SPACY250FREEWAY(MF01/MF03) -since 1984-

スペイシー250フリーウェイ

「キング・オブ・スクーター」

スペイシーの最上位モデルとして登場した今はなきスペイシーの250。

当時のホンダとしては最大最上位スクーターとして登場しただけあってこの時代にもかかわらず最初からいきなり水冷エンジンを積んでる。

もちろん無段階変速のVマチックで驚きなのは車重が118kgと激軽なこと。これは今の250ビッグスクーターと違ってメットインなどもなくコンパクトなのが理由。

今で言うとPCXと同じくらいの小ささ。

MF01

つまり

水冷20馬力250ccエンジン+無段階変速+118kg=とっても速い

ただし足回りが・・・まあこの頃のスクーターは全部こんな感じだったんだけどね。

まだメットインもない頃だし。

CH250

じゃあシート下はどうなってるの?って思う人もいるかもね。

シート下にはエンジンがあります。スクーターのエンジンを見たことがある人なら分かると思うけど今時のスクーターのエンジンはこうなっています。

ESPエンジン

シリンダーが前方に大きく傾いて駆動まで一体となってます。こうやって高さを抑える事でメットインのスペースを確保しているわけですね。これをスイングユニット式といいます。

それに対しこのスペイシーがどうなっているのかというとこうなっています。

SPACY250エンジン

今見るとなんだかシリンダーの方向が間違ってるような気がしますが、当時はこれがメジャーでした。

この形はメットインの普及と同時に廃れたけどね。ただその分だけ足元のスペースが開くからタンクも大きく取れてサイズの割には8.6Lも入るほどの大きさだった。

FREEWAY
(MF03)
-since 1989-

フリーウェイ

少し飛んじゃうんだけどマイナーチェンジがあってて五年後の1989年にはスペイシーの文字が取れてFREEWAYというペットネームだけになりました。

これがホンダが250ccでは初となるメットイン機能を備えた250スクーター。当然ながらエンジンからフレームに至るまで全てが変わっている。上で消化したようなスイングユニット式になりました。だから別物バイクといえば別物バイク。

みんな知ってるMF02は次のページで紹介します。

主要諸元
全長/幅/高 1920/715/1115mm
[1840/730/1095mm]
シート高 780mm
[760mm]
車軸距離 1260mm
[1300mm]
車体重量 126kg(装)
[145kg(装)]
燃料消費率 50.0km/L
40.1km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 8.6L
[9.2L]
エンジン 水冷4サイクルOHC単気筒
総排気量 244cc
最高出力 20ps/7500rpm
[20ps/7000rpm]
最高トルク 2.2kg-m/5500rpm
変速機 Vマチック
タイヤサイズ 前後4.00-10-4PR
[前110/90-10(61J)
後120/90-10(65J)]
バッテリー FTX12-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
DP6EA-9
推奨オイル Honda純正ウルトラE1(10W-30)
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.0L
交換時0.8L
[全容量0.9L|交換時0.8L]
スプロケ
Vベルト 23100-KM1-003
車体価格 338,000円(税別)
[399,000円(税別)]
※[]内はフリーウェイ/MF03
系譜図
スペイシー250フリーウェイ1984年
SPACY250FREEWAY
(MF01/03)
フュージョン1986年
Fusion
(MF02)
フォーサイト1997年
FORESIGHT
(MF04)
初代2000年
FORZA/S
(MF06)
二代目2004年
FORZA/Z
(MF08)
三代目2007年
FORZA X/Z
(MF10)
フェイズ2009年
FAZE/S
(MF11)
タイ2013年
FORZA Si
(MF12)
MF132018年
FORZA
(MF13)

G'(AF23)-since 1989-

AF23

「いちばん乗りは、誰だ。」

ディオには派生モデルが色々あるんですが、その中でも紹介しておきたいのがディオが生まれた翌年に登場したこのG’(ジーダッシュ)/AF23型。

先に紹介した初代ディオで話した通りメットイン機能が原付スクーターにとっては必要不可欠な時代になったわけですが、それにも関わらずこのG’は鬼のメットインレスでキャリアやインナーラックすら備えていない。

Gダッシュのアクセサリー

「欲しいなら自分で付けろ」

という時代にあるまじき割り切り。

じゃあメットイン等の利便性を捨ててまで何を取ったのかというと”走り”です。

例えばエンジンはディオと同じかと思いきや超ハイギヤードの専用チューニングが施された上にハイパーマフラーなどの専用部品まで装備。

車体の方も固めの油圧サスにホイールベースもホンダとしては非常に短い1140mmでクイック。そして燃費悪いのにタンク容量も僅か3.5Lしか確保されていないから軽い。

Gダッシュの構造

「なにを思ってホンダはこんな原付を」

という話ですが、これはレースが関係しています。

80年代後半になるとレーサーレプリカブームが起こり各地方のサーキットで熱戦が繰り広げられていたんですが、素人が50万円も60万円もする上にとても手に負えない性能だった250や400でレースをするのは人生を捧げない限り難しい面が少なからずあった。

そこで代わりに人気となったのが負担の少ないNSR50などのミニバイクレース。しかしこれも50といえどオートバイというかレーサーレプリカなのでそれなりにお金が掛かる。

