DAYTONA/1100SPORTシリーズ -since 1991-

DAYTONA RS

ルマンというスポーツモデルで頑張っていたモトグッツィだったけど日本メーカーやドゥカティによる高性能化の激しい波に抗いきれなくなっていた。そこで対抗すべく作られたのがこの1000DAYTONAシリーズ。

これはMOTO GUZZIの車両(R/Vレーサー)でアメリカのレースをプライベーターとして戦っていたジョンの協力によって生まれたレーサー車両。

結論から言うと

1990 1000Daytona

1992 1000Daytona-FI

1996-99 1000Daytona-RS

と続いたわけですが、あまり台数も出なかった(出さなかった?)数少ないOHCモトグッツィだったのですが、MOTO GUZZIとしては転換期のバイクでもあり進むべき道が決まった特筆すべきバイクでもあります。

その見た目からしても分かる通り今までのグッツィの流れから逸脱した作り。

エンジン

エンジンはそれまでのOHVから4バルブOHCに改められ、カウルデザインも流動的な物に。更にパラレバーに加えフレームもバックボーンタイプへと変更。横置きVツインエンジンくらいしかソレまでのモトグッツィらしさがない異質なモデル。

OHC

レースでも勝てる車両として開発されたわけなんだけど市場からは

「こんなのMOTO GUZZIじゃない」

という声が多く聞かれたそうです。

そんな声から作られたのがDaytona1000の実質的な後継となる1994年からの1100スポルトシリーズ。

1100スポルト

後のV11のご先祖様であり歴代スポルトシリーズでも非常に人気の高いモデル。

フレームや足回りは先の1000Daytonaをベースにしつつもエンジンを4バルブOHCから2バルブOHVへと変更。

なんだか先祖返りな気がするけど、これはOHCだった1000Daytonaがあまりにもヒュンヒュン回ることへの違和感を覚える人が多かったから。

モトグッツィはもともとカリフォルニアの流れからアメリカで非常に人気のあるメーカーだったんだけどそれでもOHCは駄目だったんだね。アメリカ人のOHVへのこだわりっぷりは本当に凄いね。

だからこの1100スポルトは非常にドコドコといわせる味のあるエンジンになってる。

1100スポルトエンジン

結局この一件がMOTO GUZZIの方向性を決めたんじゃないかと思います。

その後のラインナップやDAYTONA1000の後釜になり得たMGS-1(デイトナ優勝レーサー)が市販化されなかった事からみても、MOTO GUZZIに求められることはドゥカティに勝つことではなく、味のある唯一無二なバイクを作ることだということが。

1200スポルト

ちなみにこの1100スポルトも非常に人気が高かったため、2007年にV1200スポルトとして復活し、2011年まで販売されました。

系譜図
モトグッチ

1921年

MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~

V7 series

ル・マン

1976年~

Le Mans series

デイトナ1000

1992年~

DAYTONA1000

V11

2001年~

V11 series

V7レーサー

2015年~

V7-2/V9 series

LE MANSシリーズ -since 1976-

モトグッツィ

750S3をベースに開発された小さなビキニカウルが特徴的な850ルマンシリーズ。

名前の由来は読んで字のごとくルマンから。

これは当時ボルドール耐久で使っていたTelaio Rosso 850をベースにした公道モデルというわけです。

Telaio Rosso

ベースが耐久レースモデルなだけあってV7スポルトを大きく上回る72馬力を発揮する844ccのエンジン。今でいうレーサーレプリカみたいなものですね。

これがV7に勝るとも劣らない人気を呼び1978年にはマーク2にモデルチェンジ。

マーク2

耐久レース譲りのツーリング性能が高評価を受けました。そして勢いそのままに1981年には更にツアラーへと振ったマーク3へ。

マーク3

ルマンシリーズでも屈指の人気モデル。

更に更に1984年にはフロント16インチ化&1000cc化でツアラーから再びレーサーに近くなったマーク4。

マーク4

そして最後は16インチ化が不評で18インチに戻された1988年マーク5。

1000ルマンmk5

と、かなりの紆余曲折なモデルチェンジがありながらも長いこと愛され人気をよんだモデルで、後にバリエーションの一つして復活したりもしています。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

V7シリーズ -since 1966-

モトグッツィ

MOTO GUZZIといえばコレといえる縦置きV2エンジンを最初に搭載したV7。

先に述べた通り経営危機による経営権の譲渡、経費削減の一環としてモデル整理などが行われていた状況で、エンジンの新造なんて論外だったモトグッツィ。

そんな中で何故このような新設計のビッグバイクを出せたのかというと、イタリアの防衛省から三輪車用エンジンの開発という競争入札、そして警察からも白バイの競争入札があったから。

ビッグバイクの市販モデルが無かったモトグッツィにとってはレースや農耕用トラックなどで培った技術力を発揮し大型車を作れる千載一遇のチャンス。

Mulo meccanico

Benelli、Gilera、Laverda、Ducatiといった同じイタリアのライバルたちとの選定争いになったわけですが、唯一のドライブシャフトモデルだった事や、耐久性&整備性、更にはコスト面でもライバルたちを大きく引き離すトップの評価を獲得し、見事選定されました。

嬉しい誤算だったのは、この高く評価されたエンジンの話がアメリカにも飛び火し、カリフォルニア州の白バイとしてもデビューすることになったこと。

V7カリフォルニアPOLICE

今でも売られているモトグッツィのクルーザー”カリフォルニア(1972年~)”はこのカリフォルニア州の白バイが原点です。

ハーレーから勝ち取ったと話題になったものの、実は最初はこんな形では有りませんでした。しかしカリフォルニア州の方から

「今までハーレーだったから混乱しないようにハーレーみたいにして」

と言われこの形になったんだとか。

そうしてでも獲得したいほどアメリカの市場というのは大きいものだったわけですね。その狙い通りアメリカが採用した事でますます大きな話題となり世界中の官公車としてV7エンジンはヒットしました。

そしてここでやっと出てくるのがV7。

1968V7

官公用に作ったエンジンやオートバイを元に自社製品(民生品)として作られたのがV7というわけです。

他にもルパン三世でお馴染みFIAT500もMOTO GUZZIのエンジンを載せる方向で話が進んでいたんですが頓挫したという話もあります。惜しかったですね。

さて話をV7に戻しますが、元々が官公車という事でそのタフさからイタリア本土のみならずアメリカでも高い評価を得て大ヒットしました。コレが無かったからMOTO GUZZIは間違いなく消え去っていたでしょうね。

