悲願だった初の市販車 -1970年代-

BIMOTA HB1

そもそも何故bimotaのフレームを欲しがる人が多かったのかというと、CB750FOURを始めとした日本車は確かに速かったけどレースで使うには明らかにフレームが負けていたから。

そしてもう一つの理由として当時イタリアではイモラ200マイルレースを始めマン島TTの様な

「転倒=クラッシュ」

となる公道レースも人気だった為にタンブリーニと同じ様にフレームを駄目にしてエンジンが余る事が多かった。

HB1キット

そんな中でそれらの問題をクリアした速くて良いフレームがあるとしたら喉から手が出るほど欲しいと思う人が出てくるのも不思議じゃない。

このCB750FOUR用のフレームは全部で10台ほど造ったようです。※一説では25台とも

更にこれを機にbimotaはZ1など日本車向けのスイングアーム、ホイール、カウルといったパーツの製作販売も開始。ちなみに日本でも販売されていました。

そんな中でbimotaがHB1に次ぐ二作目として1974年に発表したのがYB1。

BIMOTA HB1

ヤマハTZ250/350エンジンをクロモリ鋼管のダブルクレードルフレームに搭載したレーサーで全12台分(KIT)を発売。

レース業界に一石を投じるメーカーへとなりました。

そしてその二年後、発売されたのがbimota初のコンプリートマシンであり初の市販車(公道車)でもあるSB2です。

SB2カタログ

スズキ初の直列4気筒GS750のエンジンを分割式トラスフレームに搭載し、ホイールもマグネシウム。

SB2フレーム

この様にフレームが切り離せる様になっています。

これは妥協が無いbimotaフレーム唯一の欠点だった整備性の悪さを改善するため。

タンブリーニ時代のbimotaはもう一つある特徴を持っていました。

それは同軸(コアキシャル)ピボットです。

コアキシャルピボット

これは要するにスイングアームの付け根であるピボット軸とドライブ軸を同じ軸にすることで、チェーンの撓みによるレスポンスの悪化を防ぐのが狙い。

ただしこうするとアンチスクワットが得られなくなるのでお世辞にも良い構造とは言えず、しばらくして無くなりました。

補足:「加速でリアは沈まない~アンチスクワット~」

話を戻すと・・・タイトルに書いてある通り、SB2でタンブリーニの悲願

SB2

「公道を走れるレーサー」

を実現させる事となりました。

そのまんまレーサーな佇まいのSB2は一部で話題となり、翌年には勢いそのままにカワサキ版となるKB1も発売。

KB1

エンジンは皆も知るZ1(後期はZ1000MKII)のもの。

ちなみにSB2もKB1も日本価格で200万円以上する高級車でした。

なんでこんなに高かったのかと言えば妥協なく拘って造った少量生産のハンドメイド車だった事もあります。

ビモータのフレーム

ただもう一つの要因としてこの頃のbimotaというのは非常に小さい会社だったため、エンジンだけを日本メーカーから融通してもらう事が出来なかったんです。

だから顧客として完成車をメーカーから購入し、エンジンだけ取り出すという方法を取っていたからコストが嵩んでいたんですね。

系譜図
HB1

bimotaの生い立ち

SB2

悲願だった初の市販車
-1970年代-

KB2

タンブリーニの離脱
-1980年代前半-

db1

塗り変えたマルティーニ
-1980年代後半-

TESI

意欲が招いた倒産
-1990年代-

DB5

フレーム屋に立ち返ったbimota
-2000年代~現在-

ビモータの全モデル

補足
bimotaの全モデル

XS1100/E/S/SF(2H7~9)-since 1978-

XS1100

「GET UP. AND GO.」

ヤマハ初の四気筒モデルになるXS1100。※型式は欧州モデル

排気量から見ても分かる通り海外向け専用モデルで、向こうではXSイレブンと呼ばれています。

当時ヤマハはフラッグシップとしてGX750という三気筒のバイクGX750を出していたんですが、このXS1100はその延長線上で考えられたモデル。

XS1100パンフレット

「三気筒で750、もう一気筒追加で1000」

という狙いだったわけです。

では何故1100になったのかというと、既にZ1000を始めとしたリッターが登場していたから。

だから+100ccのイレブンで行く必要があると営業からの要望があったことでボアを広げ1100となった。

XSイレブン

車体の方はGX750と同じシャフトドライブなど延長線上にある形なんですが

「じゃあXJ1100とGX750は似ているのか」

というとコレが全く違う。

三気筒と四気筒という違いも勿論ありますが、GX750がとにかくスポーツだったのに対しXS1100は徹底的に振動を消すことを念頭に置かれました。

XS1100エンジン

例えばこのエンジン。

・クランクシャフト

・レイシャフト

・メインシャフト

・カウンターシャフト

・ミドルシャフト

の五軸レイアウトを採用しています。

XS1100シャフト

これは一次駆動をサイレントチェーンにして静音性を上げたかった事と、メンテナンスフリーになるシャフトドライブを採用するため。

そしてもう一つ大きな違いがエンジンマウント。

GX750はエンジンをリジットマウントにして剛性を稼いでいたのに対し、XS1100は全面ラバーマウント。

XS1100カタログ

つまりXS1100は既存のリッタークラスがとにかく馬力だったのに対し、快適性を追求したリッターだったんです。

その振動の少なさは特に北米で評価され、アメリカの大手バイクメディアであるサイクルワールドの年間ベスト10にも選ばれるほどでした。

