ホンダ車が優等生と言われる理由 ~圧縮比の話~

ホンダウイング

ホンダのバイクは優等生とよく言われていますね。

そう言われる最大の理由はライバル車よりも馬力が低い事が多いからかと。

では何故ホンダはいつも馬力が低い傾向にあるのか考えた事はあるでしょうか。

先に答えを言ってしまうと

「圧縮比が低い場合が多いから」

というのが大きな理由です。

なるべく簡単な説明を心がけます。ちなみに4stの話です。

圧縮比とは

圧縮比というのは文字通り混合気をどれだけ圧縮するかという事で、圧縮比を高く設定すると取り出せる仕事量(熱効率)も上がるので馬力が上がります。

分かりやすい例として600ccのスーパースポーツを挙げてみます。※2008年ごろのモデル

ZX-6R圧縮比13.3:1128馬力
YZF-R6圧縮比13.1:1129馬力
GSX-R600圧縮比12.9:1126馬力
CBR600RR圧縮比12.2:1118馬力
平均値圧縮比12.8:1125馬力

○○:1というのは要するに何分の1にまで圧縮するかという事で、CBR600RRは12.2分の1とライバル車よりも一段落ちる圧縮比な事から馬力も少し低いですね。

何故ホンダだけ圧縮比が低いのかというと、高圧縮によるデメリットを嫌っているからです。

空気は圧縮されると熱を持つ性質がある事から、高圧縮=高圧にすればするほどプラグが点火した火が届く前に圧力に負けて勝手に火が付いてしまうノッキングという異常燃焼を起こしやすくなる。

ノッキング

ノッキングが起こるとプラグ点火による膨張とぶつかることで衝撃波が生まれシリンダー内を駆け巡る事に。

キンキン、チリチリと衝撃波が壁にあたって跳ね返る音を聞いたことがある人も多いと思います。

ノッキングは熱損失となりエンジン内の温度が跳ね上がり、また燃焼効率もガタ落ちとなるので良い事は一つもありません。

ただしリタード制御といって点火タイミングを遅らせて(遅角させ)シリンダー内の圧力を上げないようにする機能が付いているので神経質になる必要はない。

「どうして点火タイミングを遅らせると圧力が上がらないのか」

って話ですよね。

4ストローク

点火のタイミングというのはピストンが一番上に来た時(混合気の圧縮が完了した時)と思いがちですが、実際は一番上に来る少し前に点火されています。

この理由の1つは、一気にバンッと燃えるLPGガス等とは違い、ガソリンは燃え広がるのに時間がかかるから。

そしてもう1つは、ピストンにも丁度いいタイミングというのがあるから。

これは自転車に例えると分かりやすいです。

ペダルを漕ぐ時に一番力が伝わるのはペダルが少し進んだ時ですよね。

自転車のペダル

これと同じでピストンにも丁度いいタイミングがあるんです。

これらの事からガソリンが燃えるタイムラグとピストンがドンピシャに来る位置を計算し点火タイミングを早めているというわけ。

ただし早めに点火することには問題があります。

ピストンが上がり切る前に点火をするということはピストンが圧縮中(上昇中)なのに燃焼膨張を始めるわけなので、当然ながらシリンダー内の圧力が跳ね上がりノッキング(意図しない自然発火)を起こしやすくなる。

進角点火

つまりリタード制御(点火を遅らせる制御)をすることでノッキングを回避できるのは、ピストンの圧縮に逆らわない様にしてるから。

遅角点火

しかしこれはいま話した様に膨張のタイムラグ、ペダルを漕ぐタイミングがかなり遅れるのでノッキング時ほどではないにしろ本来のパワーは得られない。レスポンスやフィーリングも悪化します。

ちなみに

「耐ノック性の高いハイオク仕様の高圧縮エンジンにレギュラーを入れても壊れないけど性能は落ちる」

と言われているものこのリタード制御が理由。

これが点火タイミングの難しい所。

点火タイミング

点火タイミングを早めれば気持ちよく回ってパワーも出るけど、圧が増すのでノッキングを起こす可能性が上がる。

一般的には無視できる範囲のノッキングしか起こらないところまで点火時期を早めるのがベターだと言われています。その為レース用のマシンやキットでは点火時期を市販モデルより早める様になっている。

※エンジンブローと隣合わせなので安易に弄らない様に

ただしコレはピークパワーだけを見た時の話です。

低圧縮エンジン

常にパワーバンドに入れる走りをするならば別ですが、少なくとも公道ではそんなの無理な話。

ここで問題となるのがエンジンというのは低回転域が、簡単に言うとゆっくりした動き(燃焼)が苦手という事。

特に高圧縮エンジンの場合、素早い燃焼に貢献する混合気の渦(流速)を押し潰して消してしまう等の問題があるので更にノッキングを起こしやすく(ノッキングによる膨張時間を与えることに)なる。

エンジンのスムーズさ

その為このようにカタログのパワーカーブではスムーズでも、実用途ではノッキングを起こし易くなる。しかしそれでは乗れたものではないので先に話したリタード制御(点火の遅角)が入る。

つまり少し大袈裟に言うと

「高圧縮エンジンは実用域で綺麗に気持ちよく回れていない(点火できていない)場合が多い」

ということ。

ホンダはこれを嫌っているんです。

では実用域でも点火タイミングをドンピシャで合わせるにはどうしたらいいか。

圧縮比を下げる

圧縮比を上げなければいいんです。

圧縮比が低ければピークパワーを稼ぐことが難しくなる代わりに、点火時に跳ね上がるシリンダー内圧力も下がるからノッキングの問題が軽減され点火タイミングの自由度が増す。

つまり低回転でも高回転でもドンピシャで気持ちよく回る点火タイミングが可能になる。

ホンダのバイクが大人しいとか、優等生とか言われる理由。そして下から上までモーターの様に回るとか言われるもこれが大きな理由。

ホンダR&D

「安易に圧縮比を上げてはいけない」

ホンダのエンジニアはこう考えているという話。

断っておきますが”高圧縮が悪”で”低圧縮が善”という話ではないですよ・・・実際2017年に出たCBR1000RRやCBR250RRはそうも言ってられなかったのかモリモリ高圧縮エンジンです。

点火タイミング

ホンダに限らず実用性のあるバイクが低圧縮なのは理由があるし、高圧縮なのも理由がある。

ただ圧縮比の高低で測れるのはピークパワーであり、必ずしもフィーリングと直結するわけではないという事です。

レンタルバイクがもたらすもの ~メーカーが事業に乗り出した理由~

バイクレンタル

ヤマハが2018年末からメーカー直々に始めたと思ったら、2020年にはホンダも参入・・・かと思ったらカワサキもモトオークレンタル経由ですが始めたバイクレンタルサービス。

乗用車のレンタカーと違ってレンタル専用の事業所があるわけではなく、公式サイトから該当店舗(ドリームやYSPやPLAZAなどのディーラー)に用意されている車両を予約して当日その店舗に受付にいく形。

料金は大まかに平均して書くと

 4時間 24時間
大型クラス 14,000円 19,000円
普通クラス 10,000円 12,000円
小型クラス 5,000円 6,000円

だいたいこんな感じで

・対人無制限(相手へ賠償)

・対物無制限(相手の物への賠償)

・搭乗者障害特約(自分や同乗者への補償)

・無保険車傷害保険(無保険車との事故を補償)

・時間と距離が無制限のロードサービス

などなど要点を抑えている任意保険料込み。

ただし

『車両保険(借りたバイクの補償)』

『営業補填(修理で一時的に利用不可になった場合の補償)』

は入っていないので転倒や事故などでバイクを壊してしまうと修理費と営業補償を自己負担する必要がある。

バイクレンタル

だからホンダやヤマハなどは自己負担をゼロにするフルカバータイプの保険オプション

『1500~4000円/日 ※クラスによる』

も付ける事を推奨しています。

ちなみに保険適用には事故証明が必須なので立ちごけでも警察を呼ぶようご注意を。あと一番気をつけないといけないのは盗難で、盗難保険は無いので盗られたら弁償になります。

まあ本題はこれじゃないので車両や保険など注意事項が気になる方は公式ホームページを読んでもらうとして本題に入ります。

【主なバイクレンタルサイト(参照)】

HondaGO バイクレンタル

ヤマハ バイクレンタル

モトオークレンタル

レンタル819(キズナレンタル)