V7SPECIAL

更に69年には753ccにまでボアアップしたSPECIALなども登場。

そんなV7シリーズの中でも一番成功したモデルと言われるのが1973年に登場したV7スポルトというモデル。

V7スポルト

スポルトという名前からも分かる通り748ccのエンジンを高剛性な新設計のトンティーフレームに積んだスポーツモデル。

トンティーフレームっていうのはダブルクレードルフレームみたいなものなんだけど、剛性を増すために可能な限り直線でエンジンを包み込むように作られてる。

トンティーフレーム

V7は見て分かる通りエンジンが少し異質で横に張り出してるからフレームも少し変わってるんですね。V型シリンダーの間をフレームが突き抜けるようになっているのが特徴です。

この後もチェーン駆動となった750S、そしてリアがディスクブレーキになったS3と続くことになり経営再建に成功。今ではピアジオグループ一員になるまでに成長することになりました。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

MOTO GUZZI -since 1921-

モトグッツィ

「MOTO GUZZI(モトグッツィ)」

たぶん「名前は聞いたことある・・・」って人が多いと思いますので、まず系譜というよりはモトグッツィの歴史を学んで行きましょう。

モトグッツィの由来

第一次世界大戦中、戦闘機のパイロットとして召集された元オートバイレーサーのジョヴァンニ・ラベッリ、同じくバイク好きだった富豪の御曹司ジョルジョ・パローディ、エンジン屋だったカルロ・グッツィの三人が軍内で知り合いバイク話で意気投合。

そしてそのバイク熱は留まる所を知らず

「戦争が終わったら三人でバイクを作ろう!」

というところまで行き着きました。そして戦争が終わった1920年、戦時中の約束通りバイク作りを始めるわけです。

モトグッチ創始者

左からラベッリ(レーサー)、グッツィ(エンジニア)、パローディ(御曹司)の順番。

意気投合していた三人でしたが、残念なことに終戦直後にラベッリがテスト飛行の事故で帰らぬ人に。

残された二人はMOTO GUZZIは三人の夢であり三人の物だという事を示すため、彼がいたイタリア空軍の象徴であるアクイラ(鷲)をロゴにすることに決めました。

イタリア空軍

しかし話はそれでは終わりません。

社名のモト グッツィの”グッツィ”部分はその名の通りエンジニアのカルロ・グッツィからなわけですが、実はグッツィ氏は御曹司の名前も入れてパローディ・グッツィにしようと言ったものの、パローディが

「私の名前よりエンジニアであるグッツィの名前を前面に押し出した方がいい」

と辞退した事で決まりました。三人の友情の深さが伺えるエピソードですね。

こうして1921年にMOTO GUZZIとして出発。イタリアオートバイメーカーとしてはBenelliと並んで現存するバイクメーカーとしては最古になります。

Normale

そんなMOTO GUZZIが一番最初に大々的に発売したバイクがこのNormaleというバイク。

4st横型空冷2バルブ498ccで最高速度は85km。宣伝を兼ねてこのバイクをベースにしたレーサーで国内の耐久レースに出場。致命的なトラブルもなく走りぬき高い耐久性を証明した事で人気を呼び1940年代にはイタリア最大のオートバイメーカーへと成長しました。

dondolino

更にモトグッツィの快進撃は続きます。

御曹司であるパローディの方針でモトグッツィは更にレースに力を注ぐようになるわけですが、天才エンジニアであるグッツィのおかげで瞬く間に頭角を現し、欧州中に名前が知れ販売台数は更に伸びていきました。

1950年代には50~500ccまでほぼフルラインナップメーカーといえるほどの規模まで拡大。

La Guzzi V8

ちなみにバイク業界にカウルという文化を初めて持ち込んだメーカーでもあります。上の写真はLa Guzzi V8というマン島TT向けのレーサーで文字通りV8 500cc 最高回転数12000rpmの化物。横風に弱い事から後に禁止とされました。

そんなレースに死力を尽くしていたモトグッツィでしたが、増える一方だったレース費用のせいで1950年後半になると経営危機を迎えます。

更にはカルロ・グッツィの死、そして追い打ちを掛けるように共同創設者で金銭面で援助してくれていた大富豪パローディ家が破産。

死力を尽くしすぎて首が回らなくなったモトグッツィは今でいう会社更生法に頼るしか道はなく経営が管財人に移行。結果レース事業からの完全撤退、大型バイクの廃止というそれまでの栄光が嘘のような凋落となりました。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

ネイキッド系

ネイキッドとは

最初にご紹介するのは皆さんご存知ネイキッド。

オートバイといえばこの形を思い浮かべる人も多いかと思います。

 

【特徴】

ハンドルが高く比較的楽なポジションながら比較的なんでも万能にこなせる優等生。

カウルなどの装飾も少なく作りもオーソドックスな物が多いためメンテナンス性も良好。

難点はネイキッド(剥き出し)というだけあってカウルレスな物が多く、ポジションが起きてることも相まって防風性がよろしくなく運転よりも風で疲れる。

【歴史】

ネイキッドの歴史がいつからかといえば

「最初から」

というのが正解だと思います。それこそ1885年に造られた世界初の二輪車リートワーゲンだってネイキッド。

リートワーゲン

でもこれじゃ釈然としませんよね。

「じゃあいつからネイキッドと呼ばれるようになったのか」

という話。

これ実はそんなに昔の話ではなく1980年代からなんです。それまではネイキッドなんて言葉は存在しませんでした。

CB400F

例えば今でこそ何処からどう見てもネイキッドな70年代を代表するこれらのバイクも当時は

『スーパースポーツ』

と言われていました。何故ならこれらはレースでも使われる、今で言えばCBR1000RRやZX-10Rのようなバイクだったからです。

それが大きく動いたのが1980年代に入ってから。

この頃レース界では空気抵抗を減らすための外装が付いているのが当たり前になっていた。

1980年代のレーサー

『フェアリング(カウル)』

という今では珍しくもなんとも無いカバーですが、当時は海外(逆輸入)は許されている一方で国内ではこれを付けることを国が許してなかった。

しかし1981年にホンダが出したVT250FというVTRの始祖にあたるバイクの登場で流れが変わります。

1981カウル

これがどうにかこうにか通った事を契機に制度が見直されカウル認可が下りる様になりました。

そんな規制緩和を見逃さなかったのがスズキで1983年のRG250Γを発売。カウルを始めとしたそれまでレーサーの特権だった装備を備えた形でヒットしました。

1983フェアリング

それに続けと全メーカーがスポーツバイクを次々とカウル付きにしていったわけですが、そうなるとこれまでスポーツを担っていたカウルの付いていないバイクはどうなるのって話ですよね。

