Daytona 900/1200 SuperⅢ -since 1993-

デイトナ900

二年後さらに排気量を上げスポーツ性を増した900と1200になったデイトナ。

スペックを見ると当時一世を風靡していたZZR1100と同等の物があるけど実測ではちょっと違ったみたい。

このモデルで特筆すべきは「スーパー3」と呼ばれる限定仕様のモデルでしょう。

デイトナ900スーパー3

見た目の違いはブラックアウトされたマフラーとカーボンフェンダー、そして同じくブラックのラインが入ったテールカウルにSUPER3というロゴが入ったことくらい。でも中身は別物。

あの有名なF1エンジンビルダーのコスワースが手を加えたチューニングマシンで113馬力を叩き出すエンジンになっている。

限定500台でその内、日本に入ってきているのは僅か20台足らずだったとか。

トライアンフすら中々見ないのにこんな超限定車を見る機会は先ず無いでしょうね。

エンジン:水冷4サイクルDOHC3[4]気筒
排気量:885[1180]cc
最高出力:
113[149]ps/9500rpm
最大トルク:
8.3[11.7]kg-m/8000rpm
車両重量:211[228]kg(乾)
※[]内は1200

系譜図
タイガーT100Rデイトナ

1967年
Tiger 100T/R Daytona

デイトナ1000

1990年
Daytona 750/1000

デイトナ900

1993年
Daytona 900/1200

デイトナT595

1997年
Daytona T595/955i

デイトナ600

2002年
Daytona 600

デイトナ650

2005年
Daytona 650

デイトナ675前期2006年
Daytona 675/SE(前期)
デイトナ675R後期

2009年
Daytona 675/SE/R(後期)

デイトナ675ABS

2014年
Daytona 675 ABS/R

Daytona 750/1000 -since 1990-

デイトナ750

次にトライアンフがデイトナと名の付いたバイクを出したのは何と20年以上も経った後だった。

コレには勿論ワケがある。

70年代に入るとそれまで小排気量だけだった日本メーカーが大型バイクに進出し始めた。

すると大型バイクといえばトライアンフかハーレーだった情勢も大きく変わり、「安い」「速い」「壊れない」と三拍子揃った和製大型バイクにどんどんシェアを奪われた。
レースでも結果を残せず、アメリカにおいてもハーレー救済策として高い関税が敷かれるという不運が重なり経営危機を迎え遂に破綻しました。

しかし実業家がそんなトライアンフを拾い上げ「ボンネビルコヴェントリー」と社名を改め再起・・・でもトライアンフの方が知名度も歴史もあると言うことで結局すぐに社名もトライアンフに戻りました。

デイトナ1000フォア

そしてそんな再起をかけ作った車種の一つがこの「デイトナ750トリプル」と「デイトナ1000フォア」です。

デイトナの名を復活させるだけありトライアンフとしては初となるフルカウルスポーツになります。
750は三気筒で1000は四気筒。

勘の良い方はこの750や1000の造り見て何か違和感を覚えると思います。

というのもこのデイトナ750と1000はカワサキの技術提供を受けて作られたバイクなんです。

トライアンフプラットフォーム

サイドカムチェーンのエンジンやダイヤモンドモノコックフレーム、チェーンアジャスターなんてカワサキお得意のエキセン式そのままですね。

この頃のトライアンフはこのカワサキの助力で作ったプラットフォームでほぼ全車種を作っていました。徹底的な部品の共有化「モジュラーコンセプト」というやつです。

歴史を見ると分かりますが、トライアンフは世界大戦の前から目黒製作所(詳しくはWの系譜へ)という日本の大型バイクメーカーと繋がりを持ってたから、カワサキに目黒製作所が吸収合併された後もパイプが残っていたんでしょうね。

エンジン:水冷4サイクルDOHC3[4]気筒
排気量:749[998]cc
最高出力:
97[120]ps/8750[10500]rpm
最大トルク:
6.7[9.0]kg-m/8500rpm
車両重量:218[235]kg(乾)
※[]内は1000

