「世界最速の250cc」
『サムライ』というペットネームでもお馴染みのカワサキ2stスポーツの250-A1(北米名250SAMURAI)。
今ではすっかりお馴染みとなったライムグリーンが生まれるキッカケとなったバイクになります。
このバイクが登場した1967年というのはカワサキがメグロを吸収した頃、つまり有名なZもマッハもまだ存在しておらずメグロから引き継いだ650W1(通称ダブワン)がフラッグシップモデルだった時代。
カワサキは元々メイハツ(明石工業)というバイクメーカーを新たに造り、そこに川崎重工(当時は川崎航空機工業)製のエンジンを卸すという形で携わっていたのですが、1961年からその体制をやめ川崎重工の名でB7(125cc)という完成車を売り始めました。
しかしこれがフレームが折れるなどクレーム&返品の嵐で初っ端から撤退が検討される事態に。
そこで新たに川崎重工とメグロの技術で車体から全てを造ったB8/S(125cc/150cc)というモデルを開発し1962年から販売。しかし既にB7によって評判は最悪だったので払拭するためにも地元のモトクロス大会に出場。
そこで1~6位を独占という快挙を達成。
そこから更に全国の大会で成績を残したことで
「カワサキというメーカーのバイクは凄い」
と口コミが広がり人気に。それどころか赤ヘルブームまで巻き起こすほどの人気となりました。
なんで赤かというと当時のカワサキは赤いタンクと赤いヘルメットがファクトリーのイメージカラーだったから。
今では信じられない話ですが当時カワサキはまだ関東圏では無名だったので、その神出鬼没な感じもウケたんでしょうね。
カワサキはこの成功を足がかりに
「次は北米も意識したオンロードスポーツを」
となり開発されたのが250-A1(北米名250SAMURAI)になります。
既にライバルメーカーは世界(北米)に打って出て人気だった時代。
この差を詰める為にも同じ様に世界に打って出るのは必然だったわけですが、無名で後発なカワサキがそんな中に切り込んでいくにはライバルに勝る性能が必須なのはカワサキ自身もわかっていた。
そこで考えられたのが
「国内レース向けに開発していたバイクをそのまま公道仕様にすること」
そう、正にレーサーレプリカの発想。
カワサキは本格始動してレースマシンを造って走り出したかと思ったら直ぐにその公道向けレプリカを造ったんですね。
2st250ccとしては初となるファクトリーマシン譲りの並列二気筒エンジンでクラストップの31馬力。
更にレーサー並の剛性を持った質実剛健なダブルクレードルフレーム。
圧倒的な速さと安定性を持っていたことから日本でも話題となりました。
ちなみにトリプルツインというのは
・2シリンダー
・2ロータリーディスクバルブ
・2キャブ
というW要素を3つ備えている事を表した言葉。
北米に至ってはもっとシンプルに
『31ps/ゼロヨン15.1sec』
というタイムを大々的に打ち出し、さらにボンネビルアタックにも挑戦し
『ノーマルで最高時速154km/h』
という250ccクラス最速記録を叩き出す事でハッタリではない事を証明。
これに頭のネジが外れている人が多い北米で注目の的となりバイク誌も大絶賛。
「日本で戦闘機を造っていたメーカーらしい」
という納得の事実と認識が広まりカワサキの北米進出計画の初陣は見事に成功を収めました。
ここで北米市場へ切り込む事が出来たカワサキはその後スクランブラータイプのA1SSや350cc版のA7などを相次いで投入。
更にはマッハ3そしてZ1と大型バイク市場でも成功を収め世界のカワサキへと急成長していく事になります。
ちなみにこのA1も1970年からはマッハデザインに変更されています。
「いや赤じゃん、緑はいつ登場するんだよ」
って話ですが、250-A1で北米進出に成功したカワサキはさらなるアピールの場として鈴鹿8耐の北米版ともいえる
『デイトナ200マイル』
への参戦を計画。
A1ベースのファクトリーマシンを発売翌年の1968年から製作し始め、次の年にあたる1969年に完成させ出走。
その時の写真がこれ。
緑を纏ったA1ベースのファクトリーマシンに乗るカワサキ軍団。
この1969年デイトナ200マイルがライムグリーンの発祥になります。
