640DUKE -since 1999-

640デューク

DUKEの二代目となる640DUKE。二代目ということでDUKE2とも言われてたりします。

大きな変更点としてはホイールがスポークからアルミ鍛造キャストになったこと。そして何よりセルが付いたこと。やっぱりケッチンの被害が大きかったんでしょうかね。

見た目も大きく変わりました。

DUKE2

この頃のDUKEを知ってる人からするとDUKEと言えばこの縦二ツ目と言う人も多いかもね。ちょっと前までDUKEと言えばこの顔だったから。

デューク2

KTMにあまり詳しくない人のために説明しておくと、DUKEはKTMにとってはスーパーモタードではありません。まあスーパーモタードと言っていいほどのポテンシャルを持っているのは間違いないんだけど、KTMにとってのスーパーモタードはSupermotoというモデル。

640スーパーモト

見た目は似てるけどコッチはカリッカリのモタードバイク。

競技の事を考えてかライトも至ってシンプルなものなのが特徴。

DUKE640オーナーズブック

じゃあDUKEは何なのかと言えばネイキッドです。日本でネイキッドといえばダブルクレードルフレームにツインショックで丸目っていうイメージがあるから違和感あるかもしれないけどね。

他にもオフ仕様のEnduro、アドベンチャー仕様のADVENTUREなどがDUKEと同じように世代ごとにあります。要するにDUKEもそれらも同じLC4ファミリー。

DUKE640カタログ

ただそれら全部紹介するほどの元気も(国内での)需要も無いと思いますので今回はDUKEに絞らせてもらいます。ごめんなさい。

エンジン:水冷4サイクルSOHC単気筒
排気量:625cc
最高出力:
55ps/7000rpm
最大トルク:
6.12kg-m/5500rpm
車両重量:145kg(乾)

系譜図
デューク1

1994年
620DUKE

デューク2

1999年
640DUKE

デューク3

2008年
690DUKE/R

デューク4

2012年
690DUKE/R

デューク5

2016年
690DUKE/R

620DUKE -since 1995-

620デューク

KTMが正式に国内市場参入した事と125~390という日本でも人気のあるクラスのDUKEが加わった事もあって結構知名度も出てきた様な気がしないでもないKTMのデュークシリーズ。

ちなみに販売台数で見ると欧州メーカーとしてはPIAGGIOに次いで二位のメーカーだったりするわけですが、そんなKTMのDUKEシリーズの始祖となるのがこの620DUKE。

スモールデュークの方でも言ったと思うけどKTMはほぼオフ専門メーカーで、作るスポーツバイクといえばレース向けのモトクロッサーや山を駆け抜けるエンデューロ車がほとんどだった。

KTMポニー

公道モデルといえばスクーターやロータックス社から買った小排気量エンジンを積んだいわゆる生活バイクが大半。

KTM R100

上の写真はKTMが一番最初に作ったバイクのR100。

そんな中でKTMにとって転機となったのが1980年代後半。エンデューロレースで勝つためにLC4と呼ばれる608ccのビッグシングル水冷エンジンを自社開発します。

600エンデューロ

そして更にこれまで培った技術は市販車でも活かせるハズとしてそのエンジンをベースに作り登場したのがこの620DUKE。

「とにかく軽く」

を合言葉に開発設計されただけあり重量は乾燥でわずか145kg。エンジンはもちろんレースでも使われていた620Enduro(上の写真)をベースにカウンターバランサーを加えて公道向けにチューニングしたもの。

620cc

というか中身は殆ど620ENDUROで、公道向けにチューニングといっても元が超々ショートストロークのレースエンジンなだけあって特性は単気筒とは思えないほどの過激っぷり。でもDUKEがウケたのはこの過激さがあったから。

ビッグシングルといえばトルクに物を言わせてトコトコドコドコという感じが当たり前だった時代に、シングルなのに超ショートストロークで回してナンボ、そして回せば吹っ飛ばされる様な加速というビッグシングルにあるまじき特性。軽さも相まってリスキーさというか頭のネジが外れたライダー向けな感じがウケた。

LC4エンジン

軽くするためにセルすら付けなかったっていうスパルタっぷり。市販車なのにこんなビッグシングルがキックのみってケッチンくらっちゃった人は多いだろうな。

1995DUKE

そしてその特性に相反する可愛い二ツ眼。

エンジン:水冷4サイクルSOHC単気筒
排気量:608cc
最高出力:
55ps/7000rpm
最大トルク:
6.12kg-m/5500rpm
車両重量:145kg(乾)

系譜図
デューク1

1994年
620DUKE

デューク2

1999年
640DUKE

デューク3

2008年
690DUKE/R

デューク4

2012年
690DUKE/R

デューク5

2016年
690DUKE/R

R1150GS  -since 1999-

R1150GS

基本的には先代のブラッシュアップモデルになってて空油冷モデルとしてはこれが最後。

エンジンにボアアップと改良が加わり1150(1130cc)となりました。

R1150GSエンジン

更にミッションの6速化もされ、高速巡航性も向上し盤石の体制となったR1150GS。

いまではお馴染みの異型ヘッドライトを始めたのもこれが最初。

ヘッドライト

片眉を上げてるみたいで可愛いですね。実車はまさに戦車ですが。

この頃既にBMWの一番人気車となってたR1150GSだけど、GSの凄いところは代を重ね続けているにも関わらず販売台数が落ちていかないこと。

新しいのが成功すれば成功するほど次期型のハードルというのは上がってしまうんですが、この代も、そして次の代も、そしてそして次の次の代までもBMWは期待を裏切ってない。