系譜図
タイガーT100Rデイトナ

1967年
Tiger 100T/R Daytona

デイトナ1000

1990年
Daytona 750/1000

デイトナ900

1993年
Daytona 900/1200

デイトナT595

1997年
Daytona T595/955i

デイトナ600

2002年
Daytona 600

デイトナ650

2005年
Daytona 650

デイトナ675前期2006年
Daytona 675/SE(前期)
デイトナ675R後期

2009年
Daytona 675/SE/R(後期)

デイトナ675ABS

2014年
Daytona 675 ABS/R

Tiger T100R Daytona -since 1967-

タイガーT100Rデイトナ

トライアンフが最初に「Daytona(デイトナ)」と名を付けたバイクがこのタイガーT100R Daytona

そもそも「デイトナ」って何?って思う人も多いと思うので補足から入らせてもらいます。

デイトナという名はトライアンフという老舗バイクメーカー(現存するメーカーとしては最古)が作ったスーパースポーツバイクの読み名です。

名前の由来はアメリカにあるバイク聖地と呼ばれるフロリダ州デイトナから。
何故デイトナがバイク聖地と呼ばれるのかというと、毎年3月の第二週になるとデイトナビーチにバイカー大集合という世界最大級のバイクイベントがあるからです。

デイトナバイクウィーク

毎年ハーレーを筆頭に三万人以上ものバイカーが集合し一週間に渡り占拠して品評会に始まり飲めや食えやのお祭り騒ぎ。
デイトナといえば皆さんご存知の大手バイク用品メーカーのデイトナも同じ名前ですね。このメーカーの名前の由来も同じこのデイトナから取っています。

ただトライアンフのT100Rはもう一つ由来(というかコッチが主な由来)がある。それはここで行われる「世界三大耐久レース」の一つデイトナ200マイルレースです。

というのもこのタイガーT100は1966~67年と二年続けてトライアンフを優勝に導いた記念に作られたマシンのレプリカモデルなんです。

これがトライアンフデイトナの始まりなんですね。

DaytonaT100R

今でこそトライアンフでタイガーと言えばデュアルパーパスクラスを指しますが、最初はスポーツバイクだったんです。更に辿るとタイガーは単気筒がスタートです。

そしてトライアンフはこの勢いそのままにボンネビルを出し、ハーレー独占状態だったアメリカ市場にて初めて成功したバイクメーカーでもあったりします。

エンジン:空冷4サイクルOHV2気筒
排気量:490cc
最高出力:
42ps/7400rpm
最大トルク:
不明
車両重量:不明

系譜図
タイガーT100Rデイトナ

1967年
Tiger 100T/R Daytona

デイトナ1000

1990年
Daytona 750/1000

デイトナ900

1993年
Daytona 900/1200

デイトナT595

1997年
Daytona T595/955i

デイトナ600

2002年
Daytona 600

デイトナ650

2005年
Daytona 650

デイトナ675前期2006年
Daytona 675/SE(前期)
デイトナ675R後期

2009年
Daytona 675/SE/R(後期)

デイトナ675ABS

2014年
Daytona 675 ABS/R

V7クラシック/V7-2/V9シリーズ -since 2008-

V7クラシック

2007年のモーターショーで発表され大きく話題となったV7クラシック。

名前、そして見た目からも分かる通りリバイバルプロジェクトとしてVシリーズの始まりであり名車として今も語り継がれるV7を40年ぶり復活させたわけです・・・っていうと多分コアなグッツィスタの人からツッコミが入りそうなので説明しておきます。

モトグッツィは大きく分けて二種類の系譜があります。少し掘り下げてお話しましょう。

一つはこのMOTO GUZZIの系譜で紹介して来たV7やルマンなどモトグッツィの栄光時代を作っていたバイクたち。これらのバイクはビッグブロックツインの系譜。

ビッグブロックエンジン

その名の通りデカいエンジンが特徴的で発端となった軍や警察に採用されたエンジンが源流です。

そしてもう一つはスモールブロックツインの系譜。これは1977年に出たV35/V50が原点。

V50

大排気量車に対してイタリアが増税を決めたことや、アメリカが高い関税を敷いたことが発端。

V35/50に始まり数々のモデルチェンジを繰り返し、2003年にはブレヴァプロジェクトとして大きく進化した最初からオートバイ専用エンジンとして作られている優秀なエンジンです。

