1988年度401cc~車種別販売台数TOP10

※逆輸入車は入っていません

第十位
VS750Intruder(-Since1985-)
販売台数727台

VS750

第九位
FZX750(-Since1989-)
販売台数740台

FZX750

>>FZX750の系譜

第八位
GPX750R(-Since1986-)
販売台数880台

GPX750R

>>GPZ750Rの系譜

第七位
V45 MAGNA(-Since1987-)
販売台数907台

マグナ750

第六位
XV750Virago(-Since1984-)
販売台数914台

XV750

第五位
CBX750F(-Since1983-)
販売台数1,076台

CBX750F

>>CBX750Fの系譜

第四位
SRX-6(-Since1988-)
販売台数1,756台

SRX600

>>SRXの系譜

第三位
GSX-R750(-Since1985-)
販売台数1,750台

GSX-R750

>>GSX-R750の系譜

第二位
CBR750スーパーエアロ(-Since1987-)
販売台数1,846台

CBR750

第一位
FZR750(-Since1988-)
販売台数1,881台

FZR750

参照:当時の月刊オートバイより

AF-1 125 (AF-1) -since 1986-

AF-1 125

「PROJECT 108」

日本でアプリリアといえばRSV4よりも有名だろうRS125(RS4)の始まりとなるバイクがこのAF-1 125。

ROTAX社製のエンジンを積んだ123ccのスーパースポーツ。

イタリアで125ccというのは日本でいう原付一種と同じ扱いなこともありカジバやデルビなどと共に争いを繰り広げていました。更に言うなれば国際レース(WGP125)まであったのでレース大好きイタリア人にとっては日本でいう1000や600と同レベルのカテゴリ。

カジバやデルビなどと切磋琢磨してたんですがそんな中でオフ車メインだったアプリリアがオンロードにも販路を開こうとして作ったロードレーサーがAF-1。そしてそのAF-1のレプリカモデルがAF-1 125というわけ。少しややこしいですが。

AF-1カタログ

これが大反響で、これ以降125スーパースポーツの熱が一気に加熱する事になりました。

これは欧州での出来事ですが、日本メーカーも躍起になって参入してました。この波に乗り遅れまいとNSR125やTZR125などで打って出たわけですね。

ちなみにAF-1は毎年のようにモデルチェンジしていて、晩年はアルミフレーム片持ちスイングアームという非常に美しい造形となりました。

AF-1FUTURA

そのルックスから

「これは125ccのRC30(VFR750R)だ」

という評判を得るにまで至ったみたい。

エンジン:水冷2サイクルクランクケースリードバルブ単気筒
排気量:123cc
最高出力:
25ps/10000rpm
最大トルク:
1.8kg-m/8000rpm
車両重量:120kg(乾)

AF-1

1987年
AF-1 125
(AF1)

R125EXTREMA

1991年
RS125
(Gs)

RS125MP型

1995年
RS125
(Mp)

RS125SF型

1999年
RS125
(SF)

RS125Py型

2006年
RS125
(Py/RD/RM)

RS4 125

2011年
RS4 125

TORNADO1200BONNEVILLE -since 1987-

ヨシムラ1200ボンネビル

吉村秀雄の話で終わる予定だったのですが、コンプリートマシンのリクエストがあったので一緒に掲載しておきます。

YOSHIMURAが一番最初に出した公道用コンプリート車両がトルネード1200ボンネビル。
ヨシムラのTT-F1で培ったチューニングのノウハウが詰まったキットパーツをフル装備したスペシャルマシン。

1200ボンネビル

初期型GSX-R1100をベースにボアアップ、ミクニ製マグネシウムキャブ、ヨシムラ製カムシャフト、ポートをコンマ00レベルまで揃える研磨、ヨシムラチューニングのショーワサスにマルケジーニとニッシンキャリパー、そしてマフラーはもちろんヨシムラのチタンサイクロン。

馬力は160馬力で最高時速は291km/hで車重は僅か179kg。

お値段500万・・・RC30が148万だったのを考えると凄い。でも3台製造されたとか。

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 179kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 18.0L
エンジン 油冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 1108cc
最高出力 160ps/10500rpm
最高トルク 13.0kg-m/7500rpm
変速機
タイヤサイズ
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格
系譜図
POP吉村