アドベンチャー

こちらは後に追加されたアドベンチャーモデル。ブロックタイヤとビッグタンクを積んだモデル。

エンジン:空油冷4サイクル水平対向2気筒
排気量:1130cc
最高出力:
85ps/6750rpm
最大トルク:
10.0kg-m/5250rpm
車両重量:249kg(装)

種類一覧
R80G/S1980年
R80G/S
R100GSパリダカ1988年
R100/80GS
R1100GS1994年
R1100GS
R1150GS1999年
R1150GS
2004R1200GS2004年
R1200GS
R1200GS2013年
R1200GS

R1100GS  -since 1994-

R1100GS

ここまで来ると当時を知らない人でも見た事あるような気がするのではないでしょうか。

先代までで「GSは人気があった」とか「凄かった」とか言ってましたが、それはオフロード界での話。

あまりオフに精通してない一般ライダーにとってGSというのはBMWのパリダカバイク程度の認知でした。(あくまでも今と比べたらね)

そんな層にまでGSの魅力を知らしめ認知度を大きく押し上げたのがこのR1100GS。

R1100GSエンジン

それまでのOHV空冷エンジンからOHC空油冷4バルブエンジンへ変更。ほかにも先代から改良が加えられたクロススポークにパラレバー、そして新しくテレレバーも採用。そして今ではGSのトレードマークとなった二重フェンダー。

DR800

最初にこれやったのスズキなんですけどね。キョエーって感じでスズキ自身が怪鳥って言ってます。いい加減このネタもしつこいか。

話を戻してパラレバーの話は先代でお話しましたので、今回はこの1100から採用されたテレレバーについて少し。

テレレバー

これはフロントサスペンションの話で上の写真を見てもらうと分かる通り三角形のアームが伸びてフレームとアンダーブラケットを結んでますよね。これがテレレバーです。

一般的というかみんなが知ってるのはテレスコピック方式。アウターチューブとインナーチューブという2つの筒を使う方式。望遠鏡で風景を見るテレスコープから名前を取ってます。

テレスコピック

意外と知られてないんですがこのテレスコピック方式を1番最初に作ったのもBMWなんですよ。そんなBMWがテレスコピック方式と別れを遂げるなんて面白い話ですね。でもそれだけBMWは足に対する研究やこだわりが凄いということ。

R1100GSネイキッド

さてそれに対してテレレバー方式っていうのはテレスコピックとマクファーソンストラット方式の二輪バージョンみたいなもの。車を知ってる人なら聞いたことがあると思いますが要するにサスペンションとダンパーを別体にしている。

ストラット方式

さて何でこんな方式を取っているかというと、みなさん体感してるので知ってると思いますが一般的なテレスコピック方式はブレーキングをするとサスペンションが縮んで前のめりになりますよね。ノーズダイブってやつですが、そうすると実質的にキャスターが立ってホイールベースが短くなり旋回性が上がります。

「コーナー手前でしっかり荷重を前に移して~・・・」

S1000RRフロントフォーク

とか聞きませんか?

それはそういうことなんですがこれには問題もあって、フロントが沈んでいるノーズダイブ状態っていうのはキャスター角(フロントフォークの角度)が立つので旋回性が増すぶん安定性に乏しくなるんです。

これは減速による力にサスペンションの働きが全て取られて緩衝する余力がなくなるから。原理がよくわからない人でもフルブレーキングで路面のギャップを拾ったらガツンと突き上げられ危ないというのは想像がつくと思います。

んでそれをBMWは何とかしようして生み出したのがこのテレレバー方式。上で言った様にノーズダイブする状況を想像してみてください。

テレレバーの動き

こうするとこでブレーキングでのフロントサスの沈み込みを抑えているんです。イヤ本当はこんな単純な動きじゃないんですけどね。ビーマー(死語)は怒らないでね。

terelever

ただもちろんこのテレレバー方式にも弱点があります。

まず第一にアームが増えるので重くなります。さらにアームがタイヤの上を通るので大きいホイールが履けません。オフロードにおいて大きいタイヤが履けないというのは結構致命的(それでも19インチ履いてるんだけどね)です。

じゃあ何でR1100GSはこのテレレバーを採用したのかって話だけど、1100GSはそれまでのGSとは全く異なるバイク。それまでのGSは未舗装をガンガン走るというマルチパーパスというよりビッグオフに近い感じだったんだけど、このR1100GSは未舗装から峠からツーリングから何でもござれの本当の意味でマルチパーパスになった。

R1100gS

これが今までオフロード車に興味のなかったツアラー層にまでウケて評価されました。

このおかげでGSは今では買って間違いない何でも熟せる旅バイクという地位を確立するに至ったわけです。

エンジン:空油冷4サイクル水平対向2気筒
排気量:1084cc
最高出力:
80ps/6750rpm
最大トルク:
9.9kg-m/5250rpm
車両重量:240kg(装)

種類一覧
R80G/S1980年
R80G/S
R100GSパリダカ1988年
R100/80GS
R1100GS1994年
R1100GS
R1150GS1999年
R1150GS
2004R1200GS2004年
R1200GS
R1200GS2013年
R1200GS