上記の説明を聞いた多くのバイク乗りが

「レンタル代が14,000円で保険が4000円って4時間借りるだけで18,000円もするのかよ」

と思ってるのではないでしょうか。

18,000円あればパーツやウェアや遠征費が賄えるほどの額、乗用車ならクラスによっては1泊2日も可能な料金。転倒という可能性があり仕方ないとはいえ正直ちょっと高くて率先して利用しようとは思わないですし

「メーカーが直々に展開するほどの事業(規模)なのか」

という疑問すら湧いてくるんですが、メーカーが直々にそれも精力的にレンタルバイク事業を展開しているのは

「顧客が既存のバイク乗りじゃないから」

です。

レンタルバイクは買い替えや気になっているモデルを長時間借りて好きに試走出来るという需要もある。でも一番の顧客は免許は持っているけど車両は持っていない人達。

レンタルバイクの利用者

『バイク未保有者(ペーパーライダー)』

が乗るためなんです。

皆さん二輪免許は持っているけどバイクは保有していない休止ライダーやペーパーライダーがどれくらい居ると思いますか・・・これ驚きますよ。

正解は

バイクレンタル

『64.9%』

とっても多いですよね。

ちなみに免許改定による繰り上げで二輪免許所持者となった1965年以前の人を除いても二輪免許所持者は約1000万人いるとされているので人口にして約650万人。

つまり

「潜在的なライダーが650万人も居る」

という事になる・・・そう、メーカーがレンタルバイク事業を直々に乗り出したのはこの人達を狙ってのこと。

非保有層

既存の倍近く存在する様々な理由でバイクを保有していない人達をバイクビジネスに結びつけたいという狙いからメーカーはレンタルバイクを始めた部分が強くあると思われるんです・・・が、ビジネスと言っても単純にレンタルビジネスとしてではないですよ。

自動車工業会の二輪車市場動向調査2017のトピック調査で非保有層の中には

「いずれはまたバイクを所有したい」

と考えている人が少なくない事が分かってる。

わざわざ二輪免許を取ってるんだから当たり前な話ですが、メーカーとしてはここを掘り起こしたいんです。

しかし現役ライダーですら新しいバイクを買おうと思っても車体価格などに躊躇するのに、バイクライフと少し距離を取っている潜在ライダーがいきなり100万円前後の物を買うっていうのはかなり敷居が高い。

そこで突破口になるのが購入ほど敷居が高くないレンタルバイクというわけ。

オーナーの増加

そして同時にここで重要となるのが最初にも言ったように

「バイクレンタルちょっと高い」

と思ってる現役バイク乗り。メーカーがレンタルバイク事業を精力的に展開するようになった要因は実はここにある。

何故これが重要なのかというとレンタル事業には

「保有者(既存顧客)の喪失」

という懸念事項があるから。

要するに商品を買うのを止めてレンタルで済ませる層が出てきてしまい、掘り起こすどころか埋めてしまうような事態を招いてしまう問題・・・しかしバイクはそうならない事が展開していくうちに分かった。

オーナーの減少

理由はいま言ったように保有層は所有する喜びやカスタムする喜びを得ることが出来ないなどの理由からレンタル運用(やサブスクなどの定額制)にあまり関心がないから。

割高に感じてしまうのが正にそれ。

一方で非保有層(潜在ライダー)は所有したいと思ってる層が一定数いるので、例え意図しなくてもレンタルバイクを利用して久しぶりに乗ると

オーナーの増加

「やっぱバイクは楽しいから欲しい」

となり顧客になる可能性が少なからずある。

つまりレンタルバイクは顧客を増やすことはあっても減らすことはない物凄い販促なんです。

あくまでも考察というか分析ですが纏めると、メーカーが直々に大して旨味が無いであろうレンタルバイク事業を精力的に展開しているのは

「潜在ライダーを掘り起こし購入してもらう(顧客になってもらう)ための踏み台だから」

という話。

最後にちょっと個人的な考えを述べると、現役ライダーがレンタルバイクに否定的な考えをするのは分かるというか自然な話ですし率先して利用すべきとも思いません。

ただ、レンタルバイクを利用している人は約80%の確率でペーパーやリターンなどまだバイクに慣れていない人が乗っている。

レンタルバイクのナンバープレート

もしもナンバープレートが『ろ』か『わ』になってるレンタルバイクを見かけたら若葉マークだと思って、気持ち程度でいいのでバイクの先輩としてジェントルに接したいし、そうして欲しいな思う次第です。

「”K”awasakiを探せ!」総合カタログに込められた遊び心

フライングK

カワサキのロゴでお馴染みのフライングK

そんなフライングKが年一回発行されるカワサキの総合カタログの表紙にこっそり紛れ込んでいる事をご存知でしょうか?

これは知る人ぞ知る毎年恒例の遊びで”必ず”何処かに入っています。

今回は比較的簡単な2013年カタログをご紹介。

カワサキへの信仰心が強い人ほどすぐ見つかるそうですよ。

カワサキ総合カタログ2013

さて何処にあるか分かりますか?※見つけたから何か貰えるといった特典はありません。

「どうしても分からない教えて!」という人はコチラをクリック(答え)

※2016年ウェアカタログ表紙(JPG)

※2017年ウェアカタログ表紙(JPG)

しかしカワサキにこんな遊び心があったとは意外ですよね。

もしバイク屋さんに置いてたら待ち時間の暇つぶしがてら探して見るのも一興かもしれません。

二気筒エンジンが七変化した理由 -クランク角について-

二気筒エンジン

直四至上主義が蔓延っていた国内ではほんの十年ほど前までは安物バイクと見向きもされなかったのですが、技術向上による侮れない性能とコストパフォーマンスの高さから市民権を得て来ている二気筒。

ひとえに『二気筒』といっても色んな種類がある事を何となく知ってる人も多いかと。位相クランクだの180度クランクだの耳にしたことがあるでしょう。

YZF-R25エンジン

実際この記事もリクエストを頂いて書いているわけですが、じゃあそれが

「どういう意味なのか、どうしてそんな事をしてるのか」

という事ですが、先に答えを言うと振動の問題が大きいです。

なるべく噛み砕いてWikipediaのアニメーションを切った張ったして書いていこうと思います。あまり詳しく書くとボロもでますし。

まずエンジンというのは

「1.吸気(180度)→2.圧縮(360度)→3.燃焼(540度 ※これが走る力になる)→4.排気(720度)」

4ストローク

というピストンが二往復、ピストンが付いてるクランクが二回転(720度)で1セットとなり走っているわけですが、たった二つピストンを付けるだけなのに他の多気筒と違い非常にバリエーション(特性)に富んでいるのが二気筒エンジン。

まず代表的なのが「パラレルツイン(パラツイン)」という並列二気筒エンジン。

バリエーションとしては

・360度クランク

・180度クランク

・270度クランク

三種類ほどあります。クランク角を示す○○○度というのは上で言ったエンジンの行程で

「一つ目が”3.燃焼(540度)”に来た時に、もう一つが何番(何度)にいるか」

を角度で表しているわけ。

それでもよく分からないという人は自転車のペダルを思い浮かべて下さい。

自転車のペダル

二気筒におけるクランク角というのは、左右それぞれのペダルが上に来るタイミングを現している数字みたいなもの。

『360度クランク並列二気筒』

クランクアングル

“ダン、ダン、ダン、ダン”と360度間隔で交代交代燃焼する等間隔燃焼。

一つが”3.燃焼(540度)”の時、もう一つは”1.吸気(180度)”をしています。540-180=360だから360度クランク。

360度クランクアニメ

代表的な車種はヤマハのTMAX530やBMWのF800など。等間隔燃焼なのでエンジンが出しゃばらず低速から安定したトルクが出る。

ただしシングルエンジンを二つ並べたような形なので一次振動という大きな振動が起こる。

『180度クランク並列二気筒』

クランクアングル

“ダダッ・・・ダダッ”と不等間隔燃焼。Ninja250やYZF-R25やCBR400などスポーツモデルの並列二気筒エンジンはこれが基本です。

一つが”3.燃焼(540度)”にきた時もう一つは”2.圧縮(360度)”にいます。540-360=180だから180度クランク。

何故そんな変なタイミングを取ってる(クランクを捻っている)のかということ、360度クランクで話をした振動が問題だったから。

360度クランクアニメ

この360度だと単気筒で起こっていたピストンの上下運動(そのまま上下に向かおうとする慣性力)による振動も単純に二倍になってしまいクランクが綺麗に回れない事から出力や回転数を上げるのが難しくなった。