ブレヴァ750

そしてツッコまれると言ったのはこのV7クラシックやV7-2、更には2015年に発売されたV9に積まれているエンジンはビッグブロックだった初代V7シリーズとは違い、ブレヴァプロジェクトによって作られたスモールブロックの方を積んでいるから。

つまり現存するV7はV7というよりはV70とか言ったほうが正しいし、遡らないといけないんだけど、ソッチの系譜まで書く体力ありませんでしたスイマセン。

でも(言い訳をするワケじゃないけど)見た目も味もちゃんとV7らしく仕上げてきたから市場では非常に好評だった。

V7C

2010年頃から欧州でオールドネイキッド(カスタム)ブームが起こっているけど、その火付け役となったのは紛れも無くV7クラシックによるもの。そしてその人気に後押しされるかのように出たのが2011年のV7-2、そしてイケイケな状態から出てきたのが2015年のV9というわけです。ちなみにV7-2は2013年には改良が入っています。

もう一つ断っておかないといけない事があった。それはモトグッツィのクルーザーモデルであるカリフォルニアというバイク。

2016カリフォルニア1400

冒頭でサラッと紹介したっきりで終わってたんだけど、実はVシリーズ以上に会社を助けてきたロングセラー車なんです。この系譜では時代と共に変化していくVシリーズを書きましたが、モトグッツィと言えばカリフォルニアだと考えてる人は珍しくありません。

1972年からずーっと売ってますからね。わざわざ日本でも買える様に向こうから引っ張ってるのには理由があるんです。

もしかしたらモトグッツィといえばV7やV9、California1400しかないと思ってるかもしれないけど本国ではもっと色んなバイクが売ってます。

ラインナップ

・・・なんか自分でも驚くほどモデル紹介になってないですね。グダグダになってしまって申し訳ないです。モデル毎の詳細は自分で調べてください(放棄)

最後にモトグッツィのまとめ

恐らく多くの人がモトグッツィのバイクを見たら

「V2エンジンが縦に積まれてる変なバイク」

という認識でしょう。

試しに雑誌なんかではどう書いているのか見てみたら

「トラクションからエンジンバルブまで全てが感じ取れるバイク」

とか書かれていました・・・そんなこと言われて分かる人なんて居ない。

V9ガレージ

だからといって

「左右に働くトルクリアクションの無い自然なハンドリング」

とか言っても一体それの何が魅力なのかと思うし伝わらないでしょう。

モトグッツィの魅力を一言で言い表すなら・・・そうですね。

V7-2_V9

・・・V2エンジンが縦に積まれてる特異なバイク。。。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

V11シリーズ -since 1999-

V11

人気を博した1100Sの後継モデルとして登場したのがV11シリーズ。

先代1100Sの流線的なカウルをまとったデザインは何処にいったのかと言いたくなる変貌となりました。

フレームこそ1100スポルトがベースだけど、エンジン・ミッションは新設計で若干コンパクトになりました。そのおかげでそれまでの大きく重厚だったイメージから軽快なイメージへと変貌。

さて、話が続かないので脱線しますが・・・

モトグッツィのバイクは今まで製造されてきたバイクの中でも非常に特異というか特徴のあるバイク。その理由は皆さんも見て分かる通りV型エンジンが縦に積まれている事にあります。

V11エンジン

エンジンが縦に積まれると一体どういう違いが生まれるのかというと横に比べて左右に対するジャイロ効果が小さくなります。

ジャイロ効果というのは

「自動回転する物体が姿勢を乱されにくくなる現象」

回ってるコマ(今はベイブレードというんだろうか)を横から突っついたりぶつけ合っても倒れずに真っ直ぐに戻ろうとしますよね。アレがジャイロ効果。

中国駒(ディアボロ)の方が分かりやすいか。

ジャイロ効果

回し続けるかぎり落ちないのは正にジャイロ効果によるもの。回転速度が上がれば上がるほど安定します。プロがやってるのを見ると分かりますが、色んな動きをしつつも駒の回転は止めずにもの凄い速さで回してます。