1923年~
神の手を持つ男 吉村秀雄

トルネード1200ボンネビル

1987年
TORNADO1200BONNEVILLE

ハヤブサX1

2000年
HAYABUSA X1

カタナ1135R

2001年
KATANA1135R

トルネードS1

2002年
TORNADO S-1

M450R

2003年
M450R

トルネード3零50

2005年~
TORNADO3 零-50

1198series -since 2009-

1198

わずか二年で無印の1098も1198へクラスアップ。

目立つ変更点といえば何処よりも速くトラクションコントロールを搭載した事。

※Sモデルのみで末期には無印も装備

DTC

DTC(ドゥカティ・トラクション・コントロール)という装備で八段階調整。

世界で絶賛された1098を引き継ぐ無難な展開で相変わらず人気だったんですが、ここで少し転機が訪れます・・・それはSBKからの(ワークス)撤退です。

DUCATI2009

要因となったのはリーマン・ショックによる不況。

ドゥカティは2002年からMotoGPにも参戦していたんですが、不況による業績悪化から予算をイケイケだったMotoGPに絞る決断をしました。

DUCATI ケーシー・ストーナー

更に2012年にはアウディ傘下に。

アウディはVW傘下だから

【VW&ポルシェ】>【ランボルギーニ&アウディ】>【ドゥカティ】

という事になりますね。

ドゥカティを孫扱いするVW恐るべし。

1198S

さて・・・もうグレードの違いを書くのも面倒臭くなってきたのでソコらへんは各々で調べてもらうとして少し小話をします。

日産のGT-Rを造った水野さんという方がこんな話をされていました。

GT-R

「ブランドは武器だけど、時代の進化を止めてしまうという恐ろしさも持っている。」

これは水平対向RRにこだわる某メーカーに対しての発言だったんですが、これはドゥカティにも同じことが言えると思います。

・Lツイン

・デスモドロミック

・トラスフレーム

・片持ちスイングアーム

・乾式クラッチ

・ピボットレス

そして

・916を継承したデザイン

1198ディメンション

ドゥカティが工業製品として見たときにお世辞にも優れた物とは言えないにも関わらず、人気があって売れるのはこういった芸術性というかブランドがあるからでしょう。

例えばその一つであるLツイン。

単純にレースで勝つためだけを考えればLツインなんて捨てて直四なりV4なりにしたほうが遥かに良い話。

元々Lツインというのは一番熱くなるヘッドを効果的に冷やすため、つまり空冷時代に生まれたアイディア。

Lツイン

しかし時代は水冷、そうなるとL型のデメリット”前輪荷重不足”が顕著に目立つようになる。

V型の弱点は前輪荷重が不足しがちになってしまう事。これは前方に伸びるシリンダーのせいでクランクを前に寄せられないからです。

L字二気筒

ましてほぼ前方に伸びるL型になると尚の事エンジンを前に寄せられない。

どんどんビッグボアショートストロークになっていったのも、リア周りにカーボンやマグネシウムなどを奢っているのも前輪荷重割合を少しでも増やすため。

それでも一番重いエンジン(クランク)が寄せられないので限界がある。

1198SP

「ドゥカティはハンドリングが独特で難しい」

って聞いた事があると思います。これがその現れ。

良く言えばハンドリングが軽い、悪く言えばフロントがおぼつかず曲がり難い。

でもLツインを始めとしたそれらがブランドに直結しているから簡単には止められない。定石を外してしまうと999の二の舞どころか、それ以上になるのは目に見えているわけですから。

1198R

「ブランドが進化を止めてしまう」

というのはこういう事。

反対に日本車は多気筒が良いと分かれば多気筒化し、V型が良いと分かればV型にも簡単に変える身軽さを持ってる。

でもその代償としてドゥカティの様な付加価値は付かないし築かれない。

一概にどちらが良くてどちらが悪いと言えないですよね。ブランドって難しい。

1198

まあでも一つ言えるのはドゥカティのスーパーバイクは高級車の部類に入るから

「日本車と違って贅沢で自由に造れるからいいよな」

と思われがちだけど、速いだけでは許されない制約の多さに実は一番苦悩しているのではないかと。

エンジン:水冷4サイクルDOHC L型二気筒
排気量:1198cc
最高出力:
170ps/9750rpm
最大トルク:
13.4kg-m/8000rpm
車体重量:171kg(乾)
※スペックはEU仕様

種類一覧
ドゥカティ851シリーズ1988年
851 SERIES
ドゥカティ888シリーズ1991年
888 SERIES
ドゥカティ916シリーズ1993年
916 SERIES
ドゥカティ996シリーズ1999年
996 SERIES
ドゥカティ998シリーズ2002年
998 SERIES
ドゥカティ999シリーズ2003年
999 SERIES
ドゥカティ1098シリーズ2007年
1098 SERIES
ドゥカティ1198シリーズ2009年
1198 SERIES
1199パニガーレ2012年
1199Panigale
1299パニガーレ2015年
1299Panigale
パニガーレV42018年
Panigale V4

