XJR400R(4HM中期)-since 1998-

二代目XJR400R

「Fight or Sleep!」

Rモデルに一本化された第二世代のXJR400Rの4HM9~型。

・燃料タンクが+2Lされて20L

・フォークガード

・多機能メーター

・跳ね上がったテールカウル

・マルチリフレクターテールライト

・新設計シート

などなど。

1995XJR400R

改良は多岐にわたりました。

ちなみにシルバー塗装エンジンも特徴なんですが、これは最初の数年だけで再びブラック化。

さて少し話が逸れますが、XJR400はライバル車に対しサスが硬めに設定されています。

これは早い話がXJR400Rがスポーツネイキッドだから。

先のページでも話したと思いますが、XJR400Rは”わざと”トルクの谷を設けている。これはスポーツフィーリングを高めるため。

そしてその最高のスポーツフィーリングを活かすため、最高のスポーツフィーリングを台無しにしない為にサスペンションが高めに設定されているんです。

当然ながら回さない走り方だと乗り心地が硬い、そのかわり回して走るとそれがピタッとハマる。

それを空冷エンジンの街乗りメインのネイキッドで、発売前のテストでも硬いと言われたにも関わらず譲らず貫いたわけです。

主要諸元
全長/幅/高 2085/735/1090mm
シート高 760mm
車軸距離 1435mm
車体重量 201kg(装)
燃料消費率 41.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 20.0L
エンジン 空冷4サイクルDOHC四気筒
総排気量 399cc
最高出力 53ps/11000rpm
最高トルク 3.6kg-m/9500rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前110/70-17(54H)
後150/70-17(69H)
バッテリー GTX9-BS
または
TYX9-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
CR9E
推奨オイル ヤマルーブ
プレミアム/スポーツ/スタンダードプラス
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.8L
交換時2.0L
フィルター交換時2.4L
スプロケ 前15|後45
チェーン サイズ520|リンク110
車体価格 599,000円(税別)
系譜図
xj4001980年
XJ400
(5M8)
XJ400Z1981年
XJ400D/Z/SP
(5L8/33M)
XJR4001993年
XJR400/S/R/R2
(4HM)
XJR400R1998年
XJR400R
(4HM中期)
XJR400R最終2001年
XJR400R
(4HM最終期)

XJR400/S/R/R2(4HM)-since 1993-

初代XJR400

「The Fighting Spirit」

1990年後になるとレーサーレプリカブームに疲弊する人たちが多くなり、レーサーとは無縁のスタンダートバイク(いわゆるネイキッド)の時代が到来。

そうなると当然ながら各社がネイキッドを出すのがセオリーでXJR400もそんな時代によって生まれた一台。

ヤマハXJR400

なんだけど、実はXJR400の開発自体はゼファーが登場する半年前から始まってた。

だからとっても開発が大変だったと開発責任者だった猪崎さんが仰っていました。

何が大変ってゼファーというネイキッドの正解が誕生してしまったから。

初期型XJR400カタログ

「ゼファーみたいなバイクを作れ」

という風潮に社内もなってしまったわけです。

だから

「ゼファーを作らないといけないのか」

と悩んだものの結局XJR400の目指す道はそっちじゃないと考え、ベンチマークにしたのはゼファーではなくCB-1やBandit400。

要するにスポーツネイキッドの道を選んだ。

XJR400カタログ

その結果として生まれたのが空冷スポーツネイキッドのXJR400。

深く刻まれたフィンが特徴の新設計空冷エンジンに挟角64度のDOHC4バルブ。そのおかげで馬力は自主規制値いっぱいの53馬力。

味付けもXJ400のコンセプトに沿ってて、空冷にも関わらずクロスレシオミッションで”回してナンボ”な味付け。

しかもわざとパワーに谷を作り二次曲線的な加速をする特性、そしてサスもΦ41の極太フォーク。空冷スポーツを空冷らしく楽しめるように造り込まれてる。

XJR400S

翌年の1994年には後にXJRのトレードマークとなるオーリンズのリアサスが付いたSモデルを限定4,000台で販売。

更に1995年にはピストン&コンロッド、イグナイター(点火制御)やマフラーなどの見直しが入り、それと同時にRモデルが登場。

オーリンズサスのスプリングも黄色になり、ブレーキにはブレンボが奢られた上位モデルです。

XJR400R2

その勢いは留まること無く1996年にはXJR400RIIも登場。

Rモデルに加えビキニカウルと多機能デジタルメーター、更に新設計の低反発シートであるワイラックスシート(この年から全車)を装備しシート高も10mmダウン。

XJR400R2カタログ

ただあんまり人気が無かった事と、後から丸目にする人が多かった事からまず見ることはないかと・・・ライバルだったCB400SF ver.Rと同じですね。

まあそれはさておき、XJR400は削りだしトップブリッジやオーリンズなどヤマハらしい質の高さと、拳をイメージしたとされるたくましいタンクや大きなヘッドを持った空冷エンジンなどヤマハらしからぬ無骨さが人気を呼びました。

1993XJR400カタログ

正に『平成のペケジェイ』だったわけですね。

主要諸元
全長/幅/高 2075/735/1080mm
[2075/735/1090mm]
シート高 770mm
{760mm}
車軸距離 1435mm
車体重量 178kg(乾)
燃料消費率 41.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 18.0L
エンジン 空冷4サイクルDOHC四気筒
総排気量 399cc
最高出力 53ps/11000rpm
最高トルク 3.6kg-m/9500rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前110/70-17(54H)
後150/70-17(69H)
バッテリー GTX9-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
CR9E
推奨オイル ヤマルーブ
プレミアム/スポーツ/スタンダードプラス
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.8L
交換時2.0L
フィルター交換時2.4L
スプロケ 前15|後45
チェーン サイズ520|リンク110
車体価格 579,000円(税別)
{609,000円(税別)}
※{}内はXJR400RII
系譜図
xj4001980年
XJ400
(5M8)
XJ400Z1981年
XJ400D/Z/SP
(5L8/33M)
XJR4001993年
XJR400/S/R/R2
(4HM)
XJR400R1998年
XJR400R
(4HM中期)
XJR400R最終2001年
XJR400R
(4HM最終期)

XJ400D/Z/SP(5L8)-since 1981-

XJ400D

クラストップの馬力で鮮烈デビューしたXJ400は一年で吸気デバイスのYICSを採用など熟成を図りました。

そしてXJ400二年目の1981年の事。

「クラスが加熱=ライバルも増える」

というのは歴史の習わしと言いますか、四メーカーの後出しジャンケン合戦といいますか、今度はスズキからGSX400Fというバイクが登場しました。

GSX400Fカタログ

クラス初となる16バルブでXJ400と同じ45馬力を発揮するスポーツネイキッド。コチラもGSR400の系譜でご紹介しましたGSR400のご先祖といいますかスズキ四気筒400ネイキッドの始まりのバイクですね。