そこで誕生したのが左右それぞれのピストンがそれぞれ反対の動きをし、互いの振動を打ち消し合う180度クランク。

180度クランクアニメ

こうやって左右のピストンが反対の動きをすることで互いが互いの上下運動に寄る振動を打ち消し合うので、360度クランクで問題だった振動が問題にならない・・・んだけどコレはコレで360度には無かった別の振動が生まれます。

それは偶力振動といって要するにピストンが左右対称に動いていない事から生まれるエンジンを揺すり回すような振動。

偶力振動

更に180度は燃焼タイミングがあまりに極端でトルクの波が大きい事から発進時など低域での扱いやすさに難があります。

『270度クランク並列二気筒』

270度クランクアングル

“ダ・ダ、ダ・ダ”とこんな感じです。分かりませんよね懲りずにスイマセン。

これは360度と180度のように必然的に生まれたクランク角というよりも、並列二気筒の可能性を求めた結果生まれたクランク角。発端はヤマハのパリダカです。

“3.燃焼(540度)”にきた時もう一つは”2.吸気途中(270度)”にいます。540-270=270だから270度クランク。

270度ピストン

こうすると点火タイミングが180度ほど極端にならずタイヤを休ませる時間が空くことでトラクションに優れている事と、エンジンのパルス感を味わえる・・・っていうのはよく聞く話だと思うけど270度のメリットはもう一つあって、360度や180度だと発生する微振動(二次振動)が発生しません。

何故かというとピストンの上下するスピードというのは一回転する間にも一定ではなく速い遅いを繰り返してるんですが、270度(90度)ズレてれば片方の速度が変わっても、もう一つが逆のゾーンに入って相殺するから。

慣性トルク

正確に言うとコンロッドの傾斜によるピストンの速度差。難しいから上の写真で納得してください。これは慣性トルクの写真なんですが。

ただし、270度はその角度通りピストンが左右非対称に動いてお互いを打ち消し合わないので360度と同じように大きい振動と揺れ動く振動が出ます。

ちなみに

一次振動というのはクランクが一回転する毎に一度起こるから一次振動。お尻を突き上げたりパーツが脱落するほどの大きい振動。

二次振動というのはクランクが一回転する毎に二度起こるから二次振動。ハンドルから伝わってきたりするビリビリとした微振動。

正確に言うと偶力振動も一次と二次があるのですが、これは消すのが基本なので感じることはほぼ無いかと。

ちなみにもっと言うと四次振動や六次振動などもありますが、問題となるのは二次振動まで。

纏めると

【360度】
大きい振動(一次振動):有
細かい振動(二次振動):有
揺する振動(偶力振動):無
特徴:低回転域から扱いやすいけど振動が大きく回転数を上げるのが苦手

【180度】
大きい振動(一次振動):無
細かい振動(二次振動):有
揺する振動(偶力振動):有
特徴:回転数を上げるのが得意だけど低域が苦手で不快な偶力振動も発生する

【270度】

大きい振動(一次振動):有

細かい振動(二次振動):無

揺する振動(偶力振動):有

特徴:数字通り360度と180度の特性を足して2で割ったような特性

二気筒クランク角

ザックリ言ってこんな感じです。大きい振動、細かい振動、揺れる振動、無くせるのはどのクランク角でも一つしかない。

ただ恐らく

「ツインに乗ってるけどそんな振動ないよ」

って思ってる人が多いかと思われます。

それはバランサーと呼ばれる振動を打ち消す重りの付いたシャフトが付いているから。

バランサー

例えば360度や270度の場合は大きい一次振動を消すバランサー(一次バランサー)が付いている場合がほとんどですし、180度の場合は左右に揺れ動く振動を消すバランサー(偶力バランサー)が必須です。

※偶力振動は横揺れなので非常に不快に感じる

GSR250エンジン

ただしバランスシャフトは魔法のステッキではなく代償があります。クランクの動力で動くわけなので出力や燃費が犠牲になるんです。

更に重りのついた棒を一本追加するわけなので、複雑化しエンジンレイアウトへの負担やコストも増えます。

250並列二気筒180度クランクのスポーツタイプが偶力振動のバランサーだけで二次振動のバランサーを付けていないのもそういう理由から。深刻な振動ではないから演出の為に残している面もありますが。

ただそんな二気筒でもバランサーが要らない二気筒があります。

『バンク角90度V型二気筒』

燃焼間隔は並列二気筒エンジンの270度クランクと同じです。

Vツインで”クランク角”ではなく”バンク角”と言ってるのは、Vツインというのはクランク(クランクピン)が実質的に単気筒分しかなく、本来なら一つしか付けない所に二つのピストン(コンロッド)を付けてるから。だから次の角度がない。

V型2気筒エンジン

そのかわりシリンダーという燃焼室で左右に振り分けることでタイミングを変えてるからVツインはクランク角ではなくバンク角(シリンダーの開き)で表すようになってる。

これがV4になるとまた二つ付ける場所が必要となりクランクピンが追加されるのでクランク角という言葉が出てきます。

V4については>>VFR400R(NC30)の系譜で少し語っていますので割愛。

【90度Vツイン】

大きい振動(一次振動):無

小さい振動(二次振動):無

揺する振動(一次偶力振動):無

なんと振動を生まない。

これは説明が非常に難しいので簡単に言うと180度並列二気筒のように互いが互いのピストン運動による振動を相殺するうえに、2つとも同じ軸にあり左右へ揺する運動も起こらないから。

※正確に言うと二次と偶力が発生するものの無視出来る程度

しかも並列二気筒のように並べなくていいからスリム。

つまり

「二気筒の最適解は90度Vツイン」

・・・とは、ならないんですねコレが。

90度Vツインはその名の通り2つのピストンを並べなくていいけど、そのかわり90度もピストンの間を広げないといけないから前後に長いエンジンとそれを収める長いスペースが必要になる。

並列二気筒と90度Vツイン

長いスペースが必要になるということは必然的に全長やホイールベースが伸るから少し眠いバイクになってしまう。

ちなみにハーレーなどが45度とかなり狭い角度にしているのはデザインの関係。

ハーレー狭角エンジン

キュッと開きを縮める事で塊感を出すためにこんなに狭くしてる。

話を戻すと、理想的なバランスを誇るけど前後が長すぎる90度Vツイン。それをなんとかしようとしたドゥカティが生み出したのが・・・

『バンク角90度L型二気筒』

Lツイン

90度Vツイン自体を更に90度傾けL字にして搭載することで全長を抑えるようにしたわけです。

これで万事解決・・・かと思いきや、コレをすると後ろのシリンダーが立ってしまうのでフレームや吸排気といった周囲のレイアウトに大きな制約を生んでしまう。

90度VツインとLツイン

だからLツインは(Vツインもそうですが)基本的に整備性が悪くバイク屋は結構面倒がったり工賃が高くなったり。

もう一つ上げるとエンジンで一番重い部分はクランク部(丸い部分)なんですが、Vツインはシリンダーの片方が前に飛び出している為に後ろ寄りに積むことになるので前輪荷重分布が不足してしまい走行安定性が損なわれてしまう。

ましてL型になると更にシリンダーを前に押し出す事になるのでその問題が顕著になる。

そんな中で生まれたユニークエンジンがバンク角52度と狭角ながら90度と同じ燃焼タイミングを持たせたVツインエンジン。

『V型位相クランク二気筒』

位相クランクVツイン

一つのクランクピンに2つ付ける従来の方法ではなく、クランクウェブと呼ばれる仕切りを設け別角度に二気筒目をズラして付けてる。

上の写真はホンダの52度位相クランク。

ちなみに位相角の求め方は

『180-(シリンダー挟み角×2)』

で、この52度バンクならクランク角は76度。

こうすると確かにV型のデメリットである前後長は抑えられるけど実質的に並列二気筒に近いクランク形状になるので、幅が増えクランクが重くなってしまう事と

“わずかな一次振動と偶力振動”