「もっと誰でも参加できるポピュラーなバイクはないのか」

という事で始まり人気が高まっていったのがスクーターレース。他のクラスと同じ様に無改造クラスやら無差別クラスやらで盛り上がっていました。

もうわかりますよね・・・そう。

Gダッシュ/AF23

明らかに実用性を考慮しておらず他の原付スクーターより速いG’はスクーターレースの為に造られた意味合いが強い原付なんです。

何故ホンダはそうまでしてこれを造ったのかといえばそれもレーサーレプリカと同じ。

「DJ-1やDIOより速いスクーターが居たから」

です。

Gダッシュのカタログ

G’は潔すぎる割り切り設計で頭一つ抜きん出た速さを持っていたためスクーターレース界隈から称賛されたというか

「G’じゃないと勝てない」

という事態にまでなり、スクーターレースはG’のワンメイク状態に陥りました。

主要諸元
全長/幅/高 1585/650/1005mm
シート高 715mm
車軸距離 1140mm
車体重量 63kg(装)
燃料消費率 50.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 3.6L
エンジン 空冷2サイクル単気筒
総排気量 49cc
最高出力 6.8ps/7000rpm
最高トルク 0.73kg-m/6500rpm
変速機 無段階変速機(Vマチック)
タイヤサイズ 前後80/90-10(34J)
バッテリー YT4L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BR8HS
推奨オイル ウルトラ2スーパー
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
0.8L
Vベルト 23100-GR1-753
車体価格 143,000円
系譜図
DJ-11985年
DJ-1/R/L/RR
(AF12/AF19)
AF181988年
DIO/SR
(AF18/AF25)
Gダッシュ1989年
G’
(AF23)
AF271990年
DIO/SR/ZX
(AF27/28)
AF341994年
DIO/SR/ZX/J/S
(AF34/AF35)
AF562001年
DIO/Z4/DX
(AF56/AF57/AF63)
AF622003年
DIO
(AF62/AF68)
JF312011年
DIO110
(JF31)
JF582015年
DIO
(JF58)

DIO/SP/SR(AF18/AF25)-since 1988-

初代DIO

「街を颯爽とStyle & Impact」

原付スポーツスクーターを代表するモデルと言っても過言ではないホンダ ディオの初代にあたるAF18型。

先に登場していたDJ-1RRと同時発売でエンジンも同系なんですが、決定的に違う部分としては24Lのメットイン(センタートランク)機能が設けられている事。

つまり端的に言うと

「DJ-1にメットインスペースを設けたタイプ」

という立ち位置で登場したのがディオの始まりなんですね。

AF18のメットイン

当時を知らない人のために補足すると、ディオを始めここにきてメットインスクーターが相次いで登場するようになったのは

『ヘルメット着用の義務化』

が1986年から始まったから事にあります。それまで原付はノーヘルで良かったんですね。

それだけでも今の人からすると信じられない話かと思いますが、更に驚きなのがヘルメット着用が嫌で原付を乗らなくなる人が続出した事。

だからメーカーがなんとかヘルメット義務化の負担を減らすために編み出し一気に普及したのがメットインというわけであり、その中でも

『若者向けのメットインスポーツスクーター』

という立ち位置で登場したのがディオという話。

初代DIOのメットイン

そんな1988年発売のディオなんですがDJ-1よりもモデルチェンジサイクルは凄かったです。

わずか1年足らずの1989年初頭にスペシャルカラーのSPを発売したかと思えば、年末には6.8馬力にまでパワーアップした新設計エンジンと10インチチューブレスホイールを履いてスポーツ性に磨きをかけた後期モデルを発売。

AF18後期

なんでこんなに早かったのかといえば、いま話したようにヘルメット規制によるメットイン買い替え特需が生まれていたから。加えてディオはスタイルも好評だったから造れば造るだけ売れていたんです。

だからこの初代の時点で年間販売計画台数は当時トップの190,000台。今も絶賛販売中であるタクトの実に6倍もの台数です。

そんなディオ人気をさらに加熱させたのが1990年に発売されたSR/AF25型。

AF18後期

6.8馬力にまでチューニングされたエンジンに加えフロントディスクブレーキという原付にあるまじき豪華装備。

個人的にこのSRが若者人気の要因をよく表していると思います。

元々1980年代前後に爆発的な広がりを見せたスクーターというのは

『ファミリーバイク』

といって主婦を始めとしたバイクにそれほど思い入れがないママチャリを愛用していた層に向けた原付からこそヒットした。そのためスクーターというのはそういう層のためのバイクという固定観念みたいな物がメーカーにも市場にも出来ていた。