同馬力ながらスズキは4バルブエンジン。これは負けられないとヤマハはマイナーチェンジとしてXJ400Dを発売することになります。

XJ400Dリミテッド

Dというのは上の写真のモデルがそうですが、敢えて四本出しマフラーに変更し調節機能付きリアサスという豪華装備。更にエンジンはブラックアウト化とルックスに磨きを掛けてきたわけです・・・が。

わけですが・・・当時を知っている人なら何を言いたいのかわかると思います。

1981年末期にアレが登場するわけですね。

CBX400F

そう、ホンダの究極後出しジャンケンCBX400Fです。

世に初めて四気筒を出したホンダのヨンフォア以来となる400cc四気筒ネイキッド。

しかも馬力はXJ400やGSX400Fの45馬力を超える48馬力というトップのスペック。

もうそれまでの三社の争いは何だったのかと言うほどCBXの一強に。それどころかホンダの他の新型が出てもCBXしか売れない様な状態にまでなりました。

XJ400Z

そんな状況に対しヤマハはXJ400Dをやめ、XJ400Z(水冷XJ)を出して対抗するんだけど今度はネイキッドブームが去ってレプリカブームに入っちゃったから結局XJシリーズは1984年のXJ400ZEを最後に一旦途切れることとなりました。

XJ400Z-E

確かにCBX400Fという絶対的人気を誇るライバル車がいた事もあるんだけど、XJ400の人気があまり出なかった理由を少し擁護すると

RZ250

ヤマハの場合RZ250そしてRZ350という大型キラーと呼ばれる程の性能を持ち、後のレーサーレプリカブームの土台を作ったとも言える大ヒット2stスポーツネイキッドが存在していて、ヤマハといえばRZと言うような状態だったのも大きい。

忘れてましたがXJ400にはXJ400スペシャルというモデルもXJ400Dに合わせて出ました。

XJ400スペシャル

若者のアメリカンブームに合わせたクルーザーですね。

主要諸元
全長/幅/高 2060/760/1130mm
[2145/830/1135mm]
{2100/725/1235mm}
シート高 785mm
[760mm]
{785mm}
車軸距離 1405mm
[1420mm]
{1420mm}
車体重量 180kg(乾)
{179kg(乾)}
燃料消費率 52.0km/L
[54.0km/L]
※定地走行テスト値
燃料容量 16.0L
[13.0L]
{19.0L}
エンジン 空冷4サイクルDOHC四気筒
総排気量 398cc
最高出力 45ps/10000rpm
[42ps/10000rpm]
{55ps/11500rpm}
最高トルク 3.5kg-m/8000rpm
[3.4kg-m/8000rpm]
{3.5kg-m/10000rpm}
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前3.00S19-4PR
後110/90-18(61S)
[前3.25S-19-4PR
後130/90-16(67S)]
{前90/90-18(51H)
後110/90-18(61H) }
バッテリー FB12A-A
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
D8EA/D7EA
または
X24ES-U
{D8EA}
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.9L
交換時2.2L
フィルター交換時2.5L
スプロケ 前16|後45
[-]
{前16|後46}
チェーン サイズ530|リンク104
[-]
{サイズ520|リンク106}
車体価格 452,000円(税別)
[465,000円(税別)]
{538,000円(税別)}
※スペックはXJ400D
※[]内はXJ400SPECIAL
※{}内はXJ400ZS
系譜図
xj4001980年
XJ400
(5M8)
XJ400Z1981年
XJ400D/Z/SP
(5L8/33M)
XJR4001993年
XJR400/S/R/R2
(4HM)
XJR400R1998年
XJR400R
(4HM中期)
XJR400R最終2001年
XJR400R
(4HM最終期)

XJ400(5M8)-since 1980-

XJ400

ヤマハの400ccとしては初の四気筒となるXJ400。ペケジェイ400とか言われてたりしましたね。

いきなり話が反れますが、XJ400を語る前にXJ400が出る前の話を少し。

400cc初の四気筒バイクといえば1971年のCB350です。そこから1974年に出たのが有名なCB400FOUR(通称ヨンフォア)、そして中型免許制度が出来たことによって生まれた1976年の398ccバージョンのヨンフォア1と2ですね。

ヨンフォア

実は四気筒400ccというのはこのヨンフォアを最後に市場から消えました。

CB400の系譜の方でも言いましたが「採算が合わない」という理由から。

それでも四気筒400ccを望む声は多く、そしてその期待に応えたのがXJ400・・・じゃなくてZ400FXなんですね。

Z400FX

輸出仕様のZ500のスケールダウン版とすることで採算性をクリアしたバイク。

「ついに400cc四気筒が復活した!しかも43馬力!しかもカッコイイZ!」

とそりゃもう話題になりました。当時38万円(今で言うと70万円弱)と結構いい値段だったんだけど、限定解除が難しかった時代なのも加わって大ヒットしました。

そしてそんなZ400FXから遅れること一年で登場したのがこのXJ400。

5M8

四気筒ながらコンパクトに造られた幅、電子進角フルトランジスタ点火、燃料計、SUキャブにバンク角を稼ぐために屈折させた4-1-2の集合管などなど。

そのおかげでZ400FXの43馬力を超える45馬力で登場という血も涙もない後出しジャンケン。

性能を追い求めるあまり、上で言った様にお金かかりまくりでZ400FXより3万円も高い41万円。

性能が良ければ高くても売れる精神のヤマハらしいですね。

主要諸元
全長/幅/高 2060/760/1130mm
シート高 785mm
車軸距離 1405mm
車体重量 176kg(乾)
燃料消費率 42.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 16.0L
エンジン 空冷4サイクルDOHC四気筒
総排気量 398cc
最高出力 45ps/10000rpm
最高トルク 3.5kg-m/8000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前3.00S19-4PR
後110/90-18(61S)
バッテリー FB12A-A
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
D8EA/D7EA
または
X24ES-U/X22ES-U
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.9L
交換時2.2L
フィルター交換時2.5L
スプロケ 前16|後45
チェーン サイズ530|リンク104
車体価格 432,000円(税別)
系譜図
xj4001980年
XJ400
(5M8)
XJ400Z1981年
XJ400D/Z/SP
(5L8/33M)
XJR4001993年
XJR400/S/R/R2
(4HM)
XJR400R1998年
XJR400R
(4HM中期)
XJR400R最終2001年
XJR400R
(4HM最終期)

