネになりました。

テスタストレッタ・エボルツィオーネ

エボルツィオーネ(Evoluzione:進化)って無駄に言いたくなる響きですね。

日本語だと『進化した狭い頭』だから何もカッコよくないんですが。

そんなエボルツィオーネ最大の特徴はボア径がとうとう104mmと大台を超えた事。

後に追加されるホモロゲモデル1098R(1998cc)に至っては更に拡大され106mmに。

回転数が落とされているとはいえ、よくコンロッドが千切れないなって話。大きくなったらそれだけ重くなりますからね。

TSE

ちなみに

「ドゥカティはエンジンがすぐ掛からなくなる」

と言われているのはこの無茶なビッグピストンと狭い頭(高圧縮)による始動性の悪さが大半の原因だったりします。

1098ディメンション

四気筒勢に対抗するのはここまでしないと難しいんでしょうね。

ちなみにそのSBKのレギュレーションは四気筒も二気筒も1000ccまでだったのに排気量が1099cc(ホモロゲは1198cc)になったもんだから

「SBKに出れないじゃん」

と言われたんですが、ひと月も経たずにレギュレーションが二気筒は1200ccまでに改定されました。

これは

「SBK皆勤賞のドゥカティが脅した」

という見解もあれば、事前にリークされていたという見解もあって真意は分かりません。

1198R

でも排気量アップと引き換えに改造範囲が更に厳しくなったので一概に有利になったとは言い切れない部分があります。

そんな1098ですが、最初にも言ったように916のリボーンだと非常に人気が出ました。

販売台数もV字回復し年間販売台数は五万台を突破。

1098R

正に

「スクーターの様に売れたよ」

と言わしめた916の再来となったわけです。

エンジン:水冷4サイクルDOHC L型二気筒
排気量:1099cc
最高出力:160ps/9750rpm
最大トルク:12.5kg-m/8000rpm
車体重量:173kg(乾)
※スペックはEU仕様の無印

種類一覧
ドゥカティ851シリーズ1988年
851 SERIES
ドゥカティ888シリーズ1991年
888 SERIES
ドゥカティ916シリーズ1993年
916 SERIES
ドゥカティ996シリーズ1999年
996 SERIES
ドゥカティ998シリーズ2002年
998 SERIES
ドゥカティ999シリーズ2003年
999 SERIES
ドゥカティ1098シリーズ2007年
1098 SERIES
ドゥカティ1198シリーズ2009年
1198 SERIES
1199パニガーレ2012年
1199Panigale
1299パニガーレ2015年
1299Panigale
パニガーレV42018年
Panigale V4