XJ400D/Z/SP(5L8)-since 1981-

XJ400D

クラストップの馬力で鮮烈デビューしたXJ400は一年で吸気デバイスのYICSを採用など熟成を図りました。

そしてXJ400二年目の1981年の事。

「クラスが加熱=ライバルも増える」

というのは歴史の習わしと言いますか、四メーカーの後出しジャンケン合戦といいますか、今度はスズキからGSX400Fというバイクが登場しました。

GSX400Fカタログ

クラス初となる16バルブでXJ400と同じ45馬力を発揮するスポーツネイキッド。コチラもGSR400の系譜でご紹介しましたGSR400のご先祖といいますかスズキ四気筒400ネイキッドの始まりのバイクですね。

同馬力ながらスズキは4バルブエンジン。これは負けられないとヤマハはマイナーチェンジとしてXJ400Dを発売することになります。

XJ400Dリミテッド

Dというのは上の写真のモデルがそうですが、敢えて四本出しマフラーに変更し調節機能付きリアサスという豪華装備。更にエンジンはブラックアウト化とルックスに磨きを掛けてきたわけです・・・が。

わけですが・・・当時を知っている人なら何を言いたいのかわかると思います。

1981年末期にアレが登場するわけですね。

CBX400F

そう、ホンダの究極後出しジャンケンCBX400Fです。

世に初めて四気筒を出したホンダのヨンフォア以来となる400cc四気筒ネイキッド。

しかも馬力はXJ400やGSX400Fの45馬力を超える48馬力というトップのスペック。

もうそれまでの三社の争いは何だったのかと言うほどCBXの一強に。それどころかホンダの他の新型が出てもCBXしか売れない様な状態にまでなりました。

XJ400Z

そんな状況に対しヤマハはXJ400Dをやめ、XJ400Z(水冷XJ)を出して対抗するんだけど今度はネイキッドブームが去ってレプリカブームに入っちゃったから結局XJシリーズは1984年のXJ400ZEを最後に一旦途切れることとなりました。

XJ400Z-E

確かにCBX400Fという絶対的人気を誇るライバル車がいた事もあるんだけど、XJ400の人気があまり出なかった理由を少し擁護すると

RZ250

ヤマハの場合RZ250そしてRZ350という大型キラーと呼ばれる程の性能を持ち、後のレーサーレプリカブームの土台を作ったとも言える大ヒット2stスポーツネイキッドが存在していて、ヤマハといえばRZと言うような状態だったのも大きい。

忘れてましたがXJ400にはXJ400スペシャルというモデルもXJ400Dに合わせて出ました。

XJ400スペシャル

若者のアメリカンブームに合わせたクルーザーですね。

主要諸元
全長/幅/高 2060/760/1130mm
[2145/830/1135mm]
{2100/725/1235mm}
シート高 785mm
[760mm]
{785mm}
車軸距離 1405mm
[1420mm]
{1420mm}
車体重量 180kg(乾)
{179kg(乾)}
燃料消費率 52.0km/L
[54.0km/L]
※定地走行テスト値
燃料容量 16.0L
[13.0L]
{19.0L}
エンジン 空冷4サイクルDOHC四気筒
総排気量 398cc
最高出力 45ps/10000rpm
[42ps/10000rpm]
{55ps/11500rpm}
最高トルク 3.5kg-m/8000rpm
[3.4kg-m/8000rpm]
{3.5kg-m/10000rpm}
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前3.00S19-4PR
後110/90-18(61S)
[前3.25S-19-4PR
後130/90-16(67S)]
{前90/90-18(51H)
後110/90-18(61H) }
バッテリー FB12A-A
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
D8EA/D7EA
または
X24ES-U
{D8EA}
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.9L
交換時2.2L
フィルター交換時2.5L
スプロケ 前16|後45
[-]
{前16|後46}
チェーン サイズ530|リンク104
[-]
{サイズ520|リンク106}
車体価格 452,000円(税別)
[465,000円(税別)]
{538,000円(税別)}
※スペックはXJ400D
※[]内はXJ400SPECIAL
※{}内はXJ400ZS
系譜図
xj4001980年
XJ400
(5M8)
XJ400Z1981年
XJ400D/Z/SP
(5L8/33M)
XJR4001993年
XJR400/S/R/R2
(4HM)
XJR400R1998年
XJR400R
(4HM中期)
XJR400R最終2001年
XJR400R
(4HM最終期)

XJ400(5M8)-since 1980-

XJ400

ヤマハの400ccとしては初の四気筒となるXJ400。ペケジェイ400とか言われてたりしましたね。

いきなり話が反れますが、XJ400を語る前にXJ400が出る前の話を少し。

400cc初の四気筒バイクといえば1971年のCB350です。そこから1974年に出たのが有名なCB400FOUR(通称ヨンフォア)、そして中型免許制度が出来たことによって生まれた1976年の398ccバージョンのヨンフォア1と2ですね。

ヨンフォア

実は四気筒400ccというのはこのヨンフォアを最後に市場から消えました。

CB400の系譜の方でも言いましたが「採算が合わない」という理由から。

それでも四気筒400ccを望む声は多く、そしてその期待に応えたのがXJ400・・・じゃなくてZ400FXなんですね。

Z400FX

輸出仕様のZ500のスケールダウン版とすることで採算性をクリアしたバイク。

「ついに400cc四気筒が復活した!しかも43馬力!しかもカッコイイZ!」

とそりゃもう話題になりました。当時38万円(今で言うと70万円弱)と結構いい値段だったんだけど、限定解除が難しかった時代なのも加わって大ヒットしました。

そしてそんなZ400FXから遅れること一年で登場したのがこのXJ400。

5M8

四気筒ながらコンパクトに造られた幅、電子進角フルトランジスタ点火、燃料計、SUキャブにバンク角を稼ぐために屈折させた4-1-2の集合管などなど。

そのおかげでZ400FXの43馬力を超える45馬力で登場という血も涙もない後出しジャンケン。

性能を追い求めるあまり、上で言った様にお金かかりまくりでZ400FXより3万円も高い41万円。

性能が良ければ高くても売れる精神のヤマハらしいですね。

主要諸元
全長/幅/高 2060/760/1130mm
シート高 785mm
車軸距離 1405mm
車体重量 176kg(乾)
燃料消費率 42.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 16.0L
エンジン 空冷4サイクルDOHC四気筒
総排気量 398cc
最高出力 45ps/10000rpm
最高トルク 3.5kg-m/8000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前3.00S19-4PR
後110/90-18(61S)
バッテリー FB12A-A
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
D8EA/D7EA
または
X24ES-U/X22ES-U
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.9L
交換時2.2L
フィルター交換時2.5L
スプロケ 前16|後45
チェーン サイズ530|リンク104
車体価格 432,000円(税別)
系譜図
xj4001980年
XJ400
(5M8)
XJ400Z1981年
XJ400D/Z/SP
(5L8/33M)
XJR4001993年
XJR400/S/R/R2
(4HM)
XJR400R1998年
XJR400R
(4HM中期)
XJR400R最終2001年
XJR400R
(4HM最終期)