その答えというか定義を出したのが1985年のヤマハ。

ヤマハはFZ400Rというカウル付きスポーツバイクを出したのですが、同時にカウルを取っ払った従来型のモデルも出しました。

1983フェアリング

『FZ400N(Naked)』

これがネイキッド誕生の瞬間です。

同時になぜネイキッド(剥き出し)という名前になったのかもこれで分かりますよね。

1983フェアリング

「カウルがない事を示す新しい名前を付ける必要が生まれたから」

ですね。

これがネイキッドの名前の由来・・・なんですが、一方でこういうモデルこそがネイキッドだと言われると抵抗がある人が多いかと。

レーサーレプリカネイキッド

実際こういうカウルを剥いた形のネイキッドは(オーナーには申し訳ないですが)当時もあまり人気ではありませんでした。

多く人が漠然と思い描くネイキッドはこういう形じゃないでしょうか。

ジャパニーズネイキッド

改めて見るとCB1300SFは本当にツボを完璧なまでに抑えてるなと感心するんですが、このページで言いたいことはそうじゃない。

重要なのは

「このスタイルはネイキッドというジャンルが生まれた時代には存在していなかった」

という事です。

このスタイルは1990年代に訪れるネイキッドブームにより人気が出てからの話で、その時にカウルを剥いだモデルという意味から

「カウルが無かった時代のスタイル」

をさす言葉に変化した。

これはネイキッドブームによるNKレースが開かれるようになった事も大きく寄与しているものと思われます。

ここで整理すると

・ネイキッドという言葉が生まれたのは1980年代

・我々が思うネイキッド像はそれ以前のスタイル

という事になる。

1983フェアリング

そう、実はネイキッドというのは

「定義の由来とスタイルの由来が別々」

という面白いジャンルなんですね。

じゃあスタイルの方の由来は何か、このデザインが何処から始まっているのか遡ると1972年に発売されたこれに辿り着く。

Z1

『900SUPER4(通称Z1)/750RS(通称Z2)』

我々が思うネイキッド像はココから来てる。1990年代から巻き起こったネイキッドブームの火付け役がゼファーだったのも市場から消えていたこのデザインを継いだ形だったから。

Z1

更に補足するとこの根拠はただポイントが当てはまる最初のモデルだからというだけではありません。

というのもこのZ1/Z2は毎年のように雑誌で特集を組まれる旧車のレジェンドになっているのはご存知だと思うんですが、一方で欧米ではそれほどでもなく国内外での温度差が結構ある。これが現代のネイキッド市場にそのまま繋がってるんです。

我々が思うネイキッドスタイルというのは日本ではウケるけど欧米ではウケない。向こうでは70年代のジャパニーズバイクという認識しか無いからです。

日本のためのネイキッド

でも日本にとってZを始めとした1970年代のバイクというのは世界に躍進した時代を象徴するバイクばかり。

そしてその事が漫画やアニメなどでも登場したりして語り継がれた事でソウルフードならぬソウルバイクになり色褪せないスタイルとして認知され不動の形になったという話。

【最後に】

ネイキッドは正にガラパゴスバイクと言えるんですが、これは別に悪い事でも恥じる事でもないですよ。むしろだからこそ選ぶ価値がある。

何故なら日本人しか好まない事からネイキッドというバイクは日本の人が日本で乗ることだけを考えたバイクになってるから。

日本のためのネイキッド

ガラパゴスであるはずのネイキッドが

『バランスの取れたスタンダードモデル』

として日本で何十年も定着している理由もここにあるわけです。

該当車種

CB1300SF/SBCB400SF/SBの系譜

XJR1300XJR400Rの系譜

Bandit1250GSR400の系譜

ZRX1200DAEGZEPHYRの系譜

などなど

種類一覧
ネイキッドネイキッド系
ストリートファイターストリートファイター系
オフロードオフロード系
モタードモタード系
マルチパーパスマルチパーパス系
ストリートストリート系
スーパースポーツスーパースポーツ系
フルカウルスポーツフルカウルスポーツ系
ツアラー系ツアラー系
メガスポーツメガスポーツ系
クルーザークルーザー系
スクータースクーター系
クラシッククラシック系

ストリートファイター系

ストリートファイターデザイン

近年ネイキッドの座を奪いつつあるストリートファイター系。

端的に言うならばスーパースポーツのカウルを剥いでストリート最速志向にしたスタントやエクストリームが似合うバイク。

【特徴】

高回転型エンジンを搭載しているタイプが多くスピードレンジがネイキッドより高めで、足付きもそんなに良くない傾向。

ストリートファイターとは

本場(従来)の定番でいうと

・カウルレス
・小型ヘッドライト
・ダート用ワイドハンドル
・ショートテール

を備えたバイクがストリートファイターデザインと言われています。

【歴史】

ストリートファイターの始まりは1980年代後半のイギリス。なんと日本でネイキッドという言葉が生まれた時とほぼ同時期なんですね。しかも経緯も似ています。

この頃イギリスで何が起こっていたのかというと日本と同じようにフルカウルのスポーツバイクが高性能の象徴として全盛を迎えていたんですが、カウル付きゆえの問題も起きていた。

「転倒でカウルが割れてしまう」

という問題です。

カウルが割れたり欠けたりしているバイクはお世辞にも綺麗とは言えない、しかし新しいカウルを買おうと思っても躊躇してしまう値段だったりして(お金がない若者は特に)買えなかった。

カウル付きに乗ってる人はいま凄く頷いていると思うのですが

「ならもういっそ全部取ってしまえ」

というのがストリートファイターの始まり。

この経緯を聞くと

「ネイキッドとストリートファイターって同じでは」

と思いますよね。実際そういう見解もある。

ストリートファイターとネイキッド

確かにそれも一理あるんですが日本で売られていたネイキッドはほぼ国内向けモデルであった事に加え、少し厳しい基準でいうと向こうはただ剥いただけでなくイギリス伝統のストリートレーサー