ディオが若者に支持されマストアイテムとなったのはこれを真っ向から打ち破ったから。

具体的に言うならばそのルックスも勿論そうなんですが合わせて

・チューブレスタイヤ
・油圧サスペンション
・MFバッテリー
・薄型ツインフォーカスヘッドライト
・インテーク付きエアロボディ

などなど、ただの移動手段ならば省かれるようなオートバイ並の装備を兼ね備えつつ”敷居の低い原付一種”だったからです。

SPカタログ写真

「金のない若者でも背伸びすれば何とか手が届くカッコイイ乗り物」

という存在だったからこそディオは若者に人気が出たんですね。

主要諸元
全長/幅/高 1600/615/990mm
[1610/615/1000mm]
{1605/625/1000mm}
シート高 700m
車軸距離 1135mm
[1140mm]
{1140mm}
車体重量 63kg(装)
[67kg(装)]
{69kg(装)}
燃料消費率 67.4km/L
[50.5km/L]
{50.2km/L}
※定地走行テスト値
燃料容量 4.0L
エンジン 空冷2サイクル単気筒
総排気量 49cc
最高出力 6.4ps/6500rpm
[6.8ps/7000rpm]
{6.8ps/7000rpm}
最高トルク 0.74kg-m/6000rpm
[0.73kg-m/6500rpm]
{0.73kg-m/6500rpm}
変速機 無段階変速機(Vマチック)
タイヤサイズ 前後3.00-10-4PR
バッテリー YT4L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BPR7HS
[BR8HSA]
{BR8HSA}
推奨オイル ウルトラ2スーパー
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
0.8L
Vベルト 23100-GS7-003
[23100-GG2-750]
{23100-GG2-750}
車体価格 126,000円
[129,000円]
{139,000円}
※[]内は90/1以降の後期
※{}内はSR/AF25
系譜図
DJ-11985年
DJ-1/R/L/RR
(AF12/AF19)
AF181988年
DIO/SR
(AF18/AF25)
Gダッシュ1989年
G’
(AF23)
AF271990年
DIO/SR/ZX
(AF27/28)
AF341994年
DIO/SR/ZX/J/S
(AF34/AF35)
AF562001年
DIO/Z4/DX
(AF56/AF57/AF63)
AF622003年
DIO
(AF62/AF68)
JF312011年
DIO110
(JF31)
JF582015年
DIO
(JF58)

DJ-1/R/L/RR(AF12/AF19)-since 1985-

DJ-1

「AERO SPORTS」

ホンダが1985年に発売した新世代原付スクーターことDJ-1/AF12型。

特徴としては5.2馬力を叩き出すエンジンも凄いんですが、一番はその後の原付スクーターのポジションを決定づけたとも言える足を前に投げ出す事を前提としたツートンカラーのステップボードとノーズからテールまで駆け伸びるようなラインの流線ボディ。

ドルフィンジャンプ

ちなみにこのシュッと伸びているデザインが

『ドルフィン・ジャンプライン』

という名称で車名もそこから取られているんですが、一方テレビCMでは強烈なディスクジョッキーを起用していたのでディスクジョッキーの略だという勘違いが生まれました。

DJ-1のコマーシャル

「DJ♪DJ♪」

とノリノリで言うだけの何とも珍妙なCMで少しだけ流行ったり・・・いや、そもそもこの人だれっていう。

DJ-1のカタログ

ただまあ当時を知る人ならDJは

『打倒ジョグ』

が本当の意味だというのは有名だと思います。

DJ-1が出る2年前の1983年にヤマハからジョグ(通称ペリカンジョグ)という原付スクーターが登場したんですが、ボディとフロントフェンダーが一体になった斬新なスタイリングが若者を中心に大ヒットしていました。

1983年といえば原付市場を中心とした泥沼の戦いであるHY戦争の終戦宣言がなされた年。ただ両者の中(特にホンダ社内)ではまだ火が激っていたんですね。それが結果としてMVXやNSそしてNSRと”2stスポーツのヤマハ”を叩き落とす為のバイクを生みレーサーレプリカという市場で再び相まみえる事になるんですが、それは原付市場でも変わらなかったという話。

DJ-1デザインスケッチ

ホンダ自身が打倒ジョグだったと名言している情報はありませんが、ホンダ監修の本などを読んでも否定されていないのでまあそういう事なんでしょう。

ただし若者向けスポーティ原付といえどホイールベースは約1165mmとかなり長めでジョグとは打って変わって安定性重視。ここらへんがホンダらしい所ですね。

そんなDJ-1は最初にも言ったようにレーサーレプリカブームに合わせたスタイリッシュなデザインとワイドレシオがもたらす厚い低中速が若者の間で絶大な人気を獲得。

ホンダはそこから手を緩めることなく翌1986年にはスポーツ性を高めたDJ-1Rを追加発売しました。

DJ-1のコマーシャル

専用チャンバーにより0.3馬力UPの5.5馬力(最終87年モデルは6.0馬力)となり10インチタイヤやアンダースポイラーも装備。

カタログにも若者に人気だった

『F-エフ』

というモータースポーツ漫画の主人公である赤木軍馬を起用しアピール。

DJ-1Lとビバユー

更に半年遅れで56ccのDJ-1Lと、とんでもないカラーリングを纏った限定モデルのビバユー(VIVA YOU)モデルを発売。

そしてDJ-1として有終の美を飾るモデルとなったのが1988年に登場したDJ-1RR/AF19型。

DJ-1Lとビバユー

6.8馬力にまでチューニングされたエンジンをベースにエアダクトやデュアルヘッドライト、それに油圧式テレスコピックフロントフォークの通称HR-SUSが奢られた最上級モデル。ちなみにトランクボックスに入っているロゴからも分かる通り、読み方はCBRと同じダブルアール。