MONSTER750シリーズ -since 1996-

モンスター750

勝手に纏めた空冷MONSTER三兄弟の最後にご紹介するのは次男坊の750シリーズです。

出たのは三兄弟の中で一番最後。

革命をもたらした長男M900、コスパの高さから人気が出てドゥカティを救った三男M600、そして遅れてやってきた次男M750は・・・・残念ながら人気が出ませんでした。

スペックでは兄に負け、コスパでは弟に負けるという少し仕方ない面もありますが、消費者からも中途半端だとして売れず。

2001年には他の兄弟に習ってFI化でM750I.E.となり、2003年には排気量のアップでM800となりました。

M800

なりましたが・・・・

コレじゃいかんという事で05年に兄弟とは別に特別なモデルチェンジが入りました。

05年にS2Rと名前を改め、片持ちスイングアームと片側2本出しマフラー、5本スポークホイールなどS4R(水冷MONSTER)に準ずる戦闘的なMONSTERに大変貌。

S2R

900の方でも話したけど、元々このデザインはそのS4Rという水冷ジャジャ馬MONSTERに合わせたデザインだったから、その見た目に空冷2バルブエンジンってのは非常にアベコベなんだけど、そもそもMONSTER自体が良い意味でアベコベな車体設計だった事を考えると正しい方向性だね。

先鋭と旧態が入り混じった正にモンスターの様なS2Rは非常に人気が出ました。その為か翌年には長男までもがS2R化され、この次男は区別のため翌年からはS2R800と名前に排気量が付く事に。芸人の劇団ひとりさんも乗ってるみたいですね。

苦節十年目にしてやっと次男の時代が来た・・んだけどそんな人気とは裏腹にS2R800はドゥカティ全体が規制を機にしたプラットフォームの維新をする事になっていたため発売されていた期間は5年とMONSTERとしてはそんなに長くない。

そんなS2Rの後継として2010年に出たのが維新された新世代のM796

M796

基本的には弟分のM696と同じだけど次男はS2Rの後継アピールの為か片持ちスイングアームになっています。エンジンは+100ccされたロングストロークエンジンで万能型。796だけど排気量は803ccとちょっとややこしかったりする。

このM796は弟の696と並んで第二世代空冷MONSTERが途切れる最後まで発売されました。と言っても2013年までと短い上に最初で最後なわけだけどね。

空冷MONSTERが絶滅してから4年が経った2017年、M797として再び空冷MONSTERが復活。

M797

Monsteristi(モンスターリスティ ※MONSTERに魅せられた人の事)なら気付くと思いますが、トレリスフレームがアルミダイキャストとのハイブリッドフレームから従来のトレリスアピールバッチリなフレームと両持ちスイングアームに戻りました。

M797トレリスフレーム

エンジンはネオレトロブームに乗っかって40年ぶりに復活したスクランブラーの物。ユーロ4(環境規制)に対応した76馬力で装備重量186kg。といってもコレもともと先代の796に使われてたエンジンなんだけどね。だからコレも797と言ってるけど803ccです。

M797トレリスフレーム

スクランブラーは縮小版の400があるからこの797にそのエンジン積んで400がまた出るかもね。

なんか駆け足過ぎてモデル紹介になってない気がしますが最後に・・・

MONSTERがどれだけ凄いバイクかを表すとした場合いろんな言い方があります。

「916と並んで最も成功したバイク」
「DUCATIで最も売れたバイク」
「DUCATIを救ったバイク」
「欧州でネイキッドというカテゴリを蘇らせたバイク」

でもMONSTERの凄さを表すのに最も簡単明瞭な言葉があります。それは

M797エンジン

「トレリスフレームのネイキッド=MONSTER」

という二度と覆る事のない既成事実。

誰が見てもそう思う。好きとか嫌いとか定番といった次元じゃない。

エンジン:空冷4サイクルSOHC二気筒
排気量:748[803]cc
最高出力:
62[76]ps/7500[]rpm
最大トルク:
6.2[6.93]kg-m/6850[5750]rpm
車両重量:178[186]kg(乾) [装]
※スペックはM750 []内はM797

系譜図
M9001993年~
M900の系譜
M6001994年~
M600の系譜
モンスター750ie1996年~
M750の系譜

【関連車種】
CB650F/CBR650Fの系譜FZ6/XJ6/FZ8の系譜GSX-S750の系譜Ninja650/Z650の系譜Z900の系譜

M600シリーズ -since 1994-

モンスター600

900の系譜で

「MONSTERが大ヒットしてDUCATIを救った」

と言ったけど、その中でも一番貢献したのは実は900ではなくジュニアモンスターまたはベイビーモンスターの愛称で親しまれたこのM600だったりします。

ただでさえお買い得だった900の更なるお買い得版として一年後に登場した三男坊。足つきの良さも相まって老若男女問わず人気が出て非常に息の長いモデルとなりました。

モデルチェンジの流れは基本的に兄弟車とほぼ同じで、02年にはインジェクション採用と排気量も618ccアップで通称M620I.E.に。

モンスター620

馬力が77馬力にまでアップされ非常に人気が出たモデル。

そして一般的に第一世代最後といわれるEURO3(規制)対応の06年発売M695。

モンスター695

細部の不具合潰しに加えエンジンの排気量が695ccにまでアップされたんですが、先代よりも更にショートストローク化された事でスポーツ性が向上。

何故かこの三男坊だけはS2R化(片側2本出しマフラーなど)されなかったため台数はそれほど出なかった。なんでしなかったんだろうね。

696イラスト

ちなみにイタリアでは白バイとしても活躍していました。さすが母国。

少し話が反れますが先代の600/620そして今紹介した695をベースに作られたのが95年から発売されたMONSTER400です。

モンスター400

~96年までの前期型(キャブ)と00~08年の後期型(インジェクション)となってます。排気量を見てもらえれば分かる通り400SSと共に日本やフィリピンといったアジア向けに用意された普通二輪で乗れるMONSTER。