R1-Z(3XC)-since 1990-

R1-Z

「初めに人ありき」

1990年の6月に登場したTZR250のネイキッド版・・・と簡単に片付ける事は出来ないR1-Z(ズィー)/3XC型。

元々ヤマハはレースだけでなくストリートでのスポーツも想定していました。前に消化したRZ250なども正にそこを睨んだモデル。

ヤマハR1-Z

しかし世の中が求めるスポーツがサーキットや峠で真価を発揮するレーサーレプリカに変わっていった。

このギャップに対しヤマハ自身も悩んだものの

「その意志はRZ250の方で貫けばいい」

という事でレーサーレプリカTZR250を”別のモデルとして”出す判断をします。TZR250が出た後もRZ250を併売していた理由はここにあるわけですが、そのRZ250ももう10年近くになろうとしていた事から企画の牧野さんが

「TZRが進化しているように、RZも進化すべきだ」

と考えてプロジェクトを主導。

3XCカタログ写真

・クロスしている専用トラスフレーム
・トランスミッションを中低速重視のクロスレシオ化
・少し絞った26mmフラットバルブ式キャブ
・楕円パイプによるトラス構造のスイングアーム
・前後17インチにインナーチューブ38mmの大径Fフォーク
・イニシャル及びリザーバータンク付きリアサスペンション
・特徴的なカーボンサイレンサー

などなど、TZR250/2XT(厳密に言うとTDR250)のパワフルエンジンを市街地とワインディングで如何に楽しむかを念頭に置かれた車体構成なんですが、非常に面白いのがプロジェクトリーダーを務められた竹本が一番大事にしたのが

「数値云々ではなく乗ってみてどうか」

設計の数値よりも乗った時の感覚、感性を最優先して開発したという事。

R1-Zブラック

そしてもう一つ大事にしたのが所有感。乗って楽しいだけでなく、見ても楽しめる所有感にも注力。

分かりやすいのが純正とは思えない片側二本出しカーボンサイレンサーや、上でも言った綺麗なX字のパイプフレーム。

R1-Zカタログ写真

いま見ても通用するというか秀でたデザインですが、特に注目してほしいのがR1-Zのデザインを際立たさせているフレームパイプ結合部分の丸くなっている部分。

R1-Zポスター

実はこれ鍛造なんですが、ただの鍛造ではなく冷間鍛造といって冷えた状態(常温)で叩いて成形したもの。表面が綺麗に仕上がるという理由だけで採用というこだわりっぷり。

当時の資料から言葉を借りると、ヤマハがユーザーに感じてほしかったのはレプリカでもテイスティでもない。

「2st特有のスパルタンとフリーダム」

このSENSEを具現化したモデルがR1-Zでした。

R1-Zパンフレット写真

エントリークラスでもあった250にしてはあまりにも玄人感があったためか、当時はどちらかというと敬遠されたモデルだったんですが、時代が追いついたのか近年になり再評価されて人気がうなぎ登りになりました。

主要諸元
全長/幅/高 2005/700/1040mm
シート高 775mm
車軸距離 1380mm
車体重量 133kg(乾)
燃料消費率 34.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 16.0L
エンジン 水冷2サイクル二気筒
総排気量 249cc
最高出力 45ps/9500rpm
最高トルク 3.7kg-m/8500rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前110/70-17(54H)
後140/70-17(66H)
バッテリー GT4L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BR8ES/BR9ES
推奨オイル オートルーブ
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
1.2L
スプロケ 前14|後45
チェーン サイズ520|リンク114
車体価格 489,000円(税別)
系譜図
YD1 1957年
YDシリーズ
YDS-1 1959年
250S/YDSシリーズ
dx250 1970年
DX250/PRO
(280/352)
RD250 1973年
RD250
(361~3N4)
4L3 1980年
RZ250/R/RR
(4L3/29L/1AR/1XG/3HM/51L)
1KT 1985年
TZR250
(1KT/2XT)
3MA 1989年
TZR250/SP
(3MA)
R1-Z 1990年
R1-Z
(3XC)
3XV 1991年
TZR250R/SP/RS/SPR
(3XV)

RZ250(4L3)-since 1980-

RZ250

「ザ・エクストラ・2ストローク」

RD250の後継として発売された、今なお非常に人気が高いRZ250/4L3型。

・水冷化によりクラストップとなる35馬力
・乾燥重量139kgという軽さ
・モノクロスサスペンション
・エアロダイナミックスの流麗ボディ
・やる気にさせるスポーツポジション
・何気に250初となるハロゲンライト

などなど、市販レーサーTD-2の後継にあたるTZ250のレプリカという触れ込みに恥じないとんでもないスペックを引き下げ、1979年の東京モーターショーで大きな話題となりました。

RZ250東京モーターショー

当時を知る人には説明不要だと思いますが

「暴走族に人気だったバイクでしょ」

という勘違いをしている人が居たらいけないので長々と書いていきます。

先代に当たるRD250の系譜で書いたように当時2stは風前の灯火でした。ではなぜRZ250はシリーズ累計販売台数10万台を記録し、歴史に名を刻む名車となったのかと言うと

「開き直った2stスポーツだったから」

という点に尽きると思います。

重ねて言いますが実際この頃は2stのヤマハですら市場が求めたことから4stに大きく舵を切っており、社内でも排ガス規制強化の流れから2stはもう先がない存在という認識でした。

しかし、ヤマハは今でこそFZから始まったGENESIS思想により4stスポーツのイメージがあるものの、元々は2stスポーツで一世を築いたメーカー。

”2stのヤマハ”というイメージはユーザーだけでなく、ヤマハの開発陣も自負するものがあった。だから2stはもう終いという世の中に対し、社内の2st部門の人達が

「最後に2stヤマハの集大成モデルを造ろう」

と願いにも近い考えを持った事から開発がスタート。

そしてマーケティングを調査したところ、北米や日本では需要が無い一方で、欧州では2stスポーツに対する人気(需要)がまだ存在している事が分かり、欧州向けの350と合わせてプロジェクトが本格始動し、RZ250は誕生しました。

ヤマハRD350

これはRZ250に先んじて9月のパリモーターショーで先行発表された350版なんですが、車名は先代から引き続きRDでした。

ではなぜ日本だけRZなのかというと

「TZのレプリカなんだから絶対にZの名前を付けたほうがいい」

という声が社内であったから。そんなRZ250はRD350から一ヶ月ほど遅れて東京モーターショーにて登場。

ヤマハRZ250

35馬力で139kgという驚異的なカタログスペックに加え、コンチネンタルハンドルと従来よりも後方に付いているステップによる前傾ポジション。更には真っ黒いエンジンや跳ね上がった多段チャンバーに流線形の新型キャストホイールなど、当時の市販レーサーTZ250を彷彿させる佇まいに、多くの若者が釘付けとなりました。