TZR250/SP(3MA)-since 1989-

二代目TZR250

「走りの純血統」

ある意味歴代TZR250の中じゃコレが一番有名かもしれないサンマことTZR250/3MA型。

プロジェクトリーダーはTZ250後方排気モデルの生みの親と同じく宮地さんというお方で『YZR感覚の体験』というTZRのコンセプトを引き継ぎ、マン・マシンの一体感を最優先。

・後方排気エンジン
・テールから飛びてたチャンバー
・新設計アルミデルタボックスフレーム
・アンダーブレースタイプのスイングアーム
・フロントWディスクブレーキ
・スラントノーズフェアリング

などTZ250の流れを大きく取り入れポテンシャルが更に向上しました。

長々と話す前によくある誤解を解いておくと、3MAが採用した後方排気というのはエンジンの前方から混合器を吸って後方から排気する事で、簡単に言うとエンジンを前後逆に積んでいる形であり、センターアップマフラーの事ではありませんのでご注意を。

後方排気

そんな今でこそ有名なTZR250/3MAですが、当時は一日千秋の思いで出るのを待っていたものの、一向に出ず待ち疲れた人も多かったかと。

というのも、先代でも話した通りTZR250は共同開発されていた一卵性双生児ともいえる市販レーサーTZ250がいたのですが、そのTZ250は1987年の7月に後方排気エンジンを積んで全日本選手権にて鮮烈デビューを飾りました。

TZ250

これが出たという事はつまりTZR250も同じようになる。鬼神の如き速さによりアマチュアレースでも公道でも猛威を振るっていたTZR250がこれになる・・・と思っていたら出ない。年が明けても出ない。ライバル勢がどんどん出てきているのに出ない。

結局出たのはTZ250後方排気モデル登場から一年半後となる1989年の3月で、正直に言うと

「やっとか」

という声が多かった。

3MAカタログ

ここまで遅くなった理由について公式では何も情報が無いため不明ですが、巷では

「公道向けの調整に手こずったからではないか」

と噂されたりしました。

これは、3MAは後方排気つまり吸気側であるキャブが前方にある事からオーバークールを起こしやすく、セッティングがやや気難しい面があったから。

3MAカタログ写真

走る環境が決まっているレースならまだしも、環境が刻一刻と変わる公道でセッティングをバッチリ合わせるのはプロでも至難の業。そんなことを一般人ライダーが最適化出来るはずもなく・・・という事からそういう説が囁かれたんだと思います。

また、すぐに改良された後期モデルが出たこともその説を補強する形になっています。

TZR250(3MA後期) -Since1990-

3MA後期

翌年の2月に登場した3MAの後期モデル3MA4型。

・中低速を補強する新設計TMキャブレター
・同じく補強向けな2ウェイ式YPVS
・倒立フロントフォーク
・トラス補強となったスイングアーム

などなど中低速の扱いさすさと操舵性を向上させる年次改良が行われました。また、この後期モデルからはTZR250でレースを戦ってくれる人達用のSPモデルも1000台限定で用意。

TZR250SP

・専用シリンダーとクランク
・ハイコンプ化(高圧縮化)
・Φ34の大径TMキャブレター
・乾式クラッチ
・大型ラジエーター
・伸縮調整機能付きFフォーク
・圧減衰調整機能付きRショック
・専用6速クロスミッション
・リア4.5×18リムの採用

などなどコレでもかというほどの奢りっぷり。

しかし結局1年後には全く別の形へフルモデルチェンジとなり、3MA型はわずか二年で販売終了を迎える事となりました。

確かに3MA(特に前期モデル)は粗削りな部分があり、速く走るのが難しいモデルでした。しかし今もなお熱狂的なファンがおり、場合によっては歴代TZR250で一番有名な事からも分かる通り非常に人気があるのは、そういった粗削りな中にとてつもなく輝くものを持っていたから。

ヤマハTZR250/3MA

その一つがパワーバンドに入った時の

「聞き間違う事のない唯一無二の甲高い排気音」

これに魅了され脳裏に焼き付いてしまった人たちが多かった。テールカウルから出ているチャンバーも相まって、ワークスライダーの平さんになれたような気がする人たちが多かったから、今もなお語り継がれるレーサーレプリカになったんだと思います。

3MAのチャンバー

個人的には剥いた時の妖艶さも凄い。

気難しいけど弾けたら凄い、そして剥いても凄い。記録には残らなかったけど記憶には残った小悪魔レーサーレプリカだったと言えるのではないかと。

主要諸元
全長/幅/高

前期:2040/655/1100mm
後期:2040/695/1100mm

シート高 760mm
車軸距離 1380mm
車体重量 前期:136kg(乾)
後期:138kg(乾)
燃料消費率 前期:41.0km/L
後期:40.0km/L
SP:41.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 16.0L
エンジン 水冷2サイクル二気筒
総排気量 249cc
最高出力 45ps/9500rpm
最高トルク 3.8kg-m/8000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前110/70R17(54H)
後140/60R18(64H)
SP:後150/60R18(67H)
バッテリー GT4L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BR8ES/BR9ES/BR10EV
推奨オイル オートルーブ
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
1.4L
スプロケ 前14|後41
チェーン サイズ520|リンク110
車体価格 619,000円
SP:719,000円
系譜図
YD1 1957年
YDシリーズ
YDS-1 1959年
250S/YDSシリーズ
dx250 1970年
DX250/PRO
(280/352)
RD250 1973年
RD250
(361~3N4)
4L3 1980年
RZ250/R/RR
(4L3/29L/1AR/1XG/3HM/51L)
1KT 1985年
TZR250
(1KT/2XT)
3MA 1989年
TZR250/SP
(3MA)
R1-Z 1990年
R1-Z
(3XC)
3XV 1991年
TZR250R/SP/RS/SPR
(3XV)