そしてこれはバイクでも働いてる。その部分は主にホイール。

ホイールジャイロ

そしてもう一つがクランクシャフト。

クランクシャフトジャイロ

ジャイロ効果は重ければ重いほど、直径が大きければ大きいほど、また回転が速ければ速いほど力が強くなります。因果なものでホイールとクランクというのはバイクの部品の中でもかなり重い部分。

直四のコーナリング中を想像すると分かりやすいと思います。

バンクとジャイロ

バイクにとって曲がるという事はバンク(傾ける)ということなので

「車体が傾く=クランクシャフトも傾く」

という構図になるわけなんですが、この状態でアクセルを開けるという事は”クランクシャフトに強い回転力を与える”という事になるわけです。

そうするとジャイロ効果が増すのでバイクが起きようとする。アクセルを開けるとマシンが起きるというのはこういう原理から。

ジャイロとコーナリング

「バイクはコーナリング時が苦手」

といわれるのもこういった理由があるからです。まあ事はそう単純ではないんですがバイクは真っ直ぐ・・・そんな事よりモトグッツィの話しろって話ですが、勘の良い方は言いたいことがもう分かると思います。

コッパイタリア

モトグッツィはV型を縦に積んでるわけです。縦に積んでいるという事はクランクも縦。つまり寝かせようが直進しようがクランクの横方向のジャイロ効果が働かない。

これはBMWの水平対向もそうですが、モトグッツィの場合は更にOHV空冷Vツインが相まってが非常に独特な乗り味を出してるというわけ。MotoGPの車両が逆クランク(クランクが逆回転)なのもホイールのジャイロを少しでも減らすため。

このジャイロ効果が弱いと

“クセがある”という人もいれば”自然体に限りなく近い”という人もいる。

モトグッツィの魅力といえば洗練されたデザインばかりが取り沙汰されるけど、実はこういった乗り味に魅了されている人が多いんです。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

DAYTONA/1100SPORTシリーズ -since 1991-

DAYTONA RS

ルマンというスポーツモデルで頑張っていたモトグッツィだったけど日本メーカーやドゥカティによる高性能化の激しい波に抗いきれなくなっていた。そこで対抗すべく作られたのがこの1000DAYTONAシリーズ。

これはMOTO GUZZIの車両(R/Vレーサー)でアメリカのレースをプライベーターとして戦っていたジョンの協力によって生まれたレーサー車両。

結論から言うと

1990 1000Daytona

1992 1000Daytona-FI

1996-99 1000Daytona-RS

と続いたわけですが、あまり台数も出なかった(出さなかった?)数少ないOHCモトグッツィだったのですが、MOTO GUZZIとしては転換期のバイクでもあり進むべき道が決まった特筆すべきバイクでもあります。

その見た目からしても分かる通り今までのグッツィの流れから逸脱した作り。

エンジン

エンジンはそれまでのOHVから4バルブOHCに改められ、カウルデザインも流動的な物に。更にパラレバーに加えフレームもバックボーンタイプへと変更。横置きVツインエンジンくらいしかソレまでのモトグッツィらしさがない異質なモデル。

OHC

レースでも勝てる車両として開発されたわけなんだけど市場からは

「こんなのMOTO GUZZIじゃない」

という声が多く聞かれたそうです。

そんな声から作られたのがDaytona1000の実質的な後継となる1994年からの1100スポルトシリーズ。

1100スポルト

後のV11のご先祖様であり歴代スポルトシリーズでも非常に人気の高いモデル。

フレームや足回りは先の1000Daytonaをベースにしつつもエンジンを4バルブOHCから2バルブOHVへと変更。

なんだか先祖返りな気がするけど、これはOHCだった1000Daytonaがあまりにもヒュンヒュン回ることへの違和感を覚える人が多かったから。

モトグッツィはもともとカリフォルニアの流れからアメリカで非常に人気のあるメーカーだったんだけどそれでもOHCは駄目だったんだね。アメリカ人のOHVへのこだわりっぷりは本当に凄いね。