XS1100スペシャル

これはそのクルーザー版になるXS1100Specialです。

ちなみにこれは余談なんですが、ヤマハは三気筒のGX750を造ったあと四気筒ではなく水平対向六気筒で行く予定でした。

フラット6

静寂性とスペシャル感を考えた場合、水平対向六気筒のほうが都合が良い。極端な話3+3でGX750のエンジン技術を転用できると考えていたんでしょうね。

ただパテントの関係と、技術的な関係から四気筒に改められXS1100が誕生した。もしもこのとき水平対向六気筒を選んでいたら今のヤマハはどうなっていたでしょうね。

主要諸元
全長/幅/高 2260/920/1175mm
シート高 800mm
車軸距離 1545mm
車体重量 274kg(装)
燃料消費率
燃料容量 20.0L
エンジン 空冷4サイクルDOHC四気筒
総排気量 1101cc
最高出力 96ps/8000rpm
最高トルク 9.19kg-m/6500rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前3.50-19-4PR
後4.50-17-4PR
バッテリー GM18Z-3A
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BP6ES
推奨オイル ヤマルーブ
SAE 20W/40
または
SAE 10W/30
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量4.0L
交換時3.0L
フィルター交換時3.5L
スプロケ
チェーン
車体価格
※国内正規販売なしのため
系譜図
XS11001978年
XS1100/E/S/SF
(2H7~9)
XJ650スペシャル1980年
XJ650SPECIAL
(4L6)
XJ7501981年
XJ750A/E/D
(5G8/5G9/29R/22N)
XJ9001983年
XJ900/S/F
(31A/58L/4BB)
XJR1200前期1994年
XJR1200/R
(4KG)
XJR1300前期1998年
XJR1300
(5EA前期)
XJR1300中期2001年
XJR1300
(5EA後期|5UX前期)
現行XJR13002006年
XJR1300/C
(5UX後期|2PN)

DX250(280) -since 1970-

「都会の風。スポーティエレガンスDX」

YDS系ではあるもののモデルチェンジを機に車名も変わった1970年登場のDX250/280型。※海外向けはDS7

馬力と価格は据え置きながら、エンジン・フレーム共に新設計されたもので、スリムなタンクと角ばったシリンダーブロックが特徴的なモデル。

ほかにもアルミボトムケースのフロントフォークや一体型マフラーを採用し、バンク角を稼ぐため最低地上高も少しアップされています。

DX250

そのスタイリッシュさと先代DSシリーズで築き上げた信頼により250の定番モデルとなっていたDX250ですが、そんな中で何が更に進化したのかといえば

「さらに一歩進んだレーサー直系」

という点になります。

これまで紹介してきたYD~DSもレーサーと関係があるモデルだったのですが、DX250はそこから更にググッと近くなりました。

前のページでも話した通りヤマハはYDS-1と専用KITパーツを販売しアマチュアレーサーの希望の星と化したのですが、そこで手を緩めず1962年には更に研ぎ澄ませた市販レーサーを発売しました。

1962TD-1

YDSのKIT装着レーサー仕様をベースに、当時ブイブイ言わせていたGP(現MotoGP)技術を注ぎ込んだ生粋のレーサーになります。

市販車にKITパーツや独自のチューニングを施してレースに挑んでいたアマチュアにとって、純粋なレーサーが買えるというのは夢のような話。ここでもヤマハはアマチュアライダーに自分たちの代わりに戦ってもらおうと考えたわけです。

「純レーサーなら量販車のアマチュアレースとか出られないのでは?」

と思いそうですが、ちゃんとライトやウィンカーを付けて公道走行可能なモデルとして法規を”一応”パスしています。

TD-1はほほ純粋なレーサーだった事から当時アマチュアが買えるバイクの中では断トツで速く、日本のみならず世界中のレースで勝ち星を上げました。

代表的なところでいうと鈴鹿サーキットが完成して初めて行われた日本初のロードレースである1962年の第1回全日本ロードレース選手権アマチュア250部門はもちろん、そしてその一つ上である350部門でも255ccというわずかに排気量を上げただけのTD-1が優勝しています。

ヤマハの狙いがここでもズバリだったわけですが、では当のヤマハ自身はどうしていたのかというと、レース界の頂である世界GPに全力でした。

しかしそんなGPの250クラスにおいて事件が発生します。

『2st/V4のヤマハ対4st/L6のホンダ』

という今考えても異常なマシンで日本勢が一騎打ちを繰り広げてしまったため運営から

「1969年からGP250は二気筒までにします。」

という締め出しに近いレギュレーション変更が行われました。

これにはさすがのヤマハも怒って250のワークス撤退となったのですが、さすが2stのヤマハと言うべきかアマチュアに希望を与えるメーカーというべきか、ワークス撤退を機にとんでもない置き土産のようなモデルを1969年に開発。

1969TD-2

いま紹介した市販レーサーTD-1をさらに改良したTD-2になります。

先代DSをベースにクラストップとなる44馬力を叩き出し圧倒的な速さを誇った”市販車”です。ここでもヤマハはアマチュアに活躍してもらうためにレーサー、つまり自社の技術を”市販”した。