TZR250(1KT)-since 1985-

TZR250/1KT

「SPIRIT OF COMPETITION」

ヤマハのレーサーレプリカを代表するTZR250/1KT型。

11月の東京モーターショーでお披露目されたのですが

「YZR500(GPワークスマシン)を開発したメンバーによる市販レーサーTZ250との共同開発」

という事で大きく話題となりました。

TZR250とTZ250

これは要するに

「レーサー部門に人たちに公道向けの市販車も一緒に造らせました」

という前代未聞なやり方。

レーサーレプリカの流れ

・YZR500で採用された樹脂製リードバルブ付きクランク室圧縮
・YZR500で採用されたアルミ製のデルタボックスフレーム
・YZR500で採用された320mmの大径ディスクブレーキ
・ミッションを始めとした各部のドライサンプ化
・ナナハンクラスの前後極太サスペンション
・なにかの間違いじゃないかと思う乾燥重量126kg
・これもなにかの間違いじゃないかと思うクラス最高値55万円

などなど、明らかにそれまでの250とは一線を画す装備と価格、そして次元の違う速さを持っていました。

2XT

速さの要因として大きいのはやはりクランクから吸気するクランクケースリードバルブ式を採用した事かと思われます。それまでピストンの上下運動が担っていた吸気タイミングを、クランクケースに担わせる構造にすることで劇的な性能向上に成功。

ピストンリードバルブとクランクケースリードバルブ

クランクケースから吸気するという昔あった形式が、レース技術により最高性能を叩き出す形式に返り咲くというロマン。TZR250がこれを採用して以降、スポーツモデルはクランクケースリードバルブが主流となります。

しかしTZR250が魅せた”次元の違う速さ”というのは、エンジンだけじゃないのが凄いところ。

「乗りやすさ故の速さ」

にあります。だからこそメディアやアマチュアレーサーだけでなく、多くの一般ライダーも飛びついた。

TZR250最初のポスター

これも最初に言ったようにYZR500を始めGPレーサーに携わっていた阿部さん(プロジェクトリーダー)を始めとしたレーシングエンジニアが手がけたから。

「レーサーって実はすごく乗りやすいんですよ。」

って言われたり聞いたりした事がある人も多いんじゃないかと思います。これは乗りやすさこそが安定したタイム向上につながるから。

YPVS

「人間の感性と調和」

これはTZR250の礎とも言えるYZR500の開発コンセプトというか思想。これがあったからその流れを受けるTZR250もあれほど凄いのに乗りやすいという話で、プロジェクトリーダーの阿部さんがRIDERS CLUB No.101のインタビューでこう答えられていました。

「YZR500をやってきたからこそ、オンロードスポーツへの確信を明確に持っている。」

ヤマハTZR250/1KT

こうすればいい”らしい”とか、こうするのが基本”らしい”といった開発への迷いを持たず、GPというレースの頂で星の数ほどのトライ・アンド・エラーをやってきた経験に裏打ちされた確信があったから、初代にしてここまで完成度の高いレーサーレプリカを生み出すことが出来たという話。

1KT カタログ写真

それが如実に現れているのが、アンチノーズダイブやフロント16インチなど当時では画期的だと言われた装備を一切付けていない事。

逆に、TZR250で採用されたアルミデルタボックスフレームや前後17インチ、アルミブラケットにフローティングマウントのディスクローターなどは、40年経った今も当たり前のように採用され続けている・・・凄いとしか言いようがない。

もう一つおまけの話をすると、初代にしてほぼ完璧だったTZR250ですが、唯一言われていた批判が

「デザインがちょっと地味(寂しい)」

という事でした。こう言われた要因はレーサーでありながら車体にデカール等があまり貼られていないから。このTZR250はRZでも紹介したレース直系技術であるヤマハ自慢のYPSV(排気デバイス)が装着されているのに、その文字すら入っていない。

初代TZR250

でもこれワザとなんです。これについても阿部さんはこう答えています。

「機能というのはアピールする物ではない。気付かれない様に機能するのが本当に優れた機能。」

そう考えていたからクランクケースリードバルブやYPVSなどの技術をデカールでアピールする事を良しとしなかった。

ヤマハTZR250

ただしこればっかりは営業からも呆れられたそうで、妥協案としてアクセサリーとして用意したシングルシートカウルに、そして2年目からボディにシレッと排気デバイスYPVSの文字が貼られる様になりました。

書き忘れましたがもちろんTZR250/1KTも市販車レース(F-3/SP250)に参戦できるようレースKITが販売され全国のレースで大いに活躍というか猛威を振るいました。

GPレーサーの技術者に開発させレースKITまで用意するという技術の大盤振る舞いだったTZR250/1KTすが、ここまでやったのはもちろんYDS-1から続いている

『2stのヤマハ』

の習わしだったからでしょうね。

TZR250(2XT) -Since1988-

2XT

二年後に出された二型のTZR250/2XT型。

・デジタル式CDI
・ラジアルタイヤへ変更
・アルミメッキシリンダー
・給排気系統の大幅な見直し

などなど別物エンジンになるほど結構大掛かりなモデルチェンジにより1KTから更に本当は45馬力以上あるだろ感が増したんですが

「見た目は1XTのまま」

というブレないストイックさが災いし、知ってる人は凄さが分かるんだけど知らない人も多い歴代TZR250では最も通好みなモデル。

TZR250マルボロカラー

ちなみにこれは当時ヤマハを応援していた者にとってはたまらないYZR500/GP500と同じヤマハマルボロカラーモデル。

一転してド派手になった事もあり、涎を垂らす人が続出しました。

主要諸元
全長/幅/高 1KT・2XT:2005/660/1135mm
2XT:2005/660/1
シート高 1KT・2XT:760mm
車軸距離 1KT・2XT:1375mm
車体重量 1KT・2XT:126kg(乾)
燃料消費率 1KT・2XT:43.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 1KT・2XT:16.0L
エンジン 水冷2サイクル二気筒
総排気量 249cc
最高出力 1KT・2XT:45ps/9500rpm
最高トルク 1KT:3.5kg-m/9000rpm
2XT:3.6kg-m/8500rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 1KT:前100/80-17(52H)|後120/80-17(61H)
2XT:前110/80-17(52H)|後130/70-17(67H)
バッテリー 1KT・2XT:GM4A-3B
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
1KT:BR8ES/BR9ES
2XT:BR8ES/BR9ES/BR10EV
推奨オイル  
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
1KT:1.4L
スプロケ 1KT:前14|後41
チェーン 1KT:サイズ520|リンク110
車体価格 1KT:549,000円(税別)
2XT:559,000円(税別)
系譜図
YD1 1957年
YDシリーズ
YDS-1 1959年
250S/YDSシリーズ
dx250 1970年
DX250/PRO
(280/352)
RD250 1973年
RD250
(361~3N4)
4L3 1980年
RZ250/R/RR
(4L3/29L/1AR/1XG/3HM/51L)
1KT 1985年
TZR250
(1KT/2XT)
3MA 1989年
TZR250/SP
(3MA)
R1-Z 1990年
R1-Z
(3XC)
3XV 1991年
TZR250R/SP/RS/SPR
(3XV)