『60年代カフェレーサーのインスピレーションを受けたカスタム』

である事が重要だった。

そういった背景から

・フェアリングレス=買うお金がないから

・小型ライト=フリーライドで邪魔にならないように

・オフ車のワイドハンドル=大きく振り回せるように

・ショートテール=ウィリーでこすらないように

などカフェレーサーをルーツに持ちつつハイスペックを公道で活かせる、後にストリートファイターと呼ばれるカスタムが誕生。

この流れが大きくなったのは性能が良いもののニューモデルラッシュで安くなっていた70年代の型落ち中古日本車(多気筒初期モデル)が安値で売られていた事も要因の一つ。

カウル付きバイクすら買えない若者もそういう中古を買って同じ様にカスタムという背景もあった。

『カウルを割ってしまった若者』

『安い中古の日本車を活用しようとした若者』

この両輪でストリートファイターカスタムが人気になったというわけ。

ちなみにこのストリートファイターのデザインにはルーツがあります・・・それがこれ。

ストリートファイターの始まり

1983年に英バイク誌にて掲載されたデザイナーのアンディスパロー氏が描いたバイクキャラ。

『HOOVER』

このキャラデザインが若者に多大な影響を与え、同じ様なバイクにしようとカスタムし始めたのがストリートファイターデザインの始まりと言われています。

なんと漫画が起点という嘘のような本当の話。

ストリートファイターの始まり

言われてみれば確かに・・・日本でいうアキラの金田バイクみたいな存在だったんでしょうね。

そしてこの数年後、同じくイギリスのバックストリートヒーローズというバイク雑誌がこの流れを受けたカスタム車を

『StreetFighter』

と銘打って紹介したことでジャンルが確立。フランスやドイツなどにも波及し広がっていきました。

これがストリートファイターの由来とされています・・・されていますと保険を打つのは

向こうのWikipediaやバイクメディアでも

「~だろう」

的な感じで書かれているから。

この原因はストリートファイターというジャンルがレース企画やメーカーの新しい提案というトップダウンで生み出されたものではなく、お金が無い若者達の間で生まれボトムアップする形で定着したものだから。ストリートファイターを生み出したのは同じライダーたちなんです。

しかし一方でストリートファイターを日本を含め世界的に広く認知させたのはやはりバイクメーカー。このストリートファイター文化をいち早く取り入れた量販車とされるのが1994年に発売されたこれ。

ストリートファイターの始まり

『SPEED TRIPLE/T309』

復活したトライアンフが打ち出した三気筒エンジンプラットフォームのネイキッドバージョン。

これが上げられる理由はストリートファイターの主流となっていた

『ハイスペック×カウルレス×カフェ』

という要素を強く取り入れていたモデルだったから。

ただ正確に言うとこのスピードトリプルが爆発的な人気となったのはデビューから3年後の1997年に出されたモデルです。

ストリートファイターブーム

『SPEED TRIPLE/T509』

今ではおなじみのスタイルですが、同時に先ほど紹介したバイクキャラのHOOVERにもソックリですよね。

トライアンフが何処まで意識したのかは分かりませんが、スピードトリプルはストリートファイターデザインのツボを完璧なまでに抑えたモデルとして人気を呼び、今ではトライアンフを代表するバイクの一台にまでなりました。

ちなみにスピードトリプルがT309からT509へ早々にモデルチェンジし、ガラッとイメージを変えた理由は強力なライバルが居たから・・・それがもう一台の量販型ストリートファイターの先駆けと言われているモデル。

初代ストリートファイター

『MONSTER 900』

日本でも有名なドゥカティモンスターの初代にあたる1993年発売M900です。ちなみにここに量販車ストリートファイターが広まった背景があります。

モンスターの系譜にも書いたんですが、当時欧州ではハイスペックになったフルカウルのスーパースポーツなどで事故を起こす輩が絶えなかった。その結果そういうバイクのVAT(付加価値税)や保険料がドカンと上がったんですね。

それを回避するためにドゥカティが出したのがスーパーバイクのエンジンを積んだネイキッドのモンスター。

「いやロードスポーツです全然スーパースポーツじゃない」

っていう。

そんな屁理屈が通るのかって話なんですが、これが通った事で2007年までに15万台を売る大ヒットでドゥカティ史上最も売れたシリーズに。

ストリートファイター1099

2009年登場のストリートファイター1099へバトンタッチするまで続きました。

メーカー謹製のストリートファイターが成功し定着したのはこの維持費の問題、そしてそれまでお金がない若者の無いなりの遊びを

「新車購入層に広めたから」

という背景がある。

実はストリートファイターを”生み出した層”と、ストリートファイターを”買う層”というのは被ってないんですね。だからこそ世界でヒットし今ではネイキッドに代わるストリートに特化したスポーツバイクとして定着するようになったという話。

この棲み分けのようなものは90年代以降も変わらず、生み出した層(自分で造る派)はメインフレームも変えるなど更にディープになっていきました。

ただここで一つ補足すると日本でいうストリートファイター像というのは実はイギリスよりも、イギリスに感化されて流行ったドイツ系だったりします。

ジャーマンストリートファイター

『ゲルマンストリートファイター』

と言われている系統で、外装はカチ上げたシートカウルとカウル付き小型ヘッドライトのみで原型を留めていないのが特徴。

イギリス系ストリートファイターとドイツ系ストリートファイター

どちらも同じGSX-R1100がベースなんですが、ドイツ系の方がストリートファイターっぽいと思う人が多いのではないかと。

ちなみにこの由来の話を読んで

「イギリスの若者はお金が無いなりに生み出してて凄いな」

と関心する人が多いと思うのですが、カウルをバキバキに割ってしまう様な公道バトルをする蘇ったカフェレーサーみたいな人たちですからね。

アメリカのジャーナリストがロンドンの公道で初めて見た時は、映画の撮影か何かかと勘違いしたとか何とか・・・もうそれだけで説明は十分かと思います。

しかしじゃあ

「カフェレーサーとストファイの違いは何」

と聞かれるとこれが泣き所というか突いてほしくない部分。

カフェレーサーとストリートファイターの違い

・攻撃的な見た目がストファイでクラシカルなのがカフェ

・一本サスがストファイで二本サスがカフェ

・三気筒以上がストファイでそれ以下はカフェ

・ハンドルが高いのがストファイで低いのがカフェ

などなど色んな基準が言われてたりしますよね。

CB1000Rカフェレーサー

でもこれ実は明確な定義は無いに等しく、向こうのコミュニティでも意見がバラバラで荒れてたりする。

つまりストリートファイターというのは明確な定義が無いんです。これはどのジャンルに言えることでもあるんですけど、特にストファイはこの幅が大きい。

ジグサー250

ストリートファイターって言ってしまえば現代解釈版カフェレーサーみたいなものなんです。

【最後に】

ボトムアップみたいな誕生の仕方だったために定義が曖昧なストリートファイターですが一つだけ確実に言えるのは

「欧州発祥である一方そこには日本車の存在が大きく関わっていた」

という点。

日本車にイギリスのカフェレーサーという要素を加えた創作和洋折衷がストリートファイターの始まり。

和の伝統で生まれたのがネイキッドなら、洋の伝統で生まれたのがストリートファイターという感じ。

ストリートトリプル

和洋お好みでどうぞ。

該当車種

MT-10MT-09MT-07の系譜

GSX-S1000/FGSX-S750の系譜

Z1000Z900の系譜

Buell|EBRの系譜

などなど

種類一覧
ネイキッドネイキッド系
ストリートファイターストリートファイター系
オフロードオフロード系
モタードモタード系
マルチパーパスマルチパーパス系
ストリートストリート系
スーパースポーツスーパースポーツ系
フルカウルスポーツフルカウルスポーツ系
ツアラー系ツアラー系
メガスポーツメガスポーツ系
クルーザークルーザー系
スクータースクーター系
クラシッククラシック系