が発生してしまう。

つまり狭角というスペース的有利を取る代わりに無振動スリムいうVツインの武器を少し削った形になる。

ただし砂漠の女王と呼ばれたホンダのパリダカマシンNXRもこの方法を取っていました。それだけV型の前後長というのは軽視できない問題なんです。

VツインやLツインにやたらビッグボア(直径が大きいピストン)が多いのも

「全長を少しでも抑えたい」

という狙いがあるからだったりします。

ならばと出てくるのがモトグッツィに代表されるエンジン。

『バンク角90度Y型二気筒』

モトグッツィYツイン

確かに縦に積むとVツイン最大のデメリットである前後長は抑えられるしエンジンの振動はない。

ただしエンジンを90度回すということはすなわち駆動系も90度回す事になるのでチェーンドライブと相性が悪い。向き(クランクの回転)が縦になっているエンジンのバイクがほぼシャフトドライブなのはこれが理由。

ニーグリップ、ライダーの膝が当たらないように考慮しないといけないので必然的に後ろ乗りになり、バンク角も稼げない問題もあります。

最後はBMWでお馴染みの二気筒。

『バンク角180度F型二気筒』

BMWフラットツイン

最大のメリットはエンジンを低く積めて低重心に出来る事と一番熱くなるエンジンヘッドを効果的に冷やせること。これはY型もだけどね。

燃焼間隔は360度の等間隔。

F型というか水平対向なんだけど、これも上で話したホンダの位相クランクと同じようにピストンがそれぞれ別のクランクピンに付いてる形。

「フラットツインは振動が少ない」

と思ってる人がチラホラいるけど、ピストンが左右それぞれ反対方向に動くので揺れ動く偶力振動が発生し、見ても分かる通りバンク角が圧倒的に稼げない事とY型と同じく駆動も90度回ってしまうデメリットがある。

MT-01エンジン

そしてこれらV型・L型・Y型・F型全てに共通する難点としてシリンダーやヘッド(エンジンの上半分)が2つ必要だという事があります。

重量増やコスト増に繋がってしまうわけですね。

もう長くなってしまったのでいい加減締めると

「たった二つの気筒を組み合わせるだけ」

なのにこれほど多彩な形が生まれたのは

「たった二つしか組み合わせる気筒数がないから」

ということです。

二気筒の種類

その結果がこの七変化。どういう組み合わせをしようが一長一短で最適解はない。

同じ気筒数でこれほど色んな形があるのは間違いなくバイクの二気筒エンジンだけでしょうね。

奥が深い二気筒エンジンの世界でした。

集合管マフラーは生みの親のヨシムラにとっても謎パーツだった

Z1ヨシムラ4-1

今では当たり前になっている集合管マフラー。

世界で初めてバイクの集合管を作ったのはホンダでもヤマハでもスズキでもカワサキでもなく、かの有名な日本を代表するマフラーメーカーのヨシムラです。

初めて製作&装着されたのは1971年のAMAオンタリオ250マイルレース(レース管)でした。

AMAヨシムラCB750

まあ当時を知らない人が多いと思いますので説明しますと、世界初の市販直四であるホンダドリームCB750FOURは一気筒づつにマフラーを充てがう四本出しマフラーでした。

DREAM_CB750

Z1(Z2)もそうでしたね。というかそもそもバイクではまだ多気筒化への過渡期みたいなもんで集合管なんて存在していない時代です。

ヨシムラはそのアメリカでのレースで勝つため、軽量化の一環として四本出しマフラーを一本にしようと計画。そして集合管(4-1)を作りCB750に付けてみたら軽量化はできたんだけど、それよりも何故か馬力が四本出しよりも5馬力前後上がってる事が判明。

ヨシムラ集合管

これは排気脈動(圧力波)による効果なのですが、当然ながら当時はまだそんな事も分かっていない時代。後から分析して判明した効果なんです。排気脈動については>>FZR250(3HX)

つまり集合管にしたのは軽量化が目的だったんだけど

”何故かは分からないけど集合管にすると馬力が上がる”

というのがヨシムラの開発で初めて判明。これが集合管の始まりなわけです。

「ヨシムラのCBは四気筒なのにマフラーが一本しか出てないぞ!排気音も全然違う!」

と、非常に珍しかったので注目の的に。しかも走らせてみたら速い速い。

当然トップ走行だったものの残念ながら故障でリタイアしてしまったのですが、この一件以降アメリカでは集合管ブームが巻き起こりました。

ヨシムラも翌年には市販車のCB750FOURやZ1向けの集合管マフラーを引き下げ、アメリカ市場に進出するまでに。

Z1000A

後のCB750FOUR-2やZ1000Aが集合管になったのもこういう背景があったからなんですね。

ただ日本ではマフラーの本数が排気量を表すシンボル的な要素が強かったので最初は受け入れられませんでした。

ホンダがSUZUKAとMOTEGIを作った理由

三重県鈴鹿市にある鈴鹿サーキットと、栃木県茂木市にあるツインリンクもてぎ。

日本有数の国際サーキットなだけあり、走行やスクールだけでなく大規模なレースが毎年開催されています。

【ツインリンクもてぎ】
MotoGP・全日本・トライアル・SUPER GT(四輪)

【鈴鹿サーキット】

鈴鹿8耐・全日本・F1・SUPER GT(四輪)