4L3

そして実際に走らせてもRZ250は速かったわけですが、多くの人が魅了されたのは実際の速さというよりも狭いパワーバンドに入った瞬間痛快に弾けるコテコテの古典的な2stらしい速さというか加速感でした。こうなったのはもちろん開発チームが2stにプライドを持ち、市場のトレンドに一切媚びなかったから。

そんな時代を逆行するような造りに対し、闘争本能が消えかけていたユーザーの心に再び火が付きヤマハの想定を大幅に超える大ヒット。

2stクオーターの存在価値を市場に知らしめると共に、もうお終いと言われていた2st市場を再び熱く燃え上がらせる『RZショック』とよばれる大どんでん返しのような事態を招きました。

ちなみにRZ250の車体設計を担当した橋本さんも後にこう仰っています。

最初は、金平糖のようにカドが立って個性的だった2ストロークエンジンが、いつの間にか丸いアメ玉のようになりかけていた。そんな時、RZがかつての金平糖らしい個性を持って現れ、それに気づいた他社も再び個性のある2ストロークモデルで対抗してきてくれた。あの時、他社が追いかけてこなかったら、おそらく、RZは本当に最後の2ストロークスポーツになってしまったでしょうね。

RZ250開発ストーリー|ヤマハ発動機
4L3カタログ写真

RZ250が大ヒットを飛ばし、そして名車として今も多くの人に鮮明に覚えられているのはこういった時代背景があったからなんですね。

RZ250のモデルチェンジ概要

RZ250R(29L) -since 1983-

RZ250R/29L

フロントのダブルディスクとビキニカウルが特徴的な初代モデルに負けずとも劣らない人気を誇った二代目のRZ250R/29L型。

リアをディスクブレーキ化しサスペンションも現代的なリンク式に変更。

YPVS

エンジンにも全面的に改良され、排気干渉を防ぐレース直系のYPVSも備わった事で一気に8馬力アップの43馬力にまで向上しました。

RZ250RR(51L) -since 1984-

RZ250RR/51L

フレームマウントのカウルが装着されたモデル。ちなみにアンダーカウルは別売り。

カウルが付いただけかと思いきやエンジンポート、パワージェットキャブ、チャンバーの見直しにより2馬力アップすると共に、フロントフォークやスイングアームそれにタイヤサイズも変更し剛性アップを図るなど数々の改良が施された。ハンドルバーがアルミ鍛造のセパハンになったものこのモデルから。

RZ250R(1AR) -since 1984-

RZ250R/1AR

RZ250RRから半年遅れて登場した丸目ネイキッドスタイルのRZ250R/1AR型。タンデムバーやセンタースタンドが廃され身軽さを演出。なにげにシートもコーナリング時の姿勢を考慮した新型のものに。

RZ250R(1XG) -since 1986-

RZ250R/1XG

次に紹介するモデルが登場した後に併売されたのがこの1XG型。

加速を良くするためにキャブレターを変更したほか、クラッチやパッキンなど細かい部分の改良が入り、車体の方もタンクやカウルなど外装も変更したことで7kgもの軽量化に成功。

RZ250R(3HM) -since 1987-

RZ250R/3HM

最終モデルにあたる1988年のRZ250R/3HM。

前後17インチ化やデジタル制御のCDI点火などに変更。ハンドルも一新されました。

主要諸元
全長/幅/高 4L3:2080/740/1085mm
29L:2095/710/1170mm
51L:2095/670/1190mm
1AR・1XG:2095/690/1070mm
3HM:2070/665/1065mm
シート高 4L3・29L・51L・1AR:790mm
1XG:
3HM:
車軸距離 4L3:1355mm
29L・51L・1AR・1XG・3HM:1385mm
3HM:
車体重量 4L3:139kg(乾)
29L:145kg(乾)
51L:147kg(乾)
1AR:143kg(乾)
1XG:136kg(乾)
3HM:136kg(乾)
燃料消費率 4L3:37km/L
29L:40km/L
51L:-
1AR:-
1XG:-
3HM:-
※定地走行テスト値
燃料容量 4L3:16.0L
29L・51L・1AR:20.0L
1XG・3HM:17.0L
エンジン 水冷2サイクル二気筒
総排気量 247cc
最高出力 4L3:35ps/8500rpm
29L:43ps/9500rpm
51L・1AR・1XG・3HM:45ps/9500rpm
最高トルク 4L3:3.0kg-m/8000rpm
29L:3.4kg-m/8500rpm
51L・1AR・1XG・3HM:3.5kg-m/9000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 4L3:前3.00S18-4PR|後3.50S18-4PR
29L・51L・1AR・1XG:前90/90-18|後110/80-18
3HM:前100-80-17|後120-80-17
バッテリー 4L3・29L・51L・1AR:12N5.5-3B
1XG・3HM:YB5L-B
プラグ 4L3:B8HS
29L:B-8ES
51L・1AR: BR8ES
1XG・3HM:BR9ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
4L3・29L:1.6L
51L・1AR:1.7L
1XG・3HM:1.5L
スプロケ 4L3:前16|後41
29L:前16|後40
51L・1AR・1XG・3HM:前16|後41
チェーン 4L3:サイズ530|リンク102
29L・51L・1AR・1XG・3HM:サイズ520|リンク108
車体価格 4L3:354,000円
29L:399,000円
51L:439,000円
1AR・1XG・3HM:399,000円
系譜図
YD1 1957年
YDシリーズ
YDS-1 1959年
250S/YDSシリーズ
dx250 1970年
DX250/PRO
(280/352)
RD250 1973年
RD250
(361~3N4)
4L3 1980年
RZ250/R/RR
(4L3/29L/1AR/1XG/3HM/51L)
1KT 1985年
TZR250
(1KT/2XT)
3MA 1989年
TZR250/SP
(3MA)
R1-Z 1990年
R1-Z
(3XC)
3XV 1991年
TZR250R/SP/RS/SPR
(3XV)

RD250(361~3N4) -since 1973-

RD250

「RD is 2cycle」

ヤマハがワークス参戦していたころに使っていたGP250マシンと同じRDの名を冠して発売されたRD250/361型。

・トルクリダクション(ピストンリードバルブ+7ポート)
・キーストン型ピストンリングと圧縮比の緩和(7.1→6.7)によるレスポンス向上パフォーマンスの安定化
・六速クロスミッションの採用
・フロントディスクブレーキの標準化
・一体型マフラーによるが図られています。
・燃料タンクキャップをロック式に変更