それまでもドゥカティは400F3や400SSといったバイクも出すには出してたけど本土イタリア以上にスパルタンなイメージが出来上がっていた国内においては

「こんなのドゥカティじゃない」

なんて言われてた。当然ながらこれはMONSTER400でも。でもこれMONSTERに限っていうと話が変わってきますよね。

900も母国イタリアをはじめとした欧州でも最初は

「こんなのドゥカティじゃない」

なんて言われたわけですから。

MONSTER400

残念ながら4メーカーのお膝元ということもありイタリアのように大ヒットとはならなかった。

でもMonster900誕生の経緯で話した通りMONSTER最大の武器であり最大の功績はドゥカティの敷居を下げた事。端的に表すなら”日常で楽しめるイタリア車”というのがMONSTER。

そう考えた時、400は確かに6xxのスケールダウンモデルで決して速いとは言えなかったけど、日本の道路事情を考えたら最も日本に合ったMONSTERはこの400だったのかもしれないね。

ハンドリングは他のモンスター同様にスポーティなわけだし。その代わりネイキッドにあるまじき切れ角の無さだけどね。

モンスター(特に古いタイプ)はハンドルの切れ角もそうだけど形状も凄く独特で初めて乗ったら絶対に

「何か違う・・・」

と思うハズ。

話を戻しましょう・・・戻しましょうと言っても三男坊としては最後のモデルになる08年に出たM696。

モンスター696

新世代のジュニアモンスターとして見た目が大きく代わりました。スリッパークラッチ(APTC)の採用やエンジンの腰上(ヘッドやシリンダー周り)の改良で80馬力にアップ。

新生モンスターの中でもM696は一番最初に出た事もあって色んな物議を醸しました。異型ヘッドライトなんかもそうだけど一番は象徴でもあったトレリスフレームが大きく変わったこと。

696イラスト

先代がシートまで綺麗に繋がっていたのに対しこの696(というかここからのMONSTER)は前半はトレリスフレームだけど後ろ半分はアルミダイキャストというハイブリッドに。要するにトレリスフレームアピールが少し弱くなりました。

新生モンスター

「DUCATIといえば綺麗なトレリスフレーム」

って考えのドゥカティスタは多いしMONSTERは長いことデザインを変えずに来てたわけだからそう思うのも無理ないけどね。まあしかしこれはスーパーバイクからのフィードバックで作られたハイブリッドフレームなので優れているのは疑いようもない事実ですし、市場でも受け入れられたみたいです。

厳密にいうと三男坊にはもう一つ659というモデルがありました。日本には入ってきてないけどね。

モンスター659

これは659ccに落とされた696みたいなバイクで主にオーストラリアで2013年まで発売されていました。

なんで659なのかというとオーストラリアでは免許取得後の一年は660ccを超えるバイクに乗れないからです。だからわざわざ用意したというわけ。

オーストラリアは日欧米に比べそれほど大きな市場ではないんですが、それにも関わらず用意したのはやっぱりドゥカティにとって空冷MONSTERというのは売れ筋であり、広告塔であり、エントリーモデルとしてライダーに最も歩み寄ったバイクであるという事の証でしょう。

まして6xxシリーズはコストパフォーマンスや足付きの良い優れた末っ子だったからね。

エンジン:空冷4サイクルSOHC二気筒
排気量:583[696]cc
最高出力:
52[80]ps/9000rpm
最大トルク:
4.9[7.0]kg-m/7750rpm
車両重量:174[161]kg(乾)
※スペックはM600 []内はM696

系譜図
M9001993年~
M900の系譜
M6001994年~
M600の系譜
モンスター750ie1996年~
M750の系譜

M900シリーズ -since 1993-

M900

ドゥカティ初のネイキッドとなるモンスター900が誕生したのは1993年の事・・・なんですが少しモンスターが生まれるに至った経緯をお話ししたいと思います。

今でこそマルチパーパスのムルティストラーダ、マッスルクルーザーのディアベル、最近ではネオレトロのスクランブラーなど色んなバリエーションのバイクを出しているドゥカティですが、モンスター900を出すまでは基本的にフルカウルのスポーツバイクしか作っていませんでした。だから”ドゥカティ=スーパースポーツメーカー”みたいな感じだったわけです。

900SS_750F1

そんな中で登場したネイキッドとして出たモンスターはとてつもない批判に晒されました。

元々ドゥカティが好きだったドゥカティスタからは

「スポーツメーカーだったのに失望だ」

と蔑まれ、他からは

「奇をてらった変な形のネイキッド」

と散々な言われようで誰からも理解されず。造りから見ても851/888ベースのトレリスフレームに900SSのエンジンを積むというよく分からない構成。

ドゥカティが分からない人の為にアベコベさを日本車で例えるなら、GSX-R1000の高剛性フレームにGSX1000Sカタナの油冷エンジンを積んだネイキッドって感じ・・・例えが下手ですいません。

