「スーパー・スパルタン・スポーツ」
ホンダ初のDOHC4バルブ直列4気筒車となるCB750FとCB900F。
この頃になるとCB750FOURの登場によってスポーツバイクのハードルは大きく上がると同時に、強力なライバル達が次々と登場していました。
するとCB750は当然ながら苦戦、セールス面でも苦汁を飲まされる展開となっていたわけです。
特に顕著だったのが欧州で、デカくて重い(北米好みの)バイクばかりになっていたホンダはシェアを落としていった。
そこで久米専務(後の三代目社長)は
『ノルマンディ上陸作戦』
という方針を打ち立て、入念な情報収集と新機種の発売を計画しCB750FとCB900Fを発売・・・となるわけですが、その前に紹介しておきたいのがCB750K/RC01と呼ばれるモデル。
CB750FOUR-IIの後継として開発された新設計のDOHCエンジンを積んだモデル。
CB-Fというのは、この既定路線だったCB750Kがベースになります。
まずデザイナーの森岡さんがヨーロッパに籠もってヨーロッパで通用するデザインをスケッチ。
そしてこのデザインを元にCB750Kベースで造られたのがCB-Fなんです。
ただ事はそう単純でなく、CB-Fを造るために招集されたのが何を隠そうブラックバードで有名な山中さん。
山中さんは当時HERT(Honda Endurance Racing Team)という耐久レースチームに在籍していました。
当時ホンダは一線から退いていたのですが、イギリスやフランスなどの法人が耐久レースで苦戦していた。
そこで川島副社長がWGP監督も務めた秋鹿さんに
「勝て」
とだけ命じ、結成されたチーム。
そうして1976年に造られたのがRCB1000。
CB750FOURをベースにDOHC化に加え、排気量も915cc(最終的に997cc)まで拡大された耐久レーサー。
当時はレギュレーションも緩かったので原型を留めていないので実質別マシン。
そんなRCB1000はデビュー年の1976年は8戦中7勝、翌年には9戦全勝という圧倒的な速さを誇り『無敵艦隊』と呼ばれるまでに。
そんなRCB1000の車体設計者だった山中さんをCB900F/CB750Fのプロジェクトリーダーとして呼び寄せた。
そう、つまり狙いはRCBの様な走行性能を持たせること、RCBレプリカを造ることだったんです。
CB750Kのフレームと森岡さんのデザインが前提という縛りの中でRCBみたいな走りのCBを造れという無理難題。
しかもヨーロッパ向けCB900Fと日米向けCB750Fの掛け持ち。そこでCB900Fを先行して開発しスケールダウンしてCB750Fを造ることに。
まず兎にも角にもパワーだということで限界ギリギリとなる901ccまで拡大し、負けないようにフレームも強化。
他にもチェックバルブ付きのFVQダンパー、ジュラルミン製セパハンやトリプルディスクブレーキなど装備も充実しRCBの技術を色濃く反映。
ただ一番話題になったのは何と言っても長いタンクとテールまで繋がっているストリームラインと少しインに曲がっているサイレンサー。
ちなみにこのストリームラインはデザイナーが死守したものなんですが、曲がっているサイレンサーは実は山中さんの独断。
こうして発売されたCB900Fは欧州がメインターゲットだった事もありトップクラスの性能も唯一無二のスタイリングも絶賛。そして少し遅れて日本でもCB750F/RC04が発売されました。
「ホンダが本気を出した」
と世界中で話題になり狙い取り爆発的なヒットに。
もちろん日本も例外ではなく、今ほど大型二輪がメジャーではない時代だったにも関わらず400に負けない販売台数(80年7747台、81年11841台)を記録。
ただコレだけで終わらないのがCB-F。
ここでも手を緩めること無く、CB750FOURに倣ってまたもやレースへ参戦。
既にRCBレプリカとして人気を博していたわけですが、一方で北米では最初に言った通りデカいが正義の国。
対してどちらかと言うと欧州向けのスーパースポーツだったCB-Fはライバルがリッターだったのに750でした。
「なぜ北米向けがCB900FではなくCB750Fなのか」
というと、当時750の市販車レースが人気でその需要があったから。
これがキッカケでAMAスーパーバイクも750になるわけですが、まあそれは置いといて750を北米でも売るためにホンダはアメリカのデイトナレースに参戦。