851series -since 1987-

851

「最高の90°Vツインを造れ」

これがスーパーバイクシリーズの始まり・・・ですが、その前に851に至るまでの経緯をざっくり紹介しようと思います。

元々ドゥカティというのは1922年にボローニャにいたアドリアーノ、ブルーノ、マルチェロの三兄弟が創設したのが始まりです。

創業者

最初はラジオのコンデンサーを造っていた会社から始まり、第二次世界大戦中はカメラなどまで手がける電機メーカーに。

1953年まで

そして戦後からは自転車向けエンジンを造るようになったんですが、それが人気を呼びバイク事業が大幅に拡大したことで分社化。

クッチョロ

そこから完成車を造るようになったわけですが、天才エンジニアが入社した事でドゥカティは大きく飛躍することとなります。ファビオ タリオーニ

『ファビオ・タリオーニ』

ベベルギア、そして市販車として初めてデスモドロミックを採用するなどの手腕を発揮し、ドゥカティは一躍レース常勝メーカーになりました。

ちなみにフェラーリの創始者であるエンツォ・フェラーリとは創業前からの友人。ドゥカティとフェラーリの関係はこの頃からのものなんですね。

そんなドゥカティですが

『ドカといえばデスモドロミックLツイン』

というイメージを持たれている方が多いと思います。

じゃあこの系譜というか流れがいつから出来たのかというと、Lツインが始まったのは1970年に出たドゥカティ初の大型でもある750GTというモデル。

750GT

ベベルギア駆動が特徴的で、第一世代もしくはベベル世代と言われています。

更にそこからレースで培ったデスモドロミックを投入したのが1974年の750SS DESMOというモデル。

750SS

これが今も続くデスモドロミックLツインの始まりです。

ちなみにこれの発展形である900SSベースのNCR900TT1でマン島TT優勝を飾り、その記念として出されたのが900MHR。

900MHR

MHRというのはライダーだったマイク・ヘイルウッドのレプリカという意味。

あまりの人気っぷりから常駐ラインナップとなったベベルデスモ世代を代表する名車です。

ここで少しデスモドロミックについて簡単に説明すると、デスモドロミックというのはエンジン(燃焼室)の蓋であるバルブ開閉機構の事。

通常の4stエンジンはオニギリの様なカムが回ってバルブを押して開き、縮んだスプリングの戻る力で閉じるポペットバルブ式になっています。

バルブスプリング

対してデスモドロミック式は開くのも閉じるのもカム。カムの力で押し開いて、カムの力で持ち上げて閉じる。

デスモドロミック

これによるメリットはバネに起因するバルブサージングといった問題が起きず回転数を上げられる事。

バルブサージングというのは先に挙げたポペットバルブ式のバネがカムの動きについて行けなくなってしまうこと。

ちょっと乱暴に分かりやすく例えると、最近のドアはドアクローザーがあるので勝手に閉まるじゃないですか。

ドアクローザー

でもそのかわりこれがあるせいで速く閉めるのは難しい。

戻る力を強くすればいいと思いますが、そうすると今度は押す際に凄く力がいるので大きな疲労(損失)に繋がる。

デスモドロミックエンジン

「だったらクローザに頼らず自分で開閉すれば速くて確実だ」

ってのがデスモドロミック。

じゃあなんでドゥカティしかデスモドロミックを採用していないのかというと、カム構造が複雑化してコストが増す事とバルブクリアランスがシビアで定期的な調整が必要になるから。