などカタログスペックに大きな変更は無いものの、各部を改良した手堅いモデルチェンジとなりました。

RD250エンジンカットモデル

先代の時点で性能も名前も折り紙付きの2st250スポーツだったのですが、次に紹介するモデルが爆発的な人気を誇ったことに加え、DX250からの斬新さに欠けた事から歴代モデルの中では狭間のような扱いを受けることが多く、少し可哀そうなモデル。

実際のところ当時のヤマハの発行物を見ても、RD250はそこまで全面プッシュされていませんでした。ただこれには時代ならではの理由があります。

一つは1966年から始まった排ガス規制や、1970年に屋外で体調不良を訴える人が続出した光化学スモッグ事件(排気ガスから出る炭化水素と酸化窒素の光反応によって発生する光化学オキシダントが原因)を発端とした環境保全意識の高まりです。

ガソリンとオイルをモリモリと燃やしながら走る都合上、それらが分かりやすく見て取れる2stバイクが目の敵にされました。

加えて1973年には第一次オイルショックによりリッター60円程度だったガソリンがわずか一年で100円前後まで上昇。

これらにより2stは心証が最悪となり、市場も『エコで万能な4st』が求められるようになった。そのため、多くの2stモデルが出力特性も騒音も大人しくさせることで”2st感”をあまり感じさせない、語弊を恐れず言うなら4stに近づけるようなモデルが多くなりました。

1973RD250

それはこのRD250も例外ではなく、最初に上げたモデルチェンジの内容からも分かるよう、DX250から馬力を上げるのではなく圧縮比を下げて耐久性と安定性を取り、一体型のメッキマフラーを採用することでフレンドリーさというか4stかのような雰囲気を持たせた。

RD250カタログ写真

しかしそれでも市場はやはり

「2stはもう終わった技術」

として4stを求めたため、ヤマハもTXやGXそしてSRなどロードスポーツモデルでは4stに大きくウェイトを置くように変わっていきました。

先代DX250と同じく市販2st250レーサーのレプリカでありながら、まるでそれを隠すかのようなモデルチェンジとなったRD250。本当に時代が悪かったとしか言いようがないです。

RD250のモデルチェンジ概要

RD250(524) -Since1975-

騒音を抑える改良がメインの2型。

・マフラーの全長を40mm延長し容量アップ
・シリンダーフィンに耐熱ラバーを装着し
・キーロック式フューエルキャップ
・折り畳み式タンデムステップなど

RD250(1A4) -Since1976-

車体を共有していた350が普通自動二輪免許創設に伴い、フルスケールの400へとモデルチェンジされたことを機に250も角ばった車体デザインへ刷新された3型。

・シリンダーヘッドおよび掃気ポートの見直し
・エンジンシート高15mmダウン
・燃料タンクが+1Lで13L
・後輪もディスクブレーキに変更

RD250(1A4) -Since1977-

1977RD250

リアスポイラーが付いた新デザインへと移行した4型。

・リアデザインとシートを刷新
・砲弾型バックミラーを左右標準装備

RD250(3N4) -Since1979-

1979RD250

54年の騒音規制を機にモデルチェンジされた最終5型。秀でたデザインでRD250の中では一番人気があるモデル。

・中低速を強化するためエンジンの見直し
・CDI点火へ変更
・燃料タンクが400と共有することで16Lに
・45Wのヘッドランプと新型メーター
・キャストホイール化
・ブレーキキャリパーをアルミ化
・ミッションを400と共有
・コンチネンタルハンドルへ変更

主要諸元
全長/幅/高 361・524:2040/835/1110mm
1A4:1995/830/1085mm
3N4:1995/770/1065mm
シート高 361・524:-
1A4:795mm
3N4:790mm
車軸距離 361・524:1320mm
1A4・3N4:1315mm
車体重量 361:140kg(乾)
524:150kg(乾)
1A4:152kg(乾)
3N4:150kg(乾)
燃料消費率 361・524:40.0km/L
1A4・3N4:35km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 361・524:12.0L
1A4:13.0L
3N4:16.5L
エンジン 空冷2サイクル二気筒
総排気量 247cc
最高出力 361・524:30ps/7500rpm
1A4:30ps/7500rpm
3N4:30ps/8000rpm
最高トルク 361・524:2.92kg-m/7000rpm
1A4:3.0kg-m/7000rpm
3N4:2.9kg-m/7000rpm
変速機 361:常時噛合式6速前進
1A4・3N4:常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前3.00-S18-4PR|後3.25-S18-4PR
バッテリー 361・524:AYT2-12/5.5AH
1A4・3N4:12N5.5-3B
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
361・524:B-7HS
1A4:B7ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
361・524:2L
1A4:1.8L
3N4:1.6L
スプロケ 3611・524:前15|後40
1A4・3N4:前15|後40
チェーン 361・524:サイズ530|リンク91
1A4・3N4:サイズ530|リンク96
車体価格 3N4:295,000円
系譜図
YD1 1957年
YDシリーズ
YDS-1 1959年
250S/YDSシリーズ
dx250 1970年
DX250/PRO
(280/352)
RD250 1973年
RD250
(361~3N4)
4L3 1980年
RZ250/R/RR
(4L3/29L/1AR/1XG/3HM/51L)
1KT 1985年
TZR250
(1KT/2XT)
3MA 1989年
TZR250/SP
(3MA)
R1-Z 1990年
R1-Z
(3XC)
3XV 1991年
TZR250R/SP/RS/SPR
(3XV)

DX250(280) -since 1970-

「都会の風。スポーティエレガンスDX」

YDS系ではあるもののモデルチェンジを機に車名も変わった1970年登場のDX250/280型。※海外向けはDS7

馬力と価格は据え置きながら、エンジン・フレーム共に新設計されたもので、スリムなタンクと角ばったシリンダーブロックが特徴的なモデル。

ほかにもアルミボトムケースのフロントフォークや一体型マフラーを採用し、バンク角を稼ぐため最低地上高も少しアップされています。

DX250

そのスタイリッシュさと先代DSシリーズで築き上げた信頼により250の定番モデルとなっていたDX250ですが、そんな中で何が更に進化したのかといえば

「さらに一歩進んだレーサー直系」

という点になります。

これまで紹介してきたYD~DSもレーサーと関係があるモデルだったのですが、DX250はそこから更にググッと近くなりました。

前のページでも話した通りヤマハはYDS-1と専用KITパーツを販売しアマチュアレーサーの希望の星と化したのですが、そこで手を緩めず1962年には更に研ぎ澄ませた市販レーサーを発売しました。