だからこの1100スポルトは非常にドコドコといわせる味のあるエンジンになってる。

1100スポルトエンジン

結局この一件がMOTO GUZZIの方向性を決めたんじゃないかと思います。

その後のラインナップやDAYTONA1000の後釜になり得たMGS-1(デイトナ優勝レーサー)が市販化されなかった事からみても、MOTO GUZZIに求められることはドゥカティに勝つことではなく、味のある唯一無二なバイクを作ることだということが。

1200スポルト

ちなみにこの1100スポルトも非常に人気が高かったため、2007年にV1200スポルトとして復活し、2011年まで販売されました。

系譜図
モトグッチ

1921年

MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~

V7 series

ル・マン

1976年~

Le Mans series

デイトナ1000

1992年~

DAYTONA1000

V11

2001年~

V11 series

V7レーサー

2015年~

V7-2/V9 series

LE MANSシリーズ -since 1976-

モトグッツィ

750S3をベースに開発された小さなビキニカウルが特徴的な850ルマンシリーズ。

名前の由来は読んで字のごとくルマンから。

これは当時ボルドール耐久で使っていたTelaio Rosso 850をベースにした公道モデルというわけです。

Telaio Rosso

ベースが耐久レースモデルなだけあってV7スポルトを大きく上回る72馬力を発揮する844ccのエンジン。今でいうレーサーレプリカみたいなものですね。

これがV7に勝るとも劣らない人気を呼び1978年にはマーク2にモデルチェンジ。

マーク2

耐久レース譲りのツーリング性能が高評価を受けました。そして勢いそのままに1981年には更にツアラーへと振ったマーク3へ。

マーク3

ルマンシリーズでも屈指の人気モデル。

更に更に1984年にはフロント16インチ化&1000cc化でツアラーから再びレーサーに近くなったマーク4。

マーク4

そして最後は16インチ化が不評で18インチに戻された1988年マーク5。

1000ルマンmk5

と、かなりの紆余曲折なモデルチェンジがありながらも長いこと愛され人気をよんだモデルで、後にバリエーションの一つして復活したりもしています。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

V7シリーズ -since 1966-

モトグッツィ

MOTO GUZZIといえばコレといえる縦置きV2エンジンを最初に搭載したV7。

先に述べた通り経営危機による経営権の譲渡、経費削減の一環としてモデル整理などが行われていた状況で、エンジンの新造なんて論外だったモトグッツィ。

そんな中で何故このような新設計のビッグバイクを出せたのかというと、イタリアの防衛省から三輪車用エンジンの開発という競争入札、そして警察からも白バイの競争入札があったから。

ビッグバイクの市販モデルが無かったモトグッツィにとってはレースや農耕用トラックなどで培った技術力を発揮し大型車を作れる千載一遇のチャンス。

Mulo meccanico

Benelli、Gilera、Laverda、Ducatiといった同じイタリアのライバルたちとの選定争いになったわけですが、唯一のドライブシャフトモデルだった事や、耐久性&整備性、更にはコスト面でもライバルたちを大きく引き離すトップの評価を獲得し、見事選定されました。

嬉しい誤算だったのは、この高く評価されたエンジンの話がアメリカにも飛び火し、カリフォルニア州の白バイとしてもデビューすることになったこと。

V7カリフォルニアPOLICE

今でも売られているモトグッツィのクルーザー”カリフォルニア(1972年~)”はこのカリフォルニア州の白バイが原点です。

ハーレーから勝ち取ったと話題になったものの、実は最初はこんな形では有りませんでした。しかしカリフォルニア州の方から

「今までハーレーだったから混乱しないようにハーレーみたいにして」

と言われこの形になったんだとか。

そうしてでも獲得したいほどアメリカの市場というのは大きいものだったわけですね。その狙い通りアメリカが採用した事でますます大きな話題となり世界中の官公車としてV7エンジンはヒットしました。