などなど

サーキットやレースに全く関心のない人に断っておきますが、この二つはただ大きいコースがあるだけのサーキット場じゃないですよ。

どちらかというとコースもあるアトラクションだらけの遊園地です。

ホンダという強力なバックを武器に、採算取れていないとしか思えないクオリティのアトラクションだらけ。

「ここに来て喜ばない子供は居ない」

と断言できるというか、大人でも楽しめるほど充実しています。

さて本題。

先に建造されたのは鈴鹿サーキットで1962年に作られました。

鈴鹿サーキットは日本初の全面舗装サーキットなんですが、これは本田宗一郎が

「レース場&試験場が欲しい。絶対に必要。」

と言い出したのが始まり。

今では信じられない話ですが、昔はボコボコの河川敷や峠道でテストしていたんですよ。

ただし鈴鹿サーキットの建設は一筋縄では行きませんでした。

というのも当時の日本はモータースポーツ観戦という娯楽文化がなかったから。

観戦できる様に観戦席を設けようとしたら・・・

「ホンダがギャンブル場を作ろうとしている。」

という誤解が広まり、地元住民や自治体を中心に猛反対されてしまったわけです。

競艇場とか競馬場の延長線上に捉えられてしまったんでしょうね。いま聞くと笑える話ですが。

しかしサーキット場を造ることは副社長だった藤沢さんも賛成で、あちこち説得して回ることで誤解を解き建設にこぎつけた歴史があります。

藤沢副社長がなぜ賛成したのかというと

「モータリゼーションの底上げに繋がる」

と考えたから。

そしてそのためのもうひと工夫。

親子で楽しめる施設にして、小さい子にも(小さい頃から)その面白さを身近に感じ、知ってもらいたいと考えた。

そうして生まれたアイディアがアトラクション併設という形。

今も昔もコースだけでなく親子で楽しめるアトラクションが充実しているのはこのため。

藤沢副社長が目指したのは

『ゴミが一つも落ちていないサーキットを兼ねた遊園地』

これは”夢を与える”という同じコンセプトを持っていたディズニーランドにヒントを得たそう。

つまり鈴鹿でゴミをポイ捨てする事は藤沢さんを冒涜する行為なので絶対に止めましょう・・・いや鈴鹿に限った話ではないですが。

それに対しツインリンクもてぎは1997年に作られた比較的新しい国内最大規模のサーキット場です。

ただし鈴鹿サーキットと同じくホンダが作りたくて作ったサーキット場であり、基本的なコンセプトも一緒。

だからアトラクションが充実しています。

しかしながら鈴鹿サーキットという立派なサーキットを既に持っていたにも関わらず

「どうしてホンダはもう一つ作ったのか」

って思いますよね。

サーキット場というのは莫大な維持費が掛かるので、ホームサーキットを持っていないメーカーも当たり前の様にいます。

国際サーキットを、それも日本国内に二つも持つというのは普通では有り得ない話。

じゃあホンダが何故ツインリンクもてぎを作ったのかというと

「関東でレース出来る場所が欲しい」

という営業側からの要望がキッカケです。

要するに首都圏からアクセスが良い場所に欲しいという話。

でもですね・・・これはただのキッカケ。

要望が持ち込まれた当時(80年代)の社長は三代目になる久米是志社長。

「自動車技術会インタビュー(pdf)」で話されていたのですが、久米社長にはずっと気がかりな事がありました。

「現地生産の流れで輸出はいずれ出来なくなる。資源のない日本は知的財産しか飯を食える道はない。」

日本からの輸出がどんどん減っている状況に懸念を抱いていたわけです。

「じゃあ知的財産ってなんだろう。」

と考えた時、ホンダの脳と言われる開発部門の研究所を置いておくだけでは不十分。

「道具としてではなくカルチャーとして親しむ人達がいてこその知的財産」

と考えたわけです。

そしてそれにはそういう人達が集まれる場所が必要不可欠。そうした場合、やはり場所は集まりやすい関東が良い。

そんな考えがあったから久米社長は計画を承認したんです。

「触る、作る、楽しむ、遊ぶ・・・そういう事が好きな人達が集まって面白いことをやりだす”モータリゼーションの聖地”みたい場所を作りたかった。」

「『もてぎに行けば何かしらやってるぜ』って言われる様になるといいなって。」

これが二つ目の国際サーキット”ツインリンクもてぎ”が作られた理由です。

【ツインリンクもてぎ公式HP】

【鈴鹿サーキット公式HP】

あなたと同じ年に生まれたバイク ~1950年から2004年まで~

1950年から2004年まで

知名度があるその年のニューモデル(新しく誕生した名前の日本車)を1950年から2004年まで上げてみました。

自分と同い年のバイクは何か、昔のバイクを知るキッカケにでもなれば幸いです。

1950年代生まれ

1960年代生まれ

1970年代生まれ

1980年代生まれ

1990年代生まれ

2000年代生まれ

1950年生まれ|ラビットS-41

XL250

スクーター事業に乗り出していた富士工業(現スバル)が出したモデル。単気筒ながら169ccと当時の原付免許(~150cc)を超える規格と大柄な車体で大型高級スクーター路線の草分け的なモデルだった。

1951年生まれ|ドリームE型

ドリームE型

後に二代目ホンダ社長となる河島さんがエンジン設計を担当した4stエンジンのモデル。性能と耐久性の高さで宗一郎を感心させホンダを4stの道へ進めることになった名車。

関連ページ:第三章 本田技研工業設立と藤沢武夫/本田宗一郎の系譜

【その他】

・シルバーピジョンC21

1952年生まれ|カブF号

カブF号

白いガソリンタンクと真っ赤なエンジンが特徴のバイクモーター(自転車に付ける補助エンジン)が特徴のモデル。運転で衣服が汚れないよう後部に備え付けなどのアイディアがヒットを呼び、HONDAの名を全国に知らしめた。

関連ページ:カブF号/スーパーカブの系譜

【その他】

・スズキパワーフリー号

1953年生まれ|VFE-LTS

VFE-LTS

国内最大排気量バイクメーカーであった陸王のラインナップでトップに位置していたモデル。主に警察など官用向けの高級車。

関連ページ:国産ハーレー『陸王』とは

【その他】

・ダイヤモンドフリー号

1954年生まれ|ジュノオK

ジュノオK

ホンダが初めて作ったスクーター。富裕層で流行っていた事が背景にあり高級志向を追求した結果とんでもない重さ(乾燥重量で170kg)になった。

【その他】

・コレダCO-L(スズキ初の完成車)

1955年生まれ|YA-1

赤とんぼ

赤トンボでお馴染みヤマハの原点モデル。国内レースで表彰台を独占する速さを見せつけた事でバイクメーカーとして認められた。

関連ページ:原点進行形YAMAHA125(YA-1)/系譜の外側

【その他】

・コレダST-II

1956年生まれ|Z7 スタミナ

Z7スタミナ

メグロシリーズの市販車として初めてスイングアームを採用したモデル。公募により”スタミナ”の愛称が与えられた多くの人にとって憧れのメグロを象徴するモデルだった。

関連ページ:メグロKシリーズ/Wの系譜

1957年生まれ|250YD-1

250YD-1

赤とんぼYA-1(125)によりレース場で敵無しだったヤマハがさらなる一手として出してきた250版YA-1のようなモデル。周囲の期待通りこのモデルでもレースで勝利を収め、楽器屋とバカにする人は居なくなった。

1958年生まれ|スーパーカブC100

スーパーカブC100

世界160ヶ国以上で販売され総生産台数1億台を突破したスーパーカブの初代モデル。今でこそ見慣れているが当時はデザインも走行性能も価格も飛び抜けた最高級原付だった。

関連ページ:スーパーカブC100/スーパーカブの系譜

【その他】

・陸王750RTII

1959年生まれ|ドリームCB92

CB92

初めてCBの名を冠した市販スーパースポーツ。日本とSSそしてアマチュアレースの歴史における原点。

関連ページ:雪辱のSSその名はシービー CB92/系譜の外側

【その他】

YDS-1

1960年生まれ| K1 スタミナ

K1 スタミナ

メグロのバーチカルツインであり、メグロ最後の大型スポーツモデルであり、Wシリーズの元ネタでもあるモデル。

関連ページ:メグロKシリーズ/Wの系譜

【その他】

・ドリームSS CB72

1961年生まれ|モンキーZ100

モンキーZ100

ホンダが造った自動車遊園地である多摩テックのアトラクション。欧州に飾りとして持っていったところ反響を招きモンキーとして市販化される流れとなった。

関連ページ:モンキーZ100/モンキーの系譜

1962年生まれ|B8

B8

エンジン製造という形でバイクに関わっていた川崎航空機(現カワサキ)が初めて車体を含め全てを自社で手掛けた造り上げたモデル。地元兵庫で行われたモトクロス選手権で圧倒的な速さを見せつけた。

1963年生まれ|シルバーピジョン140/240

シルバーピジョン

新開発の2stパラツインエンジンを搭載した三菱重工業のスクーター。一時期は業界を牽引するほどの人気だったがスーパーカブの台頭により最後となってしまったシルバーピジョン。

1964年生まれ|SG

SG

目黒製作所としてのラストモデルであり非常に人気が出たモデルでもあるSG。そのためメグロエンブレムとカワサキエンブレムの両方があるモデル。カワサキが出したエストレヤの元ネタもこれ。

関連ページ:メグロジュニアシリーズ/エストレヤの系譜

1965年生まれ|ブリヂストン180

180TA1

タイヤでお馴染みブリヂストンが造った世界初のデュアルキャブ&ツインエンジンのハイエンドモデル。しかし残念ながらこのモデルが出てすぐ国内での販売を終了することになった。

関連ページ:ブリヂストンも昔バイクを作っていた/バイク豆知識

1966年生まれ|650-W1

メグロ時代に人気だったK2を再設計したカワサキ初の大型バイク。ダブワンの愛称で親しまれ国内のみならず世界へも輸出されていた。

関連ページ:650-W1(W1/S/SA)/Wの系譜

1967年生まれ|ベンリィ SS50

SS50

50ccのレースに合わせて造られたフルチューンベンリィ。6馬力、テレスコピック、5速ミッションなど贅沢の限りを尽くしたモデルだった。

1968年生まれ|トレールDT1

DT-1

オフロードを我慢するのではなく楽しく走る事が出来るバイクとして登場。国を問わず広く愛されトレールという車名(造語)がジャンルを表す言葉にまでなった。

関連ページ:冒険という感動想像 250DT1(214/233)/系譜の外側

1969年生まれ|CB750FOUR

量販車として初の直列4気筒バイク。マン島TT(最高峰レース)全制覇からの登場で世界中にホンダの技術力の高さを示した。

関連ページ:ドリームCB750FOUR/CB1300の系譜

【その他】

500SSマッハ3

ダックスホンダ(ST50)