このためドゥカティは定期的なバルブクリアランス調整が必要になります。15,000km前後※車種による

コグドベルト

ドゥカティはその後、1979年にベベルギアよりもコンパクト&軽量なコグドベルト(歯付ベルト)方式のエンジンを開発。

パンタ(PANTAH)と銘打たれ、長く愛された有名なエンジンです。

500SL

これがそのエンジンを初めて採用した500SLというバイク。

言い忘れていましたがドゥカティは500SSからずっとレースをしています。

TT2

これはそのパンタエンジンベースのレーサーTT2。欧州のレースにおいて敵なしでした。

そしてドゥカティは

『レースマシンを市販車として出す』

という正にレーサーレプリカの様な姿勢を守り続けています。

750F1

それはもちろんTT2でも例外ではなく、市販車として1985年に登場したのがこの750F1というバイク。

パンタレーサーレプリカであり、F1という名前が付いている通り市販車レースTT-F1を強く意識したモデルでした・・・が、実は750F1は別のレースでも大活躍。

それはBOTT(バトルオブザツイン)と呼ばれるアメリカの二気筒レース。ここにドゥカティワークスが750F1を引き下げて登場し、圧倒的な速さでタイトルを総ナメ。

TT2

ちなみにこの事に我慢ならなかったハーレーオーナー達が動き、誕生する事となったのがビューエルです。

そこらへんはビューエルの系譜でどうぞ。

ドゥカティ748IE

これはその750F1ベースの世界耐久選手権TT-F1レースマシン748IE。

そしてそして・・・1988年、ここでやっと登場するのがスーパーバイクの始まりである748IEの市販車版851です。

ドゥカティ851

だいぶ引っ張ってしまって申し訳ないです。

748IEと同じ水冷4バルブLツインエンジンである”デスモクアドロ”を積んでいる正にレーサーレプリカ・・・でも向こうでは”レーサーレプリカ”って言葉(定義)は無いんだそう。面白いですね。

851の内部

デスモドロミック+クアドロ(4=4バルブ)=デスモクアドロ。

そんな851ですが

「公道で乗れちゃうレーサー」

として非常に高い人気を呼びました。

ちなみに系譜のタイトルである”スーパーバイク”という名前は皆さんご存知SBK(TT-F1の後釜)から来ています。

Superbike851

この851が造られたのは、そのスーパーバイクが始まるという情報を睨んでという狙いもありました。

ドゥカティとスーパーバイクレースの切っても切り離せない関係はここから始まる事となります。

ちなみにドゥカティのことさらスーパーバイクシリーズは毎年のように年次改良やSPモデルが登場するので区切り方が難しいのですが、ここではナンバリングで区切っています。

※851の簡易版モデルチェンジ歴

【1989年モデル】

圧縮比を高め105馬力になりFIをデュアルからシングル化。

ホイールを前後16から17インチ化など車体も大幅に見直し。

SP1とボアを2mm拡大し888ccとしたCORSA(公道走行不可)を販売。

【1990年モデル】

89年SPと同じ給排気のチューニングが入り、FIが再びデュアル化。

オイルクーラーが追加され、一人乗りから二人乗りへ。

SPモデルは一人乗りのままでアルミシートフレームになり、前後オーリンズを装備。

【1991年モデル】

サスペンションが前後マルゾッキから前ショーワ、後オーリンズに変更された他、細部の熟成を図ったモデル。

SPモデルも細部の熟成とミラーを変更。

【1992年モデル】

給排気系が見直された851の最終モデル。

888コルサ(レーサー)のパーツを奢った888SPSを販売。

エンジン:水冷4サイクルDOHC L型二気筒
排気量:851cc
最高出力:93ps/9600rpm
最大トルク:7.2kg-m/7000rpm
車体重量:199kg(乾)
※スペックは初年度のストラーダ(公道の意味)

種類一覧
ドゥカティ851シリーズ1988年
851 SERIES
ドゥカティ888シリーズ1991年
888 SERIES
ドゥカティ916シリーズ1993年
916 SERIES
ドゥカティ996シリーズ1999年
996 SERIES
ドゥカティ998シリーズ2002年
998 SERIES
ドゥカティ999シリーズ2003年
999 SERIES
ドゥカティ1098シリーズ2007年
1098 SERIES
ドゥカティ1198シリーズ2009年
1198 SERIES
1199パニガーレ2012年
1199Panigale
1299パニガーレ2015年
1299Panigale
パニガーレV42018年
Panigale V4

RS1200 -since 1989-

RS1200

先代RR1000/1200が元々レースマシンで実用性に乏しかった事から、公道向け作られたビューエルの二作目RS1200WEST WIND。

RR1200と同じエンジンを積んでいるものの、快適性を考え熱対策はもちろんポジションも優しく改良。

最大の特徴はリトラクタブル式になっているタンデムシートカウル。ヒンジが付いていてパカっと開き背もたれになる。

RS1200WW

なんでこんな機能を付けたのかというと、昔エリックが彼女を後ろに乗せて走っていた際にウィリーをしたところ、彼女が後ろに転げ落ちた事があったからだとか・・・。

後からシングルシート仕様の上位モデルRSS1200も追加されました。

RSS1200WW

ちなみにハーレーのエンジンということで90年にXLH1200が五速に変更されると、RS1200も合わせて五速のRS1200/5に変更。

エンジン:空冷4サイクルOHV二気筒
排気量:998cc
最高出力:
74ps/6500rpm
最大トルク:
9.9kg-m/4500rpm
車両重量:195kg(乾)