そしてここでやっと出てくるのがV7。

1968V7

官公用に作ったエンジンやオートバイを元に自社製品(民生品)として作られたのがV7というわけです。

他にもルパン三世でお馴染みFIAT500もMOTO GUZZIのエンジンを載せる方向で話が進んでいたんですが頓挫したという話もあります。惜しかったですね。

さて話をV7に戻しますが、元々が官公車という事でそのタフさからイタリア本土のみならずアメリカでも高い評価を得て大ヒットしました。コレが無かったからMOTO GUZZIは間違いなく消え去っていたでしょうね。

V7SPECIAL

更に69年には753ccにまでボアアップしたSPECIALなども登場。

そんなV7シリーズの中でも一番成功したモデルと言われるのが1973年に登場したV7スポルトというモデル。

V7スポルト

スポルトという名前からも分かる通り748ccのエンジンを高剛性な新設計のトンティーフレームに積んだスポーツモデル。

トンティーフレームっていうのはダブルクレードルフレームみたいなものなんだけど、剛性を増すために可能な限り直線でエンジンを包み込むように作られてる。

トンティーフレーム

V7は見て分かる通りエンジンが少し異質で横に張り出してるからフレームも少し変わってるんですね。V型シリンダーの間をフレームが突き抜けるようになっているのが特徴です。

この後もチェーン駆動となった750S、そしてリアがディスクブレーキになったS3と続くことになり経営再建に成功。今ではピアジオグループ一員になるまでに成長することになりました。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

MOTO GUZZI -since 1921-

モトグッツィ

「MOTO GUZZI(モトグッツィ)」

たぶん「名前は聞いたことある・・・」って人が多いと思いますので、まず系譜というよりはモトグッツィの歴史を学んで行きましょう。

モトグッツィの由来

第一次世界大戦中、戦闘機のパイロットとして召集された元オートバイレーサーのジョヴァンニ・ラベッリ、同じくバイク好きだった富豪の御曹司ジョルジョ・パローディ、エンジン屋だったカルロ・グッツィの三人が軍内で知り合いバイク話で意気投合。

そしてそのバイク熱は留まる所を知らず

「戦争が終わったら三人でバイクを作ろう!」

というところまで行き着きました。そして戦争が終わった1920年、戦時中の約束通りバイク作りを始めるわけです。

モトグッチ創始者

左からラベッリ(レーサー)、グッツィ(エンジニア)、パローディ(御曹司)の順番。

意気投合していた三人でしたが、残念なことに終戦直後にラベッリがテスト飛行の事故で帰らぬ人に。

残された二人はMOTO GUZZIは三人の夢であり三人の物だという事を示すため、彼がいたイタリア空軍の象徴であるアクイラ(鷲)をロゴにすることに決めました。

イタリア空軍

しかし話はそれでは終わりません。

社名のモト グッツィの”グッツィ”部分はその名の通りエンジニアのカルロ・グッツィからなわけですが、実はグッツィ氏は御曹司の名前も入れてパローディ・グッツィにしようと言ったものの、パローディが

「私の名前よりエンジニアであるグッツィの名前を前面に押し出した方がいい」

と辞退した事で決まりました。三人の友情の深さが伺えるエピソードですね。

こうして1921年にMOTO GUZZIとして出発。イタリアオートバイメーカーとしてはBenelliと並んで現存するバイクメーカーとしては最古になります。

Normale

そんなMOTO GUZZIが一番最初に大々的に発売したバイクがこのNormaleというバイク。

4st横型空冷2バルブ498ccで最高速度は85km。宣伝を兼ねてこのバイクをベースにしたレーサーで国内の耐久レースに出場。致命的なトラブルもなく走りぬき高い耐久性を証明した事で人気を呼び1940年代にはイタリア最大のオートバイメーカーへと成長しました。

dondolino

更にモトグッツィの快進撃は続きます。

御曹司であるパローディの方針でモトグッツィは更にレースに力を注ぐようになるわけですが、天才エンジニアであるグッツィのおかげで瞬く間に頭角を現し、欧州中に名前が知れ販売台数は更に伸びていきました。