オフロード系

オフロードとは

人気の上り下がりが激しいオフロード。

といっても低空飛行が多く、オンロード車に比べると(特に国内では)比較的ニッチなカテゴリ。でも実はジャンルごとに区切って言えば非常に歴史が長く、一番技術革新に貢献したクラスだったりします。

【特徴】

とにかく細く、軽く、ハンドル切れ角がとても大きい。

悪路による転倒を前提としているので部品点数が少なく損傷に強い。

オンロード車とは比べ物にならないほどのリフトアップとサスストローク量。

走破性と安定性を取るためにフロントは21インチが基本で構造上シート高が絶望的に高かったりする。

上記の理由から舗装路はあまり得意ではなく、高速巡航などはかなり苦手な部類。

【歴史】

ひとえにオフロードと言ってもスクランブラーとかトレールとかモトクロッサーとか色んな分け方があるので初心者の方は結構混乱するんじゃないかと思います。そこでまずその言葉が何を意味しているのかという事から簡単に説明したいと思います。

【スクランブラー】

スクランブラーとは

一言で簡単に表すなら、アップライトなポジションに加えて地面と当たらないように最低地上高やマフラーを少し上げたりすることで未舗装路の走行を考慮している

『オンロードベースのオフロード車』

という感じ。

まだオフロードのスタイルが確立する前の1960年頃に悪路を走れる・・・というよりも

「悪路をやり過ごせるようなバイク」

として誕生したモデル。

レトロブームの到来でドゥカティのスクランブラー(60年代に流行ったモデル)などが復刻されるようになっています。

【モトクロッサー/エンデュランサー】

モトクロッサー

ザックリ言うとナンバーが取れない(公道を走れない)競技用オフロード車の事。

・モトクロス(モトクロッサー)

・エンデューロ(エンデュランサー)

の二種類があるんですが簡単にいうと、モトクロッサーはジャンプなど様々な障害物があるコースで競うレース向けのモデル。1957年から続く世界モトクロス選手権を頂点にレースを視野に入れて造られている面が大きく、MXなどと略されてたりもしています。

走破性

一方でエンデュランサーはコースになっていないコース、整備されていない未舗装路を走破する耐久(エンデューロ)レース向け。極端な事をいうとラリーなどがそう。

サスペンションの硬さやタイヤの種類、それにタンクや加速の味付けなど細部がそれぞれに特化した形になっています。

モトクロッサーとエンデュランサー

例えるなら

・モトクロッサー=短距離走
・エンデュランサー=長距離走

という感じです。

【トレール or デュアルパーパス】

トレール・オフロードとは

恐らく最も多くの人がイメージするであろうこのページの主題であるオフロード車。

舗装路も未舗装路も走れるうえに公道走行可能なモデルで場合によってはトレールとかデュアルパーパスとか言われています。日本車でいうとCRF250L/SEROW/KLX250など保安部品が付いているモデルは基本的にここに該当します。

特徴を簡単にいうと最初に紹介したスクランブラーよりも更に最低地上高が高く、またフロントフォーク長が非常に長い事。これはデコボコ道を進む際にストローク量が多くないと底打ちといって衝撃を吸収できず吹っ飛んでしまうから。

ちなみにオフロードの歴史はとっても長いんですが、この公道を走れる量販車に限って話をするなら始まりはトレールという言葉を生み出した1968年に出たヤマハのDT-1かなと思います。

DT-1

まだオンロードとオフロードのカテゴリーが曖昧だったスクランブラー時代に

・底付きしないロングストロークサス

・悪路でも食いつくブロックタイヤ

・エンジンガードを兼ねたアップマフラー

などなどオフロード走行のツボを抑えた初めてのオフロード主体バイク。アメリカからの要請で作られたバイクなんですが、アメリカのみならず日本でも大ヒットしました。

ダートレース

このDT-1のヒットによりそれまでモトクロス選手権用のスペシャルマシン(モトクロッサー)しかなかったオフロード界の敷居が大きく下がり1970年代には第一次オフロードブームが到来。

そりゃそうですよね、今まで走りたくなかった未舗装路が楽しい道に変わったわけですから。

更に1980年代後半になるとホンダのXL250SやカワサキのKL250などレースで磨いたモトクロス技術を色濃く反映したの走破性の高いモデルが次々と登場。

XL250S

反対に二輪二足(足をつきながらゆっくり走る)という違ったアプローチのSEROWも登場し第二次オフロードブーム(林道ブーム)に発展。休日に山に行くとオフ車乗りで溢れかえる程のブームになりました。

セロー

しかし同時に無差別に山道などを無差別に走り荒らす人たちが溢れ社会問題にもなりバイクの通行を禁止する動きになった事、加えて道路の舗装が進んでいった事で沈静化し、現在は低空飛行が続いているのが現状です。

ちなみに低空飛行なのは日本だけの話で海外ではこういったオフロード系のバイクの方が人気があったりします。最近ではアジアの方でも人気なんだとか。

話が少し脱線しますがオンオフ問わず昨今のサスペンションの礎を築いたのはこのオフロード勢だったりします。

ネイキッドの方で話していたモノサスやツインサス。上で紹介したDT-1を見て分かる通り、最初はオフロード車もツインサスでした。

SL250

しかし飛んだり跳ねたりするモトクロスレースにおいて

「勝つためには初期は柔らかく、奥で踏ん張ってくれるサスペンションが必要だ」

ということでヤマハが1972年に開発したYZ250(モトクロッサー)に採用されたのがモノクロスサスペンション。

モノクロスサスペンション

ストローク量が従来の二倍になり、奥で踏ん張り底打ちしない画期的なサスペンション。

その効果は絶大でそれまで一つ一つ往なしていた凸凹を一気に飛び越えて行けるほどの安定性で圧倒的な速さを誇り

『空飛ぶサスペンション』

と言われました。

YZ250

このモノクロスサスペンションこそがモノサスの原点で現代の一本サスは全てこのサスペンションから。ちなみに倒立フォークも同じ様な理由でモトクロスレースが発端だったりします。