RZ250(4L3)-since 1980-

RZ250

「ザ・エクストラ・2ストローク」

RD250の後継として発売された、今なお非常に人気が高いRZ250/4L3型。

・水冷化によりクラストップとなる35馬力
・乾燥重量139kgという軽さ
・モノクロスサスペンション
・エアロダイナミックスの流麗ボディ
・やる気にさせるスポーツポジション
・何気に250初となるハロゲンライト

などなど、市販レーサーTD-2の後継にあたるTZ250のレプリカという触れ込みに恥じないとんでもないスペックを引き下げ、1979年の東京モーターショーで大きな話題となりました。

RZ250東京モーターショー

当時を知る人には説明不要だと思いますが

「暴走族に人気だったバイクでしょ」

という勘違いをしている人が居たらいけないので長々と書いていきます。

先代に当たるRD250の系譜で書いたように当時2stは風前の灯火でした。ではなぜRZ250はシリーズ累計販売台数10万台を記録し、歴史に名を刻む名車となったのかと言うと

「開き直った2stスポーツだったから」

という点に尽きると思います。

重ねて言いますが実際この頃は2stのヤマハですら市場が求めたことから4stに大きく舵を切っており、社内でも排ガス規制強化の流れから2stはもう先がない存在という認識でした。

しかし、ヤマハは今でこそFZから始まったGENESIS思想により4stスポーツのイメージがあるものの、元々は2stスポーツで一世を築いたメーカー。

”2stのヤマハ”というイメージはユーザーだけでなく、ヤマハの開発陣も自負するものがあった。だから2stはもう終いという世の中に対し、社内の2st部門の人達が

「最後に2stヤマハの集大成モデルを造ろう」

と願いにも近い考えを持った事から開発がスタート。

そしてマーケティングを調査したところ、北米や日本では需要が無い一方で、欧州では2stスポーツに対する人気(需要)がまだ存在している事が分かり、欧州向けの350と合わせてプロジェクトが本格始動し、RZ250は誕生しました。

ヤマハRD350

これはRZ250に先んじて9月のパリモーターショーで先行発表された350版なんですが、車名は先代から引き続きRDでした。

ではなぜ日本だけRZなのかというと

「TZのレプリカなんだから絶対にZの名前を付けたほうがいい」

という声が社内であったから。そんなRZ250はRD350から一ヶ月ほど遅れて東京モーターショーにて登場。

ヤマハRZ250

35馬力で139kgという驚異的なカタログスペックに加え、コンチネンタルハンドルと従来よりも後方に付いているステップによる前傾ポジション。更には真っ黒いエンジンや跳ね上がった多段チャンバーに流線形の新型キャストホイールなど、当時の市販レーサーTZ250を彷彿させる佇まいに、多くの若者が釘付けとなりました。

4L3

そして実際に走らせてもRZ250は速かったわけですが、多くの人が魅了されたのは実際の速さというよりも狭いパワーバンドに入った瞬間痛快に弾けるコテコテの古典的な2stらしい速さというか加速感でした。こうなったのはもちろん開発チームが2stにプライドを持ち、市場のトレンドに一切媚びなかったから。

そんな時代を逆行するような造りに対し、闘争本能が消えかけていたユーザーの心に再び火が付きヤマハの想定を大幅に超える大ヒット。

2stクオーターの存在価値を市場に知らしめると共に、もうお終いと言われていた2st市場を再び熱く燃え上がらせる『RZショック』とよばれる大どんでん返しのような事態を招きました。

ちなみにRZ250の車体設計を担当した橋本さんも後にこう仰っています。

最初は、金平糖のようにカドが立って個性的だった2ストロークエンジンが、いつの間にか丸いアメ玉のようになりかけていた。そんな時、RZがかつての金平糖らしい個性を持って現れ、それに気づいた他社も再び個性のある2ストロークモデルで対抗してきてくれた。あの時、他社が追いかけてこなかったら、おそらく、RZは本当に最後の2ストロークスポーツになってしまったでしょうね。

RZ250開発ストーリー|ヤマハ発動機
4L3カタログ写真

RZ250が大ヒットを飛ばし、そして名車として今も多くの人に鮮明に覚えられているのはこういった時代背景があったからなんですね。

RZ250のモデルチェンジ概要

RZ250R(29L) -since 1983-

RZ250R/29L

フロントのダブルディスクとビキニカウルが特徴的な初代モデルに負けずとも劣らない人気を誇った二代目のRZ250R/29L型。

リアをディスクブレーキ化しサスペンションも現代的なリンク式に変更。

YPVS

エンジンにも全面的に改良され、排気干渉を防ぐレース直系のYPVSも備わった事で一気に8馬力アップの43馬力にまで向上しました。

RZ250RR(51L) -since 1984-

RZ250RR/51L

フレームマウントのカウルが装着されたモデル。ちなみにアンダーカウルは別売り。

カウルが付いただけかと思いきやエンジンポート、パワージェットキャブ、チャンバーの見直しにより2馬力アップすると共に、フロントフォークやスイングアームそれにタイヤサイズも変更し剛性アップを図るなど数々の改良が施された。ハンドルバーがアルミ鍛造のセパハンになったものこのモデルから。

RZ250R(1AR) -since 1984-

RZ250R/1AR

RZ250RRから半年遅れて登場した丸目ネイキッドスタイルのRZ250R/1AR型。タンデムバーやセンタースタンドが廃され身軽さを演出。なにげにシートもコーナリング時の姿勢を考慮した新型のものに。