M900青

まあとにかくスポーツバイク専門だったドゥカティが性能も見た目もアベコベで意味不明なバイクを出したわけですが、当然ながら意味もなく出したわけではありません。

EUでも80年代に日本でバイクブームが起こったように日本メーカーの大型スポーツバイクが一世を風靡していました。GSX-RにVFにFZRにGPZに・・・しかしトンデモナイ速度が出る大型スポーツバイクということで事故の件数も増加。それにより保険会社はスポーツバイクの保険料をドンドン上げていきました。

この影響を最も受けたのはスポーツバイクしか作ってなかったドゥカティ。窮地に陥ったドゥカティは閃きました。

「スポーツバイクは保険料が高くて駄目ならスポーツバイクっぽくないスポーツバイクを作ればいい」

そうやって生まれたのがモンスター900です。

空冷エンジンで、ポジションも凄く起きてて、芋虫みたいに長いタンクとシートのネイキッド。そういった事から

「モンスターはネイキッドだし空冷エンジンだからスポーツバイクではない」

という評価を保険会社から受けた・・・正にドゥカティの思惑通りの展開。

空冷といえど元を辿ればスーパーバイクに使われていたエンジンを中低速よりに改良したもので街乗りから峠まで十二分なポテンシャル。そしてフレームも元々スーパーバイクに使われていた物がベースだからハンドリングはとってもクイックな今でいうストリートファイター。

M900黄

当時はスポーツバイクといえばカウルの付いたバイクが当たり前でネイキッドは絶滅していた時代。そんな中でネイキッドながらスポーツを味わえるという口コミが広まり”(費用面から)スポーツバイクに乗りたいけど乗れない”という層をガッチリ獲得することに成功。

ドゥカティにあるまじきお買い得車という事もあり瞬く間にイタリアにおいて日本車を抜き去るほどの販売台数、そして2007年モデルまでの時点で15万台を超える出荷台数を記録。街中を走れるドゥカティのスポーツバイクとしてモンスターは定着しました。

モンスターを出すにあたって最大の難関だったのは当時親会社だったCAGIVAを説得することだったようだけど、ドゥカティの売上の半数以上を占めるまでに至ったんだからCAGIVAも喜んだでしょうね。

ミゲール・A・ガールズィ

ちなみにMONSTERの生みの親である工業デザイナーはミゲール・A・ガールズィ(Miguel_Angel_Galluzzi)というアルゼンチン出身のお方。

MONSTERというとドゥカティのトレードマークでもある剥き出しのトレリスフレームが特徴的だけど、ミゲールさん曰く851のフレームを選んだのは自分の思い描くタンクを作るために一番邪魔にならないフレームだったからだそう。つまりMONSTERのトレードマークはフレームじゃなくてタンクなんだね。

M900ラフデザイン

鬼才として有名なタンブリーニさんもそうだけど、向こうはデザインも中身も1人でパッケージングするのが結構当たり前だったりするわけです。イタ車といえば芸術的な物が多いイメージがありますが、それにはこういった事から来てる面もあるでしょうね。

ミゲールさんはMONSTERの後も各メーカーを転々としていて、最近で言うとApriliaの三眼RSV4(2008)もこの方のデザイン。

03

他にはヤマハのコンセプトであるコレもミゲールさんのデザイン。

さっさと歴代モデルを紹介しろと怒られそうなのでいい加減900に話を戻すと、先ず最初に出たのは上で紹介している93年の初代MONSTERことM900です。欧州でネイキッド革命をもたらしたバイク・・・とその前に、知ってる人も多いと思うけどMONSTERには色々グレードがあります(ありました)。

SHOWA/OHLINSサスやビキニカウルといった装備のトップグレードはSまたは+、そしてメインのノーマルグレード、廉価版のDark。日本人ならこの3つだけ覚えておけば大丈夫。

そしてモチベーションの都合で今回グレード紹介や細かいモデルチェンジは割愛させてもらいます。ごめんなさい。

革命をもたらしたM900に初めて大きく手が入ったのは2000年でFIになりました。分けるためにM900I.E.とも言われています。

00年式M900

このモデルからタコメーターも装着。更に翌2001年にはフレームがST系へと変更された事で少しワイドになり安定性が向上。

そして次のモデルチェンジは2003年で排気量が992ccまで上がってM1000となりました。

m1000

これは兄弟車であったSSシリーズがモデルチェンジで1000になったから。馬力も大きく上がって94馬力となったわけですが、日本向けはほぼSモデル(SHOWAサスペンションの上位モデル)だったようです。

そしてそして見た目が大きく変わった06年のS2R1000。

s2r1000

片持ちスイングアームに片側二本出しマフラーと戦闘的なルックスになりました。もともとこれはS4R(ハイスペックな水冷モンスター)向けだったデザインでしたが弟分の800に続く形となりました。

そしてそしてそして09年に16年目にして初のフルモデルチェンジ。エンジンのみならずフレームも新しくなったM1100になります。

s2r1000

排気量が更に上がって1078ccになり異型ヘッドライトや片持ちスイングアームやトラスフレームとアルミダイキャストのハイブリッドフレームとなった新世代モンスター。

そしてそし・・・せっかくフルモデルチェンジしたのに勿体無い気がするけど11年から13年まで発売されたM1100EVOが長男坊最後のモデルとなります。

s2r1000

空冷SOHC2バルブながら100馬力を発揮するEVOエンジンが積まれクラッチが湿式のスリッパークラッチとなり電スロ化され4段階のトラクションコントロールシステムも採用。