【最後に】

いわゆるオフロードバイクにとって大事なのは走破性で基本的に

モトクロッサー>エンデューロ>トレール>スクランブラー

という当然ながらモトクロッサーやエンデューロがオフロード性能は一番良い構図になります。というか本格的なコースだったり荒れた山道になるとモトクロッサーやエンデューロクラスじゃないと走れなかったりもする場合すらある。

「じゃあモトクロッサーやエンデューロの方が良いのか」

っていうと必ずしもそうとは限らないのが難しい所。

というのもオフロード走行に求められる走破性(性能)とオンロード走行に求められる性能(日常的な扱いやすさ)というのは基本的に反比例する関係にあります。

KLX230

つまりオフロードを走るだけならモトクロッサーに敵うバイクは無いけど、舗装路になるとスクランブラーに軍配があがったりするわけです。誤解を恐れずに言うと上の相関図は

「どれだけオンロード性能を始めとした日常の使い勝手を捨てたか」

という相関図でもある。

ヤマハのモトクロッサー

例えばモトクロッサーはオイル管理がシビアだし、軽量化のためにキック始動オンリーなのが当たり前とかね。

だから初心者が選ぶ時は単に走破性や性能で選ばず

『どれくらい未舗装にウェイトを置いて走るか』

というのを考えて買うのが失敗しないと思われます。まあいきなりモトクロッサー買う人なんて居ないとは思いますが。

※市販車が無いトライアル車は割愛させてもらいました

該当車種

CRF250L/Mの系譜

WR250R/XSEROWの系譜

KLX250/D-TRACKER Xの系譜

DUKE690Small DUKEの系譜

などなど

種類一覧
ネイキッドネイキッド系
ストリートファイターストリートファイター系
オフロードオフロード系
モタードモタード系
マルチパーパスマルチパーパス系
ストリートストリート系
スーパースポーツスーパースポーツ系
フルカウルスポーツフルカウルスポーツ系
ツアラー系ツアラー系
メガスポーツメガスポーツ系
クルーザークルーザー系
スクータースクーター系
クラシッククラシック系

モタード系

モタードとは

端的に表すとオンロードのタイヤを履いたオフロードバイクのこと。

【特徴】

車体はトレール車と同じくなので細く、軽く、ハンドル切れ角がとても大きいので小回りがきく。

同時に多少の未舗装なら走れるが長距離や高速巡航の苦手さも比較的トレール車と同じ。

モタードとは

簡単な見分け方としては車体はオフ車なのにオンロードと同じ17インチの小径ホイールとタイヤを履いているバイクという感じです。

【歴史】

実はモタードの歴史や定義は他のカテゴリよりも明確。ことの始まりは1979年のアメリカ/カリフォルニアにあります。

当時アメリカでは

・ロードレース(いわゆるサーキット)

・フラットトラック(フラットなオーバルダート)

・モトクロス(山あり谷ありジャンプありのオフロード)

が三大レースとして人気だったんですが、そんな中でアメリカのレースプロモーターだったガヴィン・トリップが

「オーケーじゃあこの中で一番速いやつを決めよう」

という事でABCテレビのワイドワールドオブスポーツというスポーツ番組とタッグを組みレースを企画。

ザ・スーパーバイカーズ

『Superbikers』

舗装路とダートと障害物全てを組み込んだ混合コースを作り、それぞれのクラスのトップライダーを集って競わせるというアメリカらしい破茶滅茶なレースを開催しました。

スーパーバイカーズのコース

車種はダートやジャンプがある以上オンロードは無理なのでビッグモトクロッサー(レース用オフロード車)にダートタイヤを履かせるスタイルや、ダートトラッカー(写真下)などが定番でした。

ザ・スーパーバイカーズ

でもモトクロッサーやダートトラッカーってモタードじゃないですよね。実際このアメリカで行われたスーパーバイカーズはモタードの発祥ではありません。

スーパーバイカーズはテレビ企画ということもありすぐに打ち切られてしまいます・・・が、ここで終わらなかった。スーパーバイカーズに参加していた欧州出身のレーサーたちがその文化を持ち帰り自国で開催するようになったんです。

その中でもハマったのが泥遊びが大好きなフランスで、スーパーバイカーズをフランス語に直した

『Supermotard(スーパーモタード)』

というレースを1981年から開催し人気レースに。

FMMスーパーモタード

そうこれがモタードの語源。

モタードはフランス語でバイカーという意味・・・凄く単純ですね。だから国によっては

『Supermoto(スーパーモト)』

とか言う、というかこっちの方がメジャー。ちなみに日本は昔は

『SuperMotors(スーパーモータース)』

とか言ってました。

じゃあなんでフランス(スーパーモタード)の影響でモタードと言われるようになったのかというと、名前こそ同じなもののアメリカ(スーパーバイカーズ)とは違う独自の発展をしたから。

アメリカでは

『ロード/ダート/モトクロス』

が人気レース三強だったのに対してフランスを始めとした欧州では

『ロード/モトクロス』

の二強でダートトラッカーはメジャーではなかった事に加え、コースもカートコースで舗装路が8割と多めに設定されていました。

スーパーモタードのコース

これらによりスーパーモタード(フランス版スーパーバイカーズ)は

『モトクロッサー+17インチとオンロードタイヤ』

という組み合わせが最適解となり独自のスタイル、俗に言うモタードスタイルが確立したんです。

このスーパーモタードは年を追うごとに人気が高まったのですが、その要因の一つとして上げられるのが人気レーサーがこぞって参加した事。

例えば1990年の決勝リザルトを見てみるとこんな感じ。

FMMスーパーモタード

・ウェンレイニー(現ロードレース世界選手権王者)

・ステファンペテランセル(パリダカ王者)

・エディローソン(ロードレース世界選手権王者)

・ブロックグローバー(全米モトクロス王者)

・ギルスサルバドール(全仏スーパーモタード王者)

・ワインガードナー(ロードレース世界選手権王者)

・エリックゲボス(モトクロス世界選手権王者)※ランク外

などなど。

今で言えばマルケスやロレンソやケーシーやカイローリが競い合うようなもの。正にドリームマッチですがコレが実現したのはモタードレースはオフシーズンに開催されていたから。