1950年代には50~500ccまでほぼフルラインナップメーカーといえるほどの規模まで拡大。

La Guzzi V8

ちなみにバイク業界にカウルという文化を初めて持ち込んだメーカーでもあります。上の写真はLa Guzzi V8というマン島TT向けのレーサーで文字通りV8 500cc 最高回転数12000rpmの化物。横風に弱い事から後に禁止とされました。

そんなレースに死力を尽くしていたモトグッツィでしたが、増える一方だったレース費用のせいで1950年後半になると経営危機を迎えます。

更にはカルロ・グッツィの死、そして追い打ちを掛けるように共同創設者で金銭面で援助してくれていた大富豪パローディ家が破産。

死力を尽くしすぎて首が回らなくなったモトグッツィは今でいう会社更生法に頼るしか道はなく経営が管財人に移行。結果レース事業からの完全撤退、大型バイクの廃止というそれまでの栄光が嘘のような凋落となりました。

系譜図
モトグッチ

1921年
MOTO GUZZIというメーカーについて

初代V7

1966年~
V7 series

ル・マン

1976年~
Le Mans series

デイトナ1000

1992年~
DAYTONA1000

V11

2001年~
V11 series

V7レーサー

2015年~
V7-2/V9 series

ネイキッド系

ネイキッドとは

最初にご紹介するのは皆さんご存知ネイキッド。

オートバイといえばこの形を思い浮かべる人も多いかと思います。

 

【特徴】

ハンドルが高く比較的楽なポジションながら比較的なんでも万能にこなせる優等生。

カウルなどの装飾も少なく作りもオーソドックスな物が多いためメンテナンス性も良好。

難点はネイキッド(剥き出し)というだけあってカウルレスな物が多く、ポジションが起きてることも相まって防風性がよろしくなく運転よりも風で疲れる。

【歴史】

ネイキッドの歴史がいつからかといえば

「最初から」

というのが正解だと思います。それこそ1885年に造られた世界初の二輪車リートワーゲンだってネイキッド。

リートワーゲン

でもこれじゃ釈然としませんよね。

「じゃあいつからネイキッドと呼ばれるようになったのか」

という話。

これ実はそんなに昔の話ではなく1980年代からなんです。それまではネイキッドなんて言葉は存在しませんでした。

CB400F

例えば今でこそ何処からどう見てもネイキッドな70年代を代表するこれらのバイクも当時は

『スーパースポーツ』

と言われていました。何故ならこれらはレースでも使われる、今で言えばCBR1000RRやZX-10Rのようなバイクだったからです。

それが大きく動いたのが1980年代に入ってから。

この頃レース界では空気抵抗を減らすための外装が付いているのが当たり前になっていた。

1980年代のレーサー

『フェアリング(カウル)』

という今では珍しくもなんとも無いカバーですが、当時は海外(逆輸入)は許されている一方で国内ではこれを付けることを国が許してなかった。

しかし1981年にホンダが出したVT250FというVTRの始祖にあたるバイクの登場で流れが変わります。

1981カウル

これがどうにかこうにか通った事を契機に制度が見直されカウル認可が下りる様になりました。

そんな規制緩和を見逃さなかったのがスズキで1983年のRG250Γを発売。カウルを始めとしたそれまでレーサーの特権だった装備を備えた形でヒットしました。

1983フェアリング

それに続けと全メーカーがスポーツバイクを次々とカウル付きにしていったわけですが、そうなるとこれまでスポーツを担っていたカウルの付いていないバイクはどうなるのって話ですよね。