系譜図
エリックビューエル 創業者
Erik Buell
RR1000/1200 1986年
RR1000/1200
RS1200 1989年
RS1200
S2 1994年
S2 Thunderbolt
S1 1996年
S1 Lightning
S3 1996年
S3/T Thunderbolt
M2 1997年
M2 Cyclone
X1 1999年
X1 Lightning
BLAST 2000年
Blast
XB9シリーズ 2003年
XB9R Firerbolt
XB9S Lightning
XB12シリーズ 2004年
XB12R Firerbolt
XB12S Lightning
XB12X ULYSSES
1125シリーズ 2007年
1125R
1125CR
1125シリーズ 2011年
1190RS
1190シリーズ 2015年
1190SX
1190RX

RR1000/1200 -since 1987-

RR1000

ビューエルが一番最初に出した市販車がこのRR1000BATTLE TWIN。

皆が思うビューエルのイメージからは大きく掛け離れていると思います。

先に作ったRW750と同様にクロモリ鋼管のトラスフレームという一部のスーパーバイクにしか使われていない贅沢フレームにハーレーのスポーツスターOHVエンジン(XL1000)を積んだマシン。

内部

Buellに詳しい方なら分かると思いますが、恐ろしい事に既に中身はBuellの形が出来上がっている。

しかしこのバイクが誕生したのは実は運が良かった面があります。

というのも当時ハーレーダビッドソンはレースに対し非常に消極的でした。これはCEOだったヴォーン・ビールス氏がアメリカ伝統のサーキット場であるラグナセカのイベントに出席した際に、ハーレー乗りをほとんど見かけなかった事がキッカケ。

RR1000バトルウィン

レースは売上に繋がらないと判断したわけです。この人も元々はエンジニアなんですけどね。

だからAMA(アメリカのレース)の中でも人気だった二気筒レースBOT(バトル・オブ・ツイン)ではドゥカティやビモータが幅を効かせていたんだけど、その事が我慢ならなかったハーレーのオーナーズクラブが身銭を切ることで会社のワークス参戦を後押し。

RR1000バトルウィン

「Lucifer’s Hammer (ルシファーズ ハンマー)」

XR750エンジンをベースに1000ccまで排気量を上げたモデル。84~85年と勝利を収めたアメリカでは伝説のツインレーサーです。

ちなみに漫画:特攻の拓で

『Lucifer’s Hammer (悪魔の鉄槌)』

として名前が取り上げられた事から名前は知っている人も多いかもしれませんが、実はそう単純な意味では無かったりします。

この名前には

「レースなんて道楽に金を使ってるとカミさんから怒られるぞ」

という皮肉、つまり

『悪魔の鉄槌(カミさんの鉄拳)』

という揶揄が込められてる。アメリカならではのユニークさですね。

そんなルシファーズハンマーなんですが、86年は戦闘力不足でドゥカティの伝説マシン851に完敗。そこで白羽の矢が立ったのが天才エンジニアだったエリック。

RR1000とエリック

彼も当時バイクを作るために出資を募っている段階。つまり勝てるバイクが欲しいオーナーズクラブと意図が合致したわけです。

そして誕生したのがルシファーズハンマー2と、その公道モデルRR1000というわけ。

RR1000バトルウィン

惜しくも決勝で転倒し851には勝てませんでしたが、予選ではポールポジションを取る程の速さを見せた事でプライベーター達からの注文が殺到。

ただ残念な事に搭載していたXR1000のエンジンが50機しかハーレーから都合出来なかった事から販売台数は50台のみ。

そのため急遽XLH1200のエンジンを用立ててRR1200も製造。こちらは150台ほど作られたようです。

RR1200バトルウィン

この一件でエリックビューエルという名がアメリカ中に広まることになりました。

エンジン:空冷4サイクルOHV二気筒
排気量:998cc
最高出力:
77ps/5600rpm
最大トルク:
9.8kg-m/4400rpm
車両重量:179kg(乾)
※スペックRR1000