RZ250R(1XG) -since 1986-

RZ250R/1XG

次に紹介するモデルが登場した後に併売されたのがこの1XG型。

加速を良くするためにキャブレターを変更したほか、クラッチやパッキンなど細かい部分の改良が入り、車体の方もタンクやカウルなど外装も変更したことで7kgもの軽量化に成功。

RZ250R(3HM) -since 1987-

RZ250R/3HM

最終モデルにあたる1988年のRZ250R/3HM。

前後17インチ化やデジタル制御のCDI点火などに変更。ハンドルも一新されました。

主要諸元
全長/幅/高 4L3:2080/740/1085mm
29L:2095/710/1170mm
51L:2095/670/1190mm
1AR・1XG:2095/690/1070mm
3HM:2070/665/1065mm
シート高 4L3・29L・51L・1AR:790mm
1XG:
3HM:
車軸距離 4L3:1355mm
29L・51L・1AR・1XG・3HM:1385mm
3HM:
車体重量 4L3:139kg(乾)
29L:145kg(乾)
51L:147kg(乾)
1AR:143kg(乾)
1XG:136kg(乾)
3HM:136kg(乾)
燃料消費率 4L3:37km/L
29L:40km/L
51L:-
1AR:-
1XG:-
3HM:-
※定地走行テスト値
燃料容量 4L3:16.0L
29L・51L・1AR:20.0L
1XG・3HM:17.0L
エンジン 水冷2サイクル二気筒
総排気量 247cc
最高出力 4L3:35ps/8500rpm
29L:43ps/9500rpm
51L・1AR・1XG・3HM:45ps/9500rpm
最高トルク 4L3:3.0kg-m/8000rpm
29L:3.4kg-m/8500rpm
51L・1AR・1XG・3HM:3.5kg-m/9000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 4L3:前3.00S18-4PR|後3.50S18-4PR
29L・51L・1AR・1XG:前90/90-18|後110/80-18
3HM:前100-80-17|後120-80-17
バッテリー 4L3・29L・51L・1AR:12N5.5-3B
1XG・3HM:YB5L-B
プラグ 4L3:B8HS
29L:B-8ES
51L・1AR: BR8ES
1XG・3HM:BR9ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
4L3・29L:1.6L
51L・1AR:1.7L
1XG・3HM:1.5L
スプロケ 4L3:前16|後41
29L:前16|後40
51L・1AR・1XG・3HM:前16|後41
チェーン 4L3:サイズ530|リンク102
29L・51L・1AR・1XG・3HM:サイズ520|リンク108
車体価格 4L3:354,000円
29L:399,000円
51L:439,000円
1AR・1XG・3HM:399,000円
系譜図
YD1 1957年
YDシリーズ
YDS-1 1959年
250S/YDSシリーズ
dx250 1970年
DX250/PRO
(280/352)
RD250 1973年
RD250
(361~3N4)
4L3 1980年
RZ250/R/RR
(4L3/29L/1AR/1XG/3HM/51L)
1KT 1985年
TZR250
(1KT/2XT)
3MA 1989年
TZR250/SP
(3MA)
R1-Z 1990年
R1-Z
(3XC)
3XV 1991年
TZR250R/SP/RS/SPR
(3XV)