ホンダはこのDJ-1のヒットと怒涛の攻勢により若者向けスクーターの地盤を築くことに成功。これがディオに繋がります。

主要諸元
全長/幅/高 1590/590/990mm
[1650/625/1025mm]
<1650/590/1025mm>
{1630/625/1015mm}
シート高 690mm
[735mm]
<735mm>
{710mm}
車軸距離 1165mm
[1180mm]
<1180mm>
{1160mm}
車体重量 56kg(装)
[59kg(装)]
<59kg(装)>
{60kg(装)}
燃料消費率 75.0km/L
[75.4km/L]
<60.2km/L>
{64.3km/L}
※定地走行テスト値
燃料容量 3.0L
エンジン 空冷2サイクル単気筒
総排気量 49cc
<56cc>
最高出力 5.2ps/6500rpm
[5.5ps/6500rpm
5.5ps/6500rpm※ビバユー
6.0ps/6500rpm※87~]
<5.8ps/6500rpm>
{6.8ps/7000rpm}
最高トルク 0.6kg-m/6000rpm
[0.63kg-m/6000rpm
0.63kg-m/6500rpm※ビバユー
0.69kg-m/6000rpm※87~]
<0.68kg-m/6000rpm>
{0.73kg-m/6500rpm}
変速機 無段階変速機(Vマチック)
タイヤサイズ 前後3.00-8-2PR
[前後80/90-10(34J)]
<前2.75-10-2PR
後2.75-10-4PR>
{前後80/90-10(34J)}
バッテリー YT4L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BP6HSA
{BR8HSA}
推奨オイル ウルトラ2スーパー
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
0.9L
Vベルト 23100-GR1-751
車体価格 109,000円
[129,000円]
<139,000円>
{136,000円}
※[]内はR
※<>内はL
※{}内はRR/AF19
系譜図
DJ-11985年
DJ-1/R/L/RR
(AF12/AF19)
AF181988年
DIO/SR
(AF18/AF25)
Gダッシュ1989年
G’
(AF23)
AF271990年
DIO/SR/ZX
(AF27/28)
AF341994年
DIO/SR/ZX/J/S
(AF34/AF35)
AF562001年
DIO/Z4/DX
(AF56/AF57/AF63)
AF622003年
DIO
(AF62/AF68)
JF312011年
DIO110
(JF31)
JF582015年
DIO
(JF58)

スーパーカブ 50/70/90-since 1980-

スーパーカブ90

次に大きな変更が加わったのが1980年のこと。

まずそれまでベンリィベースの別物だった90が70のストロークアップ版となり、50と70も翌81年に準拠する共通ボディに変更され完全な三兄弟体制になりました。

スーパーカブ50

そのためかこの世代からスーパーカブ50/70/90と、Cの文字が無くなっています。

※先に話した通りMD90はC90のまま

そして1982年に出たのがカブマニアなら知らぬ者は居ない初代角目モデルのスーパーカブ50スーパーデラックス。

スーパーカブ50デラックス

エコノパワー技術という超低燃費技術により何かの間違じゃないかと思うリッター150kmという驚異的な燃費に。

でも凄いのはただ燃費がいいだけでなく、馬力も5.5馬力と歴代トップな上に四速という文字通りデラックスなこと。

赤カブ

ちなみにしてその時に発売されたのが非常にレアな赤ボディの赤カブです。

しかし驚くのはまだ速い。翌1983年にはスーパーデラックスより更に凄いスーパーカスタムが登場。

スーパーカブ50スーパーデラックス

なんとリッター180km。馬力を0.5落とした代わりに燃費を更に伸ばした燃費スペシャルモデル。

これがカブシリーズで最も低燃費なモデル、つまり原付で最も低燃費なモデルでもあり、いまだにその記録は破られていません。

というか排ガス規制の関係上、もうこれを超える低燃費車は出てこないと思われます。

1986年には電装系が6Vから12Vに変更されハロゲンライトになり、スーパーカスタムの名前はカスタムに変更。

スーパーカブ50スーパーデラックス

断っておくとスーパーカブは飽くなき耐久性と燃費の追求から年次改良が毎年のように入っています。(特にこの頃)