・ハスラーTS250

1970年生まれ|650XS1

650XS1

ヤマハが世界へ打って出るために造った初の4st大型モデル。欧州勢と真っ向勝負になる650を敢えて選択、そのエンジン廻りにはトヨタ2000GTで得たノウハウが応用された。

1971年生まれ|GT750

GT750

スズキが造った国産初の水冷2stトリプルナナハン。常軌を逸したエキサイティング性能とその巨漢っぷりからウォーターバッファローという愛称で主にアメリカで大好評だった。

1972年生まれ|900SUPER4

Z1

Z1という型式が有名な名車中の名車。性能やデザインが優れていただけでなく耐久性も非常に高かったことからレース界でもベースマシンとして大人気だった。

関連ページ:900Super4(Z1/A/B)/Z1000の系譜

【その他】

・GT380(GT380)

1973年生まれ|750RS

Z2

750cc規制があった国内向けに用意されたナナハン版Zの通称ゼッツー。見た目はほぼ同じなもののエンジンの中身は別物なナナハン専用設計で日本のトップモデルに君臨。

関連ページ:750RS(Z2/Z2A)/Z900/RSの系譜

1974年生まれ|ドリーム400FOUR

750の弟版として登場した408ccの通称ヨンフォア。中型免許(~400cc)という規格が設けられる要因を作ったモデルで四気筒ゆえに当時は採算が取れず短命に終わった。

関連ページ:CB400FOUR(CB400F)/CB400SF/SBの系譜

【その他】

GL1000GOLDWING

1975年生まれ|XL250

XL250

2stが当たり前だったオフロード界で4stとして初めて成功したモデル。4st特有の低中速から厚みのあるエンジンが好評で林道ブームを巻き起こす源動力にもなった。

関連ページ:XL250/S/R(MD03)/CRF250の系譜

1976年生まれ|XT500

ヤマハが初めて造った4stビッグオフモデル。1万回キックテストなど軽量化と同時に耐久性も重視し非常に高い評価を獲得。パリダカ初代王者に輝いた後にSRへと転生する。

関連ページ:XT500(1E6)/SR400の系譜

1977年生まれ|KL250

カワサキが初めて造った4stオフロードバイク。モトクロッサー譲りのフレームと足回りを装備しており初代にして高い走破性を兼ね備えていたKLXシリーズの始まりとなるモデル。

関連ページ:KL250(KL250A/C)/KLX250の系譜

1978年生まれ|SR400

アメリカからの要望で造ったXT500のスクランブラー(ダートトラッカー)モデル。度重なる生産終了危機を乗り越えてきてたバイク界の生けるレジェンドはこの年に生まれた。

関連ページ:SR400(2H6)/SR400の系譜

【その他】

CBX(CB1/SC03/SC06)

Z1300(KZ1300A)

1979年生まれ|Z400FX

Z400FX

望まれていたものの長らく不在だった四気筒400ccの声に応える形で登場した羨望のZ。一度は生産終了したもののデザインの良さから再販された歴史があるモデル。

関連:Z400FX(KZ400E)/ZEPHYRの系譜

【その他】

CB750F(RC04)

・GS1000S

1980年生まれ|RZ250

市販レーサーTZ250を公道向けにした2stスーパースポーツ。風前の灯火だった2st最後の華として造られたものの爆発的な人気となったことで2st全体を押し上げ80年代2st黄金期を築く第一歩になったモデル。

関連:RZ250(4L3)/TZR250Rの系譜

【その他】

CBX400F(NC07)

GSX250E(GJ51B)

POCKE/VOGEL(4U1/7)

1981年生まれ|GSX1100S KATANA

KATANA

デザイン面に課題を抱えていたスズキがデザインコンペをキッカケに開発したフラッグシップ。ドイツのケルンショーで発表された際あまりにもインパクトがあった事からケルンの衝撃と称されたモデル。

関連:GSX1100S KATANA/KATANAの系譜

【その他】

モトコンポ(AB12)

XJ750(5G8)

1982年生まれ|VT250F

VT250F

勢いづく2stに対抗する形で登場した4ストVツインクォータースポーツ。35馬力を叩き出すエンジンはもちろんフロント16インチやプロリンクなど本気度MAX仕様だったモデル。

関連:VT250F(MC08)/VTRの系譜

【その他】

GSX750S(GS75X)

VF400F(NC13)

1983年生まれ|RG250ガンマ

ガンマ

セパレートハンドルとアルミフレームそれにフェアリングと初めてレーサー装備を完備して登場。レーサーレプリカブームの火蓋を切って落とす存在となったモデル。

関連:RG250Γ(GJ21A)/RGV-Γ250の系譜

【その他】

CBR400F(NC31)

GB250CLUBMAN(MC10)

GSX-R(GK71B)

JOG(27V)

1984年生まれ|GPZ900R

世界最速を掲げた元祖Ninjaでありその後のカワサキの方向性を決定づけるほどの影響を与えたモデル。最初は思ったほどの人気は出なかったものの映画トップガンに取り上げられた事を契機に20年近く販売されるロングセラーとなった。

関連:GPZ900R(ZX900A)/ZX-14R/GTRの系譜

【その他】

FZ400R(46X)

750TURBO(ZX750E)

KR250(KR250A)

1985年生まれ|Vmax

Vmax

V4エンジンによる遠慮知らずの加速力を持つ怒涛のドラッガー。そのわりにフレームは直ぐ走るのも困難なほどフニャフニャだったためプロライダーですらアクセルを全開にする事は出来なかった。

関連:Vmax1200(1FK~)/VMAXの系譜

【その他】

FZ750(1FM)

FZ250PHAZER(1HX)

TZR250(1KT)

SEROW(1KH)

GSX-R750(F/G/H)

GPZ400R(ZX400D)

1986年生まれ|NSR250R

MC16

2stに消極的だったホンダが2stのヤマハ打倒のために出したレーサーレプリカ。GPレーサーの名前を冠しているだけありデザインも性能も本物で、しかも乗りやすかった。

関連:NSR250R(MC16)/NSR250Rの系譜

【その他】

FUSION(MF02)

FZR250(2KR)

GSX-R1100(GV73A)

1987年生まれ|VFR750R

VFR750R

ワークスレーサーRVFのレプリカとして登場した通称RC30。打倒ワークス精神で造られた側面があり、構造も速さもそして価格も市販車の域を越えていた世界市販車レースの初代王者。

関連:VFR750R(RC30)/VFRの系譜

【その他】

GPX250R(EX250F/G)

NSR50/80(SC10/HC06)

・TW200(2JL)

1988年生まれ|アフリカツイン

アフリカツイン

砂漠を優雅に駆け抜ける姿から砂漠の女王と称されたダカールラリーを四連覇をレーサーNXRのレプリカモデル。当初は限定モデルだったが人気が出たことで定番化した。

関連:Africa Twin(RD03/04/07)/Africa Twinの系譜

【その他】

CBR400RR(NC23)

STEED400(NC26)

1989年生まれ|ZEPHYR

ゼファー

レーサーレプリカブームに一石を投じたオールドスタイルのネイキッド。数年で時代をネイキッドブームへと引っくり返すほどの影響力を与えたモデル。

関連:ZEPHYR(ZR400C)/ZEPHYRの系譜

【その他】

Bandit250(GJ74A)

Bandit400(GK75A)

ZXR400R(ZX400H/J)

・KDX200SR(DX200E)

1990年生まれ|CBR250RR

CBR250RR

猫も杓子もレーサーレプリカに乗るのが当たり前だった時代を象徴するマルチクォーター250の代表格的なモデル。非常に乗りやすかった事もあり老若男女問わず人気だった。

関連:CBR250RR(MC22)/CBR250RRの系譜

【その他】

ZZR1100(ZX1100C)

ZZR250(EX250H)

KSR(MX050/080)

1991年生まれ|BALIUS

バリオス

レーサーレプリカの強心臓とグラマラスなボディを持つ250ネイキッド。名前の由来はギリシャ神話に登場する名馬から。

関連:BALIUS(ZR250A)/ZXR250Rの系譜

【その他】

Goose(NJ46A/NK42A)

NS-1(AC12)

1992年生まれ|CB400SF

400シリーズの王者であり王道であり教習車として多くの人にバイクの運転を教えた名車。四気筒でオールドスタイルで400ccで足付きも良くてスポーツ性もあるという日本人の為にだけ存在するようなモデル。