結果どうなったかというと、ワークス撤退したGP250はもちろんのこと世界中の250レースがTD-2一色に染まるという異常事態になりました。

そして話は再びDX250へ。

そんなレース界を蹂躙していたTD-2の公道版レプリカとして登場したのがこのDX250なんです。

DX250当時の広告

なんとこのDX250、いまで紹介した市販最速レーサーTD-2と非常に高い確率でパーツを共有できる互換性を兼ね備えた設計だった・・・そんなのアリなのか。

DX250のモデルチェンジ概要

DX250PRO(352) -Since1972-

1972DX250PRO

フロントにディスクブレーキ(対向2ポットキャリパー)を採用したモデル。

主要諸元
全長/幅/高 2040/835/1085mm
シート高 790mm
車軸距離 1320mm
車体重量 138kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 16.0L
エンジン 空冷2サイクル二気筒
総排気量 247cc
最高出力 30ps/7500rpm
最高トルク 2.92kg-m/7000rpm
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.00-18
後3.25-18
バッテリー  
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル オートルーブ
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 196,000円(税別)
※スペックはDX250
系譜図
YD1 1957年
YDシリーズ
YDS-1 1959年
250S/YDSシリーズ
dx250 1970年
DX250/PRO
(280/352)
RD250 1973年
RD250
(361~3N4)
4L3 1980年
RZ250/R/RR
(4L3/29L/1AR/1XG/3HM/51L)
1KT 1985年
TZR250
(1KT/2XT)
3MA 1989年
TZR250/SP
(3MA)
R1-Z 1990年
R1-Z
(3XC)
3XV 1991年
TZR250R/SP/RS/SPR
(3XV)

SR400/SP(3X7/3X6)SR500SP(3X4)-since 1979-

SR400SP

「逞しきビッグシングル」

SRをよく知らない人でもひと目で違いがわかるキャストホイールが特徴の二代目SR400SP/3X6とSR500SP/3X4型。

SPというのはキャストホイール仕様という意味なんですが、これまでキャストホイールはカウルと同じく国内では不認可でした。

ヤマハキャストホイール

それが認可されるようになった事で各メーカーともキャストホイールを付加価値として付けるようになり、またそれが流行っていたわけです。

だからヤマハもわざわざSPなんて記号を設けてアピールし、SRもその一環でキャストホイール&ロードタイヤ化で時流に乗った・・・んですが、これが思わぬ不評を買いました。

SR400キャストホイール

「なんて事をしてくれたんだ」

とイメージが変わってしまった事を残念がられ販売台数は約1500台まで減少。

+4kgという重量増による軽快感の損失も痛手でした。

コレについては社内からも疑問視する声が出たようで、三年後の82年に『スポークホイール&キャラメルタイヤ』という先祖返りしたSR400/3X7型(400のみ)を限定発売。

3X7

待ってましたと言わんばかりの人気でキャストホイールあっさりと抜く3200台を販売。

もうこの頃から今と変わらない立ち位置だったわけですね。

しかし実はこれ、この失敗があったからこそ今のSRがあると言っても過言じゃないなんです。

SR500SP

キャストホイール化によって

「ダサくなってしまった」

とか

「先代が恋しい」

とか言われる様になった事から

「ダサいSRを自分でカッコよくしよう」

という流れが生まれ、スポークホイールを筆頭に初代のようにするカスタムパーツ、BSAに近づけるカスタムパーツ、スクランブラースタイルにするカスタムパーツ。

数々のカスタムメーカーがイメージが変わってしまったSRに困り果てている人をターゲットにした。

SR400SPカタログ写真

結果としてカスタム文化がまだそれほどでもなかった時代に『弄れるバイク』という新しさで評判を呼びました。

カスタムブームの始まり、そして今も続くSRの武器の一つであるカスタムの豊富さはここ。

『流行に乗ってしまった失敗』

が全ての始まりなんです。

主要諸元
全長/幅/高 2100/775/1130mm
[2105/845/1095mm]
シート高 805mm
車軸距離 1410mm
車体重量 161kg(乾)
燃料消費率 44.0km/L
[45.0km/L]
※定地走行テスト値
燃料容量 12.0L
エンジン 空冷4サイクルSOHC単気筒
総排気量 399cc
[499cc]
最高出力 27ps/7000rpm
[32ps/6500rpm]
最高トルク 3.0kg-m/6500rpm
[3.7km-m/5500rpm]
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.25S19-4PR
後4.00S18-4PR
バッテリー YB7L-B
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BP6ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.4L
交換時2.0L
フィルター交換時2.1L
スプロケ 前16|後47
チェーン サイズ530|リンク106
車体価格 330,000円(税別)
[3,000円(税別)]
※[]内はSR500SP
系譜図
XT500 1976年
XT500
(1E6)
2H6 1978年
SR400(2H6)
SR500
(2J3)
3X6 1979年
SR400/SP
(3X7/3X6)
SR500SP
(3X4)
34F 1983年
SR400/SP
(34F/34E)
SR500/SP
(34A/33Y)
1JR 1985年
SR400
(1JR/3HT)
SR500
(1JN/3GW)
RH01 2001年
SR400
(RH01J)
RH03 2010年
SR400
(RH03J)
RH16J 2018年
SR400
(RH16J)

SR400(2H6)SR500(2J3)-since 1978-

SR400

「開発コード583」

XT500の登場から約2年後に登場したXT500のオンロード版『Single Roadsports』として登場した初代SR400/2H6型とSR500/2J3型。

SRは元々の企画段階ではBSAのゴールドスターを参考にスクランブラー~トラッカーとして登場する方針でした。

SR400

我々が思うSRとはだいぶ離れている印象を受けると思いますが、これはXT500同様に一番売らないといけない主要市場だったアメリカから

「XT500の(マッスルな)ダートトラッカーを造って」

という要望があったから。アメリカの人気レースであるフラットトラックでXT500のエンジンを積んだマシンが活躍したから背景があったからだと思います。

しかし更に転機となったのが1977年。

日本のバイク誌であるモトライダーが4月号にて

ロードボンバー

「ヤマハからロードボンバーが発売」

というエイプリルフールネタをやったんです。

これは本当はXT500のページでも紹介した通り鈴鹿六耐用に開発されていたレーサー。このマシンに一枚噛んでいたモトライダーがそれを隠して市販化という飛ばし記事みたいな事をやったわけです。