SR400(1JR/3HT)SR500(1JN/3GW)-since 1985-

四代目SR400

「深化。」

SR史上最大のヒットとなった四代目のSR400/1JRとSR500/1JN型。

主な変更としては、エンジンが再び見直されガスケットのメタル化とカムチェーンのアルミ化でオイルにじみを改善。

1JR

ロッカーアームに焼結チップを採用し、カムにもバーコリューブライトという表面処理をすることで耐摩耗性を更に向上。

ガソリンタンクも2Lアップの14Lとなり、ポリッシュからアルマイト加工の中空アルミリムの前後18インチに変更、サイドスタンドも鍛造になり信頼性と質感を向上。

しかし・・・一番は何と言ってもディスクブレーキからドラムブレーキへの変更ですね。

1JRカタログ写真

おまけにフロントフォークブーツを装着し、ポジションもバックステップ&ハンドル化で前傾気味に。

もはや回帰を通り越して退化と呼べるような変更で一気にトラディショナル感溢れるモデルへとなりました。

ドラム化しても制動距離がディスク時代から変わっていない事にメーカーの意地を感じますが、こうなった事には賛否両論ありました。

1984SR400

今と違ってSRを軽快な街乗りトラッカーとして評価している人たちや、自分たちでトラディショナルにしたいと考えていた人たちが居たからです。

しかし、こうなってほしいと願ったのもまた同じSRユーザー。

1992SR400スペシャルエディション

その声に応えた形となったこの1JR/1JN型は順調に販売台数を増やしていきました。

その人気は目を見張るものがあったため、遂に競合車が現れる様になりトラディショナル(カスタム)ブームが到来。

SR500/1JN

このトラディショナル(カスタム)ブームは本当にSRを救ったと言えるでしょう。

SRはもともとSRXにバトンタッチして終わる予定だったものの、社内から残すべきだという声が多かった事から存続する事になった経緯があるからです。

じゃあそんなブームが訪れた中でSRが生き抜くために何をやったかというと

【1988年(3HT1/3GW1)】

・カムを4度遅らせてマイルドに

・キャブを強制開閉式から負圧式に

・エアクリーナーボックスを拡大

・チェーンを428へダウンし騒音規制に対応

【1991年(3HT3/3GW3)】

・タンクを多重クリアのミラクリエイト塗装に

【1993年(3HT5/3GW4)】

・MFバッテリー化

・CDIや点火コイルの改良

【1994年(3HT6/3GW5)】

・セミエアフォーク廃止

・タンデムベルト廃止

・ACジェネレーターの改良

などなどブームが来ているジャンルとは思えないほどの小変更だけ。それでも1996年には約9000台とSRとしては最大の販売台数を記録。

SR20周年

時代が来よう来まいと、売れようと売れまいとSRはずっとSRのまま。

ヤマハのSRに対するぶれない姿勢はこのモデルで固まったと言えるんじゃないかと。

主要諸元
全長/幅/高 2085/735/1080mm
シート高 790mm
車軸距離 1410mm
車体重量 153kg(乾)
[153kg(乾)]
燃料消費率 47.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 14.0L
『12.0L』
エンジン 空冷4サイクルSOHC単気筒
総排気量 399cc
[499cc]
最高出力 27ps/7000rpm
[32ps/6500rpm]
最高トルク 3.0kg-m/6500rpm
[3.7km-m/5500rpm]
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.50S18
後4.00S18
バッテリー YB7L-B
<GT4B-5>
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BP6ES
{BPR6ES}
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.4L
交換時2.0L
フィルター交換時2.1L
スプロケ 前16|後47
{前19|後56}
チェーン サイズ530|リンク106
{サイズ428|リンク130}
車体価格 399,000円(税別)
[430,000円(税別)]
※スペックは1JR
※[]内はSR500(1JN)
※{}内は88年以降
※<>内は93以降
※『』内は96以降
系譜図
XT500 1976年
XT500
(1E6)
2H6 1978年
SR400(2H6)
SR500
(2J3)
3X6 1979年
SR400/SP
(3X7/3X6)
SR500SP
(3X4)
34F 1983年
SR400/SP
(34F/34E)
SR500/SP
(34A/33Y)
1JR 1985年
SR400
(1JR/3HT)
SR500
(1JN/3GW)
RH01 2001年
SR400
(RH01J)
RH03 2010年
SR400
(RH03J)
RH16J 2018年
SR400
(RH16J)

SR400/SP(34F/34E)SR500/SP(34A/33Y)-since 1983-

三代目SR400

「伝統のビッグシングル」

スポークホイールモデルとキャストホイールモデルを併売する形となった三代目のSR400/SP(34F/34E)とSR500/SP(34A/33Y)型。

併売と言ってもキャストホイールのSPモデルは初年度だけ(一ロッドだけ)で生産終了。

どんだけ人気無いんだよって話ですが、それよりもSRとしては初めて大きく手が加えられたモデルで

・フロントフォークのセミエア化

・シールチェーン

・ハロゲンヘッドライト

・ラバーマウントウィンカー

・オイルライン/フローの見直し

・ピストンとヘッドバルブの変更

などの改良。

SR400/34F

そんな中でも大きいのがオイルラインの見直しで、それまでインテーク側からだったオイルをエキゾースト側へ優先的に送るオイルパイプを新造し偏摩耗対策を強化。

合わせてピストンリングやカムチェーン等にも手が加えられ、大幅に信頼性が向上しました。

そしてもう一つ紹介しておかないといけないのが7周年を記念して出された限定カラーのSR400LTDというモデル。

7周年記念モデル

ギター等によく使われるサンバースト塗装(グラデーションぼかし)が施されているのが特徴。

このれが非常に好評でこの後も

「SRの限定カラーと言えばこれ」

と言われる程の代名詞カラーになりました。

「そんな人気カラーなら常備させればいいのに」

と思うかも知れませんが、これが限定であることには意味があるんです。

SR400S

このサンバースト塗装というのは職人がマスキングから塗装まで一つ一つ手作業で仕上げているから大量に造ることが出来ない。

だから限定カラーというわけ。限定のための限定ではなく、数を出せないから限定なんです。

SR400LTD

ちなみにSR400として初めて音叉マークを付けたモデルでもあるんですが、実はこれヤマハのバイク全体で見ても1965年のYA-6(旧音叉マーク)以来の事。

今でこそ珍しくない音叉マークですが、タンクエンブレムとして復活させたのはSRだったりします。

ただし実はSRはこの頃もう売れ行きがあまりよろしくなかったようで、後継の話が進んでいました・・・そうして開発されたのがSRXというモデル。

「決して多くない人たちへSRX-6(1JK~)SRX-4(1JL~)|系譜の外側」

SRXについては上記のページをどうぞ。

主要諸元
全長/幅/高 2105/750/1110mm
[2105/845/1095mm]
シート高 810mm
車軸距離 1410mm
車体重量 158kg(乾)
[161kg(乾) ]
燃料消費率 44.0km/L
[45.0km/L]
※定地走行テスト値
燃料容量 12.0L
エンジン 空冷4サイクルSOHC単気筒
総排気量 399cc
[499cc]
最高出力 27ps/7000rpm
[32ps/6500rpm]
最高トルク 3.0kg-m/6500rpm
[3.7km-m/5500rpm]
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.50S19
後4.00S18
[前3.25S19
後4.00S18]
バッテリー YB7L-B
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BP6ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.4L
交換時2.0L
フィルター交換時2.1L
スプロケ 前16|後47
チェーン サイズ530|リンク106
車体価格 310,000円(税別)
[365,000円(税別)]
※[]内はSP
※SR500は+31,000円
系譜図
XT500 1976年
XT500
(1E6)
2H6 1978年
SR400(2H6)
SR500
(2J3)
3X6 1979年
SR400/SP
(3X7/3X6)
SR500SP
(3X4)
34F 1983年
SR400/SP
(34F/34E)
SR500/SP
(34A/33Y)
1JR 1985年
SR400
(1JR/3HT)
SR500
(1JN/3GW)
RH01 2001年
SR400
(RH01J)
RH03 2010年
SR400
(RH03J)
RH16J 2018年
SR400
(RH16J)