だから同世代でもピストンやバルブヘッドが違うなんて当たり前。恐らく年式による仕様違いを全て把握している人は居ないと思います。

だから余計なお世話ですが、中古を買おうと思われている方は出来るだけ年式の新しいものを、弄るつもり人もそこら辺を注意して下さい。

そしてここで派生モデルを紹介すると1981年に復活したのが相変わらずハンターカブという名前は付かないCT110

CT110

スーパーカブ90をベースに105ccまでボアアップしてパワーを増したモデル。

今回は副変速機はオミットされています。

更に1988年に出たのがニュースカブの後継となるプレスカブ。

初代プレスカブ

サブライト付きの大型バスケットとリアキャリア、積載を考えて大型化されたリアドラムブレーキを搭載した新聞配達特化モデル。

ノーマルタイプとグリップヒーター付きデラックスの二種類で、今あるPROシリーズのご先祖様ですね。

そして帰国子女のようなハイスペックカブことカブ100EX。

初代タイカブ

別名タイカブと言われるタイホンダから引っ張ってきたモデル。

タイカブという名前から全く違う系統と思いがちですが、エンジンの源流はC65なので立派なスーパーカブ。

ただ何人も乗せたりする過酷な使い方を考慮してロングシートとテレスコピックサスペンションを採用しています。

スーパーカブ100

限定3000台だったものの、想定を上回る人気だった為93年から再びスーパーカブ100の名前で輸入されています。ちなみに向こうではドリーム100という名前。

最後にもう一つ紹介しておきたいのが1993年に出たCOBRA・・・じゃなくてCUBRA(カブラ)。

カブラ

これは正確に言うとホンダアクセスが用意した一体型サイドパニア(既存ボディの上から被せる)を始めとしたアクセサリーを標準装着したモデル。

CUBRA

見た目が野菜のカブの様に膨らむことから、関西でそのカブを示す方言カブラと命名。

だけどこのグラマラスに膨らんだラインといい、アクセサリーヘルメットのレーシングストライプといいコブ・・・

主要諸元
全長/幅/高 1835/660/1035mm
[1835/660/1030mm]
{1840/660/1035mm}
シート高
車軸距離 1180mm
[1180mm]
{1185mm}
車体重量 82kg(装)
[83kg(装) ]
{86kg(装) }
燃料消費率 150km/L
[80km/L]
{80km/L}
燃料容量 4.0L
エンジン 空冷4サイクルOHC単気筒
総排気量 49cc
[72cc]
{85cc}
最高出力 5.5ps/9500rpm
[6.0ps/7500rpm]
{7.0ps/7500rpm}
最高トルク 0.48kg-m/6500rpm
[0.66kg-m/5500rpm]
{0.79kg-m/5500rpm}
変速機 自動遠心式四速ロータリー
[自動遠心式三速ロータリー]
{自動遠心式三速ロータリー}
タイヤサイズ 前2.25-17-4PR
後2.25-17-4PR
[前2.25-17-4PR
後2.50-17-6PR]
{前2.50-17-4PR
後2.50-17-6PR}
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
C7HSA
[CR6HSA]
{CR6HSA}
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 137,000円
[149,000円]
{160,000円}
※スペックはSDX
系譜図
カブ号F型1952年
Cub F号
初代C1001958年~
SuperCub
C100
1964年式1966年~
SuperCub
C50/65/70/90
1971年式~1971年~
SuperCub
C50/70/90
1980年式~1980年~
SuperCub
50/70/90
2000年式1997年~
SuperCub
50/90
2008年式2008年~
SuperCub
(AA01/JA07)
2012年式50/1102012年~
SuperCub
(AA04/JA10)
2017年式50/1102017年~
SuperCub
(AA09/JA44)

Africa Twin(RD03/04/07) -since 1988-

アフリカツイン/RD03

「ON THE TRAIL OF HEROS.」

先に紹介した通りホンダはNXR750の公道モデルとしてトランザルプを出しました。

しかし

「もっとNXR750なバイク」

という声が多かった。

要するにもっとラリーレイド感溢れるNXR750レプリカって事ですね。

初代アフリカツイン

その期待に応える様にホンダが出したのだラリーレイド感が溢れ出ているアフリカツイン。

名前の由来はもちろんパリダカ。広大なアフリカの大地を連想させるという理由から命名されました。

RD03

24Lと大きめカウルマウントタンクに大きな丸目二眼がNXR750を彷彿させますね。

アフリカツインとNXR

日本では馴染みがありませんが、海外ではXRVという車名でした。

アフリカツインは簡単に説明するとトランザルプを更にオフロード寄りにした形。

アフリカツイン構造

こう言うとトランザルプと同じ様に見た目だけと思いがちですが、アフリカツインの場合は違います。

専用のサスペンションとフレームで潤沢なホイールトラベル、大径ホイール&ディスクローター&フェンダー兼カバー。

キャブやら何やら(以下省略)でちゃんと煮詰められたオフロード寄りのデュアルパーパス。

1988アフリカツイン

その証拠に実はアフリカツインもパリダカに出場してるんです。

参戦したのはプロダクションクラス(無改造)というクラスで・・・しかも見事に優勝。それも一回ではなく1989-1990と二連覇。

アフリカツインパリダカ

これだけでアフリカツインが見掛け倒しのラリーレプリカじゃない事が分かるかと思います。

「本当にパリダカを走れるマシンが買える」

としてトランザルプ同様に世界中で人気となり、限定ながらモデルチェンジを繰り返す事になりました。

Africa Twin
(RD04)
-since 1990-

RD04

二代目のRD04型。

・キャブの大径化及び742cc化で57馬力

・ホイールベースを10mm延長

・ヘッドライトの光量アップ

・ダブルディスクブレーキ化

・バッテリー容量アップ

・ハイスクリーン化

・多機能デジタルメーター(92年モデル)

Africa Twin
(RD07)
-since 1993-

RD07

三代目となるRD07型。

・フレーム新設計で

・シート見直し

・キャブ変更

・ホイールベース10mm短縮

・リアをラジアルタイヤ化

・EGマッピング&カウル&スクリーン見直し(95年モデル)

そして2000年(一部の国では2003年)に生産終了となりました。

アフリカツインカタログ

言うまでもありませんが、約10年という息の長さがあったのはNXR750レプリカという要素を除いてみてもよく出来ていたから。

山道も林道も高速道も全てを何不自由なく熟せるスーパーアドベンチャーでした。

主要諸元
全長/幅/高 2310/900/1320mm
[2330/895/1420mm]
{2320/905/1430mm}
シート高 880mm
{865mm}
車軸距離 1550mm
[1560mm]
{1550mm}
車体重量 221kg(装)
[236kg(装)]
{234kg(装)}
燃料消費率 32.0km/L
[30.0km/L]
{24.1km/L}
※定地走行テスト値
燃料容量 24L
{23L}
エンジン 水冷4サイクルV型OHC二気筒
総排気量 647cc
[{742cc}]
最高出力 52ps/7500rpm
[{57ps/7500rpm}]
最高トルク 5.7kg-m/6000rpm
[{6.1kg-m/5500rpm}]
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前90/90-21(54S)
後130/90-17(68S)
{前90/90-21(54H)
後140/80-17(69H)}
バッテリー YB12A-B
[YB14-B2]
{FTX14-BS}
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
DPR8EA-9
または
X24EPR-U9
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
交換時2.2L
フィルター交換時2.6L
[{全容量3.2L
交換時2.4L
フィルター交換時2.6L}]
スプロケ 前16|後48
[{前16|後43}]
チェーン サイズ525|リンク124
{サイズ525|リンク122}
車体価格 749,000円(税別)
[789,000円(税別)]
{890,000円(税別)}
※[]内はRD04
※{}内はRD07
系譜図
XL5001979年
XL500S/R
(PD01)
XL600Rファラオ1985年
XL600R PHARAOH
(PD03)
XLV750R1983年
XLV750R
(RD01)
RS750D1983年
RS750D/NS750
NXR7501986年
NXR750
トランザルプ1987年
TRANSALP
(PD06)
(RD10/11/13/15)
XRV600アフリカツイン1988年
Africa Twin
(RD03/04/07)
バラデロ1999年
VARADERO
(SD01/02)
CRF1000L2016年