系譜図
エリックビューエル 創業者
Erik Buell
RR1000/1200 1986年
RR1000/1200
RS1200 1989年
RS1200
S2 1994年
S2 Thunderbolt
S1 1996年
S1 Lightning
S3 1996年
S3/T Thunderbolt
M2 1997年
M2 Cyclone
X1 1999年
X1 Lightning
BLAST 2000年
Blast
XB9シリーズ 2003年
XB9R Firerbolt
XB9S Lightning
XB12シリーズ 2004年
XB12R Firerbolt
XB12S Lightning
XB12X ULYSSES
1125シリーズ 2007年
1125R
1125CR
1125シリーズ 2011年
1190RS
1190シリーズ 2015年
1190SX
1190RX

ブロックヘッド世代 -since 1986-

1957XLスポーツスター

時代はグッと進んで1986年。

この年に登場したのがエボリューションエンジン(通称ブロックヘッドエンジン)を積んだ第3世代スポーツスター。

1000cc一本だった状態から伝統の883ccモデル(XLH883)とボアを拡大した1100cc(XLH1100)の二本立て展開が始まったのもここから。

ブロックヘッドの由来はエンジン主要部品が積み木(ブロック)の様に積まれているような形だから。でも日本ではブロックヘッドと呼ばずに単純にスポーツスターと呼ぶ人が多いですね。

エボリューションヘッドエンジン

というのも何を隠そうこのエンジン今のスポーツスターにも使われているやつだから。

油圧式タペット調整機構を備えたアルミブロックの完全新設計で信頼性も大幅に向上した傑作との呼び声高いエンジンです。

ちなみにこのエボリューションエンジンについて

ホンダとハーレー

「これはホンダと造ったエンジン」

とか

「ホンダがハーレーに技術提供した」

とか聞いたことある人も多いかと・・・これはハーレーが経営危機を迎えたことが背景にあります。

時代を少し遡ることになるのですが、先に話した通りハーレーは1950年代から英国勢と北米市場をかけてバチバチ火花を飛ばしてそれなりに善戦していました。

しかし1960年代になると今度はもっと恐ろしい日本勢が登場し、小排気量を中心に猛烈な勢いでアメリカ市場を食っていったんです。

その事に危機感を覚えたハーレーは1960年にアエルマッキというイタリアの小排気量バイクメーカーを買収し反撃に出るも上手く行かず経営は更に悪化。

ショートスター

これはその一つである『X-90』と呼ばれるモデル。

SportsterならぬShortsterという愛称を持っています。

小排気量の販売が何故失敗したのかというと

「ハーレー=ビッグバイク」

というブランドイメージを損なうとしてディーラーから猛反対して売らなかったから。結局アエルマッキは数年でカジバに売却されました。

そんなこんなで持ち直す事が出来ず弱っていったハーレーを当時盛んだった企業買収による乗っ取りから守るために1969年にアメリカの大手機械メーカーであるAMF(American Machine & foundry)が保護買収。

AMFハーレー

ここから約10年は

『AMF Harley-Davidson』

としてやっていく事になったわけです・・・がハーレーファミリーの間ではこのAMF時代を

「思い出したくもない暗黒時代」

とか言われています。

AMFハーレーダビッドソン

何故そう言われるのかというとAMFはハーレーの経営を立て直すためにリストラを始めとした事業の大幅なスリム化を行ったわけです。

すると優秀な人がどんどんハーレーから居なくなり品質ガタ落ちで故障が耐えなくなった。

というか組み立てすらまともに出来てないまま納車されるレベルで

「乗ってる時間より修理してる時間の方が長い」

とか

「車体価格以上の修理費が掛かる」

とか言われるほど本当に酷いものに。

『ハーレー=壊れる』

というイメージが強くあるのはこのAMF時代の影響が大きいんです。

そんなもんだからブランドは更に失墜。

その一方で小排気量のみだった日本メーカーがCBやZなどで遂に大型バイクでも快進撃を開始。

何度も言いますがハーレーは元々ハイスペックメーカーだったのでそんな中でもXLX-61のエンジンにXR750(ファクトリーマシン)のヘッドを装備したXR1000というホモロゲを出したりして対抗しました。