XTZ750 SUPER TÉNÉRÉ(3LD/3TD/3VA)-since 1989-

1989スーパーテネレ

「THE SPIRIT OF ADVENTURE」

ヤマハのアドベンチャーとして有名なスッテネことスーパーテネレ。その始祖となるのが1989年に登場したこのXTZ750 SUPER TÉNÉRÉです。

「そもそもTénéréって何」

という話ですが、これはサハラ砂漠の南西にあるテネレ砂漠のこと。

テネレ砂漠

トゥアレグ語で

「何もない」

という意味を指す言葉。

何でそんな地名を付けたのかというと文字通りこのテネレ砂漠というのは有名なパリダカ(ダカールラリー)の中で障害物が何もない事による高速走行ステージだから。

つまりSUPER TÉNÉRÉという名前には

「カッ飛んで行けるアドベンチャー」

という意味が込められているわけです。

ところで少し話が反れますがヤマハは第一回パリダカの王者だったりします。

XT500改

XT500をベースとしたこのXT500改で二輪四輪の区分すら無かった第一回パリダカにおいてワンツーフィニッシュ。

更に第二回では表彰台独占という快挙を成し遂げました。ただし、この頃はまだテネレという名前は付いていません。

じゃあtenereという名前が最初につけられたのはいつかといえばそれから約4年後となる1983年の事。

XT600テネレ

XT500(XT550)の後継として発売されたXT600Ténéréが始まりです。

しかし・・・実はこの頃になるとヤマハはパリダカで苦戦を強いられていました。

というのもパリダカで二気筒の優位性が高まりシングルしか持っていなかったヤマハは打つ手が無かったから。

そんな現状を打開したのが第一回優勝からちょうど10年後となる1989年に登場したこのバイク。

XTZ750スーパーテネレカタログ

「テネレには夢とロマンの歴史がある。アドベンチャーは常にヤマハがリードすべき」

ということでそれまでのテネレとは別に二気筒化したのがスーパーテネレ。

XTZ750FEATURES

「悪路も長時間走行もハイスピード巡航も街中も出来る性能」

という欲張りすぎるコンセプトを実現するため

・360度クランク水冷5バルブ2気筒

・ダブルクレードルフレーム

というワンクラス上の車格を持ったマシンに。

更に翌年にこれをベースに800ccまで排気量を上げたYZE750T Super Ténéréで出場。

YZE750

当初の目標通り二年目となる1991年に10年ぶりとなる優勝を勝ち取りました。

しかもただ優勝しただけではなく

『市販車ベースにも関わらず圧倒的な速さで1~3位を独占』

という快挙を成し遂げる形での大復活で、更にそこから前人未到の三連覇という文句のつけようが無い戦績。

このわずか数年で圧倒的な速さを持つスーパーテネレを造れたのにはワケがあります。実はこのスーパーテネレのエンジンの発端はバギーにあるんです。

スーパーテネレエンジン

このエンジンを造った山中さんは初代5バルブであるFZ750のエンジンも造った方なんですが、その後バギー部門に移動となりバギー用エンジンを造っていた。

しかしそのプロジェクトがお蔵入りとなり

「せっかく開発したエンジンが勿体ない」

という事で半分に割って流用する形から発展させ出来たのがスーパーテネレの5バルブ二気筒エンジンなんです。

ちなみにスーパースポーツでお馴染みの主要シャフトの三角形配置によるエンジンのコンパクト化という手法を初めて取り入れたも実はスッテネだったりします。

XT750スーパーテネレ

ある意味ではバギーがお蔵入りしたからこそ出せた名車であり、だからこそパリダカ三連覇を成し遂げるほどのポテンシャルを備えることが出来たというわけですね。

主要諸元
全長/幅/高 2285/815/1355mm
シート高 865mm
車軸距離 1505mm
車体重量 195kg(乾)
燃料消費率 38.7km/L
※WMTCモード値
燃料容量 26.0L
エンジン 水冷4サイクルDOHC2気筒
総排気量 749cc
最高出力 70ps/7500rpm
最高トルク 6.8kg-m/6750rpm
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前90/90-21(54H)
後140/80-17(69H)
バッテリー YB14L-A2
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
DPR8EA-9
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量4.2L
スプロケ 前16|リア46
チェーン サイズ520|リンク112
車体価格
※国内正規販売なしのため
系譜図
XTZ750 1989年
XTZ750SUPER TÉNÉRÉ
(3LD/3TD/3VA)
TDM850前期 1991年
TDM850
(4EP/3VD)
XTZ850R 1995年
XTZ850R/TRX
RDM850後期 1996年
TDM850
(5GG/4XT)
TDM900 2002年
TDM900/A
(5PS/2B0)
XT1200z 2010年
XT1200Z
SUPER TÉNÉRÉ
(23P)
XT1200ze 2014年
XT1200ZE
SUPER TÉNÉRÉ
(2BS/2KB)

XT225 SEROW(3RW) -since 1989-

XT225SEROW-3RW

「大自然を旅するものへ」

二代目となる3RW型。

・バッテリー容量を倍の6Ahに

・タンク容量を7.6Lから8.8Lに

・サスペンションを見直し

・シート厚もアップ

・ハンドル幅を20mmショート化

3RWフューチャマップ

他にもリアフートレストフレーム懸架や、エンジンのシルバー塗装やステンレス製エキパイなどなどの変更が加わっているんですが・・・二代目の一番大きな変更点はなんと言っても

「セルスターターが付いたこと」

です。

セローが独自の立ち位置を持てたのはこの変更があったからと言っても過言ではないです。

二代目セロー

今でこそオフモデルもセル付きが珍しくないんですが、最初に言ったように当時はオフもカリカリが主流だった。

だからセルスタートなんて除外要素以前にまず有り得ない装備。

何故ならセルスターターを付けるということはセルモーターに加えジェネレーターも大きくしないといけない。つまり重くなってしまうから。

ちなみにこのセル案は初期型の時点からあったんですが初代では見送られていました。

3RW

二代目になって付けることになったのはセローの企画を了承してくれた重役の人が

「このままでもシングルヒットだけどセルを付けたら三塁打になる」

と言ったから。

その狙いは見事に的中し、3RW型は三塁打どころかホームランと言えるほどのヒットを飛ばす事に。

1990SEROW広告

どうしてこれがウケたのかと言えば安心してエンストできるから。

キックがし難い足場の悪い道でのエンストでもセルスターターがあれば安心して再始動する事ができる。

二代目SEROW広告

このセルスターター装備によるヒットというのは

「どんな道も安心して進める二輪二足」

というセローのコンセプトを分かりやすく表す装備であり、コンセプトが間違いではなかった事を示す結果となったわけですね。

※1991年
昼間自動点灯、バッテリー点灯方式、3相ACM、トランジスタ式フラッシャーリレー

※1992年
ハンドルスイッチ変更、グリップ材変更

主要諸元
全長/幅/高 2070/800/1160mm
シート高 810mm
車軸距離 1350mm
車体重量 106kg(乾)
燃料消費率 60km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 8.8L
エンジン 空冷4サイクルSOHC単気筒
総排気量 223cc
最高出力 20ps/8000rpm
最高トルク 1.9kg-m/7000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前2.75-21-4PR
後120/80-18(62P)
バッテリー GTX7L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
DR8EA
推奨オイル ヤマハ純正エフェロ
SJ/SG/SF
(10W-30から10W-40)
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.3L
交換時1.0L
フィルター交換時1.1L
スプロケ 前15|リア45
チェーン サイズ428|リンク120
車体価格 339,000円(税別)
系譜図
XT2001982年
XT200
(23J/47J)
セロー225-1kh/1rf/2ln1985年
XT225SEROW
(1KH/1RF/2LN)
セロー2253RW1~41989年
XT225SEROW
(3RW)
セロー225-3RW5/4JG1~41993年
SEROW225W
(4JG)
セロー225-5MP2000年
SEROW225WE
(5MP)
セロー250-DG112005年
SEROW250
(DG11J)
セロー250-DG172008年
SEROW250
(DG17J)
セロー250-DG312018年
SEROW250
(DG31J)