そしたらこれを真に受けてハートを射抜かれる人が続出し、バイク屋やヤマハ本社へロードボンバーに対する問い合わせや予約が殺到という想定外の反応に。

この反響の大きさを受けてヤマハはSRを更にオンロード寄りな形に軌道修正。

SR500エンジン

とはいうもののエンジンなどは基本的にXT500のまま

・吸気バルブの拡大

・冷却フィンの大型化

・フライホイールマスを12.5%増加

などの変更を加え、四点リジッドで振動を軽減させた新設計のオイルタンクインフレームに搭載。

SR400初代プレス写真

ちなみに日本とフランス向けだった400はストローク量を縮めることで399cc化・・・というか本当にそれだけで、キャブを覗けば500とほぼ一緒。

というのも400は法的にやむを得ず造った面が強いモデルだったから。しかしいざ造ってみるとショートストローク化による歯切れの良いレスポンスが好評っていう。

そのことが現れているのが500と400の相違点。初代モデルは色々と特徴があります。

初代SR400カラーリング

まず500はテールカウルが無く、400はテールカウルはあるけどある代わりにグラブバーが無い。

ポジションも500はアップライトハンドルなのに対し、400がコンチネンタルハンドル。

オジサマ向けの500なのに対して400はショートストロークで機敏な事からスポーツ寄りにされてる。

そんな発動場となったSRは、もともとXT500をオンロード仕様にする人がチラホラ居たことから400は約2000台、500も約1300台とそれなりに人気を呼びました。これも海外ではアメリカ向けに造ったけど、結局売れたのはドイツだったとか。

初代SR400

ただ経緯が経緯なだけに初期型はオンロードモデルなのにブロックタイヤなど立ち位置がまだハッキリしていなかった事もあり、わずか一年ほどですぐにモデルチェンジする事になりました。

まさかこのモデルが40年以上も続くモデルになるとはこの時は誰も思っていなかったでしょうね。

主要諸元
全長/幅/高 2105/765/1135mm
[2105/845/1155mm]
シート高 810mm
車軸距離 1410mm
車体重量 158kg(乾)
燃料消費率 44.0km/L
[45.0km/L]
※定地走行テスト値
燃料容量 12.0L
エンジン 空冷4サイクルSOHC単気筒
総排気量 399cc
[499cc]
最高出力 27ps/7000rpm
[32ps/6500rpm]
最高トルク 3.0kg-m/6500rpm
[3.7km-m/5500rpm]
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.50S19
後4.00S18
バッテリー YB7L-B
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
BP6ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.4L
交換時2.0L
フィルター交換時2.1L
スプロケ 前16|後47
チェーン サイズ530|リンク106
車体価格 310,000円(税別)
[350,000円(税別)]
※スペックは2HR
※[]内はSR500(2J3)
系譜図
XT500 1976年
XT500
(1E6)
2H6 1978年
SR400(2H6)
SR500
(2J3)
3X6 1979年
SR400/SP
(3X7/3X6)
SR500SP
(3X4)
34F 1983年
SR400/SP
(34F/34E)
SR500/SP
(34A/33Y)
1JR 1985年
SR400
(1JR/3HT)
SR500
(1JN/3GW)
RH01 2001年
SR400
(RH01J)
RH03 2010年
SR400
(RH03J)
RH16J 2018年
SR400
(RH16J)

XT500(1E6) -since 1976-

1E6

「I’aventure」

SRを語る上で絶対に外すことが出来ないのが偉大なご先祖様であるXT500/1E6型。

このバイクが誕生したキッカケはUSヤマハから

「4stビッグシングルのオフロードが欲しい」

と言われた事が始まり。

これは当時アメリカで4stのスクランブラーをボアアップなどして楽しむ人たちが出始めていたから。そこを狙い撃ったのがXT500というわけ。

XT500カタログ写真

サラッと言いましたがどうしてスクランブラーが全盛だったのかといえば4stビッグオフ自体がまだ未知に近い時代だったから。

ましてヤマハは当時まだまだ2stがメインだったので、お手本となるバイクもなく右も左もわからない状況。そのため最初は4stナナハンTX750の部品を流用した単気筒450ccのトコトコ系なプロトタイプを開発しアメリカでテスト。