最後にして最高のスペックを引き下げた空冷モンスター。

てっきりドゥカティの空冷MONSTERはこの路線でいくのかと思いましたが、このモデルを最後に長男坊は一足先に生産終了。

s2r1000

やっぱり水冷MONSTERとの住み分けが難しかったのか。規制の問題が一番でしょうけど。

エンジン:空冷4サイクルSOHC単気筒
排気量:904[1078]cc
最高出力:
67[100]ps/7000[7500]rpm
最大トルク:
8.3[10.5]kg-m/6000rpm
車両重量:185[169]kg(乾)
※スペックはM900 []内はM1100EVO

系譜図
M9001993年~
M900の系譜
M6001994年~
M600の系譜
モンスター750ie1996年~
M750の系譜

意欲が招いた倒産 -1990年代-

ビモーター

dbシリーズやybシリーズなどマルティーニの手腕によりbimotaは支持層を広げ順調に事業を拡大していきました。

しかしそんなマルティーニも1989年にジレラへとヘッドハンティング。小さい会社の宿命ですね。

マルコーニ

その後を継ぎチーフエンジニアとなったのは、マルティーニの元で学生時代から指南を受けていたマルコーニという若干29歳の若手エンジニア。

そんな彼がチーフエンジニアになり造ったバイクがこれ。

TESI

「TESI(テージ) Since 1990」

何となく知っている人も多いでしょう。

ちなみにTESIとはイタリア語で”論文”という意味で、マルコーニが大学時代から研究し卒論にもなったのが名前の由来。

恐らくbimotaに関するリクエストの多くはこのTESIシリーズだろうと思うので少し説明します。

1D

TESIは前も後もスイングアーム式という一風変わった形をしているバイク。

前も後もスイングアームでどうやって曲がってるのか・・・と思いますよね。

これはハブセンターステアと呼ばれる構造で、ハンドルの左右入力をリンクを介して前後の動きに変換しハブに伝えているわけです。

TESI

よく分からんって人は肘を90度曲げて前にならえのポーズのまま背骨を中心に体を左右に回してみてください。

手が前後に動くと思います。その手の先にホイール(ハブ)が付いているんです。

1Dの場合は右側にあるので、身体(ハンドル)を右に回せば右腕が前に出るのでホイールも右側を押されて右を向く、反対に左に回せば引っ込むので右側が引かれて左を向くといった感じ。

ハブステア構造

そうやって舵角を付けているわけです。ちょっと乱暴な例えですけどね。

bimotaといえばこのTESIシリーズと思っている人が多いように、1983年のモーターショーでのTESI(CONCEPT)登場は世界に衝撃を与えました。

TESIプロトタイプ

あまりにも意欲的で斬新な佇まいから

「次世代のバイクだ」

と称賛されました・・・が、コレが悪い方に働いてしまったんです。

このTESIというのは学生だったマルコーニがマルティーニから指導を受けながら造った”実験的なモデル”であり、市販化はまだまだ先の話だった。

しかし世論は

「これこそ次世代のbimotaだ」

と信じて疑わず、結果として既存車種の買い控えが起こってしまったんです。

もうこうなった以上はTESIを一日でも早く造るしか無いわけで、約6年の月日を掛けて造られたのがドゥカティ851のエンジンを積んだTESI 1D(Ducati)というわけ。

TESI1D

待ちに待ったTESI 1Dだったんですが、実際どうなのかというと処女作なだけあり色々と問題がありました。

左右に動く部分が実質的にアクスルシャフトなので低速域ではどうしても少しフラつく。

更にはハブセンターステアリング特有の特性。

似た構造(ボールナット式)の『GTS1000|系譜の外側』でも話したので割愛しますが、ノーズダイブ(ブレーキングによる前のめり)が殆どありません。

TESI1D骨格

そのためサスが沈んで初めてブレーキが効くテレスコピックと違い、はじめから強力に効くメリットがあるわけですが、その反面バイクからのインフォメーションが非常に希薄なんです。