関連:CB400SF(NC31)/CB400SF/SBの系譜

【その他】

エストレヤ(BJ250B)

CB1000SF(SC30)

CBR900RR(SC28)

DJEBEL250(SJ44A)

GSX400S KATANA(GK77A)

NR(RC40)

・DT200WR(3XP)

1993年生まれ|KLX250SR

KLX250

まだまだ2stが人気だった時代に登場した戦う4st。キャッチコピー通り2stに勝てるポテンシャルを持たせるために利便性を全てかなぐり捨ててた潔い半身モトクロッサーの初代KLX250。

関連:KLX250SR/ES(LX250E/F)/KLX250の系譜

【その他】

XJR400(4HM)

DJEBEL200(SH42A)

1994年生まれ|TZM50R

TZM50R

12インチスポーツ最速(打倒NSR50)を掲げて造られたヤマハの超本気原付。エンジンはもちろん足回りも原付にあるまじき豪華仕様だった。

【その他】

GSX400インパルス(GK7AA)

XJR1200(4KG)

ZX-9R(ZX900B)

1995年生まれ|GSF1200

威風堂々さが求められるジャンルにも関わらずそれよりもスポーツ性を追求したカットビ系ネイキッド。ひっくり返るビッグネイキッドの異名を持つも開発者いわくこれでも大人しくした方との話。

関連:GSF1200/S(GV75A/B)/Bandit1250の系譜

【その他】

ZX-6R(ZX600F)

XR250/BAJA(MD30)

MAJESTY(4HC)

ボルティー(NJ47A)

1996年生まれ|XVS400ドラッグスター

ドラッグスター400

もともとクルーザーのデザインに定評があったヤマハが出した新世代400クルーザー。あまりの完成度の高さと人気っぷりから敢えて選択肢から外す人が居るほどだった。

関連:DS4/DSC4(4TR)/DS4/DSC4の系譜

【その他】

ZRX1100(ZR1100C/D)

VTR1000F(SC36)

HORNET(MC31)

CBR1100XX(SC35)

1997年生まれ|VTR

VTR

長い歴史を持つVTシリーズの最終形態。クラス最軽量によるスポーツ性だけでなく、熟成され故障知らずなエンジンが好評でバイク便やジムカーナなど道具として酷使される世界でも御用達となった。

関連:VTR(BA-MC33)/VTRの系譜

【その他】

リトルカブ(C50)

TL1000S(VT51A)

1998年生まれ|YZF-R1

YZF-R1

性能とデザインの両面でスポーツ界に革命をもたらしたモデル。ライトウェイトスポーツと言われていた排気量の常識を押し上げ、リッターSSというジャンルを築くキッカケになった。

関連:YZF-R1(4XV)/YZF-R1の系譜

【その他】

D-TRACKER(LX250H/J)

1999年生まれ|HAYABUSA

ハヤブサ

独創的デザインと時速314km/hというWパンチで世界中を騒然とさせたモデル。あまりにもクレイジーだと欧州で物議を醸し、販売差し止めをチラつかされた事で299km/h規制を生むことになった。

関連:GSX1300R HAYABUSA(X/Y/K1~7)/HAYABUSAの系譜

【その他】

SV650/S(VP52A)

YZF-R6(5EB)

2000年生まれ|VTR1000SP

VTR1000SP1

世界市販車レースでVツイン優遇措置が取られた事で造られたレース前提開発のホモロゲーションモデル。鬼(ホンダ)に金棒(Vツイン)となりレースを席巻した事で大人気ないと言われるほどだった。

関連:VTR1000SP-1(SC45前期)/VTR1000の系譜

【その他】

FORZA(MF06)

ZX-12R(ZX12000A/B)

2001年生まれ|GSX-R1000

GSX-R1000

今も続くGSX-R1000の初代となるモデル。伝統の750モデルを無理やり1000ccにしたような形で圧倒的な軽さと速さだった事からストックレースでは世界問わずこれ一択状態になった。

関連:GSX-R1000(K1/K2)/GSX-R1000の系譜

【その他】

TMAX(5GJ)

FJR1300(5JW)

APE100(HC07)

GSX1400(GY71A)

2002年生まれ|GSX1400

スズキが出した最大排気量のビッグネイキッド。1985年から続いた油冷(SACS)エンジンを搭載した最後のモデルとなった。

関連:踏みにじられたプライドGSX1400(GY71A)/系譜の外側

【その他】

バンバン200(NH41A)

KSR110(KL110E)

2003年生まれ|CBR600RR

CBR600RR

ミドルスポーツが加熱した事で造られたモデル。スーパースポーツらしい速さやハンドリングだけでなくセンターアップマフラーというデザイントレンドまで造り上げた。

関連:CBR600RR(PC37前期)/CBR600RRの系譜

【その他】

Z1000(ZR1000A)

2004年生まれ|ZX-10R

カワサキが最初に作ったリッタースーパースポーツ。のちに市販車最速の称号をほしいままにすると言っても恐らく誰も信じないほど斜め上を行く玄人好みのモデルだった。

関連:ZX-10R(ZX1000C)/ZX-10Rの系譜

【その他】

VALKYRIE RUNE(SC53)

CBR1000RR(SC57)

DR-Z400(SK43A)

ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキが初めて作ったオートバイ

ホンダ A型
-Since1947-

ホンダA型

ホンダの名を初めて冠した本田宗一郎設計の初代量産エンジン。
旧陸軍の無線発電用エンジンの流用をやめ、1からエンジンを設計し造ったホンダ(本田宗一郎)の第一号と呼べるバイク。

他社を真似ないという信念、そしてウィングレッドもここから始まった。

スズキ パワーフリー号
-Since1952-

パワーフリー号

織機メーカーだったスズキ(鈴木俊三)が参入を決意し初めて造ったのがこのバイク。

『ダブル・スプロケット・ホイル』や『二段変速機』など、出発当初からスペックは頭一つ抜きん出ておりトヨタ販売の助力もあって大ヒットを飛ばした。

ヤマハ YA-1
-Since1955-

YA-1

楽器屋だったヤマハが戦後に返還された工場を使って造ったバイク。

一作目ながらレースで大活躍という驚きの性能により楽器屋風情という風評を一蹴。更にこの頃から既にデザインの重要性を理解しておりオシャレな見た目も評判となった。

カワサキ B7 -Since1961-

カワサキB7

メイハツというグループ会社にエンジンを卸すという形式をやめ、川崎重工業として一貫生産するようになった最初のモデル。

しかしメイハツが設計したフレームがあまりよろしくなかったためクレームや返却の嵐となり、月間生産台数-17台という珍事を起こした事でデビュー作にして二輪撤退の危機を迎える事になった。

※間違いがありました詳細は

『カワサキが最初に作ったバイクはスクーター~バイク事業の歴史~』

をどうぞ。

それにしてもこうやって見るとデビュー当時も今もメーカーの色って変わってないんですね。(カワサキは除く)

尾崎豊:15の夜「盗んだバイクで走りだす」で盗まれたバイク

尾崎豊さんの名曲の一つである「15の夜」

そのサビである「盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま」は曲全体は知らずとも知っているという人も多いと思います。

さて、実はこの”盗んだバイク”にはちゃんとモデルになったバイクがあります。尾崎豊さんが後日談で仰ってました。

それのバイクはコレ。

Passol

ヤマハ・パッソル

「ええ!?ショボ!」

と思われた人も多いかと思います。

尾崎豊さんが歌ってるからCBとかZとかネイキッドのカッコいいバイクのイメージが湧きますもんね。
まあでも免許も持たない15歳の少年がそんなの乗れるわけもないって話ですが。

しかし何故パッソルなのかというと、実は当時HY戦争(HY戦争参照)の急先鋒だったパッソル(ロードパルも)はコスト削減&投げ売りのため、盗難防止機能が無いに等しい物でした。