すると現地で物凄いダメ出しが来た・・・それもそのハズ、向こうの人が求めるのはもっとガンガン走れる4st版ビッグモトクロッサーだったからです。

エンジン設計の大城さんいわく、このダメ出しで開発チーム火がつき

「軽く、コンパクトで、高い耐久性を誇り、なおかつ美しい」

をコンセプトに掲げSC500(2st500モトクロッサー)をベースに再開発。

ビッグシングルXT500

「1グラム1円(1円のコストで1グラム削る)」

を合言葉に4stでネガとなる重さを改善し、最低地上高を稼ぐドライサンプかつフレームにオイルタンクの役割を持たせる画期的な『オイルタンクインフレーム』を新開発。

オイルタンクインフレーム

ちなみに車体担当だった大野さんはトヨタ2000GTにも携わった方で、エンジンの方でも500ccにまで拡大しつつ同様に2000GTで培ったヘッド技術を投入。

結果タイヤのブロックパターンを捩じ切ってしまう問題を起こすほどガンガンな物にパワーアップしました。

※ヤマハ:XT500開発者インタビューより

XT500リアビュー

更に凄いのはこれだけの性能をもたせつつカリフォルニアのモハーヴェ砂漠(35,000km2)を難なくはしりきれる耐久性も持たせたこと。

これはプロトタイプのダメ出しで火が付いた開発チームが自ら乗り込んで走り込むようになった際に耐久性の大事さを再確認させられたから。

その熱の入れっぷりは凄まじく、有名なのが始動を容易にするために備えたデコンプなどを含めた耐久性を検証するためにやった

『一万回のキックテスト』

何が何でも壊れないエンジンに仕上げたかった大城さんの発案で、一人100回をチーム内でローテーション。

XT500メカニズム

まさに体当たりといえる開発で造られたXT500は好評どころか歴史に名を残すほどの名車となったんですが、そうなった経緯も凄い。

ビッグシングルバイクが全盛だったのは1960年代で、XTが出た70年代後半は多気筒や2stがメインだった。

じゃあなんでこんな4stビッグシングルが売れたかというと、ポテンシャルの高さを見抜いた目の肥えたコアな人達が飛びついたから。

XT500北米

具体的に言うとレースをやっている様な人たち。

そういう人達にとってXT500やTT500(保安部品が付いていないコンペモデル)は4st特有の粘りと信頼性をもった最高のバイクだった。

だからアメリカではモトクロスやエンデューロはもちろん、畑違いなフラットトラック(オーバルダート)にまで持ち込んでくる人まで出た・・・これが全米を震撼する出来事を起こす事になります。

テキサスで行われたフラットダートレースにて、なんとハーレーワークスのVR750や王者ケニー・ロバーツのXS650改を抑え、リック・ホーキンスのTT500が勝利したんです。

TT500

ツインエンジンが当たり前だったフラットトラックでまさかの優勝。

「あのシングルエンジンは何だ」

と話題になり、XT500/TT500だと分かるとユーザーはもちろん王者ケニーまで乗り換えるほどに。

結果としてダートだけでなくモトクロスやバハ1000などあらゆるレースで使われるようになり、そして活躍する姿を目の当たりにした人達もXT500/TT500を買い求めアメリカはビッグシングルブームへと突入することになりました。

XT500

一方で欧州の方はどうかというと、こっちもレースが絡んでいる。

XT500/TT500はもともとアメリカ向けバイクで欧州では後回しでした。そんな中でファーストコンタクトとなったのがISDEという1975年末にイギリスで行われていた6日間にも及ぶエンデューロレース。このレースにアメリカ人ライダーがXT500(おそらく先行生産された200台)で参戦したことが始まり。

これを見たスウェーデンヤマハの代理店に勤めていた4st好きなモトクロスレーサーのハルマンとランディが

「なんだそのバイクは・・・レースが終わったら売ってくれ」

と直談判し買い取った後に自分たちでハスクバーナのフレームに積むなどチューニングし、モトクロッサー版XT500を開発。

それを日本のヤマハに見せて

「世界モトクロス選手権に参戦したらXT500の宣伝になる」

と直談判し、開発と資金調達の目処を立てて参戦。

HL500

そうして開発されたのがこの

『HL500(Hallman Lundin)』

というモデル。

※MXWORKSBIKE.COMより

レースでの様子

HL500は並み居る2st500ワークス勢に負けずポイントを獲得するなど大健闘をしたことで、クロスするように販売されたXT500がドイツを中心にヒット。

HL500の存在は向こうではかなり有名なようで、XT500をHL500風にするレプリカ的なカスタムが流行ったりもしました。

そんな欧州でさらなるヒットを呼ぶキッカケとなったのが有名なパリダカ。

XT500パリダカモデル

フランスヤマハがXT500SPL(TT500ベースのビッグタンク仕様)にて、1979年の第一回ダカールラリー(旧名オアシスラリー)をワンツーフィニッシュ、第二回では表彰台独占という快挙を達成。

これによりもう欧州でその名を知らぬものは居ないと言い切れるほどの存在に。

XT500パリダカモデル

ちなみにXT500が欧州で人気となった理由には他にも

「構造がシンプルで修理やカスタムがしやすい」

という部分も大きかったようです。だからダカールラリーでも勝てたんでしょうね。

そして最後は日本・・・実は日本でも話題になったんですよ。

それは発売の翌年にあたる1977年に行われた鈴鹿六耐(八耐の前身)での事。

ロードボンバー/SHIMA498YというシマR&Dの島英彦さんと三栄書房社長だった鈴木脩己さんがタッグを組んで造ったモデル。

ロードボンバー

XT500のエンジンをオリジナルフレームに搭載したこのマシンがエントリーしたんですが、当時は無謀というか誰も注目していませんでした。

「四気筒のリッターバイクに敵うハズは無い」

と。

ところが単気筒ならではの軽さと燃費を武器に八位入賞という下馬評を大きく覆す結果となり一転してシングルの星として。

ロードボンバーについてはもう一つ話題があるのですがそれはSRのページで話すとして、XT500はこのように日欧米全てのレースで結果を残し歴史に名を刻む事になりました。