要するにバイクの反応が分かりにくい。構造上ハンドルの切れ角が稼げず、僅か17°とMotoGPマシン並の狭さだった事も不評を買いました。

少し話が脱線しますが、ハブセンターステアリング式の構想自体は1910年頃から構想。

しかし本格的に開発され始めたのはTESIではなく、1978年のMotoELFというホンダとELFがタッグを組んだフランスのチーム。

エルフX

世界レースに約10年間も挑戦し続けたんですが、結局それらの問題を解決し既存のテレスコピックを凌駕することは出来ず。

フロントはダメだったけどリアは使えるということで、プロアームが生まれた歴史があります。

細かい事を言うと、その一年前である1977年にイギリスのミードとトムキンソンという二人のビルダーもハブセンターステアリングの耐久レーサーを造っています。

ネッシー

Z1ベースで”ネッシー”という愛称でした。

カワサキってハブセンターステアリングに一番縁が無さそうなメーカーなのにね。

ちなみにスズキもNUDAというハリボテではなくちゃんと走るコンセプトバイクを1987年に出しています。

スズキNUDA

ただやはり乗れたもんじゃなかったというのが正直な所だった様です。

話をTESIに戻すと・・・bimotaはそんな無茶を実現させたわけなんですが、無茶は値段にも影響してしまいラインナップでもトップとなる448万円に。

テージディメンション

これらの事からTESI 1Dは4年近く売ったものの派生モデルを含めても300台未満で評判を含め人気とは言い難いもので、bimotaは傾いてしまいます。

ちなみにdb1同様に日本がお得意先だった事もあり、実はこのTESI 1Dも400モデルが造られた歴史があります。

TESI400

ドゥカティ400SSのエンジンを搭載したTESI 1D 400Jというモデルで、386万円でした。

福田モーター商会(代理店)を挟んでいたとはいえ”1cc/1万円”はさすがビモータですね。

創業者であるモーリも当時を振り返った際

「TESIは急ぎすぎてしまった」

と言っている様に、意欲が空回りした結果に終わってしまったわけです。

ただし・・・一方でマルコーニはbimota史上最大となるヒット作を生みました。

SB6

『SB6 since1994』

太く、逞しく、ピボットまで真っ直ぐ伸びているアルミツインチューブフレームのバイク。エンジンはGSX-R1100の水冷。

約250万円前後と絵決して安くなったんですが、その斬新な姿が話題となり、また出来も良かったので累計で1744台と大ヒット。

このバイクがあったからなんとか倒れずに済みました。

そんなbimotaだったんですが、創業者であるモーリがbimotaから離れる事になりました。

これで遂にタンブリーニもモーリも居ない会社となったわけですが

「もっと多くの人にbimotaを」

というモーリの考えを尊重する姿勢を維持し、更に拡大路線を進める事に。

例えばドゥカティのMONSTERを機に人気となったネイキッドブームに合わせてアルミ楕円トラスフレームのDB3 Mantra。

DB3マントラ

独特なデザインはフランス人のサシャ・ラキクという方によるもの。

他にもレースを睨んで開発されたGSX-R750SPエンジン搭載のSB7、F650の(ロータックス製)シングルエンジンを使ったSUPER MONOなど相次いでニューモデルを発売。

スーパーモノ

どのモデルもおよそ500台前後ほど売れるヒットとなり順調に事業を拡大。

そんな中でbimotaは更にもう一歩踏み出します・・・それは

「エンジンも自分達で造れば業績がもっと良くなる」

というモーリがTESIとほぼ並行する形で約8年を掛けて進めていたプロジェクト。

それが1997年に形になります。

500Vドゥエ

『500-V Due since1997』

開発はもちろんマルコーニですが、デザイナーは新たにタンブリーニが仕切っていたCRC(カジバリサーチセンター)から引っ張ってきたセルジオ・ロビアーノさん。

ベイビー916ことMitoをデザインされた方です。

500-V dueはTESIに負けずとも劣らない意欲的なマシンでした。

何が意欲的かと言えばもちろんbimotaオリジナルのエンジン。

500Vドゥエのエンジン

2ストローク90°Vツインに当時としては非常に珍しいフューエルインジェクションシステムを採用。

これだけでも十分凄いんですが・・・なんとこれ直噴式。シリンダーに直接燃料を吹くあの直噴です。

500Vボディ

直噴にした狙いは主に二つありました。

一つは2stが絶滅危惧種となってしまった大きな原因である未燃焼ガス対策です。

排気ポートが閉口した後に燃料を吹けば未燃焼ガスの流出を防げるというもの。

未燃焼ガス

そしてもう一つは熱対策。

2stは一次圧縮(クランク)でガソリンが熱せられ気化してしまう。

それに対してピストンに向けて直接ガソリンを吹いて気化させれば燃焼室やピストンの温度を(気化熱で)下げられるというわけ。

最近話題の打ち水のアレです。

そうやって温度を下げる事が出来ればピストンとシリンダーのクリアランスを詰めることが出来るのでパワーの向上に繋がる。

ビモータ500V

この二つの考えからマルコーニは直噴2ストロークを選びました。

元々はTESIに積む予定だったんですが、流石に難しいと判断したのか途中でオーソドックスな車体に。

そしていざ発売されてみると・・・肝心のインジェクションがまともに動かずクレームの嵐。

下馬評を大きく下回る形となり、初年度生産だった185台全てリコールまたは返金する事態に。

500Vカタログ写真

数年でキャブレーター化などの改善が施されたエボルツィオーネとなりましたが時すでに遅し。

この一件によりbimotaは1998年に経営が悪化。人員整理でチーフエンジニアだったマルコーニもbimotaを去ることに。

その後ラベルタを立て直した実績もあるフランチェスコ・トニョンの管轄下で再開したものの、結局は上手く行かず2000年に倒産となりました。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

YZF-R6(5EB/5GV) -since 1999-

1999R6

「エキサイトメントあふれる走行性能」

スポーツに対する考えを180度方向転換したヤマハが造った初代YZF-R6こと5EB型。

日本では先に出ていた大排気量のYZF-R1が注目されましたが実は吹っ切れ度はYZF-R6の方が上と言っていいほど。

というのもこのYZF-R6はプロジェクトリーダーこそYZF-R1と同じ三輪さんだったんですが別々のチームで

「70%が楽しめるのがR1ならR6は100%だ」

と対抗心バチバチだったから。

2000YZF-R6

その言葉に嘘はなく当時クラストップとなる120馬力/13000rpmエンジンにアルミツインチューブフレームで車重も169kg(乾)ともはやレーサーそのもので、ラムエアシステムも兄より先に採用。