1962TD-1

YDSのKIT装着レーサー仕様をベースに、当時ブイブイ言わせていたGP(現MotoGP)技術を注ぎ込んだ生粋のレーサーになります。

市販車にKITパーツや独自のチューニングを施してレースに挑んでいたアマチュアにとって、純粋なレーサーが買えるというのは夢のような話。ここでもヤマハはアマチュアライダーに自分たちの代わりに戦ってもらおうと考えたわけです。

「純レーサーなら量販車のアマチュアレースとか出られないのでは?」

と思いそうですが、ちゃんとライトやウィンカーを付けて公道走行可能なモデルとして法規を”一応”パスしています。

TD-1はほほ純粋なレーサーだった事から当時アマチュアが買えるバイクの中では断トツで速く、日本のみならず世界中のレースで勝ち星を上げました。

代表的なところでいうと鈴鹿サーキットが完成して初めて行われた日本初のロードレースである1962年の第1回全日本ロードレース選手権アマチュア250部門はもちろん、そしてその一つ上である350部門でも255ccというわずかに排気量を上げただけのTD-1が優勝しています。

ヤマハの狙いがここでもズバリだったわけですが、では当のヤマハ自身はどうしていたのかというと、レース界の頂である世界GPに全力でした。

しかしそんなGPの250クラスにおいて事件が発生します。

『2st/V4のヤマハ対4st/L6のホンダ』

という今考えても異常なマシンで日本勢が一騎打ちを繰り広げてしまったため運営から

「1969年からGP250は二気筒までにします。」

という締め出しに近いレギュレーション変更が行われました。

これにはさすがのヤマハも怒って250のワークス撤退となったのですが、さすが2stのヤマハと言うべきかアマチュアに希望を与えるメーカーというべきか、ワークス撤退を機にとんでもない置き土産のようなモデルを1969年に開発。

1969TD-2

いま紹介した市販レーサーTD-1をさらに改良したTD-2になります。

先代DSをベースにクラストップとなる44馬力を叩き出し圧倒的な速さを誇った”市販車”です。ここでもヤマハはアマチュアに活躍してもらうためにレーサー、つまり自社の技術を”市販”した。

結果どうなったかというと、ワークス撤退したGP250はもちろんのこと世界中の250レースがTD-2一色に染まるという異常事態になりました。

そして話は再びDX250へ。

そんなレース界を蹂躙していたTD-2の公道版レプリカとして登場したのがこのDX250なんです。

DX250当時の広告

なんとこのDX250、いまで紹介した市販最速レーサーTD-2と非常に高い確率でパーツを共有できる互換性を兼ね備えた設計だった・・・そんなのアリなのか。

DX250のモデルチェンジ概要

DX250PRO(352) -Since1972-

1972DX250PRO

フロントにディスクブレーキ(対向2ポットキャリパー)を採用したモデル。

主要諸元
全長/幅/高 2040/835/1085mm
シート高 790mm
車軸距離 1320mm
車体重量 138kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 16.0L
エンジン 空冷2サイクル二気筒
総排気量 247cc
最高出力 30ps/7500rpm
最高トルク 2.92kg-m/7000rpm
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.00-18
後3.25-18
バッテリー  
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル オートルーブ
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 196,000円(税別)
※スペックはDX250
系譜図
YD1 1957年
YDシリーズ
YDS-1 1959年
250S/YDSシリーズ
dx250 1970年
DX250/PRO
(280/352)
RD250 1973年
RD250
(361~3N4)
4L3 1980年
RZ250/R/RR
(4L3/29L/1AR/1XG/3HM/51L)
1KT 1985年
TZR250
(1KT/2XT)
3MA 1989年
TZR250/SP
(3MA)
R1-Z 1990年
R1-Z
(3XC)
3XV 1991年
TZR250R/SP/RS/SPR
(3XV)

250S/YDS-1(150) -Since1959-

「この美しい車を・あなたに」

発売当初はヤマハスポーツ250Sという名前でしたが数ヶ月でYDS-1に社名が変更になった為、YDSで名前を統一してご紹介。ちなみに愛称は「エスワン」です。

先代に当たるYD-1のページで紹介した通り、ヤマハは浅間高原レース125制覇の勢いそのままに、1957年に250ccクラスとして2st二気筒250ccのYD-1を販売。同時にYD-1をベースにしたYDレーサーのタイプAとBにてレースへ参戦しました。

AとBはボアストローク比が違うだけ(A:54mm×54mm|B:56mm×50mm)で、これはレースでは一車種3台までというルールへの対応するため。

ちなみに浅間高原レースという大層な名前ですが、当時のコース路面は今で言うダートコースで最低限の整備だったため、暴れるバイクを如何にコントロールするかが鍵だった時代。つまり軽くてワイドなハンドルが定説なんですが、なんとヤマハは重くなるカウルと低く絞ったハンドルという空力重視のスポーツスタイルで勝負に挑み・・・見事に勝利しました。

1957浅間高原レース

2st二気筒250ccのパワフルなエンジンは分かるものの、一見無謀とも終えるこのような車体で勝てた理由は、これらの装備はレーサーっぽい見た目で存在感をアピールすると共に、走行中に前の車両から飛んでくる泥から視界を守る泥除けを狙ってのものだったから。

そしてそんな250ccレースを制したYDレーサーのレプリカとして登場したのがYD-1のスポーツ版であるYDS-1というわけです。

ヤマハスポーツ250S

YDレーサーと同じくデュアルキャブレター化でクラストップの20馬力を叩き出し、ミッションも国産量販車初となる5速ミッションを搭載。車重もYD1から2kgの軽量が施され最高時速は公称140km/h。

そんなハイスペックスポーツのYDS-1ですが、更に凄かったのは

「レースKITを用意して一般向けに売った」

という事にあります。

ヤマハが成功を収めた浅間高原レースですが、消費者からの注目度は非常に高かったものの、運営やコース整地などレースに関わる費用のほぼ全てを参戦メーカーが負担する形だったため、メーカーもその負担に耐えきれなくなり、話し合いの末にYDレーサーが勝った1957年を最後に隔年開催へと変更されました。

つまり翌1958年は中止となったのですが、当時の月刊モーターサイクリスト取締役社長だった酒井文人氏が音頭を取り、憧れの浅間高原レースを走ってみたいと思っているアマチュアを全国から集めアマチュアレースを開催。