改めてもう一度言いますが、何が凄いってこれヤマハにとって4stビッグシングル第一作目という事。

XT500壁紙

にも関わらずフラットダートでワークスに勝って、モトクロスで2stと互角の勝負を繰り広げて、畑違いの鈴鹿でもマルチ相手に善戦し、ダカールラリーでは敵なしで連覇。

これを名車と言わず何と言いましょう。

最後に小ネタ。

XT500カタログ

XT500は最初の試作機がダメ出しされて作り直した経緯があるという話をしたんですが、実はその後にもう一度作り直された経緯がある。

原因はXT500を開発する上で掲げたコンセプト

「軽く、コンパクトで、高い耐久性・・・なおかつ美しい」

の”美しい”の部分を満たしていなかったから。

というのも性能を追い求めた結果エンジンの形が左右で大きく違うものになってしまったから。

XT500サイドビュー

エンジン担当だった大城さんはこれがどうしても納得がいかず、最後の最後で作り直してるんです。

※ヤマハニュースNo487

SRにおける造形美の一端を担っているエンジンの美しさは実はこのXT500譲りなんですね。

XT500

XT500はパフォーマンスだけではなく、美しさまでも妥協なく磨き上げられた文句のつけようがないビッグシングルでした。

主要諸元
全長/幅/高 2170/875/1180mm
シート高 835mm
車軸距離 1420mm
車体重量 139kg(乾)
燃料消費率 43.0km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 8.8L
エンジン 空冷4サイクルSOHC単気筒
総排気量 499cc
最高出力 30ps/5800rpm
最高トルク 3.9kg-m/5400rpm
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.00-21-4PR
後4.00-18-4PR
バッテリー 6N6-3B
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
D8EA
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量2.2L
交換時1.2L
フィルター交換時1.3L
スプロケ 前16|後44
チェーン サイズ520|リンク100
車体価格 370,000円(税別)
系譜図
XT500 1976年
XT500
(1E6)
2H6 1978年
SR400(2H6)
SR500
(2J3)
3X6 1979年
SR400/SP
(3X7/3X6)
SR500SP
(3X4)
34F 1983年
SR400/SP
(34F/34E)
SR500/SP
(34A/33Y)
1JR 1985年
SR400
(1JR/3HT)
SR500
(1JN/3GW)
RH01 2001年
SR400
(RH01J)
RH03 2010年
SR400
(RH03J)
RH16J 2018年
SR400
(RH16J)

バンバンRVシリーズ -since 1972-

バンバン50

今のバンバンとは直接関係ないんだけどバンバンという名前が最初に生まれたのは1972年の事。

実はこの頃レジャー風ミニバイク人気が高まっていた。

火付け役となったのは1969年に出たホンダのDAX。まあもともとモンキーとかあったけどね。

ST50ダックス

余りの人気っぷりから1995年に再販された歴史を持つ名車。

それを見たスズキが出したのがバルーンタイヤを履かせた一風変わったミニバイクであるバンバン。

これが見事にレジャーミニバイク層の心を射止めました。

バンバン50

可愛いルックスで何処でも走れちゃう原付。売れないわけないよね。

そこからミニバイクの中のレジャーバイクカテゴリが一気に高まった。

ミニトレ

FT&GT50/80(ミニトレ)っていうミニDTで大成功してたヤマハですら、この出遅れたレジャーバイク車を追うために。

ヤマハジッピィ
ボビィ

ジッピィ&ボビィ(更に言うならボビィやチャッピー等)を出して競争が激化。

当時は本当に原付一種二種が凄かったんです。

CB50やRG50といった本格派原付がある一方で、このバンバンといったレジャーミニバイクも各社から手当たり次第に出てて、当時の若者にとって原付って言えばスクーターじゃなくてMTバイクが当たり前だった。

RV50カタログ

今現在のバイク人口比率で40代~のバイク乗りが多いのは、こういった時代というか土台があったからなんですね。こういったオモチャ感覚で乗れるバイクが中古なら数万円で買えた時代。

今とは大違いというかもう無いし、今このDAXやミニトレやバンバンRVやマメタンを買おうと思ったら20万近く出さないと買えないっていう。

スズキのレジャーバイク

またミニバイクブーム来ないかなあ・・・

主要諸元
全長/幅/高
シート高
車軸距離
車体重量 84|86|88|105kg(乾)
燃料消費率
燃料容量
エンジン 空冷2サイクル単気筒
総排気量 49|72|88|123cc
最高出力 22ps/8500rpm
4000~6000rpm
最高トルク 0.5|0.83|1.0|1.4kg-m
4000~6000rpm
変速機
タイヤサイズ
バッテリー
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
スプロケ
チェーン
車体価格 ※RV50|RV75|RV90|RV125
系譜図
バンバン50 1972年
VanVan
RVシリーズ
SX200R 1985年
SX200R
(SH41A)
djebel200 1993年
DJEBEL200/DF200E
(SH42A)
先代バンバン200 2002年
VanVan200
(NH41A)
バンバン200 2007年
VanVan200
(NH42A)

GSX1100E-since 1979-

GSX1100E

GSX1100Sの親・・・というか兄弟と言うべきバイク。

時代はスペックインフレの真っ只中でスズキがそれに応えるべく出した新設計TSCC(Twin Swirl Combustion Chamber)エンジンを積んだハイスピードバイクで、一応GSX1100S KATANAはこのモデルの派生として登場する。

よく見ると分かるけど、エンジン以外にもホイールやマフラーもKATANAに流用されている。

スズキとして渾身のフラッグシップモデルだったわけだけど今ひとつインパクトに欠けるということで、このバイクをベースにもっと近未来感のあるバイクを作ろうとして生まれたのがKATANAというわけです。

主要諸元
全長/幅/高 2245/870/1190mm
シート高 805mm
車軸距離 1520mm
車体重量 243kg(乾)
燃料消費率
燃料容量 19.0L
エンジン 空冷4サイクルDOHC四気筒
総排気量 1075cc
最高出力 105ps/8700rpm
最高トルク 8.7kg-m/6500rpm
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.50-V19-4PR
後4.50-V17-4PR
バッテリー 14AHL-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
DR9EA
推奨オイル スズキ純正
エクスター
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量3.2L
スプロケ 前15|後42
チェーン サイズ630|リンク96
車体価格
系譜図
GSX1100E 1979年
GSX1100E
GSX1100SX 1981年
GSX1100S
KATANA Prototype
(SX)
GSX1100SZ

1982年
GSX1100S
KATANA
(SZ)