これがお披露目された時はザワザワしました。というのもこの緑というのは欧米では不吉な色とされているから。
縁起を担ぐ事が多いロードレースにおいて、すこぶる縁起が悪い不謹慎とも言える行為。
これの狙いは宣伝の意味合いが強いデイトナ200で
「何処よりも目立つため」
です。
赤は既にホンダやBSAなどが使っており埋もれてしまうから絶対に被らない色として緑が選ばれたんですね。
しかしこれが意外と好評で話題になり、カラーリングの発案者だったアメリカの有名なペインターのモリーはバイク業界で引っ張りだこに。
その結果3年後にあたる1972年にはケニーロバーツのバイクもデザイン・・・実はライムグリーン(正確には緑/白)とイエローストロボは同じ人が手掛けたものなんですね。
ちなみにカワサキのロゴとしてお馴染み『フライングK』もここが始まりとされており、これにも関わっていた模様。
もう一つ補足すると日本ではA1Racerがライムグリーンの始まりとされていますが、北米カワサキではF21Mがライムグリーンの始まりとされています。
F21Mというのはカワサキ初の市販モトクロッサー。
どうして日本と違うのかというと日本では赤タンク仕様だけで緑は無かったから。
話を戻すと緑のインパクトは非常に強烈でそれと同時に怪物を連想させる色という事でカワサキのファクトリー軍団はいつしか
「グリーン・モンスター」
と呼ばれる様になりました・・・が、実はこのグリーンモンスターというのは
「緑色の凄いやつら」
という称賛だけの意味ではないんです。
カワサキは70年代頃からレースでも目覚ましい活躍をし始めたんですがレース結果はいつも
「優勝かリタイア」
だった。
ハマれば速いけど基本リタイアという大穴的な存在で、いつも何か起こす波の荒さも含めてグリーン・モンスターと言われていたんです。
とはいえ戦績は素晴らしくWGP250/350部門で1975~1982年には緑色の怪物KR250/KR350により4連覇と2連覇。
1981~1983年には世界耐久選手権をKR1000でマニュファクチャラー3連覇。
アメリカの方でもZRXでお馴染みKZ1000によりAMA(アメリカの市販車レース)を1981~1982年と2連覇を達成。
その後も全日本選手権やモトクロスまで様々なレースで緑色の怪物として暴れまわりました。
そんなライムグリーンが登場してちょうど半世紀になる2019年。
スーパーバイクや耐久レースで再び歴史に名を残す快挙を現在進行系で残しています。
鈴鹿8耐も26年ぶりの優勝を飾りましたね。
そんな半世紀の活躍によって今では緑色のバイクを見ても誰も縁起の悪い色だなんて思わない。
それどころか誰もがカワサキといえばライムグリーン、そしてファクトリーカラーであるKRT(Kawasaki Racing Team)をカッコいいと思ってる。
これ本当に凄いこと・・・冷静に考えてみてください。
ブリティッシュグリーンならまだしもこんな鮮やかなライムグリーンが人気なんて四輪を含め世界中探したってカワサキ以外は存在しない。
じゃあなんでカワサキだけ許されているのかといえば半世紀に渡って一貫して使い続け築き上げて来たから。だからこそ当たり前に使えて、当たり前に受け入れて、当たり前に町中を走ってる。
カワサキだけが凶ではなく吉として使える色。
それがライムグリーンであり、その始まりがこの250-A1/SAMUARAIという話でした。
主要諸元
全長/幅/高 | 1995/810/1075mm |
シート高 | – |
車軸距離 | 1295mm |
車体重量 | 145kg(装) |
燃料消費率 | 42.0km/L ※50km/h走行時 |
燃料容量 | 13.5L |
エンジン | 空冷2サイクル二気筒 |
総排気量 | 247cc |
最高出力 | 31.0ps/8000rpm |
最高トルク | 2.92kg-m/7500rpm |
変速機 | 常時噛合式5速リターン |
タイヤサイズ | 前3.00-18-4PR 後3.25-18-4PR |
バッテリー | – |
プラグ | B10HS |
推奨オイル | – |
オイル容量 | – |
スプロケ | – |
チェーン | – |
車体価格 | 187,000円(税別) ※スペックは250-A1 |