これが日本初の第1回クラブマンレースになるんですが、アマチュアということもありメーカーも車種も改造範囲もバラバラな異種格闘技のような形となりました。しかし、身近なモデルによるレースという事でメーカー対決とは別の形で人気を呼び、なんとこっちまで翌1959年以降も毎年開催する事となり、またその注目度からメーカーも見過ごせないレースとなりました。

そう、つまりヤマハがYDレーサーのレプリカYDS-1を1959年に発売した理由は、このクラブマンレースでも勝ちたいという考えがあったから。

250Sカタログ写真

もちろんそう考えるのはどのメーカーも同じこと。しかし同時に技術力を持ったメーカーほど非常に難しい問題に直面するレースでもあった。

「自社のバイクを勝たせたい」

「自社のレース技術を明かしたくない」

というジレンマが発生したんですね。だから1959年の第二回クラブマンレースを勝ちたかったメーカーは、名目上は市販車としつつも自社の息のかかった人たちだけに供給し勝ちにいく”隠れワークス作戦”に出るところがチラホラあった。

一方でヤマハはこれとは正反対の手段を取った。それが上で紹介したYDS-1とレースKITの一般販売です。自社が持つレース技術の提供、手の内を明かす事でアマチュアの人にYDS-1を選んでもらい、なおかつ勝ってもらうボトムアップのような道を選んだ。

キットパーツを装着したYDS-1

結果として残念ながらレースで優勝は逃したのですが、作戦としては大成功を収めました。

今でこそレースベース車両などが当たり前に買えますが、この頃はレースを想定したモデルというのは存在こそすれ一般人は触る事すら許されなかった時代だったので

「腕に自身はあるがレースに参加できるマシンを持っていない」

という全国で燻っていたライダー達にとってYDS-1の販売は、夢をかなえる手段として人気を呼び、また、レースでヤマハ勢を応援する人、そして優勝を逃したにも関わらずヤマハを称える人が爆発的に増えたんです。

これが何故かといえば自分でも頑張れば買えるバイクで、自分と同じアマチュアライダーが戦ったからですね。

試合に負けて勝負に勝った典型ともいえるこの流れ・・・そう、80年代に巻き起こる事となったレーサーレプリカ(SPレースブーム)と非常に酷似している。

このYDS-1は半身レーサーという要素から一大ブームを巻き起こす事になるレーサーレプリカマーケティングの第一人車とも言えるバイク。

”2stのヤマハ”と二つ名で呼ばれるようになりだしたのはこの頃からで、その理由は単純に速かっただけでなく、いま話したように

「アマチュアに夢を見せてくれる2stを造っていたから」

なんですね。

YDSのモデルチェンジ概要

YDS1(150後期) -Since1960-

YDS1後期モデル

ミッションをスプライン式からドッグ式へ変更する年次改良を行ったエスワン後期モデル。見分け方としてはフェンダーが伸びている事と、フェンダーステーがアクスルシャフト部分からの取り付けになっている事があります。

YDS2(152) -Since1962-

1962YDS2

通称「エスツー」

22mmの大径キャブレターの採用で3馬力UPし23馬力になり、防水防塵に優れるツインリーディング式のドラムブレーキも採用。先代に引き続きレース用のKITも数多く販売されました。

YDS3(156) -Since1964-

1966YDS3

通称「エスサン」

オートルーブ(オイル分離給油式)の採用に伴いデザインが一新された三代目モデル。馬力は更に上がって26馬力となり、後輪も併せて3.25-18に大型化。フェンダーを一本ステーで固定しているのが特徴。

上の写真は発売から半年後の12月に登場したアップハンドルと楕円上のヤマハロゴになった後期モデル。

DS5E(169) -Since1967-

1967DS5E

通称「エスゴ」

車名からYが取れた四代目モデルで、アルミシリンダーのポート数を5に増やし29.5馬力に大幅パワーアップ。上の写真は翌1968年のタッカーロールシートと大型ウィンカーを採用したモデル。

厳密に言うとYDS5Eが正式名称で、Eというのはセル付きの意味。ちなみにナンバリングが4を飛ばして5になっているのは4が不吉な数字だったから。

DS6(246) -Since1969-

1969ds6

通称「エスロク」

容量11Lのスリムティアドロップタンクが特徴的なYDS系の国内最終モデル。メーターとヘッドライトを分離し、クランクケースカバーもバフがけする等、質感を大きく向上させました。

セルを取り払い、アップタイプマフラーを採用しスクランブラースタイルのCタイプもありました。

主要諸元
全長/幅/高 150:1980/615/950mm
152:1980/615/935mm
156:1975/780/1050mm
169:1990/770/1050mm
246:1990/835/1065mm
シート高
車軸距離 150:1285mm
152:1290mm
156:1295mm
169:1290mm
246:1290
車体重量 150:138kg(乾)
152:156kg(乾)
156:159kg(乾)
169:143kg(乾)
246:150kg(乾)
燃料消費率 150:80.0km/L
152・156:40.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 150・152:15.5L
156:14.0L
169:15.0L
246:11.0L
エンジン 空冷2サイクル二気筒
総排気量 246cc
最高出力 150:20.0ps/7500rpm
152:23.0ps/7500rpm
156:24.0ps/7500rpm
169:29.5ps/8000rpm
246:30.0pr/7500rpm
最高トルク 150:1.9kg-m/6000rpm
152:2.1kg-m/6000rpm
156:2.3kg-m/7500rpm
169:2.7kg-m/7500rpm
246:2.92kg-m/7000rpm
変速機 常時噛合式5速前進
タイヤサイズ 150:前3.00-18|後3.0-18
152:前2.75-18|後3.0-18
156・169・246:前3.00-18|後3.25-18
バッテリー 150・152:6-6
156:6-7.5
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
150・152:B6-7H
156:14mm B7HZ
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
1.6L
スプロケ
チェーン 150:チエン3.36
152:チエン2.438
156:チエン2.563
車体価格 150:185,000円
152・156:187,000円
169:193,000円
246:187,000円
系譜図
YD1 1957年
YDシリーズ
YDS-1 1959年
250S/YDSシリーズ
dx250 1970年
DX250/PRO
(280/352)
RD250 1973年
RD250
(361~3N4)
4L3 1980年
RZ250/R/RR
(4L3/29L/1AR/1XG/3HM/51L)
1KT 1985年
TZR250
(1KT/2XT)
3MA 1989年
TZR250/SP
(3MA)
R1-Z 1990年
R1-Z
(3XC)
3XV 1991年
TZR250R/SP/RS/SPR
(3XV)