CRF1000L
Africa Twin
(SD04)

CRF1000L2019年

CRF1100L
Africa Twin
(SD10)

XL600V TRANSALP(PD06) -since 1987-

トランザルプ600V

「RALLY TOURING」

ここで登場するのがアフリカツ・・・ではなくトランザルプ。

先に紹介したパリダカのワークスマシンNXRを彷彿させるスタイリングのオンロードマシンとして登場しました。

XL600V

別名XL600Vともいい、こう見えてXLシリーズの一車種だったりします。

開発もXLを担当したチームでコンセプトは

「NXR750の持つ快適性のオーバーラップ」

ちなみにTRANS(超える)ALPS(アルプス)でつなげてTRANSALP。

ただこう見えてベースとなっているのは偉大な二つのレーサーを生んだXLV750Rではなく、VT500というクルーザー。

V52

Vバンクも45度ではなく52度と僅かながら開いた別物を600ccにまで拡大したエンジン。

こう書くと

「見た目だけのパリダカマシン」

と思いがちですが・・・まあ違うと否定できない部分もあります。

ただしトランザルプは道を選ばないデュアルパーパスと非常によく出来ていたのは事実です。

なんでも、開発チームいわくベース(VT500)が完全なオンロードだったのが逆に良かったそう。

XL600Vカタログ写真

オフロードモデルに使われるエンジンというのは、オン/オフ両対応できる汎用性を考慮して設計されているのが基本。

しかしトランザルプの場合、オフを全く鑑みていないVT500だった。

だから開発チームはXLで培ったオフロード要素を全力で注ぎ込まないとオフ要素をもたせる事が出来ないと考えたんです。

トランザルプカタログ

そうして全力でXLのノウハウを詰め込んで出来上がったのを見たら

”オンもオフも高いレベルで熟せる万能マシン”

が誕生したというわけ。

怪我の功名みたいなバイクですね。

トランザルプはその高い快適性と汎用性から欧州で爆発的な人気を誇りました。

TRANSALP600V

危ない部類(100ps/250kmオーバー)ではない事から保険料が安いこと、そしてパリダカマシンNXR750を彷彿とさせるスタイルも追い風となりました。

対して日本は最初の数年のみの販売・・・まあ日本は文化がね。最近になって盛り返して来てますが。

だから生産も途中から欧州に切り替わり、ダブルディスクブレーキ化や外装変更などが加わりしました。

XL650V TRANSALP
(RD10/11)
-since 2000-

XL650Vトランザルプ

これは二代目RD10型とスペイン生産に切り替えられたRD11型。

ボアを拡大し647ccとし、リアタイヤも120/90R17に変更。

XL700V TRANSALP
(RD13/15)
-since 2008-

トランザルプ700

三代目となるRD13型(スペイン産)とRD15型(イタリア産)。

ボア拡大と圧縮比の向上、更にFI化に加え大型ヘッドライト、前後ラジアルタイヤ化など。

日本からすると考えられないけど、向こうではトランザルプはアフリカツインと共に一時代を築いたTWO BROTHERという立ち位置なんですよ。

主要諸元
全長/幅/高 2265/875/1275mm
シート高 850mm
車軸距離 1505mm
車体重量 197kg(装)
燃料消費率
燃料容量 18L
エンジン 水冷4サイクルOHC52度V型二気筒
総排気量 583cc
最高出力 52ps/8000rpm
最高トルク 5.4kg-m/6000rpm
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前90/90R21(54S)
後130/80R17(65S)
バッテリー YB12A-B
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
DPR8EA-9
または
X24EPR-U9
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.8L
交換時2.2L
フィルター交換時2.2L
スプロケ 前15|後47
チェーン サイズ525|リンク118
車体価格 598,000円(税別)
系譜図
XL5001979年
XL500S/R
(PD01)
XL600Rファラオ1985年
XL600R PHARAOH
(PD03)
XLV750R1983年
XLV750R
(RD01)
RS750D1983年
RS750D/NS750
NXR7501986年
NXR750
トランザルプ1987年
TRANSALP
(PD06)
(RD10/11/13/15)
XRV600アフリカツイン1988年
Africa Twin
(RD03/04/07)
バラデロ1999年
VARADERO
(SD01/02)
CRF1000L2016年

CRF1000L
Africa Twin
(SD04)

CRF1000L2019年

CRF1100L
Africa Twin
(SD10)

NXR750-since 1986-

ホンダNXR750

『砂漠の女王』

NewXRということからNXR750と名付けられたアフリカツインのご先祖様というか起源であるホンダのパリダカワークスマシン。

水冷化やクランク新造なので見た目は大きく違うわけですが、前ページのRS750Dを造った松田さんが直後に手掛けたモデルな事もあり同じ45°Vツイン90°位相エンジンを積んでいます。

NXR750エンジン

ちなみに説明していませんでしたが、位相というのはクランクピンを前後で共有せずに(並列二気筒のように)それぞれ設けて少しずらす事。

こうすることで狭角ながら一次振動(大きな振動)が無いVツインとなります。

そんなNXR750の武器はトラクション感が強い90°位相Vツイン(495-225)もそうですが、安定性を向上させる事も重視された。

例えばいま説明した水冷化ですが、当時はまだ空冷がメジャーだった時代。何故なら水がない砂漠でラジエーターが壊れたり、漏れや詰まりが起こったら修復が不可能だからです。