XR1000

そのおかげでBOTT(二気筒レース)やダートトラックでは戦績を上げたものの、一方で四気筒が相手となるデイトナなどでは分が悪く差は歴然だった。

そんな失態の連続もあって1973年には80%以上を誇っていた850ccオーバークラスのシェアも、1983年にはわずか23%とあまりにも無残な状況に。

さすがにこのままではマズいと創業者の孫を筆頭とした資本家グループが1981年にAMFから買い戻し。

ハーレー再建に打って出ました。

ハーレーの買い戻し

「何より急務は品質改善」

という事で、その際に頼ったのがホンダとされています。

V型エンジンのノウハウとサプライヤーとの関係、組立方式の指南などを指導してもらうことに。

そして登場したのがこのエボリューションエンジンで、シリンダーとヘッドの共締めやビッグツインと部品の共有化など日本車に近い作りになっていたことから

「これはホンダとの合作」

とか言われてるわけです。

ちなみに何処までホンダが噛んだのかは門外不出なのか資料が一切見当たらないので分かりません。

そんなエボリューションエンジンによる品質改善と同時に、幸運なのか根回しなのか当時の大統領だったレーガンが

ハーレー保護法

「700cc以上の輸入バイクの関税を6年間4.4%から49.4%に引き上げる」

というハーレー保護法と呼ばれる関税障壁を1983年から実施した事で業績は大きく改善。

これによりハーレーは復活を遂げたんですが・・・それだけでは終わらなかった。

80年代後半になると上記の理由から人気だった883によるワンメイクレースをAMA(アメリカのレース協会)が正式に開催。

これにより北米で883人気が爆発。

『パパサン』

という言葉と車種が日本国内で広く知れ渡る事になったのは発端はこれ。

その波に乗るように89年にハーレージャパン(日本法人)が設立されハーレーが身近なものとなった事でスポーツスターが更に飛ぶように売れました。一時期883ccにちなんで88万3000円で売られていた事を覚えている人も多いかと。

ミズーリ工場

この三段跳びの様な快進撃によりハーレーは業績改善どころか急成長となり、遂にはスポーツスターのために新たな工場まで建設。

北米650cc以上シェアも1999年には49.5%まで回復し、2000年には過去最高となる年間生産台数20万台を突破とイケイケ状態に。

XL883R

今のハーレーがあるのはこのエボリューションスポーツスターがあったからと言っても過言じゃないというわけです。

ちなみに2003年までのこのスポーツスターはリジットフレームな事から『リジスポ』と言われています。

ハーレーの見分け方ハーレーの見分け方
※ハーレーが分からない人向け
フラットヘッドスポーツスター1952年
フラットヘッド世代
ショベルヘッドスポーツスター1957年
ショベルヘッド世代
ブロックヘッドスポーツスター1986年
ブロックヘッド世代
ニューブロックヘッドスポーツスター2004年
ニューブロックヘッド世代
スポーツスターの全モデルスポーツスターの全モデル

R100/80GS  -since 1987-

R100GS

二代目にあたるR80GSとR100GS。スラッシュが取れて今では馴染み深いGSという名前になりました。先代に比べタンクを大きくすることでラリーレイド感を演出。

当時BMWのパリダカマシンは市販車のR80GSではなくR100GSという特別な車両でした。そして今回そのパリダカモデルと同じ100GSが市販車となって登場というわけ。

この時BMWは既に83~85年三連覇を快挙を成し遂げてました。そんな三連覇マシンと同じバイクが出たんだからラリー好きが飛び跳ねて喜んだのは簡単に想像がつくと思います。

そしてそのR100GSで取り上げる部分があるとするならば他車に先駆けて装着されたこれまた今ではお馴染みのパラレバーでしょうね。

パラレバー

シャフトの下に平行して付いているリンクロッドがそうです。

シャフトドライブっていうのはメンテナンスフリーというメリットがあるんだけどコスト増はもちろんの事トルクリアクションというデメリットもあります。

シャフトドライブは遊びのあるチェーンドライブと違ってアクセルを開けると前ではなく後ろが起きてしまうんです。これをトルクリアクションといいます。

そしてそれを何とかしようとして編み出されたのがこのパラレバー。難しい話になるので割愛しますが、要するにリンクを追加しその力をフレームに逃してる。

「アクセルを開けるとリアが起きるなんて、開けるとリアが沈むチェーンとは逆で面白いな~。」

S1000RR

なんて思ってませんか?それよくある勘違いです。

チェーンドライブはアクセル開けたからといってリアは沈みません。あれはリアが沈んでるんじゃなくてフロントが起きてるんです。前が起きるのをリアが沈んでいると勘違いしちゃってるんですね。

そもそも加速でリアサスが縮んじゃうと転けちゃいます。だからスポーツバイクなんかはアンチスクワット効果を狙った設計をしてます。まあアンチスクワットはコーナリングの話だけどね。>>バイク豆知識:アンチスクワット

R100/80GS 
-since 1990-

1990R100GS

一緒に紹介しちゃうけど1990年にもモデルチェンジが入ってる。このモデルが80/100GSシリーズ最後でもありOHV最後でもある世代。後に再販されるほどの人気でした。