これからずっとそうなんですが、実は最先端装備をいち早く採用する傾向が強いのはR1よりR6だったりします。

2000YZF-R6

ちなみにデザインコンセプトは意外にも昆虫との事。

何故これほどまでに尖ったYZF-R6が登場したのかというと欧州で人気だった600ccレースが1999年から世界選手権に格上げされた事が背景にあります。

要するにスーパースポーツ競争の火蓋が切って落とされたわけで、その中でYZF-R6はその先陣を切った形のバイクなんです。

もちろん圧倒的な速さで市場はもちろんレースでも大人気で世界タイトルを三連覇するほどの大活躍でした。

しかし面白い話ですよね。

レースとは無縁な形で生まれて後にレースマシンとなったYZF-R1。

YZF-R1とYZF-R6

一方でレース人気の高まりにより生まれたのがYZF-R6。

同じ様に見えて生い立ちは全くの逆なんですから。

主要諸元
全長/幅/高 2025/690/1105mm
シート高 820mm
車軸距離 1380mm
車体重量 188kg(装)
燃料消費率
燃料容量 17.0L
エンジン 水冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 599cc
最高出力 120ps/13000rpm
最高トルク 6.9kg-m/11500rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前120/60ZR17(55W)
後180/55ZR17(73W)
バッテリー FT9B-4
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
CR10EK
推奨オイル ヤマルーブ
プレミアム/スポーツ/スタンダードプラス
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量3.5L
交換時2.5L
フィルター交換時2.7L
スプロケ 前16|後48
チェーン サイズ532|リンク116
車体価格
系譜図
1985FZ600 1985年
FZ600
(2AX/2AY)
1989FZR600 1989年
FZR600
(3HE/4HJ)
1994YZF600R 1994年
YZF600R
(4WE)
1999YZF-R6 1999年
YZF-R6
(5EB)
2001YZF-R6 2001年
YZF-R6
(5MT)
2003YZF-R6 2003年
YZF-R6
(5SL)
2006YZF-R6 2006年
YZF-R6
(2C0)
2008YZF-R6 2008年
YZF-R6
(13S/1JS/2CX)
2017YZF-R6 2017年
YZF-R6
(BN6)

YZF600R ThunderCat(4WE) -since 1994-

4WE

「The POWER to SATISEY」

YZFというヤマハスーパースポーツの名前を冠しているだけあって、かなり攻撃的なスタイルになったYZF600Rサンダーキャット。

雷猫

デザインが先鋭的な物になっているものの、パワーユニットは基本的に一部の国で併売されていた先代と変わらずポジションもそこまで前傾がキツくないツアラー寄りなポジションに。

先のページでも話した通り、この頃になると欧米で600ccスポーツ熱が非常に高まっていて各地でレースも行われる様になっていたんですが・・・

サンダーキャット壁紙

そんな背景があるにも関わらず何故YZF600Rをカリカリにしなかったのかというと当時のヤマハはスポーツに対する考えが違ったから。

雷猫

YZF1000Rでも話したんですがヤマハは当時

「大型スポーツにはゆとりが必要」

と考えていてカリカリのスーパースポーツを造ることを良しとしてなかったんです。

これは日本の三ない運動はもちろん欧州でも70年代後半に同じ様に社会問題化した事が少なからずあったかと。ヤマハは欧州では人気メーカーですからね。

YZF600Rカタログ写真

だから速さを取りつつもゆとりのある性格やポジションのバイクを心がけていた。実際ディバージョンなんかはそれで大成功を収めていたわけですし。

そしてそれはミドルでも例外ではなく結果としてYZF600Rも速いんだけど楽なポジションのミドルスポーツという形になったというわけ。

そんなYZF600Rは一応日本でも販売されていました。

4WE

しかし覚えてる人はだれも居ないくらい・・・スーパースポーツブームが去った今

「楽なポジションのミドルYZFですよ」

って出したら結構人気が出ると思うんですけどね。時のうつろいとはよく言ったもんです。

サンダーキャット

ちなみに今ではお馴染みであるこのブルーストロボが初めて採用されたオンロードスポーツは実はこのYZF600R Thundercatだったりします。

ヤマハはこの後スポーツに対する考えをガラッと変えるわけですが、保守的な考えをしていたヤマハの最後のバイクが革新的な考えを代表するヤマハカラーを初めて纏ったバイクというのは何とも感慨深い。

主要諸元
全長/幅/高 2060/725/1190mm
シート高 805mm
車軸距離 1415mm
車体重量 212kg(装)
燃料消費率
燃料容量 19.0L
エンジン 水冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 599cc
最高出力 100ps/11500rpm
最高トルク 6.7kg-m/9500rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前120/60ZR17(55W)
後160/60ZR17(69W)
バッテリー YTX12-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
CR9E
または
U27ESR-N
推奨オイル ヤマルーブ
プレミアム/スポーツ/スタンダードプラス
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量3.5L
交換時2.6L
フィルター交換時2.9L
スプロケ 前15|後47
チェーン サイズ530|リンク108
車体価格
系譜図
1985FZ600 1985年
FZ600
(2AX/2AY)
1989FZR600 1989年
FZR600
(3HE/4HJ)
1994YZF600R 1994年
YZF600R
(4WE)
1999YZF-R6 1999年
YZF-R6
(5EB)
2001YZF-R6 2001年
YZF-R6
(5MT)
2003YZF-R6 2003年
YZF-R6
(5SL)
2006YZF-R6 2006年
YZF-R6
(2C0)
2008YZF-R6 2008年
YZF-R6
(13S/1JS/2CX)
2017YZF-R6 2017年
YZF-R6
(BN6)