この豪華絢爛さでモタードレースは更に注目を浴びて人気は爆発し、発祥であるアメリカでも再び競技として復活。2002年には世界選手権にまで格上げされました。

それで肝心の国内ではどうだったのかというと1980年頃には入ってきており

『ターミネーター』

というレースが有志達によって開催されていました。

ただ自主的な面が強かったのでオフロード部はコースに砂を撒くなどで舗装路がメイン。そのためレーサーレプリカベースで挑む人も居たりしてこれまた独自の進化を遂げつつあったんですが、残念ながら長続きしませんでした。

FMMスーパーモタード

ちなみに現在はMFJ公認となり正式なレースが開催されています。興味がある方は【全日本スーパーモト公式サイト】をどうぞ。

話がそれてきたので戻すと、KTMやハスクバーナなど欧州メーカーが強烈なモタードを出す理由もこの欧州人気があるからなんですが、日本メーカーも当然ながら追従しました。

しかしスーパーモタードはモトクロッサーベースで特に日本メーカーは公道走行不可なモデルしかない。そこでモトクロッサーを公道走行可能にしたモデルであるトレールをベースにすることで取っつきやすいモタードを展開。

FMMスーパーモタード

始まりは1998年のカワサキD-TRACKERだったと思いますが、これがそれまでそういうレースすら知らなかった層にまでヒットした事で一気に普及。

その際にオンロードタイヤを履いたオフロード車という見慣れない珍妙さを表す言葉として

「これはモタード(というフランスが火を付けたレースのマシン)だよ」

という形で認識が広まったものと思われます。

【最後に】

モタードはオンとオフという本来ならば反比例する2つを合わせたレースによって生まれたジャンル。そのためオンなのかオフなのかよく分からない形をしている印象を受けると思いますが実はそれライダーも一緒。

モタードの正装は

『ヘルメットとブーツはオフ系、スーツとグローブはオン系』

という面白い組み合わせになっているんです。理由はもちろんオンもオフも走るから。

モタードライダー

コース、バイク、ライダー、その全てが同じ様に混ざり合っているのがモタードの特徴でありカッコよさ。

「全部楽しみたい」

って欲張りたい人にうってつけなバイクと言えるかと。

該当車種

CRF250L/Mの系譜

WR250R/XSEROWの系譜

KLX250/D-TRACKER Xの系譜

DUKE690Small DUKEの系譜

などなど

種類一覧
ネイキッドネイキッド系
ストリートファイターストリートファイター系
オフロードオフロード系
モタードモタード系
マルチパーパスマルチパーパス系
ストリートストリート系
スーパースポーツスーパースポーツ系
フルカウルスポーツフルカウルスポーツ系
ツアラー系ツアラー系
メガスポーツメガスポーツ系
クルーザークルーザー系
スクータースクーター系
クラシッククラシック系

マルチパーパス系

マルチパーパスとは

近年日本でも人気のジャンル。

マルチパーパス、デュアルパーパス、アルプスローダー、アドベンチャーなどと色んな呼び方をされて違いが分からず混乱してる人も多いかと。

【特徴】

街乗り、ツーリング、林道など公道なら比較的なんでも熟せる万能車。

オフロードバイクとオンロードツアラーを足して二で割った二輪版SUV(スポーツユーティリティビーグル)的なモデル。

【歴史】

このマルチパーパス系というかクロスカントリー文化が何処から始まったのかといえば1978年に年越しレースとして始まった有名な

『ダカールラリー(旧名オアシスラリー)』

が大きな起点かと思います。

1979オアシスラリー

パリダカの愛称でおなじみクロスカントリーの極致であり、世界一過酷なレースとして今も有名ですね。

ここが始まりと言える根拠は、このダカールラリー人気が爆発した事で

「メーカーがクロスカントリー用バイクを本気で造るようになったから」

です。

大会が始まった頃はエンデューロ(オフ版耐久レース)をベースに大容量燃料タンクを積むのがクロスカントリーの定説でした。

しかし第三回となる1981年のオアシスラリーで革命を起こしたモデルが登場したんです。

R80G/S

『1980 R80G/S』

ご存知BMWの大人気シリーズGSの始祖モデル。このバイクはエンデューロ系ファクトリーレーサーが元なんですが、これの何が革命だったかというとズバリ二気筒エンジン。

「軽くて厚い低速トルクで故障に強いビッグシングル」

というクロスカントリーの常識に囚われない

「少し重くなってもツイン化して最高速重視」

という新しい考えを持ち込んだわけです。

1981年の優勝マシン

これが見事に成功し1981年優勝という快挙を成し遂げた事でモトクロスともエンデューロとも違う二気筒マシン”ラリー”という新しい形として発展する契機になりました。

そして更にそれがフィードバックされた市販車R80G/Sが

「道を選ばず長距離走行出来るバイク」

として爆発的なヒットを飛ばした事で各メーカーともラリーへ本格参戦し、同じようにその流れを受け継いだ市販車ラリーレプリカを

『アドベンチャーモデル』

として市販化するようになりジャンルが確立したという話。

R1200GS壁紙

余談ですがBMWはこのバイクを生み出せていなかったら無くなっていた可能性大だったりします。

【最後に(というか本題)】

最初に触れましたが

・マルチパーパス

・アドベンチャー

・アルプスローダー

・ビッグオフ

などなど、このクラスには色んな呼び方があって混乱している人も多いと思いますが、これらの言葉の意味は深く考えなくていいです。

トランザルプ400

何故ならそれらの謳い文句や宣伝イメージなどで選ぶと失敗するからです。

というのもオンロード性能とオフロード性能というのは基本的に両立が難しく反比例するという話をオフロードバイクでもしたんですが、このマルチパーパス系ではその振れ幅が大きいんです。

分かりやすい例を一つ上げると1980年代後半に発売されたホンダAX-1とヤマハTDR250というバイク。

トランザルプ600V

この二台はどちらも同じマルチパーパス250といえるモデルですが、同時に正反対とも言えるバイク。

オフロード重視(AX-1)とオンロード重視(TDR250)という違いがあるからです。

この二台は極端なので何となく分かる人も多いかと思いますが、一般的なモデルでこの差を見抜くのはなかなか難しい。

色んなアドベンチャー

ベテランはカタログシートを見るまでもなくおおよそのバランスを見抜くんですが初心者には無理ですよね・・・でも大丈夫。初心者でも簡単に見分ける方法があります。

『フロントホイールのサイズ』

です。

フロントホイールのサイズを見ればメーカーがオンとオフの割合をどれくらいにしているのかおおよそ分かります。

例えば250アドベンチャーを並び替えるとこんな感じ。

フロントホイールサイズ

何となく分かるかと思います。

この理由はフロントホイールが大きいほどオフロードにとって最も大事な走破性/安定性が向上するから。

「じゃあ何故みんな21インチにしないのか」

というとそれが両立出来ないところで、オンロードスポーツバイクが全部17インチなのを見れば分かるようにフロントホイールを大きくしてしまうと、なかなか倒れてくれないゆっくりなハンドリングになる。