NXR750サイド

でも安定した性能(冷却性)を確保するなら絶対に水冷がいい。

そこで取った方法が

「冷却を二分割する」

という方法。

NXR750フロント

万が一、転倒やアクシデントで片方のラジエーターを壊しても、ラジエーターを除くように繋げれば片肺とはいえオーバーヒートは防げる。

これのおかげでNXR750はオーバーヒートによるトラブルが一度もありませんでした。

そしてもう一つは燃料タンク。

パリダカNXR

パリダカは450kmを走り切る燃料を積むことがレギュレーションで決められていました。

そしてNXR750の燃費は10km/L。悪いように思えますが、これは現地の燃料が粗悪で圧縮比を高く出来ないから。

つまり約50Lもの燃料を積めないといけない。しかしそんな大容量を通常通りの方法で積むと重心や重量バランスが崩れてしまう。

NXR750リア

そこで編み出されたアイディアが

「燃料ラインを三分割する」

というラジエーターに通ずる考え。

NXR750の燃料タンクは前にメイン二つ(左右分割&脱着式)、そしてリアに一つという独立した三つのタンク構造になっています。

NXR750のガソリンタンク

下の方に行くほど膨れ上がるメインタンクはNXR750のトレードマークですね。

そしてフューエルコックの位置を三つ揃える事で燃料の移動をスムーズにし重量バランスの問題を解決。

更には万が一、転倒などでどれか駄目になってもコックを閉めて移せば走れるという革新的かつ手堅い構造。

なんでも妊娠中の奥さんの(下のほうが膨らんでいる)お腹を見て閃いた構造なんだとか。

NXR750ダカールラリー

NXR750が四連覇を成し遂げられたのはこの”堅実さ”があったからです。

一つ面白い話をすると、初参戦の1986年パリダカの雰囲気が一変したのは有名な話。

何故ならホンダの参戦マシンがWGPと同じスポンサーカラー・・・ロスマンズカラーだったからです。

NXR750壁紙

「ロスマンズカラー×ホンダ×謎のバイク」

これだけでホンダが本気でパリダカを取りに来たのが誰もが分かった。

そしてその下馬評通り・・・どころか下馬評を大きく上回るパリダカ四連覇という伝説を残しました。

主要諸元

※ファクトリーマシンのため不明

系譜図
XL5001979年
XL500S/R
(PD01)
XL600Rファラオ1985年
XL600R PHARAOH
(PD03)
XLV750R1983年
XLV750R
(RD01)
RS750D1983年
RS750D/NS750
NXR7501986年
NXR750
トランザルプ1987年
TRANSALP
(PD06)
(RD10/11/13/15)
XRV600アフリカツイン1988年
Africa Twin
(RD03/04/07)
バラデロ1999年
VARADERO
(SD01/02)
CRF1000L2016年

CRF1000L
Africa Twin
(SD04)

CRF1000L2019年

CRF1100L
Africa Twin
(SD10)

XL600R PHARAOH(PD03) -since 1985-

pd03

「アドベンチャー・ロマン」

XL500の後継となるXL600R PHARAOH。

大きな変更点は真っ赤に塗られたRFVCエンジン。RFVCエンジンについてはCRF250の方で紹介したと思うので割愛させてもらいます。

ファラオ

「なんでファラオ」

というとファラオラリーに参戦した事と、そのイメージから取っています。

ただ先代同様に日本ではこの重武装したPHARAOHだけでしたが、海外ではノーマルにあたるXL600R/XR600Rも販売されていました。

XR600R

これがそのXR600Rです。

そしてこっちが公道モデルのXL600R。

ホンダ PD03

パッと見は一緒に見えるんですが、公道向けと否公道向けなので中身(特に足回り)が違います。

初パリダカだったXLの後継なので当然ながら同じ様に挑んでいます。

これがXR600RベースのパリダカマシンXL600L。

XL600Rヌブー

XRなのにXLなのはセールスのため・・・だったんですが、時代は単気筒でなく二気筒が圧倒的に優位だった。

だからこのXL600Lでは結果は残せず。

パリダカに社運をかけていたと言ってもいいフランスホンダから

「もっとラリー向けのバイクを作ってくれ、これじゃ勝てない」

とケツを叩かれる事になるわけです。

というのも当時パリダカ発祥の地であるフランスを筆頭に欧州ではパリダカ熱が凄まじく、パリダカの成績がセールスに直結してたから。

そのためダカールラリーの成績と連動するようにXLの売上が落ちていたんです。

主要諸元
全長/幅/高 2205/865/1195mm
シート高 880mm
車軸距離 1445mm
車体重量 182kg(装)
燃料消費率 35.0km/L
※定地走行燃費
燃料容量 28L
エンジン 空冷4サイクルOHC単気筒
総排気量 591cc
最高出力 42ps/6500rpm
最高トルク 4.8kg-m/6000rpm
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.00-21-4PR
後5.10-17-4PR
バッテリー YB14-A2(セル)
YB3L-A(キック)
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
DP8EA9
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
交換時1.9L
スプロケ 前15|後40
チェーン サイズ520|リンク106
車体価格 548,000円(税別)
系譜図
XL5001979年
XL500S/R
(PD01)
XL600Rファラオ1985年
XL600R PHARAOH
(PD03)
XLV750R1983年
XLV750R
(RD01)
RS750D1983年
RS750D/NS750
NXR7501986年
NXR750
トランザルプ1987年
TRANSALP
(PD06)
(RD10/11/13/15)
XRV600アフリカツイン1988年
Africa Twin
(RD03/04/07)
バラデロ1999年
VARADERO
(SD01/02)
CRF1000L2016年

CRF1000L
Africa Twin
(SD04)

CRF1000L2019年

CRF1100L
Africa Twin
(SD10)