YD-1 -since 1957-

YD-1

「ヤマハオリジナル250」

ヤマハ初となる2st二気筒エンジンを搭載したYD-1。

当時、富士登山レースや浅間高原レースといった全国のバイク乗りがメーカーの技術力を図る一種のベンチマークになっていた正式名称『全日本オートバイ耐久ロードレース』において、YA-1(通称赤トンボ)優勝の勢いそのままに出した250ccモデルになります。

なぜ250ccだったのかというとレースが下記のようなクラス分けで行われていたから。

・ウルトラライト級(125cc)
・ライト級(250cc)
・ジュニア級(350cc)
・セニア級(500cc)

YA-1でウルトラライト級を制覇したヤマハとしては当然ながら

「次はライト級(250cc)だ」

というのが自然な流れで、それを見越して開発された250cc市販車がこのYD-1という話なのですが、YA-1がDKWのRT125を参考にしたのに対し、YD-1は同じくドイツメーカーのADLER社のMB250を参考に開発されました。

1954MB250

聞き馴染みが無いメーカーだと思うので少しだけ説明すると、元々はドイツの自転車屋さん。1901年にバイク製造に成功したことを皮切りに優れた技術力を武器に自動車にまで事業を拡大し、1914年にはドイツの乗用車シェアの20%を獲得するほどでしたが、ドイツだったので戦後賠償とゴタゴタにより1950年代後半に倒産しました。

だからこそヤマハというか当時の社長だった川上氏はその中でも傑作と称されていたMB250を参考にした250を開発するよう指示を出したわけですが・・・

1954MB250と1957YD-1

出来上がったYD-1を見ると似てない。

これにはYD-1の1年前にあたる1953年に開発されたYC-1(YA-1の174cc版)が関係しています。ちなみにAだのCだのDだの言われて混乱している人も多いかと思うので補足すると、当時のヤマハの社名はアルファベットで排気量と世代を表すスタイル。

A→125cc
C→175cc
D→250cc

という感じで、YA-1はYAMAHAの125ccの一号機だからYA-1、YC-1は175ccの一号機だからYC-1という感じです。

そんなYC-1もYA-1に習ってDKWの175を参考に製作されたのですが、デザインに関しては自由が与えられました。

DKW175とYC-1

そのため完成したYC-1はオリジナルであるDKW175に通ずる部分は多いものの、より流線的なデザインとなっており、更には車体色も赤とグレーのツートンボディというオシャレさでした。

これはGK(Group Koike)のドンである東京芸大の小池岩太郎氏が

「車体色はシャンゼリゼ通りの濡れた舗道にしよう」

と発した事が発端だったのですが・・・

シャンゼリゼ通り

GKグループメンバーは貧乏学生の集まりだったので、パリなんて行ったことがなかった。

そのため完全な妄想というかイマジネーションを膨らませた結果こうなった。

参照:日々、思うこと|GKデザイン

YC-1カタログ

そうして完成したYC-1は非常にオシャレだと評判をよび、商業的に成功を収めました。

話を本題のYD-1に戻すと、YC-1の成功があったからこそYD-1もMB250を参考にした180度クランク並列二気筒2stエンジンを積んでいるものの、比較的自由が与えられた事で

「バイクは軽くて小さくてパワフルでスポーティであるべきだ」

という考えの元、車体をコンパクトにする独自の意匠を込めようとなったわけですが、そうして車体が完成仕掛けた頃に問題が発生。車体をコンパクトにし過ぎたため、当初想定していたタンク容量15Lが確保出来なくなってしまった。

しかし車体を引き伸ばす事も容量を削ることも絶対にしたくない・・・そこで考えたのがタンクを上に盛ることでした。

YD-1のアイコンであり後に「文福茶釜」または「鉄かぶと」と呼ばれるようになったこの盛り上がったユニークなタンク形状は、そんな問題を解決しつつデザイン性を損なわないようにした結果に生まれた完全オリジナルな意匠なんです。

YD-1がヤマハオリジナルと言われているのはこういった背景が由来で、のちに

「インダストリアルデザイン(工業意匠)を取り入れた初めての国産バイク」

とも称されました。つまりデザインのヤマハの始まりのモデルでもあるんですね。

YDのモデルチェンジ概要

YD-2(146) -Since1959-

YDII

パイプレームから鋼板プレスのフレームとなり、エンジン出力は変わらないものの設計が見直され整備性が向上したモデル。

次に紹介するスポーツタイプが登場した事もあり、新たにセルモーターを標準装備するなどビジネスにおける利便性を向上させつつ、あえてリアキャリアを付けないなどスポーティさとの両立を図ったモデル。

2万円ほど値下げしたこともあり

「スポーツビジネスバイク」

として人気を博しました。

YD-3(148) -Since1961-

更に二年後となる1961年には3型へとモデルチェンジ。

文福茶釜で親しまれていたタンク形状を見直し、ハンドルもアップタイプへ変更してさらに利便性を向上。とは言いつつも加熱化していた二気筒市場に対応するためデュアルキャブレター化により馬力が2.5馬力UPの17馬力に。

他にもタンデムシートがセパレートタイプになり、ホワイトリボンタイヤを装着するなど当時の最先端トレンドを抑えたオシャレに変貌しました。

余談ですが最後にYD-1のチラシをご紹介。

梁瀬自動車株式会社という名前が入っているのが分かるかと。

そう・・外車の取り扱いで有名なあのヤナセ。当時はヤマハのバイクも売っていたんですね。

主要諸元
全長/幅/高 YD1:1935/705/935mm
146:1900/740/955mm
148:
シート高
車軸距離 YD1・146:1270mm
車体重量 YD1:140kg(乾)
146:147kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 YD1:15L
146:14.5L
エンジン 空冷2サイクル二気筒
総排気量 247cc
最高出力 YD1・146:14.5ps/6000rpm
最高トルク YD1・146:1.9kg-m/4000rpm
変速機 YD1・146:常時噛合式4速
タイヤサイズ YD1・146:前後3.25-16
バッテリー YD1・146:6-6×2
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
YD1・146:14mm B6
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン YD1・146:チエン2.21
車体価格YD YD1:185,000円
146:168,000円
系譜図
YD1 1957年
YDシリーズ
YDS-1 1959年
250S/YDSシリーズ
dx250 1970年
DX250/PRO
(280/352)
RD250 1973年
RD250
(361~3N4)
4L3 1980年
RZ250/R/RR
(4L3/29L/1AR/1XG/3HM/51L)
1KT 1985年
TZR250
(1KT/2XT)
3MA 1989年
TZR250/SP
(3MA)
R1-Z 1990年
R1-Z
(3XC)
3XV 1991年
TZR250R/SP/RS/SPR
(3XV)