もうとにかく鍵穴が回ればエンジンが掛かるっていう欠陥っぷり。

でも安かったから盗られた人も「また新しいの買えばいいや」と正にママチャリ感覚。

パッソルやロードパルが飛ぶように売れたのはこういう事も一つの要因だったり。

何か夢を壊してしまうようなトリビアでしたね。

最後になりましたがバイクの盗難や悪戯は絶対に駄目ですよ。
オーナーさんも盗難を助長するような環境で愛車を放置しないように気をつけましょうね。

ヤマハといえば青か黄黒か白赤か ~ヤマハカラーとストロボの歴史~

ヤマハカラー

最近はそうでもないですがヤマハといえばストロボと思っている方もそれなりに多いかと思います。

細かいことを言うと、主に黄色や赤に使われる繋がっているものをスピードブロックやチェーンブロック、青に使われる繋がっていないのをストロボと分ける場合もありますが基本的に元ネタは同じ。

スピードブロックとストロボ

じゃあヤマハのストロボカラーと言ったら何色かと問うと

「黄色に黒スピードブロックに決まってるだろ」

という人が多いかと思いますが、中には

青白

「ストロボといえば青に白でしょ」

と思っている人や

赤白

「いやいや白赤ストロボでしょ」

と思っている人もそれなりに多いかと。

そもそも

「ヤマハカラーって何色なんだ」

って話ですが歴史的にいうとヤマハカラーは白赤になります。

ヤマハRD56

これはヤマハが世界GP250で初めてタイトルを獲得した1964年のRD56。

ちょうどこの頃からデザインも始まっているんですが、見て分かるように白地に赤一文字。

日の丸が由来

ちなみにこれの由来は日の丸です。

そして数年を経て赤ラインの上下を紺色で囲うようになりました。

世界グランプリ50周年

ヤマハがWGP(世界レース)参戦50周年を記念して出した限定モデルが赤白だったのもコレで納得ですね。

しかし一方でストロボの歴史はというと実はこの赤白ではありません。

ヤマハのWGP初期

確かに白赤も1978年あたりからストロボですが、このストロボの始まりはアメリカにあります。

ヤマハは1960年頃にアメリカ進出したものの、当時はまだ小さかった事もあり親会社だったヤマハ楽器の現地法人

『ヤマハ”インターナショナル”コーポレーション』

を拠点とし、レースで目立つ為に

『黄色ボディに黒ライン』

というカラーリングを1972年頃から採用しました。

インターカラー

黄/黒がインターカラーと呼ばれる由来はここにあるわけです・・・が、実はストロボは当初の予定にはありませんでした。

では何故ストロボになったのかというとレースチームのコンサル兼グラフィックデザイナーを務めていたモーリーサンダースという人が

「ただのラインじゃ面白くないな」

という事でアメリカの国民的レースだった1972年のデイトナ200のマシンに白いラインを入れてストロボ(米名:スピードブロック)にしたわけです。

1972年のデイトナ200

これがストロボの始まり。ちなみに横に写っているのは若かりしケニー・ロバーツ。

更にアメリカ国内のモトクロスやダートのファクトリーマシンにも同じストロボラインを入れるように。

そしてデイトナ200の五連覇など大活躍した事から

1973年のデイトナ200

『ヤマハ=スピードブロック(ストロボ)』

という認識が全米で定着したわけです。

そして勢いそのままにUSヤマハから1974年にWGP250、更に1978年からはトップレースWGP500へと舞台を世界に移行。

キング・ケニー

ケニー・ロバーツが一年目にも関わらずワールドチャンピオンに輝くという大活躍でスピードブロックが世界中に知れ渡ったわけです。

これによりUSヤマハの象徴だったストロボはヤマハ発動機の象徴となり、伝統だった白/赤にも1978年ごろから反映される様になった。

ヤマハカラー

つまり伝統色は赤/白、一方でストロボは黄/黒が起源というわけ。

まあこの経緯はレースを知るものには有名ですね。

でもヤマハと言えばもうひとつ色がありますよね。

R6ブルー

「青は何処から来たの」

って話・・・なんですがこれがハッキリしない。

ただヤマハの歴史とカラーリングを徹底的に調べた結果、ある結論が出たのでそれを書いていきます。

ヤマハは90年代半ばまでレーサーも市販車も伝統の白/赤推しでした。

では何故ブルーがこれほどしっくり来るのかと言えばMotoGPとロッシの影響が大きいかと思います。

コスワースヤマハ

ヤマハは2003年からゴロワーズとスポンサー契約を結び、青ベースのスポンサーカラーになりました。

そして翌年にロッシを迎え入れMotoGPチャンピオンに。写真では見えませんがタンクにストロボが入っています。

その後も2007年からはFIATとのスポンサーで再び青になってロレンソ共々大活躍。

フィアットヤマハ

青いマシンで活躍する期間が長かったら、すんなり受け入れられたという話。

今もモビスターの青がベースですしね。

つまりケニー・ロバーツ時代を知る世代の人が

「ヤマハといえばインターカラーだ」

と思っている事と同じ様に

「ヤマハといえばヤマハブルーだ」

と思ってる人が多いのはロッシ時代を知る世代の人なんだろうなと・・・そう考えるとやっぱりレースの宣伝効果って凄いですよね。

ただし、これは日本で受け入れられた事の話。

そもそも”青×ストロボ”の初出は国内に限って言うと1984年に出たRZ250RのYSP限定モデルが最初。

フィアットヤマハ

青ストロボというより伝統色の青バージョンというかシアンバージョン的な感じで、これをヤマハブルーの始まりと呼ぶには少し抵抗がありますよね。

ただこの色には元ネタがあります。

これはソノートヤマハというフランスのヤマハ代理店(現フランスヤマハ)の色なんです。

ソノートヤマハTZ250

1984年のWGP250で優勝したんですが、同郷のよしみかゴロワーズがスポンサーだったため青色でした。

シアンブルーなRZはこのソノートヤマハ(ゴロワーズカラー)をイメージした色なんです。

「ヤマハブルーと関係ないじゃん」

と思いがちなんですがそうでもなく、ヤマハブルーの起源も恐らくソノートヤマハにあります。

ソノートヤマハ

「ソノートヤマハもWGPに参戦していたからか」

と当時を知る人は思うかもしれませんがWGPが要因ではありません・・・要因はパリダカにあります。

1979ダカール

ヤマハは1979年の第一回優勝、第二回は1位から4位まで独占という偉業を達成しました。

そして国際レースに昇格された1981年からもソノートヤマハとして参戦していたんですが、その際のカラーリングが青ボディに黒ストロボだった。

ソノートヤマハXT500

これはその時のファクトリーマシンXT500Ténéréです。

ストロボがUSだけでなく伝統色の赤白でも採用されるようになった数年後で青系ストロボはこれが最初。

XT600テネレ

こっちは1983年に発売された市販バージョンのXT600テネレ。ばっちりストロボが入っている。

ここまではシアンチックなんですが、それが大きく変わったのが1985年のファクトリーマシンXT600Ténéré。

0U26

パリダカ人気の高まりからゴロワーズがスポンサーとなり鮮やかな青に。ココからはずっとファクトリーマシンはこの色。

そして1989年に誕生したスーパーテネレもそれに倣って濃い青・・・しかもストロボ付き。

0U26

明らかに欧州向けが一足先にブルー推しになっているんです。

そしてそして何よりパリダカが要因と言い切れるのは、鮮やかな青に身を包んだファクトリーマシンSuper Ténéréがパリダカで

『三連覇&四連覇(91~93,95~98)』

という前人未到の偉業を達成したから。

ヤマハブルーのパリダカ

「ヤマハが地球を支配した」

と欧州で大きく話題となりました。

日本ではそうでもないんですが、ダカールラリーというのは欧州(特にフランスやイタリア)では国民的人気のレース。

だからこの偉業によって

「ヤマハと言えばブルー」

というのが欧州で定着した。

ヤマハブルーのYZ

90年代半ばになってヤマハがモトクロッサーなどオフロード車を紫から青に変えた事。

そして現代的な青ストロボを一番最初に採用したオンロードモデルが欧州向けのYZF600Rサンダーキャット(1994年)である事などから鑑みても間違いないかと。

サンダーキャット

「ヤマハブルーの起源はパリダカにあった」

という豆知識というか考察でした。

纏めると

白赤:日本ヤマハの伝統色

黄黒:北米ヤマハの伝統色

青白:欧州ヤマハの伝統色

それぞれちゃんと歴史があるんですね。