GSX1100SD

1983年
GSX1100S
KATANA
(SD/SE)

GSX1100SAE

1987年
GSX1100S
KATANA
(SAE/SBE)

GSX1100SL_SM 1990年
GSX1100S
KATANA/Anniversary
(SM/SL/SSL)
GSX1100SR

1994年
GSX1100S
KATANA
(SR)

GSX1100SY

2000年
GSX1100S
KATANA
FINAL EDITINON
(SY)

katana

2019年
GSX1000S
KATANA
(GT79B)

RG250/E(GT250/2)-since 1978-

1978RG250E

「みなぎるスポーツ感」

最初にRGの名を付けられたのはこのRG250/E。

一見すると名前くらいしか繋がりが無いように思えますが、実は結構繋がっています。

スポークホイールタイプが無印で、二年後に出されたキャストホイールを履いたタイプがRG250E。

今でこそ普通に見えるけど、スズキのWGPマシンだったRG(Racer ofGrandprix)と同じ名が付いている通りバリバリのスポーツ250。

RG250Eカタログ写真

じゃあ何故これほど知名度が無いのかと言えば、この頃(70年代後半)は4st化の流れが巻き起こっており2stは時代遅れという風潮だったから。

しかしヤマハからRZ250が登場し、それまでが嘘のように2stスポーツが再び脚光を浴びる様になったわけです。

有名な話ですね・・・が、ちょっと待ってほしいんです。

RG250E

そんなRZ250は1980年、対してこのRG250はその二年前の1978年。

5馬力ほど低いものの、2st250スポーツとしてはRG250の方が先に出ている。

というかですね、このRG250にも先代にあたる1971年登場のGT250が、その前にあたる1965年にはT250が居ます。

T250

果ては1956年のコレダ250シリーズなどスズキは時代に関係なくずっと2st250スポーツを造り続けていました。

しかもRG250は当時としては非常に珍しい250専用フレームに加え、認可が下りたばかりのキャストホイールをいち早く採用するというガンマに通ずるコンセプトを持っていた。

スズキRG250E

なのにうんともすんとも言わず誰も覚えていない。

これが何故かといえば当時は

「スズキ車はオジサン臭い」

と捉える人が多かったからですね。

まあこの問題があったからこそKATANAが生まれたわけですが、実はこのスズキ2st250スポーツの歴史はガンマ誕生にも一役買っているんです。

というもガンマを始めとした数々の名車を生み出してきた横内さんがスズキに入社した理由が、子供の頃にコレダ250TTの圧倒的な速さを目の当たりにしたことだから。

コレダ250TT

走って追いかけてオーナーにスズキのバイクである事を聞き、スズキに入社する事を決意されたんです。

もしもスズキが2st250スポーツを造っていなかったらWGPチャンピオンになることも、カタナやガンマが生まれる事も無かったかも。

主要諸元
全長/幅/高 2005/760/1055mm
シート高
車軸距離 1320mm
車体重量 126kg(乾)
燃料消費率 40km/L
※定地走行テスト値
燃料容量 15.0L
エンジン 空冷2サイクル2気筒
総排気量 247cc
最高出力 30ps/8000rpm
最高トルク 2.9kg-m/7000rpm
変速機 常時噛合式6速リターン
タイヤサイズ 前3.00-18
後3.25-18
バッテリー FB5L-BS
プラグ
※2つの場合は手前が、3つの場合は中央が標準熱価
B9ES
推奨オイル
オイル容量
※ゲージ確認を忘れずに
全容量1.5L
スプロケ
チェーン
車体価格 279,000円(税別)
系譜図
RG250/E1978年
RG250/E
(GT250/2)
RG250Γ1983年
RG250Γ
(GJ21A)
RG250Γ1985年
RG250Γ
(GJ21B)
VJ211988年
RGV250Γ/SP
(VJ21A)
VJ211988年
WOLF
(VJ21A)
VJ221990年
RGV250Γ/SP/SP2
(VJ22A)
VJ231996年
RGV-Γ250SP
(VJ23A)

Z1-R/2(D1~3)Z1000H(H)-since 1978-

Z1-R

「THE FASTEST」

角ゼットの始まりであるカフェレーサー風のお洒落なZであるZ1R。

・曲線デザインから直線デザインに変更

・前後18インチ

・4in1マフラー

・ハンドルマウントのビキニカウル

などなどの変更が加えられています。

Z1Rカタログ

丸みを帯びていた900Super4/Z1の後継とは思えないほどの大変貌を遂げたわけですが

「いくらなんでも変わり過ぎじゃないか」

とも思うかと。実際このデザイン本当はボツになるはずでした。

当時の開発に携わっていた山内さんいわく、このデザインは社内デザイナーがデロリアンでお馴染みジウジアーロに傾注し作った個人的な案だった。

しかし社内では

「なんだこの棺桶デザインは」

と大不評で世に出るはずではなかった。

ではどうして採用されたのかと言うと、同時期にアメリカから

「ブームになってるカフェレーサーモデルを作って」

という要望が入り、デザイナーがこのデザインを試しにアメリカへ提案したところ大好評。アメリカがメイン市場な事もあり無下には出来ないとして本当に形になったというのが経緯。

Z1-R北米カタログ

これが後に『角ゼット』と呼ばれ初代Zと人気を二分するデザインの誕生秘話になります。※KBM Vol39より

ちなみに狙い通りヒットし再びZ人気を浮上させた事でカワサキはラインナップを見直す事にもなりました。つまりこの流れが無かったら後のFXシリーズはまた違った形になっていたわけですね。