RS750D/NS750-since 1983-

RS750D

ここで紹介しておきたいのがXLV750Rのエンジンをベースに作られたRS750Dというダートレーサー。

一件アフリカツインとは何の関係も無い畑違いなマシンに思えますが大いに関係しているのでお付き合いを・・・。

このバイクは

『グランドナショナルチャンピオンシップ(以下GNC)』

というアメリカで非常に人気があるオーバル状ダートトラックのレースに向けてHRCが造ったワークスマシン。

グランドナショナルチャンピオンシップ

「肝が据わっているやつが勝つ」

と言われるバイク界のインディ、もっと簡単に言うとバイク版の競馬みたいなもの。

ホンダはこのレースに1979年からアメリカホンダ(以下AHM)主導でCX500のエンジンを750まで拡大しつつ縦に積み直してチェーンドライブ化したCX500改で挑んでいました。

しかしそれでも最も力を入れていたハーレー勢(XR750)に全くもって歯が立たなかった。そこでAHMは本社に力を貸すように直談判したのが始まり。

何故AHMはそうまでしてGNCに力を入れていたのかと言うと、1つはいま話した通りこれがアメリカで最も根付いているレースだったから。

そんなレースに勝てばアメリカ中にホンダの技術を証明出来て認めてもらえると考えたらからなんですが、実にアメリカらしいのが単に勝つだけではなく重要だったのがVツインという事。

「アメリカではVツインじゃないと勝った事にはならないから絶対にVツイン」

という前提条件があったから本社が用意したエンジンが無いと始まらないAHMだけでは限界があった。

そしてもう1つは天才フレディ・スペンサーの存在です。

アメリカで最も根付いているレースという事もあり当時フレディ・スペンサーもホンダから参戦していた。

AHMはこのスペンサーを

『GNC王者からのWGP(ロードレース世界選手権)王者』

という道を取らせたいと考えていた。何故ならライバルがその道を歩んでアメリカのヒーローとなったから・・・そう、ケニー・ロバーツです。

インターカラー(USヤマハカラー)のままWGPの優勝を掻っ攫ったGNC出身のアメリカ人ライダー。

「彼と同じスターの道を歩ませたい、彼を上回りたい」

という考えていたんですね。

この狙いにホンダも答え、NRブロック(後のHRCとなるNRを開発した部署)が開発したエンジンを積んだのがNS750というモデル。

NS750

これでホンダは見事GNCでスペンサーを優勝に導く事が・・・出来なかった。

このNS750は1982年までに僅か1勝というホンダらしからぬ戦績の悪さでした。

原因は携わった車体設計の三神さん曰く

「正直ハーレーを過小評価していた」

との事ですが、何よりもトラクション性能を煮詰めきれてなかった事にあった。

もともとCX500/GL500というミドルロードスポーツのエンジンがベースだったので100馬力近いハイパワーな一方でクランクマスが軽い事から一発一発が弱くトラクションが弱かった。

このダートレーサーは

『サイドワインダー』

という一見するとカッコいいアダ名がある事をご存知の方も多いかと思いますが、これ元々はそんなNS750の醜態を揶揄する形で生まれた言葉。

スペンサーとNS750

有り余るパワーを軽い吹け上がりで瞬時に発揮する出力特性と弱いトラクションという組み合わせからスペンサーをもってしてもスライドばかりでずっとカウンターを当て続けて走るレベルだった。

つまりずっと斜めを向いたまま走っており、シリンダーヘッドも捻れたりしていた事から

ガラガラヘビ

『The sidewinder(ヨコバイガラガラヘビ)みたいなマシン』

と揶揄されるようになったという話。

※ヨコバイガラガラヘビとはアメリカ南西部に生息する横巻きで砂漠を移動するヘビ

この問題がトラクションにある事と気付いたエンジン設計の松田さんが自身が新たに手掛けていたXLV750Rのエンジンをベースに変更。

さらに車体側もロードレーサーNS500の足回りの流用するなどしてこのページの主役であるRS750Dというモデルを開発。

ホンダ RS750D

ガラガラヘビだったのが嘘のように圧倒的な速さを誇り1984年に念願だったチャンピオンをリッキーグラハムの活躍により獲得。

加えてこのエンジンはプライベーターへの販売が義務付けれていたので皆がこぞって購入。あまりの速さからリストラクター(吸気制限)が設けられたもののそれでも速く、結果として4年連続でホンダ勢がチャンピオンを獲得したという話。

FTRへ採用されたのでカラーリングに見覚えがある人も多いかと思いますが、それもこのRS750Dの偉業を元にしたものです。

HRC RS750D

そして何故アフリカツインの系譜にこのバイクを載せたのかというのもおわかりかと。

このNS750の失敗から生まれたRS750Dというマシンとトラクションに関するそのノウハウ。これが直後のパリダカでも大いに活きる事になるんですね。

参照:別冊モーターサイクリスト410|RACERS Vol.37

主要諸元

※ファクトリーマシンのため不明

系譜図
XL5001979年
XL500S/R
(PD01)
XL600Rファラオ1985年
XL600R PHARAOH
(PD03)
XLV750R1983年
XLV750R
(RD01)
RS750D1983年
RS750D/NS750
NXR7501986年
NXR750
トランザルプ1987年
TRANSALP
(PD06)
(RD10/11/13/15)
XRV600アフリカツイン1988年
Africa Twin
(RD03/04/07)
バラデロ1999年
VARADERO
(SD01/02)
CRF1000L2016年

CRF1000L
Africa Twin
(SD04)

CRF1000L2019年

CRF1100L
Africa Twin
(SD10)