その答えというか定義を出したのが1985年のヤマハ。

ヤマハはFZ400Rというカウル付きスポーツバイクを出したのですが、同時にカウルを取っ払った従来型のモデルも出しました。

1983フェアリング

『FZ400N(Naked)』

これがネイキッド誕生の瞬間です。

同時になぜネイキッド(剥き出し)という名前になったのかもこれで分かりますよね。

1983フェアリング

「カウルがない事を示す新しい名前を付ける必要が生まれたから」

ですね。

これがネイキッドの名前の由来・・・なんですが、一方でこういうモデルこそがネイキッドだと言われると抵抗がある人が多いかと。

レーサーレプリカネイキッド

実際こういうカウルを剥いた形のネイキッドは(オーナーには申し訳ないですが)当時もあまり人気ではありませんでした。

多く人が漠然と思い描くネイキッドはこういう形じゃないでしょうか。

ジャパニーズネイキッド

改めて見るとCB1300SFは本当にツボを完璧なまでに抑えてるなと感心するんですが、このページで言いたいことはそうじゃない。

重要なのは

「このスタイルはネイキッドというジャンルが生まれた時代には存在していなかった」

という事です。

このスタイルは1990年代に訪れるネイキッドブームにより人気が出てからの話で、その時にカウルを剥いだモデルという意味から

「カウルが無かった時代のスタイル」

をさす言葉に変化した。

これはネイキッドブームによるNKレースが開かれるようになった事も大きく寄与しているものと思われます。

ここで整理すると

・ネイキッドという言葉が生まれたのは1980年代

・我々が思うネイキッド像はそれ以前のスタイル

という事になる。

1983フェアリング

そう、実はネイキッドというのは

「定義の由来とスタイルの由来が別々」

という面白いジャンルなんですね。

じゃあスタイルの方の由来は何か、このデザインが何処から始まっているのか遡ると1972年に発売されたこれに辿り着く。

Z1

『900SUPER4(通称Z1)/750RS(通称Z2)』

我々が思うネイキッド像はココから来てる。1990年代から巻き起こったネイキッドブームの火付け役がゼファーだったのも市場から消えていたこのデザインを継いだ形だったから。

Z1

更に補足するとこの根拠はただポイントが当てはまる最初のモデルだからというだけではありません。

というのもこのZ1/Z2は毎年のように雑誌で特集を組まれる旧車のレジェンドになっているのはご存知だと思うんですが、一方で欧米ではそれほどでもなく国内外での温度差が結構ある。これが現代のネイキッド市場にそのまま繋がってるんです。

我々が思うネイキッドスタイルというのは日本ではウケるけど欧米ではウケない。向こうでは70年代のジャパニーズバイクという認識しか無いからです。

日本のためのネイキッド

でも日本にとってZを始めとした1970年代のバイクというのは世界に躍進した時代を象徴するバイクばかり。

そしてその事が漫画やアニメなどでも登場したりして語り継がれた事でソウルフードならぬソウルバイクになり色褪せないスタイルとして認知され不動の形になったという話。

【最後に】

ネイキッドは正にガラパゴスバイクと言えるんですが、これは別に悪い事でも恥じる事でもないですよ。むしろだからこそ選ぶ価値がある。

何故なら日本人しか好まない事からネイキッドというバイクは日本の人が日本で乗ることだけを考えたバイクになってるから。

日本のためのネイキッド

ガラパゴスであるはずのネイキッドが

『バランスの取れたスタンダードモデル』

として日本で何十年も定着している理由もここにあるわけです。

該当車種

CB1300SF/SBCB400SF/SBの系譜

XJR1300XJR400Rの系譜

Bandit1250GSR400の系譜

ZRX1200DAEGZEPHYRの系譜

などなど

種類一覧
ネイキッドネイキッド系
ストリートファイターストリートファイター系
オフロードオフロード系
モタードモタード系
マルチパーパスマルチパーパス系
ストリートストリート系
スーパースポーツスーパースポーツ系
フルカウルスポーツフルカウルスポーツ系
ツアラー系ツアラー系
メガスポーツメガスポーツ系
クルーザークルーザー系
スクータースクーター系
クラシッククラシック系