ベースはもちろんCB750F。
ただぶっちゃげるとコレはCB750FにスペシャルKITとスペシャルチューンの実質RS1000(当時のファクトリーレーサー)のような物。
要するにレプリカを通り越して本物だったわけで、当然のように圧倒的な速さでデイトナ100で表彰台を独占。
スペンサーカラーの元ネタとして(というかスペンサーが)有名かと思いますが、こうやって北米でもレースで活躍したことで
「CB750Fは凄い」
という評価を獲得し、日欧米すべての国で大成功を収める事となったわけです。
補足しておくと日本向けだったCB750Fは発売後も各部の見直しが毎年行われています。
【CB750FZ】
・初期型
【CB750FA】
・ハロゲンライト
・鍛造ステップ
・スイングアームピボット見直し
【CB750FB】
・圧縮比を変更し70馬力に
・フロントセミエアサス
・2ポットキャリパー
【CB750FC】
・フロント18インチ化
・リザーブ付きリアサス
・アンチノーズダイブフォーク
などの改良が入っています。
※900はCB900FC型からSC09
そしてCB-Fシリーズでもう一つ特徴的なのが多彩なバリーエーション。
これは大型カウルを纏ったのがCB750FCインテグラ。
このモデルは海外向けであった『CB900F2 BOL D’OR』というモデルの国内仕様になります。
一応国内向けCB750Fでもボルドールというモデルはインテグラの前からあったのですが、大型カウルが付いていない状態でした。
これはまだ国がカウルを認めていなかったからで、後付OPとして用意する事で回避していたわけです。それが規制緩和でOKになったので翌年にインテグラとして発売したというのが経緯。
CBが持つ伝家の宝刀である赤フレームCBの始まりはここ。
そしてホンダがなぜCBにボルドールなんて名前を付けたかもこれで納得かと思います。
耐久レースの一つ(ボルドール24時間耐久レース)を三年連続優勝したRCBのレプリカだからですね。
それにしても何故これほど様々なバリーエーションを出したのかというと『ノルマンディ上陸作戦』は単純に新モデルで反撃というのが狙いではなく、バリエーション展開による採算性の向上も狙いの一つだったから。
だからCB750Kをベースに750/900が造られ、アメリカンタイプのCB750カスタムやCB750エクスクルーシブとかいう方向性が少し違うCB(全てRC04)が登場したんです。
しかしそんなノルマンディ上陸作戦も旗艦だったCBX1000がそうだったようにお世辞にも名車続出とはなりませんでした・・・というかまあハッキリ言ってしまえばCB-F以外がパッとしなかった。
ただ一方でCB-Fはそれを補って有り余るほどの大ヒットとなり作戦は成功。
・RCBカラー
・スペンサーカラー
・赤フレーム
・ボルドール
当時を知らない人ですら知っている要素を始めたCBがこのCB750F。
これだけでCB750Fが如何に凄いCBだったか、如何にCB史に影響を与えた名車だったかが分かるかと思います。
主要諸元
全長/幅/高 |
2190/795/1125mm |
シート高 |
不明 |
車軸距離 |
1495mm |
車体重量 |
228kg(乾) [232kg](乾) ※[]内はCB900F |
燃料消費率 |
32.0km/L ※定置走行テスト値 |
燃料容量 |
20L |
エンジン |
空冷4サイクルDOHC4バルブ並列4気筒 |
総排気量 |
748cc [901cc] |
最高出力 |
70ps/9000rpm [95ps/8000rpm] |
最高トルク |
6.0kg-m/7500rpm [7.9kg-m/8000rpm] |
変速機 |
常時噛合式5速リターン |
タイヤサイズ |
前3.25H19-4PR 後4.00H18-4PR |
バッテリー |
FB14L-A2 |
プラグ ※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価 |
D7EA/D8EA X22ES-U/X24ES-U |
推奨オイル |
不明 |
オイル容量 ※ゲージ確認を忘れずに |
不明 |
スプロケ |
前18|後43 |
チェーン |
サイズ530|リンク106 |
車体価格 |
538,000円(税別) |
系譜図