XT225 SEROW(1KH/1RF/2LN) -since 1985-

初代SEROW

「THE HEART OF WILDERNESS」

1985年に登場した初代セローことXT225SEROW/1KH型。

当時はレーサーレプリカブーム真っ只中だったんですが、その一方でオフロードもヤマハの見立てで4万人ほどとそれなり人気ありました。

しかしこの頃のオフ人気というのはそんなレーサーレプリカに負けずとも劣らないほどスペック(コンペティション)路線が基本。

セローの生みの親である近藤さんも2stオフ部門で、DT200Rなどバリバリなモデルを造っていた人でした。

DT200R

何故そんな環境の人がセローを思いついたのかというと、アメリカのゴーマンというコースに開発中だったDT125を持っていった事がすべての始まり。

自慢のマシンだったもののテストではあまり評価が良くなかったんです。これは日本が想定するオフロードがモトクロスコースが基本なのに対し、ゴーマンではガレ場・川・獣道などあらゆる道がコースだったから。

そしてそんな難コースを、自身が憧れヤマハに入社するキッカケともなったDT1が絶対的な速度こそ無いものの軽快に走ってた。

DT1

それを見た近藤さんは

「速さじゃない、どんな道でも対応できてる多様性こそオフの本質だ」

と気付かされたわけです。

戻ってきた近藤さんは早速ゴーマンのように様々な道があるコースを新たに造ることに。

ITコース

ちなみにこの際に造られたITコース(トレールランド浜北)は今も開発コースとして使われています。

そしてオフの本質について悩んでいたある日、たまたまXT200に乗る機会が。

XT200とDT125

XT200は元々アメリカの女性向け小型4stトレールというコンセプトも開発チームも畑違いなトレールだったんですが、軽くて足つきも良くて取り回しが優れていた事から

「これこそ次世代のDT1と成りうる素質だ」

と明確な答えを見つけるわけです。

そうしてXT200の後継という形でセローのプロジェクトはスタート・・・したんですが、最初に言ったように当時はスペック至上主義時代。

セロープロトタイプ

「山をトコトコ気軽に楽しめるバイク」

なんて企画が通るはずも無く、何度出しても突き返される日々。

そこで近藤さんは奇策に出ます。

企画&商品化に関わるキーマンを集め

「次世代のXTを考える会」

として大小さまざまなオフ車を集め、山の頂上までバイクで走る検討会を開催。

そしてその中にシレッと勝手に造ったセローのプロトタイプを忍び込ませたわけです。

キーマン達はオフに慣れていない人が多く悪戦苦闘の連続・・・そして近藤さんの策略が見事にハマります。

セロープロトタイプ

みながセローのプロトタイプを取り合う様になったんです。理由はもちろん足つきや取り回しが良いから、気軽だからです。

この一件で

「速く登る事ではなく、登ることを楽しむ」

というコンセプトが理解され企画が通りました。

初代SEROW広告

セローの基本コンセプトは

『走る・曲がる・止まる・登る・下る』

それに加えて

『転ぶ』

です。

具体的には”低く・細く・軽く”を目標に掲げ、開発チームは試作機を持って山籠り開発の日々。

発売時のチラシ

転倒しても大丈夫なようにガードやグリップを付けよう。

Uターンしやすいようにハンドルのキレ角を大きくしよう。

足を付きながらでも登れる様に足着きを良くしよう。

そうして造られたのが今も続くマウンテントレールSEROWです。

1KTカタログ写真

特に足をつきながら登るという当時では考えられないそのライディングは後に『二輪二足』と呼ばれセローの代名詞にもなりました。

ちなみにカタログ写真のモデルはトライアル選手権2位の方を用意していたんですが、当時に高熱を出してしまったため急遽広告デザイナーだった米澤さんがモデルを担当する事になったんだそう。

あと言い忘れていましたがSEROWというのはヒマラヤカモシカの事です。

カモシカ

そしてセローのロゴがこれ。

奈良セロー

角の形をヒマラヤカモシカではなくただの鹿の形にしてしまうという痛恨のミス。某大学の人から指摘され判明しました。

オーナー達の間では奈良の鹿から取って”奈良セロー”とか呼ばれています。

セローロゴ

ちなみに翌年には直され歴代の展示でも無かった事にされたりしている様なので、セロー関係者にはあまり話を振らない方が良いかと思います・・・。

さて、そんなドラマとこだわりが込められたセローは華々しくデビューし大ヒットした・・・かというと実はそうでもなく、初年度は2051台と思ったほどのセールスではありませんでした。

発売時のチラシ

初動でコケるっていう絶対にあってはいけない売れ行き。

そんなバイクがまさか30年以上続くなんてこの時は誰も予想できなかったでしょうね。

1986年にはアルミブリッジハンドルや減衰力調整機構追加を追加したYSPリミテッドバージョンとなる1RF型が追加。

1987年には更にレスポンスをマイルドにするためにキャブをSU型に変更した2LN型にモデルチェンジされています。

主要諸元
全長/幅/高 2055/825/1160mm
シート高 810mm
車軸距離 1350mm
車体重量 102kg(乾)
燃料消費率 60km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 7.6L
エンジン 空冷4サイクルSOHC単気筒
総排気量 223cc
最高出力 20ps/8000rpm
最高トルク 1.9kg-m/7000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前2.75-21-4PR
後120/80-18(62P)
バッテリー GM3-3B
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
D8EA
推奨オイル ヤマハ純正エフェロ
SJ/SG/SF
(10W-30から10W-40)
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.3L
交換時1.0L
フィルター交換時1.1L
スプロケ 前15|リア45
チェーン サイズ428|リンク120
車体価格 329,000円(税別)
※スペックは1KH
系譜図
XT2001982年
XT200
(23J/47J)
セロー225-1kh/1rf/2ln1985年
XT225SEROW
(1KH/1RF/2LN)
セロー2253RW1~41989年
XT225SEROW
(3RW)
セロー225-3RW5/4JG1~41993年
SEROW225W
(4JG)
セロー225-5MP2000年
SEROW225WE
(5MP)
セロー250-DG112005年
SEROW250
(DG11J)
セロー250-DG172008年
SEROW250
(DG17J)
セロー250-DG312018年
SEROW250
(DG31J)