フロントホイールサイズ大型バイク

フラフラせず安定性することがオフロードではメリットになる一方で、フラフラ(パタンパタン)させないと曲がれないオンロードではデメリットになってしまうんですね。

キャストホイールとスポークホイールの違いも同じ様な理由です。

キャストホイールとスポークホイール

オンとオフは反比例する関係だから両方を100にすることは出来ず100をどう分配しているかが大事。そしてそれが一番分かりやすく現れているのがフロントホイールという話。

だからマルチパーパスに乗ってみたいとか、気になるマルチパーパスがあったらフロントホイールを見比べてみると失敗しないし、メーカーやそのモデルの意図が見えてきて面白いのでオススメです。

これに加えてちょっとした小話を一つ。

歴史のところで発端はダカールラリーにあるという話をしたんですが、実はダカールラリーではこういうマルチパーパスはもう走ってません。

『4st/450cc※2011年から』

というモトクロスに準ずるレギュレーションに変わったからです。

現在のダカールマシン

そのため現在のラリーマシンはシングルエンジンが基本でマルチパーパス系というよりエンデューロ系に近い形。

つまりいま売ってるマルチパーパスっていうのは全く規格に沿ってないモデルなんです。

でもだからといって

「(特に大型の)マルチパーパスはラリーと無関係なのか」

というとそれも違う。

火付け役となったBMWのGSはもちろん、ホンダのアフリカツインやヤマハのテネレ、それにスズキの怪鳥DRもそうなんですが、メーカーにとってマルチパーパスは

現在のダカールマシン

「自分たち(メーカー)が輝いてた頃のラリーレプリカ」

という復刻に近いレプリカなんです。KTMはラリーに全力なので現在進行系といえますけどね。

もちろん中にはカワサキのヴェルシスやドゥカティのムルティストラーダ、トライアンフのタイガーなど違うアプローチのモデルもあります。※ちなみにカワサキはKLE/アネーロがラリー系

KTM1190adventure

マルチパーパスだのアルプスローダーだの色んな呼び方があって、色んな振れ幅がある百花繚乱状態なのは

「レースありきではなくブランドありき」

という背景もあるから。ある意味ではメーカー色を最も表現してるとも言えるジャンルなんです。

該当車種

CRF1000LNC750の系譜

SUPER TÉNÉRÉの系譜

V-STROM1000V-STROM650の系譜

VERSYS1000VERSYS-Xの系譜

R1200GSの系譜

などなど

種類一覧
ネイキッドネイキッド系
ストリートファイターストリートファイター系
オフロードオフロード系
モタードモタード系
マルチパーパスマルチパーパス系
ストリートストリート系
スーパースポーツスーパースポーツ系
フルカウルスポーツフルカウルスポーツ系
ツアラー系ツアラー系
メガスポーツメガスポーツ系
クルーザークルーザー系
スクータースクーター系
クラシッククラシック系

ストリート系

ストリートとは

おしゃれバイクの筆頭として上げられるジャンルのバイク。お店の脇に置かれるのが凄く似合うというかよく見るというか。

【特徴】

比較的排気量も抑え気味でまた軽く細いので足付きが非常に良く、ワイドハンドルなので操舵もしやすく街乗り向き。

逆に言うとこれで長距離を走るのはなかなか大変だが、ストリート系なだけありカスタムが豊富でスクランブラーに近い。

【歴史】

実はこのバイクとっても歴史が長いです。

というのもこれの元となっているのは1920年代から行われているアメリカで人気のレース

『フラットダート(フラットトラック)』

というオーバル上の砂や土や砂利などが敷かれたオーバル上のコースを集会して競うバイクが発端なんですね。

凄く分かりやすいのがホンダのFTRというバイク。

RS750DとFTR

アメリカのフラットトラック用ファクトリーマシンRS750D(別名サイドワインダー号)を強く意識しているのが分かるかと思います。

つまり得意分野はダートという話なんですが、しかしそれはアメリカの話であって日本はオートレース文化はあれどダートレース文化はほとんど無いため実用性を考慮したストリートトラッカーとして売られるようになった。

出回り始めたのは1980年代後半、これは当時国内でカスタムブームが起きていたから。なんでカスタムブームでフラットトラック系が出始めたのかと言うと、この系統のバイクは

「オリジナルカスタムしてナンボ」

っていうアメリカ発祥らしい文化が合ったから。

ただ結局その波に乗ることは出来なかったんですが、それからしばらくした2000年頃にドラマBeautiful Lifeで主人公を演じていた木村拓哉さんがTW200に乗っていたことで爆発的なヒットと共にブームに。

それはそれは本当に凄いブームでもう他のバイクブームは何だったのかっていうレベル。美容室に行けば必ず一台は停まってるんじゃないかってくらい。

この事で当時あまりの不人気さにカタログ落ち寸前だったTWが一躍ヤマハのトップセールス車にまで上り詰めるという珍事を招きました。

ストリート系

更に面白いのはそれを見ていた他メーカーから、FTR、グラストラッカー、VANVAN、250TRといった1970年代に生まれるも不人気過ぎて短命に終わってしまったバイク達がゾンビのように復活。しかもどれもヒットっていう。

この一件によりストリート系というジャンルが確立される事となったわけです。キムタク恐るべし。

【最後に】

日本で売られているフラットトラック系というのは日本人向けに造っている面が強く、価格も良心的なのでオシャレな下駄車であると同時に構造も比較的シンプルなのでカスタマイズ性も高い。

「自分だけのオリジナル(カスタム)を作りたい」

と考えている人にうってつけのバイクと言えるかと。

該当車種

APEの系譜

ST250/GRASSTRACKERの系譜

VanVan200の系譜

などなど

種類一覧
ネイキッドネイキッド系
ストリートファイターストリートファイター系
オフロードオフロード系
モタードモタード系
マルチパーパスマルチパーパス系
ストリートストリート系
スーパースポーツスーパースポーツ系
フルカウルスポーツフルカウルスポーツ系
ツアラー系ツアラー系
メガスポーツメガスポーツ系
クルーザークルーザー系
スクータースクーター系
クラシッククラシック系