大まかな変更点としてはフレームマウントの角度調整機能付きのスクリーン、大型フェアリング、パイプガード、ダウンタイプのフロントフェンダー。そしてスポークながらチューブレスタイヤを装着可能としたクロススポークホイール。

もちろんパリダカモデルも登場。

R100GS PD

でも実はこの時BMWは既にパリダカから撤退してました。

じゃあなんでこんなバイクを出したのかというと、パリダカを連覇したR100GSに乗りたいという人と、パリダカで勝ちたいから売ってくれというプライベーターがいっぱい居たから。

GSの信頼性がどれだけ高かったかが伺える話ですね。

エンジン:空冷4サイクル水平対向2気筒
排気量:980cc
最高出力:
60ps/6500rpm
最大トルク:
7.7kg-m/6500rpm
車両重量:210kg(装)

種類一覧
R80G/S1980年
R80G/S
R100GSパリダカ1988年
R100/80GS
R1100GS1994年
R1100GS
R1150GS1999年
R1150GS
2004R1200GS2004年
R1200GS
R1200GS2013年
R1200GS

R80G/S  -since 1980-

R80G/S

BMWベストセラーバイクであるGSの原点とも呼べるバイクがこのR80G/S。

最初はGSではなくG/Sと文字が分かれていました。GSというのはドイツ語でGelände Sport(ゲレンデシュポルト)の頭文字から取っていて、まあ要するに野山をスポーツって意味。

ちなみにRはRad(バイク)の意味。BMW Motorradって言いますよね。Rシリーズは伝統の水平対向二気筒でBMWの歴史とも言えるシリーズです。

このGSですが非常にリクエストが多かった車種でもあります。まあ当たり前ですけどね。BMWといったらまずこの世界で愛され続けるR1200GSです・・・だから正直いうと書きたくない。

まず最初に話は初代が出る少し前から始まります。

この初代GSが出るちょっと前の1970年代後半、実はBMWは瀕死状態でした。当時BMWの主要市場はアメリカだったのですがドル安によって販売面で大苦戦。

アメリカ貿易委員会

更にアメリカは追い打ちをかけるように1983年にはハーレー救済の一環として700cc以上の輸入二輪車に対し高い関税(45%)を課する事まで始めます。

だからもし80G/Sが生まれヒットしていなかったらBMWは間違いなく破綻していたでしょうね。イギリスの名門トライアンフはこのドル安&関税のダブルパンチに耐え切れずに破綻してしまいました。

R80GSプロトタイプ

ただBMWもこの80G/Sのヒットは偶然ではなく狙っていたようで、1970年代から入念に研究を重ね大事に作っていたようです。上の写真はプロトタイプ。

当時のBMWは日本でいえばメグロの様なメーカーで、官公向けやお金持ち相手の保守的なメーカーでした・・・今もあんま変わらないか?

R

そんなBMWが泥が似合う直線的な無骨バイクを出してきたから世間は少し騒ぎました。

でもこれにもちゃんとワケがあります。突拍子もなく出したわけじゃありません。

R80G/Sカタログ

この頃のBMWはISDEで活躍していたんです。

※ISDEというのはInternational 6 days Enduroの事で文字通り6日間にも及ぶ過酷なラリー。一般的にはシックスデイズと呼ばれています。

ISDT BMW

そんなシックスデイズで活躍していたBMWのワンオフチューニングモデルの市販バージョンがこの80G/Sというわけ。当時ビッグオフといえばXT500を始めとした500cc前後が基本だった中で二気筒797ccは相当なパワーオフ。圧倒的な速さを誇っていました。

1980R80

ただこのG/Sが世界から認められたのはISDE直系レプリカでハイスペックながら車重が186kgしかなかった事が大きい。

ちなみにラリーを知らない人でも知ってるラリーであるパリダカでも勿論優勝しました。

パリダカモデル

その記念に発売された32LビッグタンクのR80G/S PARIS DAKAR。

このバイクの登場によってパリダカも多気筒化が進みました。それくらい速かった。

エンジン:空冷4サイクル水平対向2気筒
排気量:797cc
最高出力:
50ps/6500rpm
最大トルク:
5.8kg-m/5000rpm
車両重量:186kg(装)

種類一覧
R80G/S1980年
R80G/S
R100GSパリダカ1988年
R100/80GS
R1100GS1994年
R1100GS
R1150GS1999年
R1150GS
2004R1200GS2004年
R1200GS
R1200GS2013年
R1200GS