そんなデザインで成功を納めたZ1Rですが、ちょっと詰めが甘かったのかウォブル(横揺れ)など操舵性の問題が起こり欧州ではリコールが行われるなど性能面で少し難がありました。

Z1-Rii

そのため翌年のZ1R-2/D2ではフロント19インチ化やフォークのオフセット短縮などでトレール量を増し直進安定性を高める変更し対応。

加えて13Lしか入らなかったガソリンタンクを20Lにまで拡大。こちらもデザインを優先した結果なんですがさすがに13Lは少なすぎると言われた模様。

だからZ1-R(D1)とZ1R-II(D2/3)は全く別のバイクと言えるほどデザイン的にも中身的にも色々と違うバイクだったりするんですが、既に広まってしまった悪評のせいでD1が2万台近く生産されたのに対して、D2は5000台ほどで短命に終わる結果となりました。

その代わりと言ってはなんですがZ1R-IIは別の形で歴史に名を残す事になります。

Z1000MKII
(A3/A4)
-since 1979-

Z1000MK-2

それがこのA3/A4ことZ1000MK2。有名ですよね。

Z1R-IIのネイキッドバージョンともいえるバイクで車名にMk.IIと付いています。

一番大きな変更点としては(Z1R-IIもそうですが)フルトランジスタ点火になった事。簡単に言うと点火タイミングがより正確になる点火方式で、見直しも入った事で馬力が更に上がって93馬力となりました。

Z1000MK-II

角ゼットと言われて1番連想されるモデルじゃないかと思います。

ちなみにZ1000MK2によくある誤解が『黒/金』というイメージ。

実際は『紺/金』でMKIIで黒/金のカラーリングは存在しない。黒/金が人気となったのはこっちになります。

Z1000H(Z1000-H1) 
-since 1980-

Z1000H

1980年に登場したZ1000Hというモデル。

このモデルはフューエルインジェクションシステムを採用したZ1000MKIIという感じのモデル。

昨今のFIのように多数のセンサーから複合的な計算によるFIではないためお世辞にも良いインジェクションとは言い難いのですが

『通称 Hカラー』

とよばれるこのカラーリングに惚れる人が続出しMK2仕様にする人が結構いた。その事から黒金のイメージが付いたんじゃないかと思われます。

補足するとこの黒金の始まりはAMAというアメリカのレースが発端ですがそれは次のモデルで紹介するとして、この頃のカワサキはこのHモデルを始め色んなバリーエーションを出していました。

有名なのは1978年に出たZ10006気筒エンジンを積んだ「キング・オブ・Z」ことZ1300じゃないかと。

Z1300

乾燥重量296kgという重さと6気筒ゆえの巨体モデルです。

>>孤高のレジェンダリー6 Z1300の系譜|系譜の外側

それ以外にも同年に出たクルーザータイプのZ1000LTDや翌年のZ1000STもZマニアには有名かと。

KZ1000ST

STというのはシャフトドライブを採用したZ1000MKIIみたいなモデル。

ちなみに二年後の1981年にはエアサス採用のZ1100(Z1100A)へとモデルチェンジ。補足としてZ1000SというモデルはZ1Rのドイツ名です。

Z1000ST

他にも先代風(丸Z風)のZ1クラシック/KZ1000Gなどこの様にこの頃のカワサキはZをかなり乱発していました。

なにもZ1やMK2だけがZじゃないという話なんですが、カワサキのZ40周年サイト見たらこれらのモデルは載ってませんでした・・・酷い。

主要諸元
全長/幅/高 2160/800/1295mm
[2218(2155)/805/1290(1280)mm]
{2180/900/1180mm}
シート高 815(825)mm
車軸距離 1505mm
[{1490(1478)mm}]
車体重量 246kg(乾)
[250kg(乾)]
{245kg(乾)}
燃料消費率
燃料容量 13.0L
[20.0L]
{17.8L}
エンジン 空冷4サイクルDOHC4気筒
総排気量 1016cc
最高出力 90ps/8000rpm
[94ps/8000rpm]
{93ps/8000rpm}
最高トルク 8.7kg-m/7000rpm
[9.2kg-m/6500rpm]
{9.1kg-m/6500rpm}
変速機 常時噛合式5速リターン
タイヤサイズ 前3.50H18
後4.00H18
[{前3.25V-19
後4.00V-18}]
バッテリー YB14L-A2
プラグ B8ES
または
W24ES-U
推奨オイル
オイル容量
スプロケ 前15|後33
[{前15|後35}]
チェーン サイズ630|リンク92
車体価格 ※スペックはZ1-R
※[]内はZ1R-II/D2
※()内はZ1R-II/D3
※{}内はMK-II
系譜図
Z11972年
900Super4
(Z1/A/B)
Z900
(A4)
Z1000A1976年
Z1000
(Z1000A1/2)
Z1-R1977年
Z1-R/2
(Z1000D)
Z1000MK2
(Z1000A3~)
Z1000J1981年
Z1000J
(Z1000J)
Z1000R
(Z1000R)
Z1100GP1981年
Z1100GP
(Z1100B)
Z1100R
(Z1100R)
GPz11001983年
GPZ1100
(ZX1100A)
ZR1000A2003年
Z1000
(ZR1000A)
ZR1000B2007年
Z1000
(ZR1000B)
ZR1000D2010年
Z1000
(ZR1000D)
Ninja10002011年
Ninja1000
(ZX1000G/H)
ZR1000L/M2014年
Z1000
(ZR1000F/G)
Ninja1000
(ZX1000L/M)
ZX1000W2017年
Z1000/R
(ZR1000H/J)
Ninja1000
(ZX1000W)
ZX1002K2020年
Ninja1000SX
(ZX1002K)